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​面影を抱きしめて

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【目次】

1、 2、 3、 4、 5、 6、 7、 8、 9、 10、 11、 12、 13、 14、 15、 16、 17、 18、 19、 20、​ 21、 22、 (完結)

​オマケss 副官の務め

My Worksへ

Egli era nato per la sua gloria,
io per amar... 
       

彼は栄光のために生まれ、

私は愛のために生まれた…

 

Io per amarlo e per morir...

  

私は彼を愛するために、そして死ぬために…

 


ヴェルディ オテロ 柳の歌

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1、

 

艦橋のスクリーンに巨大な銀色の球体が映っていた。
イゼルローン要塞に攻撃を仕掛けんとする帝国軍の総司令官はかの、オスカー・フォン・ロイエンタール上級大将。彼のその有名な色違いの瞳は一心に眼前に広がる麾下の艦隊を見つめている。    
傍らには参謀長ベルゲングリューン中将がおり、上官の様子を伺っている。いや、彼だけではない。今や麾下の艦隊すべてが司令官たるロイエンタールのほんのわずかな指の動きさえ見逃すまいと集中していた。
その司令官の細く白い手がためらうことなく上がり、勢いよく振り降ろされた。
「撃て!!」
スクリーン上に光が満ち、イゼルローン要塞は輝きに包まれた。
ロイエンタールの上がった右手は再び勢いよく膝に降ろされた。その手が小さく震えているのは、幸いにして本人だけが知ることだった。
―なんてことだ、始まってしまった。
『ロイエンタール』は腹が冷える思いで心に呟いた。脇に立つベルゲングリューン中将が彼の方をちらりと見た。近くには副官以外おらず、周囲の者たちは己の任務のみに意識を向けていて、激戦の中にもかかわらず、束の間、司令官とその参謀長に注意する者はいなかった。
「小揺るぎもしませんな」
とつぶやくように『ロイエンタール』が言った。
「するわけがない」
と冷笑を含んだ声で『ベルゲングリューン』が答えた。
艦橋での会話を捉えた者がいたら、それは聞き違いだと思うだろう。言われた言葉は言った当人たちとはまるで逆の者が発したように思われた。
だが、それが真実だった。

自分が他の誰かであろうとは思いもしない。まぎれもなく彼はハンス・エドアルド・ベルゲングリューン。ロイエンタール上級大将の参謀長で帝国軍の中将。だが、その朝、徹夜明けのベルゲングリューンが目覚めた時、目の前にはその『ベルゲングリューン』がいて、こちらをじっと覗きこんでいた。
眠気のためにしばらく何を見ているか理解できなかったが、働き始めた脳が最初にしたことが無様に飛び起きることだった。
「うわぁ!」
ソファで仮眠を取っていたはずだった。それがなぜかロイエンタール上級大将のデスクの前に座っていた。上官の椅子で眠りこけていたのだ。そこから立ち上がろうとしたが、足が思ったように動かずベルゲングリューンは椅子に倒れ込んだ。ベルゲングリューンの突然の動きにも動じず、『ベルゲングリューン』はデスクに手をついてこちらの顏を覗きこんでいた。
「お前は何だ! その面は!」
ベルゲングリューンは喚いた。だが、その声はまるで自分の声とは違って聞こえた。それはまるで…。『ベルゲングリューン』は表情を歪めて呻き、「…自分の声を他人の耳で聞くとは気味の悪いことだな」と言った。
「それは俺の声だ!」
だが、少し違って聞こえるものの、自分の口から発せられるものがまさしく『ロイエンタール上級大将』の声だとようやく理解し、ベルゲングリューンは口を閉じた。
目の前にいる自分と同じ顔の男と、黙りこくって目を見合わせた。目の前の男の目に何が映っているのか、知るのが恐ろしかった。
だが、恐る恐るベルゲングリューンは再び口を開いた。
「いったい何なんだ。あんたは何者だ」
「おれは卿だ。そして卿はおれだ」
不可解な言葉を吐くと、手鏡を突きつけた。どうやらそれを手に持ってベルゲングリューンの寝顔を覗きこんでいたものらしかった。
その鏡の中には紛う方なきロイエンタール上級大将の白皙の美貌が映っていた。
「卿とおれはどのようにかは知らんが、身体と心が入れ代わったものらしい」
「何を言っているのか意味が分からん…」
「分からんか?」
『ベルゲングリューン』の顔をした誰かは身体を起こすと、ベルゲングリューンの手を取って立ち上がらせた。ベルゲングリューンは自分で立とうとして、今度はデスクの角に腹をぶつけた。
「いてっ!」
助けようとする『ベルゲングリューン』の手を取り損ね、よろめいてデスクの向こうに転がった。
「うがぁ!」
危うくデスクにしがみついて、床の上にへたばるのを防いだ。
「…卿がこのように騒々しい男とは知らなかったな」
腕組みをしてため息をつき、『ベルゲングリューン』がベルゲングリューンを見下ろした。
「なぜだかふらついて…」
言葉を続けようとしてベルゲングリューンは自分の口から洩れるロイエンタール上級大将の声が恐ろしく、途中で言葉を失った。
―手足が思ったように動かない。酒を飲み過ぎたか、動かし方を忘れたかのようだ。
まるでその言葉を聞いたかのように『ベルゲングリューン』が頷いた。
「どのような仕組みか知らぬが、脳が卿のもともとの身体とおれの身体の違いに混乱しているのだ。しばらく動かして脳をおれの身体に慣らす必要がある。手足を左右交互に動かして、一歩ずつ歩め! バスルームへ行くんだ」
この強引で冷笑に満ちた言葉遣いの男はそう言って促した。
ベルゲングリューンは口を開きかけた。『ベルゲングリューン』は片頬を歪めて小さな笑いを含ませた声で再び言った。
「酒のせいでもない。とにかく行け」

