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6、

 

ロイエンタールと幕僚たちが事前に建てた計画を元に、要所は臨機応変に対応しながらベルゲングリューンは次々に命令を下した。時に参謀長の意見を聞くことがあったが、その言葉はあまりに小声であったため副官もその内容を確かめることが出来なかった。
その内容は言ってみれば他愛もないものだった。
「―どう思われますか」
ロイエンタールの声で少々心配そうな声が聞く。
「卿の考えの通りだろう。自信を持て」
ベルゲングリューンの声が皮肉さと励ましが絶妙に調和された声音で答える。
「ありがとうございますっ」
後世の歴史家がこの会話を聞くことがあったら、録音機の故障か何かと思うだろう。いずれにせよ、この瞬間にロイエンタールが不安を感じるなど、彼らしくないと断じるはずだ。
ベルゲングリューンはロイエンタールからの励ましと同意に力を得て、敵を消耗戦に引きずり込もうと巧妙な戦術を駆使した。ロイエンタールはまるで助言をするかのように、神妙な表情で司令官の方に屈み込んだ。
「こうやって敵を突き続ければ、必ずやあのペテン師は仕掛けてくる。このままではすまされまい。奴がどう反応するか間近で待つことが出来るとは、なんとも楽しみではないか」
こんな不遜な言葉を参謀長が吐いたと知られたら艦隊内に物議をかもすだろうが、知っているのは自分たち二人だけだと思うと、ベルゲングリューンは微笑まずにはいられなかった。
ロイエンタールは如何なる姿になろうとも、狼狽えたりはせぬ。決してロイエンタールらしさを失うことはないだろう。そう思うとこんな激戦のさなかにもかかわらず、司令官に対する誇りで胸がいっぱいになった。
宇宙を映し出すスクリーンの中は混迷を極めていた。帝国の艦も同盟の艦も一歩も譲らず、帝国も同盟も共に、最高の勇将の手にかかれば、戦士たちがどれほど粘り強く戦うことが出来るか示し続けた。
オペレーターが突如飛び上がって甲高い声で叫んだ。
「戦艦ヒューベリオンです!!」
どよめきの声が艦橋の士官たちの口から洩れた。あの同盟最高の知将が自ら戦艦を繰り出すほど、血の気が多いとは誰も予想だにしなかった。
このような時、司令官たる身が飛び上って仰天するような振る舞いはするべきではない、とベルゲングリューンは良く知っていた。司令官が動揺しては周囲の者の士気にかかわる。
だが、この手で敵司令官を捕えることが出来るかもしれぬと言う可能性が現実のものとなり、ベルゲングリューンの血流を常になく激しくさせた。
すぐそばに立つロイエンタールが大きく息を吸い、何か言いそうになって、叫ぶ直前に拳を握って急いで口を閉じた。
『参謀長』の立場を忘れて命令を下しかけた…! ベルゲングリューンは勢いよく立ち上がって叫んだ。
「全艦前進! 最大戦速!」
ロイエンタールの逡巡を打ち消すように、強い声で命じた。今、彼の方を見てはいけない。もし、彼の本来の、当然の立場を奪われたことを恨んで、みじめな表情を浮かべていたら…。
だが、それを確かめる時間はなかった。帝国軍の先頭に飛び出してヒューベリオンめがけて突撃したトリスタンだったが、オペレーターが「来るぞ!」との警告を発するや否や、艦を揺るがす衝撃が襲い、立っている者は皆バランスを失った。
「敵の強襲揚陸艦です! 我が艦の艦腹に取り付きました!」
「何!」
今度こそベルゲングリューンは舌打ちと共に短く罵声を吐き出した。隣で彼を遮るように参謀長が前に進んで、オペレーターに向かって声を上げた。
「現場の映像を送れ! 直ちに非常迎撃態勢を取れ! 衛兵!!」
命じたそばから、声を荒げて「とんだペテン師だ…! こしゃくな詭計を弄しおって…」と吐き捨てた。
まるで率直な感情の表出に喜びを感じているかのような、あまりに猛々しい言葉にベルゲングリューンは目を瞬いた。そうこうするうちに艦腹の通路から装甲服に身を固めた同盟の陸戦隊員が続々とトリスタンに侵入してくる映像が送られてきた。スクリーンに禍々しい同盟の兵士の姿が映る。敵が侵入した通路は瞬く間にレーザー・ビームと鮮血で色とりどりに彩られた。敵兵が何処を目指しているか、明らかだった。敵の侵入経路を示したモニタを見ていた参謀長が、きっと振り向いて総司令官の肩を掴んだ。
「閣下! 念のため艦橋から退避してください…!」
「しかし、私はやつらを迎撃し…」
敵兵を迎え撃つ指揮を執らなくてはと思ったが、今の自分は総司令官なのだったと気づいた。参謀長はベルゲングリューンの目に理解の光が宿るのを見て頷いた。
