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フェリックスの旅

21、

屋敷の中ではランベルツの妻のマリアと娘が待っていて、エヴァンゼリンの代わりに皆の夕食の準備をしていた。まだ小さい娘は大好きなお祖母ちゃんと叔父さんがやっと帰って来たと言って、喜んで駆け回っている。エヴァンゼリンは孫娘の手を取って一緒に嬉々として台所に入って行った。

放免された男性陣はミッターマイヤーの書斎に入って、ランベルツの妻が持ってきたコーヒーで一息ついた。

フェリックスはオーディンの祖父母の様子を尋ねられ、思いつくままに答えた。どんな風に過ごしたかと問われて、最初はためらっていたが、すべてを話すことに決めた。ロイエンタール邸に行きかつての執事とその孫に会ったこと。実母の存在についてエヴァンゼリンと喧嘩のようなものをし、ロイエンタール元帥のかつての副官の家に世話になったこと。

ミッターマイヤーもランベルツも、レッケンドルフがロイエンタール元帥の記録を取り続けていたことに驚き、しかも本に書くつもりであることを知って喜んだ。レッケンドルフの土産の映像データを二人とも恐る恐る手に取った。

フェリックスはロイエンタール元帥をより深く知ることが出来たのは、レッケンドルフのおかげだったと付け加えた。レッケンドルフの話をするとき、二人が自分の言葉から何かを気取りはしないかと思い、フェリックスは少し用心した。彼としては好きになる相手に性別もなく、気がついたら彼だったというだけで、悪いことをしていたつもりはない。だが、相手が父の元副官ですでに50代の中年だということに、二人は難色を示すかもしれなかった。とにかく、何かに気づいたにせよ、二人とも彼に向かっては何も言わなかった。

また、実母についても、彼女が何も言わずに姿を消したことに十分納得しているとは言えないが、少なくとも彼を見捨てたのではないのだろうと思うと、フェリックスは二人に話した。

ミッターマイヤーは黙って息子の話を聞いていたが、深くため息をついた。

「そうか…。フェリックス、俺はおまえに両親についてちゃんと教えてあげられていなかったんだな。だから、自分で発見しなくてはならなかったのだな」

「父さんは出来るだけのことをしてくれたよ。僕はそれが分かってなくて、知らず知らずに父さんや母さんに不満を持っていたのかもしれない。でも、もういいんだ。父さんも母さんもその時出来る最高の判断をしたのだし、親としては子供の僕を守らなくてはならなかったんだから」

その言葉を聞いてミッターマイヤーは戸惑う風に息子を見て、ちらりとランベルツと目を合わせた。ランベルツは面白そうにミッターマイヤーと弟を見ていた。

「父に関しては、父さんは知っている限りのことを教えてくれた。あとは自分で父のことを探していくしかないんだと思う。たぶん人それぞれ、父について思い出があるだろうから、それを継ぎ合せて父の形にしていくしかないんだろうな。直接知ることが出来なかったという点では、少し寂しいけど」

俯いて静かにほほ笑むフェリックスの様子を、父と兄はじっと見つめていた。彼の表情は、実父が稀に穏やかな気持ちの時に見せた微笑みとよく似ていた。まだまだ子供だと思っていた彼も、どうやら少し大人になったようだと二人は気づいた。

ランベルツの小さな娘が彼らに夕食の準備が出来たことを知らせに来た。お祖父ちゃんの肩に乗って、おちびさんは盛んに叔父さんにどんなにすごいご馳走か、おしゃべりしている。叔父さんは姪の小さな指を取ってその話を真面目に聞いていた。

一家が勢ぞろいして久しぶりに食卓を囲み、いつもの賑やかなミッターマイヤー家の夕食の風景が戻った。だが、フェリックスはまたじきにこの家を離れるのだ。もともとの予定通りに進めることが出来るのであればだが。

