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フェリックスの旅

7、

レッケンドルフはいくつかの映像と、データファイリングされた雑誌や官報の画像を見せてくれた。映像は細切れの短いものがほとんどで、閲兵式や何かの儀式のような公的な場面のものが多かった。軍服を着ていないものは全くなかった。その点をレッケンドルフに指摘すると、副官として元帥閣下の広報に携わっていた彼が保管したものだから、当然だという。

「実は退役した時、コピーを取って黙って持ち出したのだ。あとで何か叱責を受けるかと思ったが、何もなかった。当時はそれどころではなかったのかもしれん…。コピーを取ったというところに私の良心を認めてほしいね」

さらに映像を見つつ、かつてのロイエンタール元帥旗下の提督の数人と会った時の話をした。

「閣下の名誉回復の年だった。どうしても黙って一人で喜んでいることが出来なくて、オーディンにいることがわかっている数人の元提督方や、幕僚だったものたちに声をかけた。閣下の旗下にいた者は大半があの後、退役してね…。しばらくは残っていたものも、多くが先帝崩御の折に退役した」

優秀な元副官は、数年かけてそれらの人々の足跡を調べた。それをもとに元のロイエンタール艦隊の面々がまさにこの部屋に集まったのだ。

「最初は皆、ぎこちなくてね。あの頃はまだ30代だったのに、今じゃ太った50代の親父ばかり…。ランベルツにも声をかけたら平均年齢が下がったことだろう」

あの頃を思い出すよすがにと、何気なくあの『乾杯』の映像を流した。すると皆、堰を切ったように当時について思い思いに語りだし、最後にはその場の全員が肩を抱き合って大声で泣くような事態になった。まったく狂気の沙汰だった。

「卿は閣下の従卒だったランベルツを知っているかな」

「もちろんですよ。ランベルツの兄さんは僕やアレク陛下にとって、本当の兄みたいなものです。ゼッレ先生と二人でどっちが赤ん坊の僕らをあやすのが上手か、競争したものだっていつも言っています」

「ゼッレ? ああ、先帝陛下ご寵愛のあの従卒のあの子か。子ということはないな、彼らも立派な大人になったことだろうな」

「ランベルツの兄はアレク陛下の侍従長として、もう長く務めています。ゼッレ先生は一般の家庭医をなさってます。兄はロイエンタール元帥のことはあまり話したがらないので、お呼びいただいても顔を見せたか分からないですが…」

元副官はウイスキーを一口含んでから考え深げに頷いた。

「我々みな、あの時は茫然自失していたが、あの子こそ、もっともつらい思いをしたことだろう。まだ14なのにとてつもない重荷を背負うことになってしまって…。少年だった彼にとって、当時のことは苦痛だったに違いない。すでに大人だった我々とは感じ方も違って当然だ。ミッターマイヤー閣下があの子の世話を引き受けられたことは本当によかった。もし、一人だったら彼は立ち直れなかったかもしれない」

フェリックスはためらいつつ聞いた。

「ロイエンタール元帥の最期に、兄が立ち会ったことをおっしゃっているんですね。どうやら、赤ん坊の僕もその場にいたらしいですが」

頷いてレッケンドルフはじっとフェリックスを見つめた。何かを見透かそうとするように顔をのぞき込むように見る。その視線が何を語っているのかフェリックスには分からず、戸惑った。

「なんでしょうか?」

「卿は父君のことをまるで他人のように言うのだな。『ロイエンタール元帥』とね」

指摘されてフェリックスはうつむいて少し赤くなった。

「他人ではないことは分かっています。でも、実際に父親であるという実感はないのです。僕にとって父とはウォルフガング・ミッターマイヤーのことです」

レッケンドルフがフェリックスの方に向き直って、彼の両肩をぐっと力を入れて掴んだので、フェリックスは顔を上げて相手の目を見つめた。

「卿も確かにあの方がこの世にいらっしゃった最期の瞬間に立ち会ったのだ。オスカー・フォン・ロイエンタール元帥とは、昔ミッターマイヤー閣下の友人だったというだけの、卿とは関わりのない人のように感じているのかもしれないが、そうではない」

レッケンドルフは彼の上官だった人物の遺児の両肩を揺さぶった。元副官の強い視線に射られて、戸惑いを隠すことができない青い瞳がさ迷い、肩を揺すられるままに揺れた。

「卿もあの場にいたのだ。きっとロイエンタール閣下も卿を見たことだろう。卿に触れて、何かお声をかけられたかもしれぬ。あの方にとってもっとも重要な時間を卿は共に過ごしたのだ」

