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フェリックスの旅

6、

フェリックスはその日、約束通りR-ジンテーゼを訪問し、レッケンドルフ他数人の関係者の前でプレゼンをした。発表中、レッケンドルフは何も言わずメモを取っていたが、終了後の質疑応答でさまざまな問題点を上げ、フェリックスをひやりとさせた。だが、批判するばかりではなく改善の糸口を示すことで、今後の取引に期待していることを匂わせた。

プレゼンの後の会議に臨んだフェリックスは、レッケンドルフが部下たちに忌憚なく意見を述べさせる雰囲気づくりをしていることに気づいた。気軽に末席の部下にも声をかけて、どんな意見も受け入れた。彼の前職が軍人であるということは信じられないような気がしたが、重職にある高位の軍人の副官だったと言われれば、なるほどと納得できた。

「フェリックス君、もしよかったら、この後一緒に食事が出来ればと思うのだが…」

レッケンドルフは会議後に、さりげない口調で声をかけた。すでに時間は夕方すぎになっていた。フェリックスは年長者の言葉にうなずいて礼を言った。

「ありがとうございます。ご迷惑でなければご一緒させていただいて、いろいろ今後の展望についてお話を聞かせてください」

レッケンドルフは穏やかな笑みを浮かべて苦笑した。

「仕事の話は終わりだよ。卿は今、休暇中だそうではないか。ブロイル君にも困ったものだね。おかげで私は卿と知り合うことが出来たわけだが。食事をしながら、このオーディンについて卿の感想など聞きたいね」

レッケンドルフは高級ホテルの高層階にあるグリルレストランに、フェリックスを連れて行った。レストランの中央には大きなグリルがあり、塊肉が焼かれているが煙は一筋もたっていない。革張りのシートは客同士が互いに視線が合わないように配置され、その間に鉄製のオブジェがところどころに置かれている内装で、レストランをぐるりと取り囲むような大きな窓からは、オーディンの夜景が見えた。

「かつては宮殿よりも高い建物は建てられぬ決まりだったが、ここは86階だ。旧帝国の馬鹿げた決まりも、先帝陛下が廃された後すぐに正されたわけではなかったが、最近の再開発おかげでこの通りだ」

「フェザーンは高層ビルだらけですよ。もっとも、アレク陛下がお小さいころからそうでしたから、誰も文句を言いません」

レッケンドルフはフェリックスの言葉に機嫌のよい笑い声を立てた。二人はワインを飲みながら夜景を眺めた。確かに、このホテルは周辺の建物より高いが、他にもいくつも高層ビルが建っている。

「このあたりは新市街地といっているが、昔の大貴族の広大な屋敷があった跡を更地にして、オフィスビルや商業施設に変わった。遷都により一時はオーディンも寂れたかに思えたが、ここ10年でだいぶ持ち直してきている」

「新帝国の施政が行き届くようになったおかげでしょうか」

「それもあるだろうが、なによりオーディンの市民が自分たち自身を見直すようになった。フェザーンを仰ぎ見るばかりではなく、オーディン独自のものを生み出そうと志す者が増えたのだと思うね」

「あなたのようにと言うことですか。…お聞きしたかったのですが、なぜ、オーディンで起業されたのですか」

「生まれ育った街だからね、いずれ戻ってきたかった。他の人は知らないが、遷都の前から私はいずれここに戻るつもりでいた。軍人だからそれがいつになるかは上次第だったが、存外早く戻ってくることになってしまった」

フェリックスの問いにレッケンドルフは淡々と答えた。レッケンドルフは気を取り直したように、起業したばかりの当時について話した。だが、彼が退役してオーディンに戻ってくることになった、その直接の原因については話さずじまいだった。

やがてやって来たグリル料理を前に、二人は共通の興味である彼らの仕事について話した。レッケンドルフはフェリックスのハイネセン留学の決意を聞いて、懐疑を示した。彼はすでに十分学んでいて、後は実践するのみだというのだ。抗議しようとするフェリックスを遮ってレッケンドルフは言った。

「いや、卿はまだ23歳だったな。あと数年は、卿の好きなように学ぶというのも構わんだろう。しかし、必ず、この世界に戻ってこなくてはいかん。ビジネスの世界で実践しなくては、学べぬこともあるのだ。いくら偉い学者の講義を聞いたところで、自分で体験したことにはかなわないと思うがね」