フェリックスはそのことを訴えた。

「僕なんて父とは違うただの一般人なのに、みんな何を期待しているんだか…。本当に怖くなってしまうよ」

「残念だが、フェリックス。これは有名税というやつで、帝国の双璧を父親に持つ身としては予見すべきことだったかもしれない。今後、今の熱狂ぶりは落ち着いても、完全に君が忘れられることはないかもしれないな」

「そんな…。兄さん…」

フェリックスはため息をついて肩を落とした。黙って食事をしているミッターマイヤーの方を見てから、ランベルツはナイフとフォークを置いて言った。

「フェリックス、ハイネセン留学について閣下と喧嘩したらしいことは知っている。だが、そのことは気にせず正直に言ってくれ。どうしてもハイネセンに行きたいか?」

兄の落ち着いて真面目な瞳を見つめて、フェリックスは静かに頷いた。兄と同様にナイフとフォークを置いてテーブルに組んだ手を乗せた。

「最初はあちらの経済体系に興味を持って、自分はその勉強をしたいんだと思ってた。もちろん、今でもそれは僕の望みの一つではあるけど。でも、もとはと言えば父…、ロイエンタール元帥の終焉の地だという意識があったから、あちらに行きたかったんだ。もちろん、もうあちらには父に直接関わるものは何もないだろうけど、父が最期を迎えた土地に行けば、もっと父を身近に感じるだろうと思った」

「…そうか。フェリックス、ロイエンタール閣下のことを知るための君の旅は、まだ終わっていないんだな」

ミッターマイヤーも顔を上げて、息子をじっと見ていた。エヴァンゼリンが3人を交互に見て、それぞれのグラスにワインを継いだ。

ランベルツがエヴァンゼリンに礼を言ってグラスのワインを一口飲んだ。そして、再び口を開いた。

「フェリックス、私はつい先ほどまで別にそうすべきだと思っていなかった。君ももう立派な大人だということが分かったし、そもそも君は昔からそうだったが、自分のことは自分で対処できるからね。だが、いつもながら閣下のおっしゃる通りに、陛下のお言葉をお受けするのがいいのかもしれない」

「…どういう…?」

「私もハイネセンへ行くよ」

あっけにとられてフェリックスは兄を見つめた。兄の妻のマリアさえも驚いているのを見て、兄がたった今、その決断をしたらしいことを知った。そして兄が『閣下のおっしゃる通り』と言ったことに気づいて、ミッターマイヤーの方を見た。

ランベルツはミッターマイヤーに笑いかけて、食事に戻った。

「閣下、ご自分でちゃんとお話してください」

ミッターマイヤーはランベルツに唸って見せて、息子に向き直った。

「お節介にもお前をハイネセンへやるべきではないという意見が閣議で出たという話をしただろう。その後今回の騒ぎになり、おまえの留学について改めて協議する事態になった」

フェリックスはひきつった笑いを頬に浮かべた。

「この国には他に急いでするべきことがあるはずだけど。それこそ憲法のこととか」

「だが、問題になっていることに変わりはない。今でもおまえは帝国に叛逆したロイエンタールの息子であり、死してなおロイエンタールの影響力が大きいことを憂慮する者がいる。ロイエンタールが悲劇の英雄として人々の意識に上がるようになり、問題はより一層複雑になった」

フェリックスはその言葉を聞いて、疑惑の目を父に向けた。

「父さん、もしかして、あの追悼式典の式辞は閣僚たちに対して、牽制の目的があって…?」

「それは否定しない。ロイエンタールが忌避されるべきものとして隠されたままでは、あいつの息子であるおまえを否定するものは今後も出てくるだろう。それを防ぎたかった。なにより、あいつは俺の親友なんだ。あいつやおまえを日の元にさらして、いい加減、納戸の骸骨みたいな扱いを止めさせたかったんだ」

