top of page

フェリックスの旅

フェリックス・ミッターマイヤー、23歳。

思慮深い優しき養父母の元で成長した、故ロイエンタール元帥の息子は、選ばれて遠い旧同盟の首都、ハイネセンの大学へ留学することになった。

これから過ごす新しい土地への希望を胸に、母と共に祖父母のいるオーディンで夏の休暇を過ごすフェリックスは、古都で様々な人々や出来事に遭遇し、失われた絆を再発見する…。

 

注意:このお話は銀英伝本編終了後を舞台にしています。フェリックス、ミッターマイヤー夫妻他、ロイエンタールの周辺にいた人々のその後のお話です。原作最終話で健在であったキャラクターは、この話でも健在ですのでご安心ください。また、原作の内容を否定するようなものではありません。

 

このお話は健全なご腐人向けです。

フェリックスは父の衣鉢を継いで受 けです。

 

上記をご了承のうえ、お読みいただけましたら幸いです。

 

Anchor 5

 

 

目次 (全21話)

My Worksへ戻る

 

1、 2、 3、 4、 5、 6、 7、 8、 9、 10、 11、 12、 13、 14、 15、 16、 17、 18、 19、 20、 21 (完結)

 

覚え書き

 Memorandum of Felix' Journey

「フェリックスの旅」のあとがきに代えて)

  

 

1、

新帝国暦25年

6月12日

久しぶりにオーディンの祖父母の家にいる。7月の先帝追悼式典に出席するべきだと思ったが、陛下は「気にするな」とおっしゃってくださった。8月までこちらで過ごすことになるだろう。

秋にはハイネセン自治大学の大学院に留学する。そうなったら、オーディンには少なくとも5年は来ることが出来ない。その前に、祖父母と会いたかった。父さんはフェザーンからうごけないが、母さんと一緒に来ることが出来てよかった。

母を連れてオーディンの祖父母を訪れる計画について、たまたまメックリンガー閣下にお話しする機会があった。閣下はぜひ旅の間、日記を書くようにと勧められた。非日常の中でぼんやりして過ごしてしまうと、せっかくの旅の記憶も薄れてしまう。なんでもソリビジョンやデータに収めてしまうご時世だ。自分で考えた文章を手で綴ることが出来る時間があるということもまた、旅の贅沢な一面だとおっしゃった。

そういう訳で、新しいノートを買って、新品のペンで日記を書く。

 

6月14日

昨日は疲れたので日記を書かずに寝てしまった。1日中、祖父の庭園めぐりに付き合ってオーディン中を歩き回ったのだ。祖父は造園の仕事を引退した後、オーディン庭園協会というところで、オーディンにいくつもある庭園の観光案内のボランティアをしているそうだ。僕や母さんもそうとは知らずびっくりした。案内のためにしょっちゅう方々の庭園に出かけていて、家に寄り付く暇もないと、祖母は笑う。どうりで元気なはずだ。

昨日は母さんと一緒に祖父にいろいろな庭園を案内してもらった。オーディンは庭園の街になった。かつては大貴族の豪壮な庭園だったものを、一般市民に開放しているからだ。元貴族の屋敷だったものを取り壊したり、別の公共の建物に用立てたり、その中でも庭園の素晴らしい屋敷は市民のための憩いの場となっているという訳だ。ただの趣味の悪い大きな屋敷などは取り壊しの対象だが、見る価値のある庭園や屋敷は新銀河帝国の一般市民の楽しみのために役立っている。なかなか皮肉が効いている。

祖父は母さんが聞いていないときに小さな声で僕に言った。

「残されたお屋敷の中にはお前のお父上の所有だったものもあるのだよ。なんでも、フェザーン遷都の時にご親戚に譲られて、そのおかげで、後で没収されることがなかったそうだ」

僕はなんといえばいいか分からなかった。祖父はいつもロイエンタール元帥のことを『お父上』という。父さんとは違うことをはっきり僕に理解させたいのかもしれない。僕にとって父は父さん一人だ。間違えようがない。

その親戚と言うのはおそらくロイエンタール家側の大叔母だろう。叔母上からそのような話を聞いたことがなかった。お聞きするべきだろうか。

 

6月17日

役所から超高速通信でフェザーンにいる父さんと話した。母さんと一緒に来るはずだったけれど、急なお客さんがやってきて、祖母を手伝うために家に残った。僕が父さんに(なるべく母さんがいないところで)少し相談したいと思っていたことが、母さんには分かったのだろうか。偶然かもしれないけど母さんはときどきこういうことがある。不思議だ。

父さんと話す前にやはりフェザーンにいる大叔母に聞いてみたら、オーディンの邸宅はまさしく叔父上、叔母上が所有するものだという。叔父上はもう引退したこともあり、数年前に商用でオーディンに行ったときに立ち寄ったきりだという。屋敷には信頼できる管理人がいるそうだ。手放すつもりはないらしい。

