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フェリックスの旅

20、

フェリックスとエヴァンゼリンは宇宙旅客機のエコノミークラスの客室を予約していたはずだが、ブフナー中尉は当然のようにスイートルームに二人を連れて行った。かつて中尉の父はミッターマイヤー艦隊旗下にいて、息子の中尉が赤ん坊のころに元帥だったミッターマイヤーに頭を撫でてもらった、というのが自慢だという。中尉はオーディンの士官学校から帝国軍に入り、普段は近衛師団の一員として任務に励んでいる。たまたま休暇でオーディンに戻っていた彼に急きょ上官から連絡があり、ミッターマイヤー母子の護衛の任務を請け負ったということだ。

「レッケンドルフ少佐は在郷の予備役の事務局になっていて、父とも懇意でしたのでお二人に私をご紹介いただくことが出来て幸いでした。いきなり私が護衛になったとお話してもご信頼いただくことは難しいでしょうから」

「まったく、あの人も人が悪い。それならそうと教えてくれればいいのに」

「詳細は私が直接お話しした方が、よく話を聞いてご自分で判断することが出来ていいだろう、ということでした」

元副官がかつて父の優秀な部下だったことは間違いないが、この言葉を聞いておそらくかなり辛辣な利け者だったのではないかと疑った。話に聞く冷笑家で皮肉屋の気難しい上官に仕えるからには、あの上品そうな見た目以上のものが必要だったのだろう。

ブフナー中尉の説明はフェリックスとしては半ば予想していたものの、うんざりさせられるようなものだった。追悼式典でロイエンタール元帥の名が挙がったことで世間の注目が集まり、フェザーンでは空前のロイエンタール元帥ブームが起きているという。ソリビジョン番組など立憲君主制についての話でなければ、ロイエンタール元帥の話で持ち切りらしい。それだけならばオーディンでも同様だったが、フェザーンではさらに事態が悪化していた。

「今や、ロイエンタール元帥ゆかりのものと言えば、髪の毛一本でも重宝がろうというありさまです。しかも、フェザーンには何ものにも代えがたい、あの方のご子息の存在があります。つまり、フェリックスさん、あなたのことです」

「まさか…」

「国務尚書たるミッターマイヤー邸に連絡を入れることは出来ません。あなたは休職中とはいえ、ご自身の会社のCEOだとお聞きしました。そちらの連絡先に追悼式典以来、あなたのコメントを求めるビジフォンが雨あられと入りまくって、ご友人のブロイルさんからは陛下の侍従長宛てに抗議を寄越されたそうです」

「兄さんに…?」

フェリックスと母は顔を見合わせた。どうやらこの護衛派遣には兄のハインリッヒ・ランベルツも一枚かんでいるらしい。

中尉は説明をつづけた。おそらく、宇宙旅客会社からだろうが、フェリックスは母親と一緒にオーディンに滞在中で、間もなくフェザーンに帰還する、という情報が流れた。フェザーンの宇宙港は帰還するフェリックスを待ち構える報道陣で連日にぎわっている。ミッターマイヤー邸周辺は警備が厳しいから、会社の方に人が張り付いていて、ブロイルは営業妨害だと爆発寸前らしい。

「お兄さんのランベルツ侍従長はミッターマイヤー閣下にご相談されたそうで、お二人は最初、こちらについてから護衛をつければ十分とお考えになったそうです。しかし、陛下がそれでは心もとないと、オーディンから護衛をお付けすることに決まったようです」

「いくらなんでも大げさだよ。ねえ、母さん」

だが、エヴァンゼリンは心配そうな表情を変えない。今まで皇太后陛下のご配慮で、フェリックスたち元帥の子弟がマスコミに煩わされることはなかった。だが、フェリックスが知らないだけで、実際には今までもいろいろあったのかもしれない。中尉はエヴァンゼリンの気持ちを軽くしようと明るく請け負った。

「あちらに着いてからの手配はすべて整っていますから、ご心配には及びません。きっとあっという間にご自宅にお帰りになれますよ。ただ、少しお気をつけていただきたいことが」

「なんですか」

「この宇宙船内ではなるべくこの部屋からお出にならないようにしてください。フェザーンからの連絡を受けて2、3の報道関係者が、オーディンから乗り込んでいます。その者たちと船内でかち合うといけませんので」

泣き笑いといった態で、フェリックスはエヴァンゼリンの肩に腕を投げかけた。

「母さん、ごめん。僕の父のせいでなんだか面倒な事態になってしまって」

エヴァンゼリンは笑って息子の背中を叩いた。

「まあまあ、今に始まったことではないわ。あなたの父親は二人とも帝国ではとても注目される男性だもの。ロイエンタール元帥にはあなたを見守っていてもらいましょ。ウォルフの方は実際的な方法であなたを助けてくれるはずよ。こちらの中尉の言うとおりにして、安心してお任せしましょう」

フェザーンへの旅は中尉の配慮もあってか、思っているほど不自由を感じずに済んだ。どうしても部屋を出る必要があるときは、細心の注意を払って客船内を移動した。あちらから名乗りでもしない限り、誰が報道関係者かなどフェリックスには分からなかったが、それらしき姿は見つけられなかった。そもそもスイートルーム周辺には専用の警備員がいるし、マスコミは簡単に立ち入ることが出来ないようだ。