そう言うと、ミッターマイヤーは、あれほど感情的になるつもりはなかったのだが、とつぶやいて肩をすくめた。

「それで、兄さんもハイネセンへ行くとは、いったい…」

「順番に話すから、待て。さて、俺たちはお前の留学を辞めさせるべきか、否かについて協議することになった。そのことをお聞きになった陛下が黙っておいでになるはずがない。どうやら忠実な侍従長がそのような瑣末な話題をお耳に入れたようだがな」

ランベルツがワインを傾けつつ、くすくす笑った。当然、ミッターマイヤーがランベルツにそれとなく、フェリックスの進退が閣議に上がるということを話したのだろう。

「陛下は自分にとっておまえは信頼できる友人であると庇われた。だが、獅子帝がロイエンタールを信じたように、自分もフェリックスを信じたにもかかわらず、彼が道を外すことがあれば、処罰することをためらわないとおおせになった。しかし、そのような事態を引き起こして帝国を混乱させたくない。ついてはフェリックスの動向を見張るために、ご自分の忠実な配下の者を彼のそばに差し向けようとのおおせだ。我々は陛下のご深慮に感銘を受け、そのご決定を謹んでお受けすることとした」

胸に手を当ててミッターマイヤーは宮城の方へ頭を下げた。顔を上げた時にはその目は悪戯っぽく輝いていた。

「そのスパイが実は僕の兄で父さんの懐刀だって、閣僚の方たちは分かってたのかな」

「彼らは親衛隊か近衛の誰かが選ばれると思ったようだがな。勿論、後で事実を知って歯噛みしたかもしれんが、これは陛下のご決定だから、俺にもどうも出来ん。まあ、少しは俺も知恵をお貸ししたりなどしたが」

「父さんもよく言うよ。それにしても、兄さん、本気で陛下の侍従長の職をなげうって、ハイネセンへ行くの?」

「誰が職をなげうつと言った? 私は侍従長の職は離れないよ。地位は留めたまま、あちらの総督府に出向することになっている。私のあちらでの職務はすでに決定している。旧同盟領において、フェリックス・ミッターマイヤーが新銀河帝国皇帝陛下の親善大使としての任務を果たす補佐をすること。それと同時にハイネセン自治大学の史学科で、立憲君主制においての皇室の役割を過去の事例から研究する」

フェリックスは黙って兄の言葉を聞いていたが、急にめまいがしたかのように額を手で押さえ、持っていたグラスを勢いよくテーブルに置いた。エヴァンゼリンが眉をひそめる。

「フェリックス、落ち着いて…」

「…だって、母さん、親善大使!? いったいどんな資格があってそんな役職に!?」

少し気の毒そうではあったが、笑みを含んでランベルツが弟に指を折って数えて見せた。

「故ロイエンタール元帥の息子として。国務尚書の息子として。今上陛下の親友として。また、帝国でもっとも有名な青年の一人として。他にまだ理由がいるかい?」

テーブルに両手をついて、フェリックスは助けを求めるように父を見た。父はただ笑ってワインを飲んでいる。その様子を見ているうちに、自分が慌てているのが馬鹿げているような気がしてきた。そしてアレク陛下や父、ランベルツ兄が自分のために何をしてくれたのか、ようやく気がついた。

「…僕はハイネセンに行っていいんだね」

「そうだ、行って来い! おまえの父がいた星を見てこい!」

ミッターマイヤーが大きな声でワインの入ったグラスを息子に向けて言った。ランベルツの妻のマリアが夫の腕に心配そうに手を置いた。兄は妻に向かって優しく言う。

「大丈夫だよ、君を置いて行ってしまったりしない。半年はフェザーンで待っていてもらうことになりそうだが、その後は君たちもハイネセンに来て一緒に住むんだ」

マリアの目に涙が光った。フェリックスはそれを見て、自分のために兄が順調だった人生行路を曲げることになるのだと知り、愕然とした。自分を申し訳なさそうにフェリックスが見ていることに、ランベルツは気づいた。

