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12、

提督たちを集めた公開の軍法会議で、士官の罪状が読み上げられた。帝国軍の軍規を軽視した明らかな帝国に対する反逆行為。士官はせいぜい帝国軍から追放される程度の罪だと思っていたのだろう。総司令官みずから死刑を宣告すると、哀れな声で慈悲を乞うて泣き叫んだ。審理の間中、士官のふてぶてしい様子に苦虫を噛み潰したようだった提督たちは、それを聞いてますます侮蔑の色を濃くした。
声を限りに喚きたてる士官はその場から引きずり出され、仮の処刑場に仕立てられた練兵場へ連れ出された。処刑場までの道のりには、処刑があるとどこからか聞きつけた下級兵士たちが群れを成して罪人が出てくるのを待っていた。
引き立てられる士官に向かって、「顔を上げて歩けよ!!」、「帝国一の晴れ姿だぜ!!」などと罵声を浴びせるのはともかく、やたらと物を投げつけるので憲兵たちは困り果てた。憲兵隊長がいきり立って「よさんか! 帝国軍人らしく粛々と見送れ!」、などと叱責したが、ますます騒ぎが大きくなるだけだった。
兵士たちの同情を得ようと考えたのだろうか。士官は初め震えながらも黙って歩いていたが、いきなり声を限りに喚きだした。
「卿ら、偉ぶっている提督や元帥たちの言うことに騙されるな! やつらは殺人者だ! 大悪党だ! 俺らなんかかなわないほど、戦争で人を殺して、街を破壊している! 俺がやったことなんか、そいつらに比べたら大したことじゃない!!」
どこからか口笛が鳴って、「いいぞ!」などと声がかかる。士官はどこかに彼を助ける者はいないかと言わんばかりに、血走った目でぎょろぎょろと周囲を見渡した。
兵士たちが大挙して集まっていると聞き、騒乱を危惧した総司令官の幕僚たちが現れ、事態を収拾しようと兵士たちに呼びかけた。
「お前たち、兵舎に戻れ!」
「この者に耳を貸した者は名前と所属を控えるぞ!」
だが騒ぎはいっこうに収まらず、むしろ衆を頼んで大胆にも兵士たちの反抗心は煽られたようだった。
「俺たちに聞かせたくないことをあいつが言うから、それで殺そうとしてるんだ!」
「あのお偉いさんたちも大悪党の仲間だ!」
すでに正気を失ったかに見える士官は兵士たちの声に力を得て、さらに喚きだした。
「そうだ! 俺たちの総大将は誰だか知ってるか!? 帝国騎士のご出身のあのロイエンタール提督だ! 閣下はあの若さで上級大将だなどと、なんで偉ぶっていられるか、知ってるか! 金さ! あの人には金があるんだ! 俺やあんたらには一生縁がないくらいすごい金さ!」
激高した幕僚の一人が士官を殴りつけた。
「無礼者め! 帝国軍士官としての矜持すらないのか!」
だが、それは群衆の狂乱に火を注ぐ行為だった。
「あいつを殴ったぞ! 殴ったぞ!」
「人殺し! 悪党!」
士官は兵士に囲まれ、憲兵に乱暴に小突かれ引っ立てられながら喚き続けた。
「ロイエンタールなんぞただの遊び人の若造だ! すべては金のお陰だ!」
兵士たちに喚き散らしながら、処刑場に着いたのも気づかない。目は血走り、口の端から泡を吹きながら喚き、知らぬ間に処刑場の柱に押し付けられた。
高い音を立てて拘束具が締まり、兵士たちは次に来るものへの期待に息を飲んだ。場内はその時、冷たい風が吹いたように沈黙に浸った。
だがそこに、重苦しい沈黙を斬り裂いて声を限りに叫ぶ、死刑囚の言葉が響き渡った。
「ローエングラム公だとて英雄だの天才だのと言われてるが、その実、国を奪おうとしている大悪党だ! それに比べて俺のやったことなんか小さいことだ!」
冒涜の言葉が処刑場に響き渡った。兵士たちは唖然として縛られた士官を見つめ、彼らが最も愛し敬う、元帥への暴言に言葉をなくした。
その時誰かの鋭い、「あっ! 閣下!!」という声がして、兵たちはその声の方へ一斉に振り返った。
そこに彼らの総司令官、ロイエンタール上級大将の姿があった。
端麗なその白皙の容貌は静かな怒りを宿していた。人工の光の下では色違いの両の瞳が異様に明るく輝いて見え、彼に超人間的な美しさを与えた。冷たい炎のような鋭い光りを放つ視線が処刑者へ注がれ、間近にそれを見た者は刃を思わせる凛とした冷厳さに震えた。
ロイエンタールのブラスターを握った優美な手が上がった。
「ならばお前も国を奪ってみろ」
言葉が終わると同時に士官は脳髄を撃ち抜かれ、その身体はいったん弾けるように飛び上り、そして力なく柱にぶら下がった。
ベルゲングリューンの目はその死体を見ていたが、脳裏には血にまみれて倒れた、かつて仕えた若者の姿があった。
親友を守るため、まだ二十歳をいくつも過ぎずに敵の手にかかった―。めったにないほどの、目覚ましく素晴らしい才能! いつも笑顔を絶やさず、思いやりに満ち、荒んだ部下の心も溶かす優しい心根の持ち主。部下たちは皆、春の日の太陽を仰ぎ見るようにして嬉々として彼に従った。若々しい彼の前途は洋々として、誰もが希望に燃えて一丸となった。
なのに、彼の将来も、希望も、彼に託した夢も、すべて血の中に消えた―。
ローエングラム公が恨めしかった。元帥にはベルゲングリューンには出来ないことが出来たはずなのだ。親友のために何でもできたのに、それをしなかったために、ベルゲングリューンの大切な上官は死んだ。だがそれであっても、いやそれだからこそ、かの人のためにもローエングラム公を貶めることは許せない。公のためにかの人は全身全霊で戦い、最後まで己を顧みずに公を守り通した。ベルゲングリューンの新しい上官もまた、公のために戦って幾千万もの血を流すだろう。その流した血を汚すようなことは誰にもさせない。
周囲では兵士たちの叫びが最高潮に達していた。
「閣下が裏切り者を成敗したぞ!」
「ど真ん中を撃ち抜いた! 裏切り者に報いだ!」
「やってのけた!」
兵士たちは敬愛するローエングラム公への侮辱に対する復讐が即座になされたことを喜んだ。処刑場の空気は一瞬にして総司令官賛美に変わった。幕僚たちはそのことに呆れ、恐れつつ目を見交わしている。
幕僚たちの中に参謀長の姿はなかった。ふと視線を感じて首を巡らすと、練兵場を望む建物からこちらを見つめる参謀長の姿を見つけた。
ベルゲングリューンはその場は幕僚たちに任せ、慌てた様子を見せぬようゆっくりと歩を進めてロイエンタールの元へ近づいた。
「とんだ騒ぎだな」
皮肉めいた言葉だった。
「はい。まるで反乱でも起きそうな様子でしたが、幸い、空気が変わりました」
頭の中は数々の想いにあふれているにもかかわらず、ベルゲングリューンの声は我ながら冷静で落ち着いていた。
「卿のお陰でな」
視線を合わせようともせず言うと、ロイエンタールがふと笑った。
「あの言葉、どこで拾って来た?」
「言葉?」
「国を奪ってみろ、と言っただろう」
驚いたベルゲングリューンは瞬きして、遠くを見つめているロイエンタールの横顔を見た。
「あれは、閣下があの者の尋問の様子を見ていた時におっしゃったことです」
横目でちらりとベルゲングリューンを見やり、ロイエンタールはフンと鼻で笑った。
「そうか。おれの言葉をちゃんと覚えておいて、一番効果的な瞬間に言ったというわけか」
「…勝手に閣下のお言葉を流用しまして、お気を悪くされましたら…」
「いいや、卿は『ロイエンタール』に成りきるという務めを果たしただけだ。おれの言葉の裏にどれだけの大それた思惑があるかも知らず、率直に表現した。大した役者だな」
「閣下…。そのような…」
ロイエンタールは振り返ってベルゲングリューンの目をまっすぐ見つめ、滑らかな頬を両手で包んだ。
「ベルゲングリューン、卿はどこへいってしまったんだ?」
その目の奥には不信の色が渦巻いていた。
「私は、ここにおります…! この閣下のお身体の中に」
「そうか? おれには『ロイエンタール』しか見えんな」
頬を包む荒くれた大きな手を取ろうとしたが、それは白い手の中からすり抜けていった。
「おそらく、卿はおれと長く一緒にいすぎたのだろう。もう、あまり身近にいない方が卿のためだろうな」
そう言うと、ロイエンタールは踵を返して立ち去った。