フェザーンの一般客船用の宇宙港に着くと、中尉の言葉が本当であることを確認することが出来た。フェリックスとエヴァンゼリンは中尉と宇宙港職員の誘導に従って、そんな場所があるとは思わなかったVIP専用の通路を通って待合室に連れていかれた。そこではランベルツ侍従長がさらに4人の護衛を伴って二人を待っていた。

侍従長はエヴァンゼリンを朗らかな笑顔で迎えて抱擁し、にやりと笑って弟の肩を叩くと、二人にある映像を見せた。現在の宇宙港の様子を写したモニタで、到着ロビーには大勢のカメラを構えた人々がいた。フェリックスが不思議に思ったことに、明らかに一般人と思われる女の子が大勢いて、『お帰り! フェリックス』、『愛してる』などと掲げたプラカードを持っていた。

「なにあれ、どうかしてるよみんな。僕を俳優か何かと間違えてるんじゃないか?」

「どうやら君の大学やギムナジウム時代の誰かがリークしたらしいのだが、君の映像や画像がずいぶん出回ってしまってね。まさしく俳優か何かのように君の情報を得ようと、熱狂した女の子たちが急増している」

フェリックスが呻いて顔を覆った。エヴァンゼリンが心配そうな表情を保ったまま、ランベルツに言った。

「あの年頃の女の子は禁止されたり隠されたりすると、かえって熱中してしまうものよ。私たち、隠れない方がいいのではないかしら」

「さすがエヴァ母さん、その通り。望み通りに彼を見せてやろうと思っているんですよ。フェリックス、これから一般の通路に出て到着ロビーを通る。その後、専用通路を通って裏から外へ出る。到着ロビーでは少し戸惑った風を装って、女の子たちに手でも振ってやってくれ」

ランベルツは言いながら、物慣れた風にてきぱきとフェリックスの服装を整え、ダークブラウンの髪を撫でつけてやった。思えば、彼はアレク陛下の衣装を整えるばかりでなく、陛下がマスコミにどういった態度を取るべきか、手を振ってやるべきかなど、このようなことを毎日しているのだった。

「戸惑った風…!? 十分戸惑っているよ」

「写真を撮られても怒らないようにな」

「そんな気は失せた」

いささかがっかりした態のフェリックスとエヴァンゼリンを中心にして、ランベルツは二人の後ろに下がり、周りをブフナー中尉他の護衛が囲んで、一行は通路へ出た。カメラの激しいシャッター音と女の子たちの悲鳴の中、一行は進んだ。ランベルツに演技指導されるまでもなく、戸惑ったというより少しおびえた様子のフェリックスが彼を待つ人々に手を振り、その前を通って行った。その日の夕方6時のニュースのトップに、彼のフェザーン帰還の映像が流れた。その様子は国務尚書の息子であり、かの故ロイエンタール元帥の遺児である青年としては大変初々しかった。亡き父によく似てハンサムな風貌だが、現代風で優しげな物慣れない雰囲気が好感をもって全帝国民に伝えられた。

フェリックスは地上車に乗ってもまだ茫然としたままだったが、慣れ親しんだフェザーンの高層ビルや忙しない街の様子に、ようやく帰って来たという実感がわいた。古都オーディンは父や母がかつていた場所であり、そこに住む人々の存在ゆえに、懐かしい場所だった。だが、彼の故郷としてたくさんの思い出を抱え、多くの友人がいるのはフェザーンであり、こここそ自分の根幹そのものだという思いを新たにした。

地上車が国務尚書のささやかな家に着いた。ミッターマイヤーは国務尚書になった際に、警備の関係上、官邸に移り住むことを余儀なくされた。だが、彼は頑張って、前国務尚書であるマリーンドルフ伯が居住していた広壮な屋敷を、そのまま官邸とすることを拒否した。そして警備とミッターマイヤーの庶民感覚が妥協した屋敷が、それ以来ミッターマイヤー一家の住所となった。一般の住宅よりは屋敷も庭も広いだろうが、かのロイエンタール邸などよりずっと小規模だ。

地上車を下りると、玄関前にウォルフガング・ミッターマイヤーが所在無げに佇んでいるのが見えた。待ちくたびれたのだろう、腕組みして玄関ポーチの柱に寄り掛かっていた。

フェリックスはそれまでの思いはすっかり忘れて、父に駆け寄った。後ろからエヴァンゼリンも小走りに駆け寄るのが分かった。父は二人を見てにっこりして腕を広げた。

小柄な父は自分より10センチ以上背の高い息子をがっしりと抱き留めた。息子の後ろから彼の妻が娘時代そのままに軽やかな足取りで近づいた。エヴァンゼリンは抱き合う夫と息子を見て微笑んでいる。ミッターマイヤーが妻に片手を差し伸べると、彼女は笑ってその手を取り、息子の後ろから夫に抱き付いた。

「お帰り。二人とも大変な旅だったな」

フェリックスはなぜか目の中が熱くなるのを感じながら、父に答えた。

「父さんこそ大変だったね。あの日は、僕らは父さんと一緒にいたかったよ」

エヴァンゼリンがほうっと静かに息をついてフェリックスの頭を優しく撫でた。

 

 

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