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13、

その日、非番のはずの副官が夕方ごろにあたふたと現れ、この告発文のコピーを突きつけるまでベルゲングリューンは何も知らずに過ごした。
取り乱した様子のレッケンドルフは怒りで声を震わせていた。
「友人の忠告がなければ、私も知るまで時間がかかりましたでしょう。今回に限って、閣下宛てにも私宛にも同様の文書は送られておりませんでした」
総司令官のデスクの前に腰掛けたベルゲングリューンは、恥知らずな告発文を身動きすることも忘れて見入った。
「総司令官への告発文、と題しているのにその宛先に送らぬのでは片手落ちだな」
全くのいわれなき讒言の数々に、ベルゲングリューンとしては笑うしかなかった。レッケンドルフは今度は上官に怒りの矛先を向けた。
「お笑いになっている場合ではありませんよ、閣下…! 我が艦隊の提督方からもどういうことかと問い合わせがあって、このままではベルゲングリューン中将は参謀長どころか、艦隊にいることすら出来なくなりますよ」
「私の身の上のことなどはこの際、問題ではない」
いつの間にか、参謀長が総司令官室に入って来て、レッケンドルフに向かって宣言した。参謀長は総司令官の名代で下水道施設の視察に行っており、視察から戻ってすぐにここへ来たものらしかった。
副官は参謀長の姿にぎょっとして、「出歩かれて大丈夫でしたか」、と問いかけた。
「別に。だが、誰かとすれ違うたびにおかしな視線を向けられて、妙に物見高いと思ったら、ゾンネンフェルスが忠告してくれた。告発文もその時読んだ。―閣下」
参謀長は『ロイエンタール』の気性を宿した鋭い視線を総司令官に投げかけた。
「ゾンネンフェルスの話では、ルッツ、レンネンカンプ両艦隊の提督たちからも、総司令官の参謀長の適性に疑問が上がっているということです」
ベルゲングリューンはロイエンタールの強い視線を受け止めた。彼は言っていたではないか、徹底的に調査せよと。場当たり的に投稿を削除してお茶を濁していたら、敵は助長し攻撃の範囲を広げて来ることになったではないか。
レッケンドルフは参謀長に振り返った。
「提督方には他の艦隊の人事に口を出す権限はありません。ましてや閣下の参謀長を弾劾するなど…」
「総司令官閣下はこのイゼルローン方面軍の要だ。その参謀長が信用できんのではよその艦隊だとて安心は出来んと言う論法だ」
「確かに、彼らの直接の司令官である両大将閣下が艦隊の意見を重視し、ことの真相解明を総司令官閣下に要求してくることはあり得るかと思います」
レッケンドルフは黙ったままの上官の方をちらりと見てから、言葉を続けた。
「ベルゲングリューン中将閣下、正直にお答えください。かの死刑に処された士官と無関係であると自信を持って言えますか」
「無論だ」
まっすぐに副官を見ながら参謀長は短く答えた。副官は頷いて言葉を継いだ。
「その潔白であることの証明が出来ますか」
「いいや。おれが無関係だと答えたからと言って卿は信じるのか」
「私が信じるか信じないかより、要は閣下が無関係であることを立証できるかどうかです」
レッケンドルフは首を振った。参謀長から総司令官へ視線を移して副官は続けた。
「現在の状況を鑑みるに、ベルゲングリューン中将閣下はなるべく公的な場、―つまり軍議や視察などにはしばらくお出にならない方がいいと思われますが。閣下はどのようにお考えでしょうか」
それではまるで、『ベルゲングリューン』に罪があることを認めるかのようだ。まるで謹慎しているかのように見えるのは悔しい。所詮、こんな匿名の告発文など何の意味もないのだ。さりとて、いずれ時が解決する、と何事もなかったかのように鷹揚に構えていていいのだろうか。
ルッツ、レンネンカンプ両提督は一時的に指揮下にあるとはいえ、もとは独立した艦隊の司令官だ。『ロイエンタール』に部下を統率する能力なしとみなし、代わりにイゼルローン要塞の支配権を得ようとローエングラム公に働きかけるやもしれない。
何も言わないベルゲングリューンに、ロイエンタールが微かな苛立ちを現して声を上げた。
「閣下、どうご決断なさいますか。私を罷免なされようとも閣下のご裁断に従います」
はっとしてベルゲングリューンは椅子から立ち上がった。
