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フェリックスの旅

3、

―6月27日

フェリックスは日記帳に日付だけ記して、ペンを持ったまま考え込んだ。今日の出来事を、少なくともロイエンタール邸に行った事は書くべきだろう。どうせ読むのは自分だけなのだ。彼はゆっくりと、ロイエンタール邸に行き、老執事とその孫娘に会ったことを書いた。書斎に掲げられたロイエンタール元帥の驚くべき肖像画についても書いた。そして自分が彼に似ているらしいということも。

今まで、元帥の親友だった父でさえ、彼が遺伝上の父親と似ていると言ったことはなかった。父や、他のかつての僚友たちは皆、彼がその父親とよく似ていることに気づきながら、黙っていたのだろうか。そうに違いない。

子供のころ、いつになったら父のような明るく暖かい金茶髪になるのだろうと思っていた。だが、年々髪の毛の色は濃くなり、瞳の青い色も年々深まった。母さんは赤ちゃんの時は髪の毛も瞳ももっと明るい色だったと言っていた。

ロイエンタール元帥の瞳が左右で違う、いわゆる金銀妖瞳だとは父から聞いて知っていた。どちらも明るい色の瞳だったら色の違いなど分からなかっただろうが、あのようにはっきりした黒と青では目立ちすぎる。あの絵のように鮮やかな色合いだったとすればだが。おそらく、絵画的な誇張があるのだろう。

日記を書き続けることが出来ず、フェリックスはペンを投げ出してため息をついた。本でも読もうかとデスクの上に置いた本を取り上げる。まだ中身をよく見ていないことを思い出し、積み上げた3冊の本をデスクの中央に引き寄せた。

それはロイエンタール元帥の書斎にあった本で、当然ながら20年以上前に刊行されたものだが、面白そうだと感じたものを借りてきたのだ。彼が興味深そうに書棚を眺め、いくつかの本を抜き出しては拾い読みしているのに気付いた、あのヒルデが彼女の祖父に聞いてくれた。働き者の祖父はその時お茶の用意をしていて、孫娘に彼の相手をさせていた。

「どれでもお好きなものを持って行ってくださいって。ただし、オーディンに滞在中にご自身で返しに来てくださいって」

「ああ、もちろん。また来ますよ。8月までオーディンにいる予定だから…」

「そうなの? 長い休暇ね。お仕事は? それともまだ学生さん? 普段どんなことをしているの?」

ヒルデの興味津々の質問に苦笑してフェリックスは答えた。

「仕事は今は休み。というのも9月にはハイネセンに留学する予定だから。その前にオーディンにいる祖父母に会いたかったんだ」

ヒルデは大きな目を見開いた。書棚の前に立つフェリックスの横に並んで、彼と同じように書棚の本の背表紙を眺める。

「ハイネセン!? とても遠くに行くのね。それに勉強をしに行くわけでしょう。勉強が好きなのね」

「勉強が好きと言うか…。毎年、交換留学制度があってね。ハイネセンとフェザーンとでそれぞれ50人近く、お互いに学生を送り出している。オーディンにも募集要項の情報が来ているはずだよ。オーディン出身の学生が留学生団の一員にいたから。奨学金も出るし、いろんな優秀な学生に会える、ハイネセンで最も優れた大学院に行ける。これはチャンスだと思って」

ヒルデは首を振って笑った。

「50人のうちの一人だなんて、優秀なのね。誰も知ってる人がいない、しかも敵国だった星に行くなんて、冒険だわ。でも素晴らしいことだと思うわ。頑張ってください」

「ありがとう」

なぜだかヒルデが急に自分と距離を置いたように感じた。オーディンからハイネセンは心理的にも遠すぎるせいだろう。かつてのミッターマイヤー元帥がフェザーンから同盟の首都へ戦場を長駆したのと同じように、彼の息子は平和な宇宙を仲間の学生と共に行くのだ。