ロイエンタール上級大将の私室の奥には艦の中としてはかなり広々としたバスルームがあった。その中にトイレ設備と小さな洗面台、シャワーブースが機能的に詰め込まれていた。
―熱いシャワーを浴びれば目が覚めるだろう。
夢に違いなかった。自分がロイエンタール上級大将の姿になる夢など、悪趣味としか言いようがないが。それではあの『ベルゲングリューン』自身の姿をした男は何者なのか、との疑問については考えることを拒否した。
いくつものボタンとホックを苦心惨憺外し、すべてが左手になったように不器用な動きを見せる指先を駆使して軍服を脱いだ。こんなに苦労していてはいざという時に困る。例えば、艦隊戦で乱戦になり、宇宙服が必要になった時など…。
すべての服を脱ぎ捨てシャワーブースに入り、ふと顔を上げると、色違いの綺麗な瞳と目が合った。目の前には大きな鏡があり、そこには一糸まとわぬロイエンタール上級大将の姿が映っていた。
灯りの下で仄かに白く血色の良いつややかな肌が光っていた。思いがけずしっかりとして厚みのある胸筋が目を射る。そのがっしりとした肩から、流れる様な筋肉の線を描く上腕は逞しかった。そして、細くとも力強さを感じさせる腰と臀部に続く、まっすぐな太腿。その始まりには明るいブラウンの程よき叢を備えた性の証があった。
品よく慎ましい、端正さを感じさせる、自分とはまったく異なるその存在―。
「うわあ!!」
手を振り上げて目を覆ったが、いったい誰の視線を遮ろうとしたのか。とにかく手を振り上げた途端にバランスを崩し、足を滑らせ、シャワーブースの壁にぶつかってベルゲングリューンは濡れた床に尻もちをついた。
『ベルゲングリューン』はバスルームのすぐ外にいたに違いなかった。叫びを聞いてやけに素早くバスルームの扉を開けて入って来ると、シャワーブースの中にへたり込んで両手で顔を覆い、丸くなっている『ロイエンタール』の姿を見つけた。
「おい、シャワーの介助が必要か?」
「わあ! 貴様見るな! 失礼だろうが!」
ベルゲングリューンは膝を抱えて丸くなって、裸の自分を隠そうとした。『ベルゲングリューン』はため息をついた。
「おれの身体をおれがいくら見ようとかまわんだろうが。たいして珍しいものでもない。さっさと立って身体を洗え」
「まさかこの身体をこの手で触って洗うなど…」
ベルゲングリューンはふと気づいて、すぐそばに立つ『ベルゲングリューン』を見上げた。
「あんたの身体だと…? まさか、俺の身体を奪ってその中にいるのは…」
「さっきからそう言っている。卿の身体を奪った覚えはないが、卿が今住まうその身体は確かに昨日までおれの身体だったし、卿の身体にいるおれは―」
何が面白いのか『ベルゲングリューン』はにやりと笑うとつづけた。
「つまり昨夜までは卿の上官だった者だ。だが、おれは今ベルゲングリューンであるし、卿こそがおれの上官になるわけだな」
ベルゲングリューンは頭を抱えた。
「何を馬鹿な…。それでは俺の身体にはロイエンタール閣下がいらっしゃって、俺はその閣下の身体の中にいると…。そんな馬鹿な話があるか…」
「目を覚ませ。ベルゲングリューン。おれの身体を受け入れて、現実を直視しろ。卿は今、おれなのだ」
「誰…?」
「人は金銀妖瞳のロイエンタールと呼ぶそうだな。あるいは帝国の上級大将、双璧の片割れとも。なによりこの戦いの総司令官の地位にあり、卿が攻めてくるのをイゼルローンが待っている」
ベルゲングリューンは呻いた。
「ありえない、そんなこと。これは夢だ。昨夜は疲れ果てて、閣下のお側で仮眠を取ることになってしまった。落ち着かないせいで、夢見が良くないだけなんだ」