「…でも、覚えていません。僕にとって覚えている唯一の父が今の父なんです」

レッケンドルフの手がぱたりと降ろされた。彼はため息をついて首を振る。

「おそらく、それでいいのだろう。閣下も親友のミッターマイヤー閣下がご子息の面倒を見られることを望まれた。きっとそのことをお喜びに違いないと思う。だが…。私は残念でならない」

「僕も…、残念だとは思います。父はいつもロイエンタール元帥の話をするとき楽しそうでした。ロイエンタール元帥について僕も父と同じ記憶がないのは残念だと思います」

元副官はそれに対して再び首を振った。フェリックスは理解してもらおうとさらに続けた。

「でも、そういう風に言ってくださってありがとうございます。こんなにたくさん、ロイエンタール元帥の写真や映像を見せてくださって、とても感謝しているんです。だって、どうやらフェザーンの人たちは、僕にロイエンタール元帥の話をするまいと決意していたようなんです。父は別でしたが、それでも、僕が元帥とどれほどよく似ているかなんて言わなかった」

「卿のロイエンタール元帥像を形作るために一役買ったのなら、私としてもうれしい」

レッケンドルフはフェリックスを客用寝室の一室へ案内した。広々としてきれいにしているが、あまり使われた形跡がない。現在のレッケンドルフは自分の会社の仕事で忙しく、客を自宅へ招くことは稀なのかもしれない。

フェリックスはシャワーを使うと、自由に飲んでよい、と言われた水のボトルを貰いにキッチンに行った。シャワーから出たそのままのバスローブ姿で、キッチンの冷蔵庫を確かめに行く。

キッチンから、先ほどまで彼がいた居間の明かりがドアの隙間から漏れているのが見え、室内をのぞき込んだ。まだレッケンドルフがそこにいて、ソファに座ってモニタに向かっているようだった。

おやすみなさいの声をかけようと、少し室内へ入ると、レッケンドルフはソファに寄り掛かってうたたねをしていた。モニタの画面はすでに暗くなっていた。

起こそうかどうかためらっていると、レッケンドルフが呻いた。はっとしてみると、眉間にしわを寄せて歯ぎしりをした。再び大きく呻いた。

「レッケンドルフさん…」

年長の男の右肩を揺すると、相手はかっと大きく目を開き、フェリックスの腕に縋りついた。

「…閣下…!!」

ぶるぶる震えたまま虚ろな目をして、男はフェリックスの腕を肩から抜かんばかりの力で引き寄せた。フェリックスはバランスを崩してソファに倒れかかり、男の手から逃れようとした。

「レッケンドルフさん! 僕です、目を覚まして…!」

真っ青な顔色のレッケンドルフの目に理解の光が宿り、「…ああ!」と唸った。フェリックスの腕に縋ったままだが、その力は先ほどよりは弱まった。フェリックスはレッケンドルフを落ち着かせようと、静かに声をかけた。

「うたた寝をしていらしたようですね。そういう時って変な夢を見ますよね」

「…いつもの夢だ。もう20年以上経つのに、この夢は今でも鮮やかだ…」

「いつもの…?」

レッケンドルフはフェリックスを透かして遠くを見るようなぼんやりした目のまま、話す。

「あの時、あの恥ずべき裏切り者が我らに砲を向け、とうとうトリスタンは被弾した。爆風の中で目の端に何か鋭い長いものが天井から降ってきて、閣下に襲いかかるのが見えた。それは閣下を刺し貫いた。私は…」

細かい震えがフェリックスの腕に伝わり、人間がこれほど震えることがあるのかと、レッケンドルフの身が心配になった。外気の寒さからではなく、心の衝撃の深さからレッケンドルフの神経は震え続けた。

「…閣下のすぐ、ほんのすぐお側にいた。なのに、私はすり傷一つなく突っ立っていた。私は閣下に向かって何か叫んだ。自分が何を言ったか覚えていないのだ…。だが閣下は、騒ぐな、…と」