「思えばあなたはずっと軍人であって、経営を勉強したわけではなかったですね。元軍人の再就職先と言えば、警備会社を起こすとか、ボディーガードになるとかはよく聞きますが」

「私は任官して以来、後方支援担当を専門として将官の副官となり、戦場を行ったり来たりしていた。民間人よりは身体を鍛えていたつもりだが、私に要人のボディーガードが務まるわけがない」

年上の男が首を振って楽しそうに笑うのを見て、フェリックスは赤くなった。なるほど、軍隊にはいろいろな地位や役職があるのだ。自分は元軍人の息子にもかかわらず、そういうことに無知すぎると思った。

レッケンドルフは赤くなった青年を好ましそうに見ていたが、ワインのグラスを取り上げてため息をついた。

「ハイネセンか…。バーラト星系の有人惑星の一つに私の娘がいる。2年前に母親と一緒にあちらへ行ってしまってね」

「バーラトの? それは…、ずいぶん遠く離れてしまったのですね。お母さんと一緒だったのなら、まだ小さかったですか」

「あのころ14歳だったから、もう16歳だな。別れたときは反抗期であまり口をきいてくれなかったから、そのまま私を嫌って生き別れになってもおかしくなかったが…。毎月、必ず手紙を送ってくれるようになった。ソリビジョンのビデオレターは恥ずかしいから手紙がいいと言うんだ。毎日どんなことをしてるか、自分の話ばかりだがね」

「お父さんを嫌いなわけじゃないんですね」

相手は静かに笑って肉を切って頬張る。少しうつむいたその目が赤くなっているような気がして、フェリックスは急いで自分の料理に集中した。

美味い料理とワインで気持ちが落ち着いたのか、レッケンドルフは別れてしまった妻と娘について話した。おそらく、ずっとそのような話題を話す相手がいなかったのではないだろうか。妻はフェザーンに来ていたハイネセンの貿易商の娘で、退役後に知り合い、フェザーンで結婚した。レッケンドルフが故郷で会社を興すのに従ってオーディンへやって来た。娘も生まれて数年はうまくいっていたが、会社が成功してレッケンドルフが仕事にのめりこむようになると、妻とは心が離れてしまったという。彼女は娘を連れて遠い旧同盟の星へ帰ってしまった。

「どうせ別居するならオーディンにいくらでも場所があるというのに、娘と容易に会えない場所へ行ってしまった。そうやって彼女は私を罰しているつもりなのだ」

「そんな理屈があるものですか。会えないのはあなたばかりじゃない。娘さんだってお父さんと会えないではないですか。罪のない娘さんに親のツケを払わせていることになる」

レッケンドルフが思わずフェリックスの顔を見なおしたほど、彼の言葉は強いものだった。ワインの酔いのせいとも思えないが、フェリックスは顔を真っ赤にして、眉間に深いしわを寄せていた。彼はうつむいてワインの赤い色を眺めていたが、急にレッケンドルフに目を向けた。その青い瞳が鋭く明るく輝いていたので、レッケンドルフは昔を思い出してはっとした。

「あなたは健康だし、失礼だけどお金もある。時間も作ろうと思えば作れるはずだ。それなら、どうして娘さんに会いに行ってあげないんですか。そりゃ、すぐそこって訳じゃないですけど、かつてあなたはかの獅子帝に従って、ハイネセンまで行ったことがある。知らない場所って訳じゃないんだ。いつだって行けるんだ」

「簡単に言うね」

「簡単ですよ! 会うのに難しい方法が必要ってわけではないじゃないですか」

フェリックスがテーブルを叩いたので、ナイフやフォークがガチャンと音を立てた。フェリックスはぎょっとしたように、飛び上ったカトラリーを押さえた。

「すみません、興奮してしまって」

年上の男は両手を振って、青年に微笑みかけた。

「いいや、卿の言うとおりだ。私はただ、臆病なだけなのだ。手紙ではあのように優しい娘が、実際に私を目の前にしたときどう対応するか、それを恐れているのだ」

「…すみません。部外者が好き勝手なこと言って。でも、お嬢さんはきっと喜びますよ。それは絶対です」

カトラリーを押さえたまま、フェリックスは覗き込むように相手の目を見た。レッケンドルフは渋々といった風に頷いた。

 