ヒルデの笑顔の意味について考えながらフェリックスは本を取り上げた。函に入った本を引き抜こうとしたが、うまく出てこない。紙製の函を広げるようにして引っ張り出すと、本が勢いよく函から抜け出し、同時に何枚かのカードが飛び出した。

バラバラと散らばったカードを見て、こんなものを本にはさんでいたから函の中がいっぱいになって、本が抜けにくかったのだと気づく。フェリックスはかがんでカードを取り上げた。

―坊やへ

それは女性のものと思われるたおやかな手蹟で書かれていた。

 

―坊やへ

学校はたのしいですか。お友達と元気にあそんでいますか。おうちでおかあさまは一人でいて、あなたがそばにいないのでとてもさみしいです。でも、あなたがそばにいるふりをして毎日をすごしています。おかあさまはごっこあそびが上手なの。ときどき、本当にあなたがそばにいるような気がします。あなたがおうちにいたときの気配がまだのこっているのかしらね。

ではまたお手紙をかきます。おかあさまからキスをいっしょにお送りします。

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ピンク色で金色の花の縁取りをしたカードは裏面にも手紙が書かれていた。母親からの手紙の返事のようだ。子供らしい手蹟だが、丁寧でしっかりしたきれいな文字で、綴りの間違いは一つもなかった。

 

―お母様へ

僕は毎日お勉強を頑張っています。お勉強は大好きなので授業の時間が楽しいです。窓からとても綺麗な花が咲いた木が見えます。あの花はお母様に似ていると思います。何故僕が側にいるようにお母様が感じるかと言うと、ちょうどその時、僕がお母様の事を考えているせいだからです。

それではこれから宿題をします。次にいただくお手紙を楽しみに待っています。

xxxxxx

 

次の日、外出先のフェリックスの元に突然、祖父からビジフォンがかかって来た。『ミッターマイヤー尚書閣下がご子息とお話ししたいとのことで、1時に超高速通信に出ていただきたい』という役所からの至急の連絡があったということだ。

「1時だなんてあと30分しかないじゃないですか。なぜ、そんなに急いでいるのか、言っていましたか」

「そのお役人はとにかく急いで欲しいの一点張りでなあ…。尚書閣下にせっつかれたのかもしれんが、まあ、おまえの父さんは、無駄に息子を呼びつけるようなことはせんだろう。出来るだけ急いで役所に行きなさい」

父とは先週話したばかりで、また新たな話題が持ち上がったとは考えにくい。フェザーンで何かあったのだろうか。まさか、アレク陛下になにか…?

フェリックスはいささか心配になってきた。フェザーンへ国務尚書直通の超高速通信をかけるには普通の通信センターではなく、役所に行かなくてはならない。そこまで外出先から40分はかかるのだが、フェリックスは予定を切り上げて役所へ向かった。

約50分後に役所に着き、フェザーンへの超高速通信がつながると、機嫌の悪そうな父親の顔がスクリーンに映った。

「遅かったな」

開口一番、父親はむすっとして言った。フェリックスもむっとして答える。

「出先からとるものとりあえず、これでも急いで来たんだけど。わざわざ呼び出すなんて、何かあったの。まさか、陛下に何か…」

「陛下はお元気そのものだ。重大事件が起こったわけじゃない。ちょっと閣議で問題が持ち上がったと言うだけだ」

あんなに急がせておいて、重大事件ではない…。しかもなぜ自分が閣議の問題で呼ばれなくてはならないのだ?

