top of page

​面影を抱きしめて

17、

ロイエンタール上級大将の幕僚である、直属の提督たちが参謀長の執務室に集まっていた。
「閣下は卿を絶対撃つと思った」
ディッタースドルフがにやにやしながら参謀長の肩を叩いた。
「まさか、そんなはずありませんよ。もちろん、あれはベルゲングリューン中将と閣下の間で事前に打ち合わせていらっしゃったのでしょう?」
シュラーが眉をひそめて言うと、バルトハウザーが激しく首を振った。
「参謀長殿が閣下のブラスターを掴んだとき、明らかに驚いていらっしゃった。閣下の表情に馴染みがない者は気がつかなかったかもしれぬが」
「では、あれは二人で示し合わせてのことではなかったと言うことか」
ゾンネンフェルスが言うと、提督たちは揃ってベルゲングリューンに振り返った。
「あれは猿芝居ではない。閣下はどのようにお考えか俺に何もおっしゃらなかった。それに閣下は本当に撃つおつもりだったと思う」
苦笑してベルゲングリューンが言ったので、したり顔のディッタースドルフを除く3人が呻いた。
「…今頃になって恐ろしくなって来た。てっきりすべて閣下が仕組まれたことだと思って、安心して見ていたのに…」
シュラーが両手で頭を抱えたので、バルトハウザーも何度も頷きながら言った。
「私は緊張でどうにかなりそうだったぞ。あのレッケンドルフがおろおろしていたのを見ただろう。あの様子を見てこいつはかなりやばいと思った」
「やめてくれないか、ブラスターがいつ暴発するかと思って心臓が破裂しそうだったのを思い出した」
戦においては豪胆な提督たちが胸の辺りを押さえて大きく呻いたので、ベルゲングリューンは改めてあの時の自分はいったいどういう神経で銃口に立ち向かったのだろうと、我ながら不思議になった。
「もともとは、本日の会議において卿と閣下はあの忌々しい嫌疑は全くの事実無根であることを論理的に喝破し、皆の理性に訴えるつもりだったのではないか? 俺はてっきりそのつもりで会議に臨んだのだが」
ディッタースドルフの言葉にベルゲングリューンが頷くと、提督たちはやはり、と言いたげに顔を見合わせた。ディッタースドルフはにやにやしながら再びベルゲングリューンの肩をバンバンと叩いた。
「だが、今朝になって事情が変わった。どんな事情かは知らんが、閣下は参謀長には黙って片を付けるおつもりになったのだな」
「参謀長殿に銃口を向けて、信用できるかどうか試すところを見せることによってですか」
シュラーはそう言うと、神妙な顔で「荒療治だが、閣下らしいと言えばらしい」、とつぶやいた。
ベルゲングリューンは腕組みをしつつ同僚たちの言葉を考えていたが、やがて口を開いた。
「俺に対する謂われなき疑いを晴らし、皆の理解を求めること自体は悪いことではなかっただろう。だが、それは閣下の名の元でするべきではなかった。何故なら閣下はこのイゼルローン方面軍の総司令官だ。それが単なる一部下の不祥事について他の司令官や提督たちに釈明せねばならないなど、総司令官としての権威を手放すようなものだ」
「…どういうことです?」
バルトハウザーが首をかしげるのに対し、ディッタースドルフが指摘した。
「つまり、この先もレンネンカンプ大将やルッツ大将のご意見を伺わなくては、閣下は軍を動かすこともままならなくなる。そういう前例を作ってしまうことになっただろう、ということだな」
頭の中で辻褄合わせに苦慮しつつベルゲングリューンが答えた。
「俺の嫌疑について皆に釈明するとの案は俺から閣下にお願いしたことだった。あの時は何としても疑いを晴らさねば、とそればかり考えていた。だが、俺の思案は単に自分の潔白を晴らすためだけの底の浅いものだった」
「だが、あの場合はそれが最もまっとうな思案だったと思うが」
理解を示すディッタースドルフの言葉に頷いた。
「閣下は一度、他の方法があることを仄めかされたがその内容を明かしてはくださらなかった…。潔白を晴らしたいという俺の気持ちを尊重してくださったようなのだ」
不意に彼の言葉と寂し気な表情を思い出した。
―卿のために元に戻りたい。
あの時の彼の表情は、ベルゲングリューンの限界を知り、誰も自分自身の代わりにはなり得ないことを認めたからなのだろうか。だが、その事実は彼を幻滅させてしまったのではないだろうか。
「総司令官の権威を揺るがす禍根を今後に残すにしても、さすがにそこまで現状は逼迫してはいないと閣下は思われたのではないか。これから十分挽回の余地はあるからと、黙って俺のやり方をお許しになったのだろう」
ロイエンタールの『彼ならば出来る方法』とは、会議場での強引な手法を指してのことだったのだ。昨日までのロイエンタールは『ベルゲングリューン』だったのだから問題外だ。しかも彼が言った通り、『ロイエンタール』に扮したベルゲングリューンがそのような方法を取ることは難しかっただろう。しかしそれは誰にも明かすことの出来ない事情だ。
「しかし何故、お考えを変えられたのだろう」
ゾンネンフェルスが呟くように言うと、シュラーが口を開いた。
「恐らく、元帥閣下の軍が同盟と戦端を開いたとの報を受けて、閣下は急ぐ必要があると思われたのでしょう」