フェリックスの腕に抱きつかんばかりにしがみついたレッケンドルフは、汗と涙にぬれた顔をフェリックスの胸に埋めて笑った。

「上官の代わりに悲鳴を上げるというのは、副官の任務ではない…と。な、何か細長い銀色の破片が、閣下の左の胸辺りから背中まで、つ、つ、突き通っているのが見えた。か、閣下はご自分でそれを引き抜かれた。血が、見る見るうちに閣下の軍服を濡らして、床にまで滴った。閣下は…平然と立ち上がられた…」

彼はフェリックスの左胸のバスローブをつかんで握りしめた。その個所に刺し貫かれた痛みを感じたような気がして、フェリックスは茫然と、元副官の手の上に自分の手を当てた。彼の目の前に、ロイエンタール元帥が負傷し血まみれになりつつも、平然と立つ姿が見えた。その色違いの目はあの肖像画のように鮮やかに輝き、傷口から噴き出す血のことなど瑣末なことと、まるで気にしていないように見えた。

 

『騒ぐな』

 

フェリックスは確かに彼の声を聴いた。それは静かで、剛毅な、帝国最後の騎士のものだった。彼の父は軍人だった。そして、いかなる物語の中のどの騎士よりも気高い人だった。

「…閣下…! 閣下!! どうして…!」

レッケンドルフは喘ぎ、震えたまま、フェリックスの胸に縋っていた。

「あの時、私がすばやく動くことが出来ていたら…! ほんの少し、閣下と私の立つ場所がずれてさえいれば…! あなたは決して治療しようとなさらなかった…! 死ぬことだけがあなたの進む道だと、あの瞬間に決めてしまわれた…!!」

突然レッケンドルフはフェリックスの背中に手を回し、両腕で抱きしめ、ソファの座面に押し付けた。びっくりして動けずにいると、年上の男の手がフェリックスの脇腹の柔らかいところをさぐって、バスローブの前のあわせから忍び込んだ。「閣下…、閣下…!」と、レッケンドルフが喘ぎの合間につぶやきながら、フェリックスの右胸に手を這わせ、左の鎖骨の辺りに唇を押し付けた。

悪夢のせいだ、混乱しているだけなんだ、落ち着けば自分を取り戻すはずだ。フェリックスは相手を押しのけたいのを堪えて、落ち着かせようとその背中を軽く叩いた。

 

『騒ぐな、レッケンドルフ。そのように慌てるとは卿らしくもない。目の前に敵がいるというのに、おれがベッドの上に寝転がって大人しくすると思うのか? さあ、まだ戦いは終わっておらんぞ…』

 

レッケンドルフが目を覚ますと、カーテンから夏の強い光りが差していた。目の前にきめ細やかな白い肌の胸が見えて、ぎょっとして体を起こす。自分が敬愛するかつての上官の遺児を組み敷いて、ソファの上で寝ていたと気づき、ますます動転した。青年はバスローブ姿で前がはだけてはいたが、いたって平和な寝姿で、ちらりと見えた様子ではちゃんと下着をつけている模様だ。自分自身も寝乱れてはいるが昨夜のシャツを着て、きっちりベルトをしたままのズボンをはいていた。

フェリックスの目がうっすらと開いて、こちらが起きているのを認めたようだった。寝起きのぼんやりとした顔は、無表情であるせいか不思議と彼の実の父親をほうふつとさせた。起きているときはむしろ、ミッターマイヤーの屈託ない様子を思わせるところがあった。だが、もちろんレッケンドルフはかの上官の寝起きの顔など知りたくても知りようがなかった。彼が知っている上官は戦場のみならず、日常においてさえ隙がなく、仮眠の姿すら如何なる乱れとも無縁だった。

「おはよう。昨夜は卿にいろいろ迷惑をかけたようだ…。その…、何があったかあまりよく覚えていないのだが…」

フェリックスは起き上がるとさり気なくバスローブの前を閉じた。うっすらと頬を赤く染めていたが、落ち着いた声で返事をした。

「おはようございます。あなたは別に気になさるようなことはしませんでした。飲みすぎて、うたた寝をしたせいで、よくない夢を見られたというだけです」

「夢を…。そうか、卿は心配して私のそばにいてくれたのだな」

本当はレッケンドルフが抱きしめる腕を解放できずにいた、と言う方が正しかった。昨夜、しばらくしてレッケンドルフは徐々に落ち着き、やがて「…閣下…」とつぶやきながら眠りに落ちた。フェリックスは起き上がろうとしたが、ようやっと落ち着いた年上の男を起こさずにその腕から抜け出すことが出来なかったのだ。父親ほどに年の離れた男と抱き合って眠るなど、一度として経験のないことだったが、起こすのは忍びなかった。

