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フェリックスの旅

14、

フェリックスはレッケンドルフの押し殺したすすり泣きを聞いた。

だが、彼自身は茫然として画面を見つめたままだった。

国務尚書の式辞に続く皇帝陛下のお言葉は、国務尚書の内容を引き継ぐかのように、旧帝国および先帝時代の多くの犠牲を痛み、これからの御代においてそれを二度と繰り返すまいとする、若き皇帝の決意表明だった。その後の各尚書の追悼の辞も同じ旋律を奏でた。先帝追悼のこの場において、亡き人々を追悼するだけではなく、次の世代への平和の礎を築こうとする現皇帝とその閣僚たちの方針が明らかにされたのだ。

「…ミッターマイヤー閣下は今の式辞で、ご親友に対して多くのことをなされたな」

レッケンドルフが涙に濡れた頬を拭いもせず、顔を上げてため息をつきつつ言った。

「…多くのこと?」

「そう、まずはロイエンタール閣下について公にその存在を認められた。許された後でさえ、今まで政府首脳がその名を出すことはなかったのだから。そして、閣下が先帝陛下に謀反を起こされたのは謀略の結果であると示唆された」

指を折りつつレッケンドルフはフェリックスのうつむいた顔に目をやって、言葉をつづけた。

「さらに先帝陛下の肖像画を掲げて、今上陛下による真の新しい御代の始まりを暗示させた。その御代とは、陛下やロイエンタール閣下のご子息のような戦乱を知らぬ世代が担うべき平和な世の中だ。暴力や対立ではなく、相互理解と寛容により世の中を動かすのだとはっきり示した」

フェリックスの顔に手が伸びて顎に添えられた指が顔を上げさせる。

「ミッターマイヤー閣下は君たちのために新しい世の中を差し出そうとしている」

「…僕たちのために…?」

「そうだ、君たちが二度とその父親のように暴力に追い立てられて、望みを失うことがない、新しい世の中だ」

「それが今になって整ったと…? でも、旧同盟は消滅して、かつてフェザーンでもテロが横行したと聞きますが、それもなくなった。もうずっと平和だった」

額を押さえて考え込むフェリックスにレッケンドルフは頷いた。モニタの映像は皇帝陛下、皇太后陛下、大公妃殿下が拍手の中ご退場になる場面を写していた。その退場されるお姿を見送ってから、レッケンドルフは答えた。

「陛下は22歳におなりだな。成人もすませ、さらに大学で学業を修められて、とうとう皇太后陛下は摂政の地位を退かれた。今回の追悼式典はその新しい御代の表明であるだけではないかもしれないな。もしや、陛下はご結婚されるのではないかな」

今度こそフェリックスは感情をあらわにして大きな声を出した。

「そんなはずありません! それだったら僕に教えてくれるはずです! そんな重大事を陛下がお一人で決めてしまうはずない! 必ず僕に相談してくれるはずなのに…」

フェリックスは急に自信がなくなった。今年の追悼式典が例年と違うと陛下も誰も自分に明かさなかった。陛下はむしろオーディン行きを歓迎したくらいだ。だが…。

フェリックスは首を振って苦笑した。このような考え方こそ皇太后陛下が嫌われることだ。自分は政治に関与する如何なる権限も持っていないのだから、あの陛下が国務尚書の息子で親友とはいえ、自分などに国政について明かすはずがなかった。

レッケンドルフは青年の肩を叩いて「そんなに憤らないでくれ」と笑った。

「君がそういうならばそうなのだろうな。だが、それくらい新しい御代を感じさせる象徴的な出来事だよ、これは」

 

7月26日

もう僕はずっとこの日記を書いていなかった。日記の存在を忘れたわけではなかった。これは僕の荷物の中にあの父のカード(祖父母の家において行くことは出来なかった)と一緒に放り込まれていた。真っ白い空欄のページを見るととてもつらいし、恥ずかしい。書く気になれなかったのは、書くことで自分の気持ちを振り返り、露わにしなくてはならないからだ。