「ちょっと問題ってなに? 僕は父さんの仕事のことは分からないし、外部に漏らしてはいけないとか、何かそういう決まりがあるんじゃないの」

「この場合、例外だ。閣議で持ち上がったのはお前の話題だったからな」

「僕の!? 父さん、僕の話なんかを閣僚の方たち相手にしているんじゃないよね」

父親は凛々しい眉毛をきりりとあげて、腕組みをする。

「父親が息子の話をしてはいかんという決まりがあるか。おまえは何か自分のことで秘密にしたいことでもあるのか」

こうもへそを曲げるのは父らしくない。フェリックスはこれでは埒が明かないと思った。大きく深呼吸してから脇に置いてあった水のボトルを一口飲んだ。それから真面目な顔をまっすぐ父に向けて静かな声で話した。

「どうしたの、いったい。なんだか子供のころ、いたずらしたところを見つかったときみたいだ。僕が知らない間に僕は何を失敗したのか、教えてよ」

息子の落ち着いた声を聴いて、ミッターマイヤーは何度か目を瞬いた。息子をじっと見て口を開いたり閉じたりしているので、フェリックスは父は体調が優れないのではないかと心配になった。

「父さん?」

「ああ、いや、すまん。すまんな、まったく…」

ミッターマイヤーは今、目が覚めたかのようにはっとして答えると、頭髪を掻き回した。フェリックスが子供のころと同じ豊かな髪だが、いつの間にか白いものが増え、蜂蜜色だった髪も少しくすんで見えた。きっと父は国務尚書としての毎日の務めに疲れているのだ。だが、父はようやく落ち着いた声で話し出した。

「これはお前のせいじゃないのに、どうも我ながら気が短くなっていかんな。今は家にはお前もお前の母さんもおらんしなあ。家に帰っても休んだ気がせんよ。エヴァにまた通信してくるようにお前から言ってくれ」

フェリックスはいつもの父親らしくなったとほっとして苦笑した。

「話しておくよ。それで、そんなに父さんをイライラさせるような何が閣議であったの」

「ハイネセンで、近頃流行っていることの話だ」

「ハイネセン?」

おととしの先帝没後20年の節目の年に、ハイネセンでは当時を振り返るさまざまな出版物や映像の発表が相次いだという。かつての同盟政府の最後の日々をつづった回顧録や、イゼルローン要塞における革命政府の記録をドラマ化したソリビジョン映画…。中でもロイエンタール元帥の名誉回復により、秘匿されていた彼の情報の多くが彼の地で公開された。昨年には総督としてハイネセンに赴任した当時の彼の映像などを豊富に使ったドキュメンタリー映画が公開され、このジャンルでは空前の大ヒットとなった。

なにしろ、主演俳優は帝国でも有名だった美男子、その最期は帝国最高の覇者に叛逆した後の死―。その覇者に負けた敗戦国のハイネセンの市民が熱狂するのも無理はないと思われた。ことに、彼が総督として在任した期間は短いものであったが、善政を布いていたため、彼らが悪感情を持つはずはない。

その熱狂はまだ今年も続いているという。

「なぜかというとな、そのロイエンタールの遺児であるお前がハイネセンにやって来るからだというのだ。しかも、帝国の役人としてではなく、あちらの文化と政治を学ぶためにやってくる留学生だというので、まるでアイドル並みの盛り上がりだというんだ」

「…そんな…。僕はただの学生として行くんだし、あちらの人たちとはうまく付き合いたいとは思うけど、勝手に盛り上がられても。ロイエンタール元帥と僕は無関係だし」

ミッターマイヤーは息子の言葉の最後のところで、片方の眉を上げた。だが、口に出しては思っていたのとは別のことを言った。

「それでだ、今日の閣議で、2、3の閣僚がお前をハイネセンにやるべきではないと言い出してな」

「なにそれ…!」

フェリックスはぎょっとして立ち上がった。「まさか、父さん、同意してないよね」

だが、父は腕組みをして眉をひそめている。ミッターマイヤーは閣議である閣僚が言った言葉を思い出していた。

『彼は言ってみれば叛逆者の息子です。本人にその気がなくても、ハイネセンには彼を反帝国の旗印に祭り上げる者もいないとも限らない。すでに現在のロイエンタール元帥を崇拝するような彼の地での盛り上がりぶりは、帝国にとって危険であり、異常と言わざるを得ないでしょう』