ロイエンタールは言葉通りにした。勤務時間中は参謀長の執務室にいるはずだが、ビジフォンをかけると常に留守だった。軍議に出席しても用事が終わればさっさと退出して、引き留める暇もなかった。
ロイエンタールはいったいどこにいるのか―。その答えは思いがけないところから明らかになった。
「近頃、ベルゲングリューン中将は資料室に入り浸っておいでで、あのように勉強熱心な方とは知りませんでした」
レッケンドルフがそう言って参謀長の所在を明かした。
「資料室? 何を調べているのだろう」
「実は同盟軍が残していった書籍などがありまして、その中からフェザーンと同盟の経済を扱ったものを調べておいでのようです」
ベルゲングリューンは内心呻いたが、ふと気づいて言った。
「卿も一緒にそこで勉強などしているのか? 二人とも熱心だな」
問われて副官はしばし逡巡するようだったが、「少し失礼します」と言って退室すると、自室から薄手のファイルを抱えて戻って来た。
ファイルの中には透明なポケットに、タイプ文字が記されたメモ用紙が1枚ずつ入っていた。


―ベルゲングリューン中将は総司令官の信頼をいいことに、彼の艦隊を我が物にしようとしている。

―ベルゲングリューン中将は総司令官に良からぬ企みを抱いている。
―総司令官はベルゲングリューン中将の真実を何もご存じない。
―総司令官をかの卑劣漢からお守りせねばならぬ。