塊肉のグリル料理はうまかった。デザートとコーヒーまで堪能して、フェリックスはごちそうになった礼を言った。礼の言葉を軽くいなしてレッケンドルフはフェリックスをエレベーターに誘う。

「もし、迷惑でなかったらもう少し話さないかね。卿は割と飲める口のようだし、うちにいい酒があるのだが」

「迷惑だなんて、こちらこそ、お邪魔でなければ…」

オーディンのかつての貴族向け邸宅の多い地区の中でも、新しい建物の多い高級住宅地にレッケンドルフの自宅があった。周辺はどうやら彼のような高所得者向けの屋敷が多いらしく、どの建物も街路樹もこぎれいだった。彼の家の居間は展示場のように整っていたが、あまりインテリアに手をかけることもないのだろう。どことなく殺風景だった。

それでもソリビジョンの大型モニタがあり、キャビネットには年代物のブランデーやウイスキーがそろっていた。レッケンドルフはモニタの真ん前に据えてある革張りのソファに客を座らせ、その手にウイスキーのグラスを持たせた。

レッケンドルフ自身は、「少し待ってくれ」と言ってどこかへ行ってしまった。芳醇な香りを楽しみつつちびちびとウイスキーを飲んでいると、小型のディスクを持ってレッケンドルフが現れた。

ソリビジョンの再生機に手に持ったディスクを入れると、横向きに置いてある一人用のソファに腰掛け再生機を操作した。

突然、画面に画像が映り、ガヤガヤとした人声が流れた。先日のチャリティーパーティーの映像かと思ったが、そうではなかった。パーティーには違いないが、画面上には軍服姿の人物があふれていた。怪訝に思って、フェリックスがレッケンドルフの方を見ると、相手は少し得意げに「少し早送りしよう」と言った。

パッと画面が移り変わり、グラスを手にした人物が椅子に座って、周りに何人かの軍人が立って彼らのあいさつを受けている場面になった。どうやら音声が遠いらしく、彼らの声はとぎれとぎれにしか聞こえない。

レッケンドルフが話し出した。

「ああ、今、閣下の前に立って敬礼をしたのはバルトハウザー提督。もう真っ赤になっていらっしゃるな。次はシュラー提督。まるで早く挨拶をさせろとでもいうように、バルトハウザー提督を押しのけられたね。みんな笑っている。閣下の横に立っていらっしゃるのはベルゲングリューン提督だ。この方には珍しく朗らかな表情だな。なにせこれから出撃だからみんな、意気揚々といったところだろう」

フェリックスは軍人の群れの中心にいる、一人の人物を見つめた。まっすぐな長い足を組んで、ゆったりと座ったその人物はグラスを時々傾けては、周りにいる軍人たちに声をかけている。大柄で強面の提督たちに囲まれているにもかかわらず、中央にいるその若い人物がもっとも高位の存在であることがその佇まいから容易に分かった。悠揚迫らぬ優雅とさえいえる態度で、そこには気負わぬ自然な威厳が感じられた。

「ロイエンタール元帥」

レッケンドルフは青年がつぶやくのを聞いて、その言葉に眉を上げて頷いた。

「そう、あの方こそ、私の上官だった方。卿のお父上その人だ」

オスカー・フォン・ロイエンタール元帥はあの肖像画よりも若々しく見え、また、微笑みつつ部下の提督たちと話している様子は優しげにも見えた。彼らが見ている間、ひっきりなしに軍人たちがあいさつに現れ、写真でしか知らない当時活躍した提督たちも現れた。そこにはフェリックスもよく知る、獅子の泉の元帥たちの若き日の姿もあった。

「ああ、あれはメックリンガー閣下。とてもお若い。ビッテンフェルト閣下も。でもよく見るとお二人ともあまり変わっていらっしゃらないなあ…。もちろん、これは僕が生まれる前の映像ですよね。すると23年以上前か…」

ウイスキーのグラスを揺らしながらレッケンドルフが首を振って苦笑した。

「私も年を取るはずだ。これは閣下が元帥になられたばかりのころのものだ。なんと、皆お若いこと。鬼籍に入られた提督たちはあの頃のままの姿なのに、私ももう50を過ぎた」