早く起きろ! 俺!! と心に念じたが、イゼルローンへの出征前に連日調整に追われて疲れ切っていたせいか、一向に目覚めなかった。それどころか、『ベルゲングリューン』に裸の両脇を吊り上げられ、立ち上がらせられた。
足の裏は夢にしてはしっかりとシャワーブースの床を掴んだ。
「…なにをするか…!」
「卿が信じようが信じまいがどちらでも結構だが、さっさとシャワーを浴びて人間らしく服を着ろ。なんなら手伝ってやる」
『ベルゲングリューン』は軍服の上着をさっと脱ぎ、シャツの袖をまくると、バスタブにお湯を出した。茫然として立ちすくむベルゲングリューンの前にスポンジを持って近づいた。大きなスポンジにお湯を含ませ、シャワージェルを振りかけ泡立てると、ベルゲングリューンの裸の胸をぐいっとひと撫でした。
「あなたが閣下なのは分かりました…! だからそんなことはやめでください!」
ベルゲングリューンはスポンジを持つ『ベルゲングリューン』の手を遮ろうとその手首を握った。太くてごつごつした骨を手の中に感じ、それを握る自分の手が細く白いことに仰天した。
「いいからさっさと洗え」
『ベルゲングリューン』は取られた手首を軽くひねって逃れ、もう片方の手で肩を押さえ込んでごしごしと胸をこすった。
ベルゲングリューンがふと視線を上げると、鏡の中には今度は二人の男の姿が映っていた。
白い裸体を晒す『ロイエンタール』閣下がおり、その前にはシャツ一枚の『ベルゲングリューン』が立っていた。頬に皮肉交じりの微笑みを浮かべた『ベルゲングリューン』は手に泡にまみれたスポンジを持って、閣下の肩に手を置きしっかり壁に押さえ込んでいた。スポンジは胸から腹、その下に向かって泡で円の軌跡を描きながら、どんどん下へ降りてゆく。ベルゲングリューンの熱もどんどん下半身に集まって来た。
『ベルゲングリューン』が急に笑い出した。
「おい、人の身体をみだりに興奮させるな。何か良からぬことを考えているな。その分では介助は必要なさそうだ」
スポンジが放られて、ベルゲングリューンは慌てて泡だらけのそれを手に取った。急に活発になって頭をもたげて伸び上ろうとする元気なものを、大きなスポンジで覆い隠す。ベルゲングリューンは鏡を見ないようにした。きっとそこには興奮した前を押さえて裸で立ち尽くす、真っ赤になって少し慌てぎみのロイエンタール閣下の姿が映っている。
情けない。恥ずかしいなんてものではなかった。こんなにいたたまれない思いをしたことなどなかった。
―現在の俺の姿なのに、それを『閣下』のご様子と取り違えて興奮するなど…。だが、外見はまったく閣下そのままなのだ…! それを間違えるなという方が無理だ。
『ベルゲングリューン』の皮をかぶったロイエンタール閣下がこちらをじっと見ていた。
その視線に気づかぬふりをしてごしごしとことさら力を入れて、白い身体を洗った。
恥ずかしさゆえか、ベルゲングリューンは言い知れぬ苛立ちを感じた。
「いつまでそこにおられるんですか。表で待っていてください」
自分の口から発せられたロイエンタール閣下の声に背筋が震えた。その震えを無視して、『ベルゲングリューン』を睨み付ける。『ベルゲングリューン』はふと笑った。
「もう大丈夫のようだな。しっかり洗ってきれいにしてくれ。寝癖がついていたし、よだれを垂らして寝ていたからな」
失礼なことをのたまわるとバスルームを出て行った。

 

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