同様の讒言が10枚近くあった。
「…なんだこれは…!」
「数日前から、閣下あてに届けられるようになったものです。差出人は特定できていません」
ファイルから顔を上げて、副官の厳しい顔を見た。
「数日前…? 要塞内に入ってからと言うことか」
「はい。この他にも、兵士たちの交流ネットワークに発信者不明で同様の投稿があります。今のところ注目はされていませんが、自由に閲覧できる状態です。見つけるたびに私が削除しておりますが」
澄まして言う副官に眉毛を上げておいて、ベルゲングリューンは再び手の中のファイルに目を落とした。兵士たちの交流ネットワークで同様のものをばらまいているということは、提督たちもいずれ目にするということだ。恐らく『ベルゲングリューン』に恨みを持つ誰かが、このような讒言を弄しているのだろう。
―しかし、現在は閣下が『ベルゲングリューン』なのだ。俺一人のことならばたいして気にもせんが…。
副官がもの問いたげにじっと視線を注いでいるので、発言を促した。
「ベルゲングリューン中将についてどのようにお考えか、伺ってもよろしいでしょうか」
思いがけない問いだった。だが、ベルゲングリューンはこれが讒言だと分かっているが、当然、副官には参謀長を信じる義理はないのだ。
「卿は参謀長を疑っているのか」
副官は上官が参謀長を信頼していることを知っているはずだ。その上官の厳しい視線に耐えて、レッケンドルフはまっすぐ見返してきた。
「ベルゲングリューン中将が真摯に閣下にお仕えしていることに、疑いは持っておりません。ですが、それは私の個人的な意見でしかなく、真実は分かりません」
「それを探るため、彼の身辺を見張っていたのか」
レッケンドルフはファイルの後半にまとめられたメモ用紙に上官の注意を向けた。その一部には参謀長が今後の身の振り方を誤ると安全の保障が出来ない、との警告がタイプされていた。もっと具体的に襲撃方法を記載したものもあった。
「このメモからは参謀長閣下に対する妬みが感じられます。直接的に危険が及ぶ恐れがありそうですので、お守りするつもりもありました」
レッケンドルフはそう言いながら、腰のブラスターを手で探った。この軍官僚らしい青年が自ら戦うつもりでいるとは意外だった。
「参謀長は上官を操ったりできるような男ではない。ましてや裏切りや汚い策略など…」
ベルゲングリューンはむしろ、懐かしきかの上官を心に描いて言った。誰かを裏切る可能性があると思われるのは心外すぎた。
「では、いかがなさいますか。このような中傷文を放置しておいては要塞内の風紀の乱れを助長し、ひいては閣下のご威信にもかかわりましょう」
「俺の威信などはともかく…。参謀長本人はこのことを知っているのか」
まさか、と言って副官は否定した。
「ここにはやけに具体的に襲撃方法を書いているが、このようにこそこそと中傷の言葉をまき散らすようでは、直接参謀長と対決する度胸などなかろう。だが、本人が知らぬと言うのも不用心だな」
「では…。私からそれとなくお伝えしましょう」
「いや、俺から直接話そう。こんなことは婉曲に言っても埒が明かない。はっきり伝えて参謀長にも気を付けさせる方がいい」
副官は残念そうな、ほっとしたような複雑な表情をして頷いた。誰であろうと讒言を伝える使者になどなりたくないだろうが、参謀長と上官が親しく顔を突き合わせるのも不安なのだろう。
参謀長が確実にいるという時間を狙って資料室に行ってみると、机の前でいくつかの書籍を広げて座っている姿を見つけた。近づく人影に気づいた参謀長が顔を上げて、総司令官の姿を認めて眉をひそめた。
「ご勉強のところ、お邪魔をして申し訳ございません」
ロイエンタールはため息をついたが何も言わず、手近なところにある椅子に座るようにと小さく手を振った。ペンを指先で持って、手元のノートを軽く叩いた。
「何か用か」
「少し、ご覧いただきたいものがありまして」
讒言をまとめたファイルを机の上に広げた。ロイエンタールはそれを引き寄せ、表情を変えずに1枚、1枚に目を通した。
「それで、卿は参謀長が総司令官を裏切っていると疑っているのか」
「何をおっしゃいますか…! そんなはずがないのは閣下もお分かりかと思います。ただ、このような讒言があることをご承知おきいただきたいのです。レッケンドルフとも相談し、通常の衛兵以外に密かに閣下の周辺の警護の数を増やすように指示しています」
その指示をロイエンタールは気に入るまいと思ったが、彼には相談せずに『総司令官』としてすでに手はずを整えていた。
護衛については鼻で笑って受け流し、ロイエンタールは再びファイルに目を落としながら言った。