僕は父さんを捨てて父を再発見することで、父さんに反抗しようとしたのだろうか。母さんから離れて、レッケンドルフさんに世話になることでミッターマイヤー家との関わりを断とうとしたのだろうか。そうではないと思いたい。

結局、僕は父さんや母さんに甘えていただけだ。あの人たちは何があっても僕の両親で、それは僕の中で変えることが出来ない。そして、僕はあの人たちが僕を決して手放そうとしないだろうと、高をくくっていたのだ。あれほど僕を愛して慈しんでくれた人たちに対して、僕はなんて高慢だったんだろう! だけど、それが僕が甘えていた証拠なのだ。

僕がレッケンドルフさんのところへ行った後、父さんと母さんが互いに話をしたか分からないが、母さんはあの父さんの式辞を聞いてどう思っただろう。僕が母さんのそばにいれば、父さんはなんて素晴らしい人だろうと、一緒に語り合うことが出来たのに。

 

(1時間後に記された内容)

僕はまさか、レッケンドルフさんを父(つまりロイエンタール元帥)の身代わりだと思っていたんじゃないだろうか。彼はもちろん父とは似ても似つかない。だが、現在、僕が手に入れることの出来る、父にもっとも近い存在だ。彼のそばにいることで、父の存在を感じ取ろうとしていたのではないだろうか。

分からない。

 

 

27日の朝、フェリックスが眠れない夜を過ごした寝室から出てくると、キッチンにはすでにレッケンドルフがいた。彼は自分でコーヒーを入れて、それを飲みながら電子新聞を読んでいた。

「おはようございます。今日はずいぶん早起きですね」

レッケンドルフは瞳を輝かせて、フェリックスにさっと振り向いた。何かに爆発しそうな表情はこの上品な面立ちの元副官には珍しいことだった。

「フェリックス…! 言っただろう! これだ、これのためだったのだ…!」

端末を突きつけて、電子新聞の一面をフェリックスに見せた。

 

『漸次立憲君主政体樹立の詔 発せられる』

新銀河帝国は立憲君主政体へ

新帝国暦25年7月27日午前1時、深夜の詔勅発布

 

寝耳に水の民権運動家たち

皇帝陛下万歳の声に沸き立つハイネセン

旧イゼルローン革命軍司令官J・ミンツ氏語る

『われわれは長い道のりの第一歩をしるしたに過ぎない。

だが、その道は険しくとも五里霧中の曖昧模糊としたものではなく、はっきりとした道しるべがある』

 

新帝国暦45年をめどに新憲法制定、議会設置を約する

審議会を設け、段階的に立憲君主制へ移行

試験的な地方議会の試み―フェザーン、ハイネセン、オーディンの三都市から

 

フェリックスは震える手で新聞のページを繰っていった。レッケンドルフがすぐ隣に立って、彼の手元をのぞき込んでいる。詔勅を解説した記事によれば、立憲君主制への移行は摂政皇太后がお立ちであった10年前から検討されてきたことであったとのことである。アレク陛下が二十歳におなりになる新帝国暦23年に立憲制への移行を発布することを目指していたが、紛糾し今年まで延長を余儀なくされたという。地球時代や過去の事例、旧自由惑星同盟など古今の憲法を研究し、皇帝によって選ばれた委員により憲法を制定する。その委員が誰になるか、どのように選ばれるかはいまだ不明とのことだ。

 

「フェリックス、ここの記事はもう読んだかい」

レッケンドルフが指さす箇所には国務尚書の言葉が載っていた。

『―私はこの新憲法制定への道筋が確かであるのを見届けて、国務尚書の地位を退くつもりである。それは5年後とはっきり陛下に申し上げてある。それ以降はすべて若い世代の責任になるゆえ、卿らには大いに精進して陛下をお支え申してほしい』