朝食を食べていけ、というレッケンドルフの言葉にうなずいて、フェリックスはシャワーを浴びに行った。昨夜は病人の看護をしたような妙な気疲れが残っていた。まだ少し厄介になっていても構わないと思ったのだ。

のんびり熱いシャワーを浴びて、昨夜のシャツを着てキッチンへ行くと、朝食の用意が出来ていた。パンやフルーツのフレッシュジュースのみならず、暖かい卵料理とサラダ、コーヒーまである。どうやら、すぐ近くにフードサービスの店があり、朝食の準備をして持ってきてくれるらしい。

レッケンドルフはフェリックスが旺盛な食欲を見せつつ、一方で端末を見ながら朝食を食べているのを見て苦笑した。

「迷惑な年寄りの相手はしたくないだろうが、一応、食事の間は端末を置いてほしいな」

フェリックスは赤くなって端末をしまった。

「すみません。ちょっと確認するだけのつもりだったんです。あの、気が利かずに失礼をしました」

「いや、いいんだ。少しは気安い相手だと思ってくれて構わん。端末を見ないでほしいと言うのは私のわがままだ。卿の顔を見て話をしたいのでね」

フェリックスはこの年長者の視線にさらされることを気づまりに感じた。昨夜のことを思い出して緊張した気分をごまかそうと、見るともなしに端末をのぞき込んでいたのだ。そうすれば、相手の顔を見ずに済む。しばらく俯いてフェリックスがスクランブルエッグをつついていると、レッケンドルフが質問してきた。

「それで、何をそんなに端末で熱心に見ていたんだね」

フェリックスが卵料理から顔を上げると、レッケンドルフは控えめな興味の表情でこちらを見ている。その視線は穏やかで、突然、昨夜のことを話しだしそうな気配はなかった。昨夜あったことは、ただつらい思い出のある中年の男が、酔ってその心情を吐露したというだけで、それ以上でもそれ以下でもない。自分が恥ずかしいような気分になるのはおかしい。あるいは、誰かが心の奥底に隠していたことを明かす、その打ち明け話の相手になってしまうということは、一種の気恥ずかしさを感じるものなのかもしれなかった。

フェリックスはことさら、昨夜のことが話題にのぼることを避けるためにも、自分のことを話した。

彼は、あのチャリティーパーティーの夜から、何度かヒルデから連絡があるのではないか、と端末を確認し続けていた。彼女には彼からあの夜、『一緒にパーティーに出られて楽しかった。また、遊びに行ってもいいかな』という、控えめな文章を送っていた。それに対してヒルデからは一向に返事が来なかった。自分でも良く書けた文面を送ったと思っていなかった。こうなった以上、さらに続けて『あの夜はごめん。返事は?』などと、テキストを送るわけにはいかなくなった。

レッケンドルフは呆れたようにコーヒーを飲みつつ首を振った。

「卿は意外に不器用だな。どうも、その女の子も卿も頭でっかちで、考えすぎのような気がするな。勉強ばかりしているからそうなるんだよ」

「でも、もうそういう道を進んでしまったのだから、仕方ありません。彼女に考えを変えてほしいなんて言えないし」

「そうかな? 今、一緒にいられるだけでいいんだ、と納得させてあげるのが卿の務めだという気がするな。彼女はただ自信がないだけだと思うがね。きっと、失恋したことがあって思い切って踏み込めないんだろう」

レッケンドルフの言葉に頷きつつも、どうしたら彼女を納得させることが出来るか分からなかった。

「でも、実際に8月になったらオーディンを離れてしまうし、彼女の言うことももっともだと思うんですが」

「そこが頭でっかちだと言うんだ。8月になったら、お互い顔を見るのも飽き飽きしてしまうかもしれないだろう。先のことを誰が分かる? それに」

レッケンドルフはにっこりして青年に指を振った。

「卿が言ったのだぞ、オーディンからハイネセンまで、会うのに難しい方法が必要ってわけではない、とね。卿たち、若者二人がどうしても会いたいのならば、いくらでも方法があるだろう? それに、本気であれば5年くらい直接会えなくても、通信だけで何とでもなる」

卿にためらっている時間はないぞ、と警告するように言うと、年上の男は愉快そうに笑った。

 

 

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