ロイエンタールは自分の肉体を取り戻した。総司令官の権威を行使し、有無を言わさず嫌疑を一蹴する―。それは確かにこれまでの彼の功績を裏付けにしたロイエンタール自身の矜持と、生まれ持った豪胆さがなくては出来ぬことだった。
このタイミングでの別の星域からの報告は、提督たちの意識を要塞内のことから戦場に向けるためにも渡りに船の福音だったのだ。
参謀長の意見を聞こうと待つ同僚の提督たちを見渡して、ベルゲングリューンは慎重に言葉を選んで言った。
「この機会をとらえて今すぐ総司令官としての権威を回復するため、誰にも諮らずに動かれたのだろう。レッケンドルフにさえも会議進行の概略をお話しになっただけだと思う。奴がずいぶん動揺していたことから察するにな」
「特に口裏を合わせたと思われるのを避けるため、嫌疑のかかった参謀長殿には言うことが出来なかったであろうな」
「不甲斐ないことだが…」
思わず自嘲の言葉をこぼすように言うと、ゾンネンフェルスが苦笑気味に慰めた。
「閣下は事細かに説明するのがお嫌いだ。常に部下が自ら理解することを求めるお方だから…」
「だが、もうこれでひとまず心配はなかろう。いつも通り閣下のご才覚のお陰をもってな」
ディッタースドルフの言葉に皆が頷く中、シュラーが沈痛な面持ちで首を振って悔しそうに拳で太腿を叩いた。
「しかし、閣下は不快な告発をでっち上げた者を安穏とのさばらせたままにするおつもりでしょうか」
「そいつは俺が思うにレンネンカンプ艦隊の誰かじゃないかと」
意地の悪い顔でディッタースドルフが答えたので、総司令官とレンネンカンプ提督との戦場でのいきさつから提督たちはあり得ることと頷いた。あまり他の艦隊への反感を煽っては良くないだろうと、ベルゲングリューンは真実の一片を明かすことにした。
「実は閣下は既にそれが誰だかご存じなのだ。告発の当事者が図太くもそれをネタに垂れこんできてな…」
提督たちは「卑劣な…!」、「破廉恥漢め…!」と、いっせいに非難の声をあげたので、ベルゲングリューンは少しく留飲を下げた。
「罪に対し相応の報いを受けたとは言い難いが、閣下は深くは追及なされまい」
「それはいかにも残念です…!」
「せっかく参謀長殿の嫌疑も不問となったのだ。今さら告発者を吊し上げに掛かるわけにもいくまい。卿にとっては不本意かもしれんがな」
参謀長の考えや如何に、とディッタースドルフがベルゲングリューンの顔を覗きこみつつ言ったので、苦笑して肩をすくめた。
「今はそんな卑怯者にかかずらうより、目の前の戦に専念するべき時だからな。閣下がお気にされんのならそいつへの俺の不満は後日まで取っておくさ」
その言葉にディッタースドルフが満足した態で揉み手をしながら頷いた。
「よし! 明後日は演習があるゆえ飲むなら今夜だ! 参謀長、嫌疑が晴れた祝いに大いに飲むぞ」
同僚が嬉しそうに言ったのでゾンネンフェルスが釘を刺した。
「待て待て、その演習をどのように進めるか計画を建てねばならん。そちらを早いところ片付けてしまおう」
その時、デスクのビジフォンの呼び出し音が鳴った。出ようとしたベルゲングリューンを遮ってディッタースドルフがビジフォンに応じた。
「おい…!」
参謀長の抗議にもかかわらずディッタースドルフはビジフォンの機器ごと、勝手に手が届かないところへ引っ張って行った。
「参謀長の席だ。おやおやご苦労、レッケンドルフ大尉。うむ、参謀長は我らとご一緒だ。これから演習の計画を立てるためそちらへ伺うことは出来ない。参謀長殿が手ずから閣下に素案を叩き台としてお持ちするだろう。そうそう、レッケンドルフ大尉、今夜俺たちと一緒に飲まんか? 参謀長殿もご一緒だ。―うむ、久しぶりに卿と飲めるのは嬉しいことだ。では後ほど」
「ディッタースドルフ…! まさか閣下がお呼びなのでは…!」
慌ててビジフォンを奪ったがすでに通信は切れていた。
「なんてことだ! さっきのあのお言葉の後で閣下のお呼び出しに応じぬではお怒りになるだろうが!」
すぐにも総司令官の元へ駆けつけようとする参謀長を引き留めて、ディッタースドルフは笑った。
「大丈夫、レッケンドルフが上手く取り繕うと言っていた」
「大丈夫なものか、レッケンドルフだって信用ならん!」
「閣下にお仕えする者同士、信じ合わなければ」
「まず卿が信じられんわ!」
いきり立つベルゲングリューンの肩をしっかり押さえ込んで、ディッタースドルフは笑いながらも比較的真面目な声で言った。
「ベルゲングリューン中将殿、卿はこの一年よく頑張られた。あの気難しい閣下の元で誠心誠意お勤めなされた。先ほどは卿の心意気をまざまざと見せつけられて、俺は嬉しかった。あの閣下が、本当に信頼に値する参謀長をおそばに得ることが出来たとはまことの慶事。ぜひ、俺たちと一緒に飲んでくれ」
その心のこもった言葉にベルゲングリューンは驚き、不覚にも目の奥が熱くなった。上官からブラスターで狙われて、それで感謝されるとは不思議なことではないか。だが、それもロイエンタール艦隊に受け入れられるためには必要な通過儀礼だったらしい。
―俺はもうキルヒアイス閣下の部下ではないのだな。
改めて亡き上官のことを思い、一抹の寂しさと共に同僚たちに受け入れられた喜びをかみしめた。

 

bottom of page