「それで卿はこの讒言をどうする。総司令官の幕僚たる参謀長への誹謗は、ひいては総司令官の支配権への損害ともなり得る。このままにするべきではない」
「用心はします。しかし、このような馬鹿げた中傷は事実無根なのですから、相手にしなければいいのです」
「兵士たちの交流ネットワークにもこの讒言が流れていると言ったな。それもこのまま放置するのか」
「レッケンドルフ大尉が見つけ次第、削除すると申しています。それで十分だと思います。いずれ戦を再開すれば、このような戯れ言は忘れ去られましょう」
ロイエンタールは厳しい表情のまま、じっとその言葉を聞いていた。馬鹿げたことだと即座に同意してくれると思っていただけに、このような深刻な反応は思いがけないことだった。納得してもらおうと言葉をつづけた。
「レッケンドルフ大尉がこの讒言者は参謀長を妬んでいるようだ、と申しました。あるいは参謀長を直接害する愚挙に出ないとも申せません。そのため、お気を付けいただきたいと申しあげる訳で」
ベルゲングリューンが話す間、ペンは机に置き腕組みをして何事か考え込んでいた。しばらくしてようやく顔を上げた。
「まあ、よかろう。卿の大事な面の皮だ。せいぜい傷をつけないようにすることとしよう」
彼らしいいつも通りの皮肉交じりの言葉は、今日はことさらベルゲングリューンの心に突き刺さった。しばらく彼と親しく話をする機会がなかったせいもあるだろう。あの処刑の日に、彼の言葉を勝手に引用したことをロイエンタールは今も怒っているのだろうか。
「閣下、これが私一人のことでしたら、わざわざご不快になるようなことをお知らせしたりしません。ですが、現在の閣下は私の姿をしていらっしゃる。ひとえにあなたの安全のために、もしもの時のことを考えていただきたいのです」
「―おれの安全か…。だが、卿はどうせ大したことにはなるまいと思っているのだろう」
ロイエンタールは腕組みした手を解放して机の上に置くと、苛立ちを表すかのように指で机を小さく叩いた。
「ええ。ですが…」
彼の手の上にそっと白い手を乗せた。そうすれば、彼の身を案じる心が伝わりやすくなるかのように。
「私にとってあなたの安全はこの世で最も大事なものなのです。ですからどうか、お気を付けいただきたいのです」
思い切って本心を言ったつもりだった。だが、ロイエンタールの表情は依然変わらず、厳しく無感動のままだった。彼の両手はベルゲングリューンの手の下で固く握られていて、まるで取り付く島もない。その岩のような握り拳を包むように覆った。
「…閣下…! どうかお聞き入れください。お気をつけいただくとお約束ください…」
その言葉に、彼の手は勢いよく白く細い手の中から飛び出し、反対にベルゲングリューンの手をがっちりしてより大きな手で握った。
「では聞け、ベルゲングリューン。『参謀長』への讒言を軽視するな。おれの安全などより、この讒言の裏に何者がいるかについて徹底して調査せよ」
「その必要は…」
彼の言葉の調子がなぜこれほど厳しいのか理解できなかった。
「言うことを聞け…! 卿はこれが『参謀長』を的にしているため、ことの重大さを分かっておらん。レッケンドルフと図り、確実に何者による仕業か調べるのだ」
「私はこれで結構軍歴もあります。どこかで誰かの妬みを買っていたのかもしれません。ですがこんな讒言、私は痛くもかゆくもありません。私の真心は閣下に捧げています。他人が何と言おうと、それは揺るがないものです」
「いいか、ベルゲングリューン…!」
だが、ベルゲングリューンの表情に何を見つけたのか、ロイエンタールは言いかけた言葉を途中でやめた。両手を顔の横に広げて、どうしようもない、と言いたげに大きく嘆息した。彼には珍しい仕草だった。
「…呆れさせてしまいましたか、閣下…?」
黙ったまま、静かにロイエンタールは首を振った。
「ですがこれは私の本心です。あなたが一番、私にとって大切なものなのです。あとのことはどうでもいいのです」
机に広げて置かれた彼の手を再び取り、一つに集めると、いっしんに彼の瞳を見つめた。もう必死にならなくても『ベルゲングリューン』の瞳の奥に、すぐにロイエンタール自身を感じることが出来た。
ロイエンタールもじっとベルゲングリューンを見返した。
「これほど卿が饒舌とは知らなかったな…。それでは卿の思う通りにするがよい。だが、おれが先ほど言ったことを忘れるな。レッケンドルフとはおれも話し合ってみよう」
「はい、そのようにします。―ありがとうございます」
ふと微笑んだ彼の瞳が寂しそうに見えて、握った手に唇を寄せた。そのごつごつした指は唇の下でぴくりと揺れると、ためらいがちに関節で唇を撫でた。
優しい愛撫に彼はもう怒っておらず、ただ心配しているだけなのだと分かった。