「あんな雑魚どもおれが蹴散らしてやる。いいから卿は大人しくしていろ」
強い語気ながら小声で言うと、ドンと肩をついて「衛兵!!」と叫び、護衛の手に上官を渡した。ベルゲングリューンは護衛二人に急かされて、艦橋を出た。
『ベルゲングリューン』の姿をしたロイエンタールも兵を率いて飛び出して行った。どんな姿であれ、上官が優れた戦士だと言うことは理解している。だが、こんな乱戦で自ら指揮をするような危険な真似はするべきではないのだ…! 特に今のような異常な状況の時には…!
―俺も閣下のお側で戦おう。あの方に毛ほどでも傷つけられるものなら、やってみるがいい…!!
衛兵を連れてベルゲングリューンは更衣室に向かった。そこには司令官の装甲服が保管してある。相変わらず不器用な指先を駆使してロッカーを開け、装備一式を取り出した。
その時、部屋の扉が開いて数人の同盟の兵士たちが飛び込んできた。
「野郎!」
「敵だ! 撃て!」
怒号とブラスターのビームが入り混じって、同盟と帝国の兵士が4人倒れた。後にはベルゲングリューンと同盟の兵士が一人、残された。
同盟の兵は堂々とベルゲングリューンと対峙した。これは一兵卒などではあるまい。仲間が血の海に倒れても動じずに、静かにこちらの様子を伺っている。
「ロイエンタール提督?」
同盟の装甲服の面から、思いがけず訛りのない帝国標準語が聞こえた。
「そうだ。同盟の猟犬か?」
同盟の兵士は気楽そうに立っている。だが、その戦斧の柄は片手で軽々と握りしめられ、武器の重さに微動だにしない。こちらはブラスターを携行している以外は無防備だ。倒れた兵の所持する武器を如何にして手にするか、間合いを計った。
同盟の兵士は戦斧をゆったりした何気ない様子で構えなおした。
「私はワルター・フォン・シェーンコップだ、死ぬまでの短いあいだ、憶えておいていただこう」
戦斧が猛烈な勢いで迫って、過たずベルゲングリューンの頭を刎ねようと半円を描いた。だが、ベルゲングリューンが大きく飛び退ったため、それはかなわなかった。ベルゲングリューンは膝をつきブラスターを撃とうとシェーンコップの胸に照準を定めた。惰性の円に逆らって動きを止め、ベルゲングリューンに向かってシェーンコップは戦斧を反対方向へ振り回した。ベルゲングリューンは床を転がってその攻撃から逃れ、起き上がった途端にブラスターを撃った。
ブラスターの閃光は戦斧で防がなければ、間違いなくシェーンコップのヘルメットに当たったはずだった。代わりに戦斧の柄が砕けて折れた。
シェーンコップの手から戦斧の柄がベルゲングリューンに向かって飛び、手の中のブラスターがはじけ飛んだ。ベルゲングリューンはまんまと敵にただ一つの武器を取られ、睨み付けた。
―素手なのは敵も一緒だ。五分五分…!
ベルゲングリューンは倒れた同盟の兵士の手から戦闘用ナイフをもぎ取り、同様にナイフを手にしたシェーンコップに立ち向かった。
―だが、閣下の身の軽さと俺の経験があれば、五分以上だ…!
どういうつもりか、突然シェーンコップは面を押し上げて、その顔を晒した。
「その自信ありげな表情、噂通りのいい面構えだ。冥途の土産にこちらの顔も憶えておいてもらおうか」
その名の通り、どことなく帝国貴族にありそうな細面の整った顔が現れ、にやりと笑った。
「ほざけ…! 冥途の土産が必要なのは貴様の方だ!」
ロイエンタールらしくないなどと思いわずらう必要はなかった。こいつはどうせここで倒すのだ。身体の敏捷さを駆使して、シェーンコップの懐向けて飛び掛かった。だが、敵もさるもの、ベルゲングリューンの計算された素早い動きと巧みな剣捌きにすら、惑うことはなかった。右に突こうが左に裂こうがどの剣筋も受け止め、そこから新たな攻撃を繰り出してきた。端正な薄ら笑いに向かって何度となくナイフを突きつけたが、それに対し敵もすんでのところでかわし続けた。ベルゲングリューンの息は上がって来たが、それは敵も同様で、面を取ってしまったせいで汗だくの額が丸見えだった。見せかけているほど余裕があるわけではないと分かった。
―まだまだ…!!
だが、そこに多数の同盟の兵士と、それに追いすがった帝国軍兵士が室内になだれ込んで来た。司令官を見つけて双方から驚愕の声が上がった。同盟の兵による掃射を受けながらも、帝国軍兵士たちは司令官を守って侵入者にブラスターを浴びせ続けた。
混戦の中、敵を求めて罵声を上げる総司令官の声は激しいビームの交換にかき消された。