陛下のご信頼を振り切って辞職するのは無責任ではないか、との問いに国務尚書は笑って答えている。

『陛下が親しくご下問あればお答えするにやぶさかではないが、それはあくまで私人として申し上げることになるだろう。若い者たちは年寄りが何でもやってくれると思わず、自分たちの責任でことをなす覚悟をそろそろ決めてほしい』

記事は、場外から声を上げていることしかできなかった民権運動家たちや、憲法の研究家たちに、重い課題が課せられた、彼らは帝国全土に立憲君主制を確立するための力量があることを示さなくてはならない、と締めくくっている。

 

「10年前から検討されていただなんて…。陛下はまだ幼年学校においでだったころだ。この筋書きはすべて皇太后陛下のお考えなんでしょうか」

「それと、もちろんミッターマイヤー閣下のお力添えもあったことだろう。あの旧同盟のイゼルローン革命軍の司令官は、かつて獅子帝に親しく拝謁したと聞いている。その時に立憲君主制への政体の移行を進言したと、ミンツ氏の著書にあるらしい」

ミンツ氏の背景を説明した記事によれば、獅子帝はそれを受け入れるとも受け入れないとも明言されなかったらしい。獅子帝は、それは皇后(現皇太后)に申し上げるべきことだと示唆され、将来のことは今後の政情如何によるとお考えだったのではないか、とその記事は推測している。

「もし、その話が本当ならば、皇太后陛下は先の陛下の崩御の後、ずっと立憲体制への移行をお考えだったに違いない」

「…昨日の父の言葉といい、アレク陛下や僕たちには重い荷が課せられましたね」

深刻な表情のフェリックスの肩を叩いて、レッケンドルフは軽やかに笑った。

「いや、われわれはまだ君たち若者にすべて手渡すわけにはいかないな。ミッターマイヤー閣下もおっしゃったとおり、陛下にせよ君にせよ、まだあと5年、10年は一人前とは言えない。まだもう少し、われわれに任せてほしいね。だが、その後は君たちの責任になる」

「あと10年も…? 僕らその頃には30を過ぎてますよ! かの獅子帝は23歳で皇帝になられたのに」

「そう、だから早く学んで大きくなりたまえ。これから君たちはとても忙しくなるだろう。だが、それはレーザー砲や戦艦の砲弾とはかかわりなく、平和の裡に進むだろうな」

レッケンドルフの元には部下から続々と通信が届きだした。この立憲体制が確立される中で民間企業にどのような影響があるのか不透明であるが、彼らにとって不利益になることはあるまい。むしろ、憲法を盾に民間企業にとって商売をしやすいように法整備をしていくことが肝心なのだ。レッケンドルフは最初のうちは、モニタで立憲体制樹立の詔勅についての報道番組を確認しながら部下たちの通信を受けていたが、通信があまりに多いため自分の書斎に籠って対応することにした。

フェリックスも友人のブロイルとデータ通信で連絡を取るべきかと思ったが、フェザーンは遠い。いずれにせよ今は休職中のわが身だ。ブロイルには自力で何とかしてもらおう。

夕飯の時間になってもレッケンドルフは部屋から出てこなかった。ソリビジョンのモニタは延々と昨日の追悼式典のミッターマイヤーの様子や、発布された詔についての街の反応などを流している。その中のある番組でコメンテーターの一人が、ミッターマイヤーと故ロイエンタール元帥の友情について述べ、陥れられ図られて若くして亡くなった悲劇の英雄と、その遺志を継いで平和を築こうと孤軍奮闘する男についていささか感情過多に語った。おそらくどちらの父もそんな感傷的な言葉は鼻で笑っただろう。そもそもこの帝国に恒久的な平和を築くという一大事業を、ミッターマイヤーただ一人で為せるものでもない。だが、こうやってロイエンタール元帥について大っぴらに語られる世の中こそ、ミッターマイヤーが望んだものなのだという気がした。

 

 

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