ミッターマイヤーは机を叩いて反論した。

『卿は私の息子が彼の親友たる皇帝陛下に叛逆し奉る、そのような企みに軽々とのせられるあほうだと言いたいのか!』

閣僚は少し青くなって汗を拭いつつ、それでも自分の意見をひっこめはしなかった。

『先ごろ公開された記録によれば、かのロイエンタール元帥ですら、小者に足を掬われ叛逆の道を歩むことになった。その息子が父親の轍を踏まぬと誰に確約できますか』

その言葉は彼の息子と彼の親友、二人を貶めるような、二重、三重にもミッターマイヤーを侮辱するものだった。ミッターマイヤーは爆発寸前だった。だが、交換留学制度を支援している学芸尚書が『卿の言いようは親の罪を子に問わぬと定められた先帝陛下のご寛恕を損なうものだ! なにより現皇帝陛下の有能な臣たる若者の将来を抹殺するような無慈悲な行為だ!』と言って、激烈に反論したおかげで、彼自身の怒りは表明させられずにすんだ。

だが、その分ミッターマイヤーの怒りはくすぶって、罪のない息子に当たることになったのだった。

「お前にとって、ハイネセン行きは素晴らしいチャンスだ。俺は軍に入っていろいろな場所へ行った。行った先々で本当にたくさんの経験を積んだ。おまえにも家を離れて、慣れ親しんだ人々から遠いところでお前だけが得られる経験をしてほしい」

父がそのようなことを言うのは初めて聞いた。フェリックスは真摯でまじめな父親の表情に、うなずいた。

「だが、そう思いつつも、おまえにハイネセンに行ってほしくないとも思う。あちらにはお前の父親の名前を利用して、おまえに取り入り、陥れようとするものが現れるだろう。そのような状況の中で、おまえが理不尽な目に合うのではないかと思うと、心穏やかとはいえん。おまえには留学は取りやめてほしいと思う」

「父さん…!」

ミッターマイヤーはスクリーンの向こうで、息子に首を振った。

「お前は見た目も、声もあいつによく似ている。その姿を見た者が、おまえをロイエンタール自身と取り違えても仕方がないだろう」

さっき、フェリックスが父に声をかけたとき、ぼんやりしていた父の表情…。あの時、父は自分ではなく、亡き親友を見ていたのだろうか。

父が小さな声で息子に聞いた。

「お前…、本当にハイネセンに行くか?」

「行くに決まってるだろ! ばかばかしい! 僕とロイエンタール元帥は何の関係もないんだって、よりによって父さんに判らないの!?」

フェリックスはスクリーンの前から勢いよく立ち上がると、イライラと室内を歩き回った。

「しかも今まで、僕とロイエンタール元帥が似てるなんて、誰も一言も言わなかったじゃないか! なのに、急に今になってお前たちは似ているから、間違われても仕方がないだなんて! いったい僕は何なんだ!」

スクリーンに振り返ってフェリックスは父に指を突き出した。

「父さんだって僕のことロイエンタール元帥の代わりだとでも思ってたのか!? 冗談じゃない! 僕が彼のようにアレク陛下に反旗を翻すとでも言うのか? 戦争でしか物事を解決できない頭の固い人たちときたら…!」

軍服を脱いで20年になるミッターマイヤーは息子の言葉に真っ青になった。

「おまえ、それは俺のことを言っているのか」

「違うよ! 父さんはご立派な国務尚書閣下だ、せいぜい頑張ってうるさい閣僚の頭を叩く政治ゲームでもしてればいいさ。僕はその間、ハイネセンで勝手に勉強する。遊びに行くわけじゃないんだ、ハイネセンの人たちの思惑なんか知るもんか!」

「フェリックス! そんな言いぐさがあるか!!」

「じゃあ! そっちに帰るまでもうほっておいてよ!!」

フェリックスはバシン! と音を立てて通信を切った。心臓が高い音を立てていた。父に対する通信をこちらから一方的に切ったのは生まれて初めてだった。

 

 

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