その後もベルゲングリューン中将を中傷するメモは総司令官あてに届き続けた。交流ネットワークには匿名投稿が続き、レッケンドルフ大尉がそのたびに削除していった。投稿元は巧妙に操作されていて割り出すことが出来なかった。投稿は提督たちの目にも留まり始め、この種の陰湿な行為を嫌う者たちから苦情があった。
そして10日も過ぎたころ、ある告発が瞬く間に要塞中を席巻し、その日のうちにすべての将兵の知るところとなった。
それは『イゼルローン方面軍総司令官への警告』と題する告発文で、その骨子は以下のとおりであった。


―ハンス・エドアルド・ベルゲングリューン中将は信頼に値しない人物である。
―すなわち、過日処刑された士官は彼の示唆の元、同盟軍の遺棄した補給物資を不当に私物化したものである。
―その事実を総司令官に暴露するとかの士官に脅され、彼はかえってすべての罪をこの者に着せて総司令官に差し出した。そしてまんまと上官の手で処刑させることに成功したのである。
―総司令官ロイエンタール上級大将は、ベルゲングリューン中将に特別な愛顧を抱いているのでなければ、すぐさまその身辺を徹底調査するべきである。
―総司令官はそれが出来ないのであれば、ローエングラム公に伏して助言を乞うべきである。


 

​面影を抱きしめて

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