敵を見失って神経を荒立てていると、参謀長が息せき切って駆け付けた。
「閣下、ご無事でしたか」
無言で振り向き視線が合うと、ロイエンタールは続ける言葉を失ったようだった。彼も装甲服に身を包み、手には血染めの戦斧を握っていたが、闘争心はすでに良く抑えられているようだった。ベルゲングリューンはその落ち着き払った眼の光を見て、ようやく自分が戦闘の余波で荒馬のように苛立っていることに気づいた。
更衣室には両軍の死体が散乱していた。ロイエンタールがベルゲングリューンの腕を取って、「行こう」と言った。参謀長が乱暴に総司令官の腕を取るなど平時ならありえないが、この混乱の中では相応しい行為と言えた。
同盟の兵の装甲服に赤い薔薇の花が描かれ、それが血と人間の肉と混じりあう様子に吐き気を催した。
ロイエンタールも同じものを見ていたらしく、ベルゲングリューンの腕を取ったまま言った。
「奴らが噂の薔薇の騎士か?」
「そうらしくあります」
ロイエンタールは静かな声でベルゲングリューンの腕を握ったまま続けた。
「戦闘を中止して後退しろ」
彼の助力を求めるかのように、腕を握る手の上に手を重ねた。白くてすんなりとして細い手を見て、自分が今誰であるかようやく思い出した。ほの白い綺麗な手はすり傷だらけだった。
「奴らの詭計に乗せられて、うかうかと旗艦に敵を侵入させてしまいました。申し訳ございません」
「卿の責任ではない」
「ですが、あの時前進を命じたのは私です」
ロイエンタールはふと苦い表情になって、ベルゲングリューンの腕を揺すった。
「参謀長は司令官が間違っていたら彼をいさめねばならん。だが、卿の命令はおれ自身のものと同じだった。あの一瞬、おれも前進を命じようとして口を開きかけたのだ。だから、卿の責任ではない」
ベルゲングリューンの腕を放すと、肩をドンと叩いた。
「急げ、まだ挽回する機会はある」
二人は共に疲れ切っていたが、互いに身体を預けるようにして歩いて艦橋に向かった。ベルゲングリューンはロイエンタールの指示を元に、事態を収束させるため乱戦状態の味方を後退させ、隊列を立て直した。その命令はこの数時間の混乱の後でも、的確で隙がなかった。
宇宙の向こうで敵の名将もまた、敵司令官の整然たる退却に感じ入っていたと知っても、総司令官も参謀長も喜びはしなかっただろう。今回は辛うじて引き分けたが、自分たちの判断の誤りであわやと言うところまで行ったのだ。ロイエンタールはもちろん、ベルゲングリューンも今後このような隙を敵に与えまい、と気を引き締めた。二度目があったらそれは彼らの最後だ。互いに別の肉体に囚われたまま…。もし、片方だけ死ぬようなことがあったら、残された方はどうなる? ベルゲングリューンは身震いした。ロイエンタールの身体だけあっても仕方ないのだ。あの方の魂、あるいは精神があってこそのロイエンタールなのだから。

 

​面影を抱きしめて

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