「…兄さん、僕のせいで…。義姉さんにも…」

だが兄は首を振って弟の言葉を遮った。

「ロイエンタール閣下は君を抱いていてやれとおっしゃった。だからきっと、君の手を放せ、と閣下がおっしゃるまで、私は君から離れないだろう。それに、私も行きたいのだ。閣下がおいでだったあの頃の思い出を確かめたいのだ」

夫の肩を涙で濡らす妻を慰めるように片腕で抱きしめると、ランベルツはフェリックスの方にもう一方の腕を伸ばし、弟の手に自分の手を乗せた。

「私はずっとあの頃の閣下を思い出すことがつらかった。それがこのようにして君を通して否応なしに閣下と向き合わねばならなくなってしまった。ミッターマイヤー閣下がロイエンタール閣下のお話を君に十分することが出来なかったとおっしゃっておられたが、私も君に父上のことをいろいろ話すことが出来たはずなんだ。しかしつらくて口にすることが出来なかった。だが…、今は違う」

兄の目に涙がたまっているのを見て、フェリックスはその手を強く握った。

「君と共にロイエンタール閣下の話をしたい。あの星で閣下の思い出を語りたい。その時は聞いてくれるか、フェリックス」

「聞くよ、もちろん。楽しみにしてる」

ミッターマイヤーが涙の流れる頬をそのままにして立ち上がり、二人の若者に向かってワイングラスを掲げ、天を仰いだ。

「ロイエンタール、俺の二人の息子の旅路を見守ってくれ…! そして、彼らの人生が豊かなものとなるよう、祈ってくれ―!」

彼の息子二人は顔を輝かせて、父にならって立ち上がった。フェリックスは父と母、兄とその家族を見渡して、彼らに向かって自分のグラスを掲げた。母や義姉もグラスを手に立ち上がり、みんなが顔を見合わせた。小さい娘をランベルツが片腕に抱き上げる。彼らは互いに涙を目に浮かべながらも笑った。

そして高く、高くグラスを掲げた―。

 

 

新帝国暦25年

9月28日

 

ハイネセン

 

留学生団歓迎のレセプションが終わった。とても盛大だったので驚いた。すごく疲れているけど、充実した1日だった。

留学生団の一員としてだけでなく、親善大使としてもいろいろすることがありとても忙しい。100人はいようかと言う報道陣相手にインタビューに答えたり、説明したり、慣れないことばかりだ。確かにこういう時、兄さんがいて補佐してくれるのはとても助かる。これからかなりの数のインタビューや行事に対応しなくてはならない。本当に勉強に専念することが出来るかどうか、心配になってしまうが、兄さんがきちんと管理すると請け負ってくれた。なんとかやるしかない。

留学生団の中には僕が調子に乗っているとか、親の七光りで注目を浴びていい気になっているとか陰口をたたく者がいる。誰が調子に乗っているって? そんなことを言うやつは僕の二人の父がどれほどの男か知らないんだろう。彼らを知っていたら、僕が調子に乗れるかどうか、分かろうというものだ。少なくとも僕は知っている。調子になど乗れるわけがない。僕は自分が何者であるか、忘れることは出来ない。

僕はただのフェリックス。普通の男だ。

この日記帳は大学の購買で買ってきた。なかなか使いやすい。まっさらなページに向かって誓おう。僕はいつか自分だけの価値を身につけよう。少しは自慢できる男になったと思ったら、ロイエンタールの父に聞いてみよう。彼がウイスキーのグラスを掲げてにやりと笑ってくれたら、僕もちょっとはいけるんじゃないかと自信を持っていいだろう。ミッターマイヤーの父が笑ってあの力強い手で背中を叩いてくれたら、自分が父さんにとってなかなかいい息子なんじゃないかと、多少はうぬぼれてもいいだろう。

だが、僕はまだこれからたくさんの道を行かなくてはならない。それまではそんな楽しみはお預けだ。

 

(備忘録)

図書館。研究室。教授にあいさつ。レッケンドルフさんに手紙。父の在任当時の総督府の確認(ホテル? 建て替え中という話)。出来れば訪問。

 

 

Ende

 

 

 

 

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