僕は祖父から聞いたことと、その後で大叔母にも確認したことを父さんに話した。おまえの叔母上が行っても構わないとおっしゃってくださるなら、行ってごらん、と父さんは言った。さりげない口調だったけれど、父さんが静かに興奮しているのが僕には分かった。僕が行くとしたら、完全に父さんのために行くのだ。「父さんが行ってほしいというなら行くよ」と僕は言った。そんな言い方をしたら父さんが困るのは目に見えていた。近頃、父さんはロイエンタール元帥の話を僕にするときはいつも困ったような顔をする。

父さんはそれなら行ってきなさい、と言った。おまえの好きにしろと言うかと思ったけど。父さんにああ言った手前、行かなくてはならないだろう。

 

6月18日

ロイエンタール元帥のことはアレク陛下と何度も話し合った。

今から思えば、一昨年の先帝追悼式は20年目で、陛下が成人された年と言うだけでなくあらゆる意味で節目の年だった。皇太后陛下はロイエンタール元帥の名誉を回復された。その死についての詳細もいくつか公開された。それまで、先帝陛下がお許しになられた元帥の称号は留めていたが、実質、その存在が公に語られることはなかった。当然、アレク陛下はロイエンタール元帥についての一切を知らず、僕とのかかわりもご存じなかった。母君や、彼を直接知る父さんや元帥方から往時についての講義を受けられたという。

陛下はランベルツ兄にまで話を聞いたという(兄さんはめったにロイエンタール元帥のことを話そうとしない。僕にも一度、詳しく話してくれただけで、あれ以来口を閉ざしている)。

当然、僕にもためらいがちにではあったが、ロイエンタール元帥について何か知っているかとご質問なさった。

僕の遺伝上の父親はオスカー・フォン・ロイエンタールと言う人で、彼は父さん、ウォルフガング・ミッターマイヤーの親友だった。いつからか知らないが、僕が物心ついたころには僕はその事実を知っていて、その意味をおおむね理解していた。母親についてはよくわかっていない。父さんも知らないのだろうし、どうせその人は僕を父さんに預けてどこかに姿を消してしまったのだ。

子供のころ、就寝前に竜の騎士や魔法使いの絵本を読むように、父さんは親友と自分が歩いた戦場や宇宙での出来事を僕に話して聞かせた。子供の頃はあれは全部父さんが作った、最高に面白い話なんだと思っていた。幼年学校の図書館で『ミッターマイヤー元帥伝』という本を見つけて、ドキドキしながら読んでみたら、僕が騎士や魔法使いのたぐいだと思っていた話が、父さんが本当に体験した話だと分かって驚いた。

父さんはその頃、すでに戦場に出ることはなくなっていた。僕は父さんがかの獅子帝の双璧の片割れだと意識したことはなかった。幼年学校を出た後士官学校に進まずに、一般の学校に進みたいと相談した時も、他の人たちのように残念がったりしなかった。むしろ、軍人ではない道を選んだことを喜んでくれているはずだ。

とにかく、父さんは僕の養父で、実父のことも包み隠さず話した。オーディンのロイエンタール家とマールバッハ家の両家の親族に連絡を取り、時々彼らがフェザーンに来た時などに会うように取り計らった。ロイエンタール家の大叔母は僕と会えることを非常に喜んでくれた。マールバッハ家の方の伯母や伯父たちは出来れば僕との(あるいはロイエンタールとの)つながりを抹消したいようだったが、帝国の現国務尚書が仲立ちをしているのだから、むげに断れないと思ったのだと思う。とにかく、僕と同じ年代の若いいとこたちはフェザーンに来れることを喜んでいたし、僕の素性にこだわりはないようだ。今でも彼らとは仲良く付き合っている。この旅でも一緒に遠出する計画を立てている。

とにかく、ロイエンタール元帥と言うのは、会ったことのない親戚みたいなものだ。あるいは、父さんから聞いた騎士の物語の主人公だ。

 

(追記:殴り書き)

ベッドに入ってうとうとしているときに、幼年学校の最終学年のころ、ロイエンタールの名を出して僕を蔑んだ同級生がいたことを思い出した。彼がどういうことを言ったかもう覚えていないが、僕は言われたことをそのまま父さんに訴えた。そんなことを言われるような人物が実の父親とはあんまりじゃないか、なんで前もってそういう話をして心の準備をさせておいてくれなかったんだ、と言うようなことを言ったのだと思う。多分、後で恥ずかしくなったのだろう。自分が言ったことを正確に覚えていない。だが、父さんが言ったことはよく覚えている。

「お前はロイエンタールといつも一緒にいた俺が言うことと、あいつに会ったこともないやつが言うことのどっちを信じるんだ?」

忘れないうちに書いておく。

 

 

Anchor 6

目次へ戻る       次へ

bottom of page