フェリックスは相手の顔をじっと見つめた。

「50過ぎには見えないですよ。では、うちの父と同年代なのですね」

「…父…。ミッターマイヤー閣下のことを言っているんだろうね…。そうだな、確か私はミッターマイヤー閣下より二つ三つ下か、それくらいだろう。新聞やニュース映像で見る閣下は当時と変わらず若々しいね。―ほら、ちょっと待て。そろそろ画面に出られるだろう」

それまで椅子に座ったままだったロイエンタール元帥がすっと立ち上がった。非常に滑らかで優雅な動きだったので、フェリックスは目を見張った。無意識にという風情で手に持っていたグラスを隣のベルゲングリューン提督に預けると、その場に現れた小柄な軍人に両手を差し伸べた。蜂蜜色の髪が揺れて二人は笑いながら抱擁した。

「―父さん」

全然変わっていない。もちろん、近頃は髪の色はくすんだ金茶色に近いし、難しい表情をしていることが多くなった。だが、その屈託のない笑顔は今も時々見せるものと同じだった。ロイエンタール元帥が楽しそうに親友に何か話しかけている。それを聞いたミッターマイヤーは破顔した。ビデオの中から馴染みのある笑い声が聞こえた。

「卿の今の顔、お父上と一緒だな」

レッケンドルフの声にフェリックスは自分が笑っていることに気づいた。自分の頬を撫でながら、彼は若きミッターマイヤー元帥の表情を見た。父はニコニコして親友に話しかけていた。

「違う、ロイエンタール元帥の表情。卿と一緒」

はっとしてフェリックスは視線をロイエンタール元帥に移した。彼もまた、親友と同じ屈託ないと言えそうな微笑みを浮かべていた。フェリックスはそこに、写真や映像で見かける自分の顔と似たものを見た。

その時突然、ロイエンタール元帥が微笑んだまま、カメラの方を向いた。

『レッケンドルフ、卿もいい加減そんなものは置いて、グラスを持て。ミッターマイヤーも来たことだし、そろそろ乾杯しよう』

思いがけず、大きな声で元帥が副官に声をかけた。低くて深みのある声をしており、朗々とした口調で言う。

『はい、閣下、乾杯のシーンを撮影しますので…』

現在よりも少し高い声で返事があり、ガサガサとした音声が入って、カメラはそのままの位置で若い副官が元帥の元に駆け寄った。閣下から手ずからシャンパンのグラスを受け取り、副官は真っ赤な顔で恐縮してお礼を言う。ロイエンタール元帥が短い乾杯のあいさつを述べると、ミッターマイヤー元帥がうなずいて、『プロージット!』と叫んだ。

周囲の軍人もその声に唱和してシャンパンを飲み干し、一斉にグラスを床にたたきつけた。

『―出撃だ』

ロイエンタール元帥が張りのある声で周囲にそう言うと、映像は途切れた。

「はい、閣下…」

フェリックスは年上の男が座る方を見た。彼は暗くなった画面を見つめたまま、真っ赤な目をしていた。

「なんという時代だったろう。あの頃、誰も彼も若くて、自分たちはいつまでも30代のままだと思っていた。いつまでもかの輝かしき獅子帝のもと、私の閣下と頼もしい提督たちとともに、ずっと戦い続けるのだと思っていた。あの終わりのころ、すでに戦いに倦んでいたのは確かだ。だが、あのように唐突に終わってしまうとは思ってもみないことだった…」

彼らは黙って手の中のアルコールを飲んだ。フェリックスは腕時計をちらりと確認すると、ためらいがちに声をかけた。

「あの…。そろそろ失礼します。タクシーを呼んでいいですか」

「泊まっていきなさい。まだ卿に見せたい閣下をお映ししたビデオがいくつかあるのだ。明日は土曜だし、遠慮することはない」

「ですが…」

急に気がついたかのようにレッケンドルフは首を振った。

「卿の方は迷惑かもしれんが…。これらのビデオを見て、一緒に楽しんでくれる人はなかなかいないのでね。正直に言うと、私のために今夜はもう少し付き合ってほしい」

ためらいがちではあったが、フェリックスは頷いた。初めてはっきりとロイエンタール元帥が話し、動く映像を見て心を動かされたのは確かだった。もう少し、他の映像を見てみたら、彼のことをずっとよく分かるかもしれないと思った。

 

 

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