「馬鹿な…! 全くいわれなき讒言のせいで罷免になどせぬ…!」
今、参謀長を罷免すれば即刻イゼルローン要塞から立ち去ることになり、現在その姿を借りているロイエンタールはベルゲングリューンの側から消えてしまうことになる。ベルゲングリューン自身のこれまでの功績が、すべて汚辱に見舞われる結果になることは言うまでもない。
「面倒を避けたいがために卿一人を切り捨てたところで、何の解決にもならぬ。これは参謀長を失脚に追い込み、我が艦隊を弱体化させようとする陰謀だ」
「それでは、解決に向けて早急にご決断ください」
全く冷静さを失わぬ参謀長の声が続けた。
「恐らく閣下に私の進退について決断を迫る者が現れるはずです。ルッツ提督か、レンネンカンプ提督がそのように言って来たらなんとなさいますか」
「その時はあらゆる手段を持って参謀長…、卿の潔白を示す証拠を探し出す。少なくとも無関係であるとの証明をする」
総司令官のその言葉に室内は重苦しい空気に浸された。参謀長の表情は懐疑的で、そんなことは無理だと言いたいのは明らかだった。
レッケンドルフが心配げに上官に言う。
「閣下、ご存知かと思いますが、『ある』ことを証明するより『ない』ことを証明する方が難しいんですよ」
どのように動けば自分自身の証も立ち、ロイエンタールにも迷惑が掛からないように出来るのか。ベルゲングリューンはふと、ロイエンタールと目が合った。その表情は不思議と寂しげに見えた。先日資料室で見たあの表情と似ていた。

総司令官の支持を受けて、参謀長の名によりかの告発文が事実無根であるとする声明文が発表された。その中で参謀長は匿名での告発などは無責任も甚だしく、卑怯者の仕業であると断じ、堂々と訴えることが出来ないのならば帝国軍人ではないと非難した。
ロイエンタール直属の艦隊内ではこの声明を評価する動きが見えたが、他の艦隊内ではかえって、「かの告発文を事実無根であるとする証拠がない」、「単なる声明文で簡単に済ませるとは如何なものか」、と言った反応を呼び起こすことになった。当の告発にも証拠などないのだが、その指摘に同調する声は少ない。弾劾の言葉のみが誰の検閲も受けずに独り歩きしていた。ロイエンタール艦隊内でもやがて、参謀長が謹慎せずに総司令官の元にいることに不快の念を示す者が現れ始めた。彼らはロイエンタールを崇拝はするが、参謀長を擁護する義理はない。その参謀長のせいで他の艦隊の将兵から後ろ指をさされることにいら立ち始めていた。
「かの士官と参謀長閣下が通じていないことを証拠立てようとしておりますが、どうしても、参謀長の所在を明らかに出来ない空白の時間があります。その時間に会っていたのではないかと言われれば、否定するのは難しくなります」
レッケンドルフが頭を抱えながら言った。人の行動を完璧に裏付けるなど土台無理な話なのだ。ベルゲングリューンは手詰まり感に打ちのめされそうになっていた。
―明日にも、『参謀長』の謹慎を閣下にお願いするべきかもしれん。
落ち着かぬ気分のまま就寝しようと、いつも通り鏡に映る自分の裸体に注意を払い過ぎないよう、手早くシャワーを済ませた。下着姿でごしごしと頭をこすっていると、バタン、と表の居室の扉が閉まる音がした。ロイエンタールが潜んできたのだろうか。
―俺とて二人っきりでお会いしたいのはやまやまだが、こんな時に危険すぎる。
彼の時として軽率に見える行為は、自分の身の安全など顧みない豪胆な気質にも通じるが、ベルゲングリューンはそれが心配だった。むしろ、無鉄砲さはロイエンタールが自己の存在の重要性を軽視しているせいではないだろうか。
裸の肩にバスローブを羽織ってから、下着姿のままバスルームを出た。
「何事ですか? いったい…」
ベルゲングリューンの言葉は途中で小さくなった。居間には全く知らない若い軍人が立っていた。少将の軍服を着た男は総司令官のほとんど裸の姿を見て真っ赤になった。ベルゲングリューンも仰天して怒鳴りつけた。
「卿はここで何をしているか!!」
「しっ、失礼しました…! 申し訳ございません…!! どうしても閣下にお話ししたいことがあり、衛兵に無理を言って入りました!!」
その衛兵は減俸だ。クビだ。少将の地位を笠に着て強引に入り込んだに違いないが、これでは総司令官の安全などは風の前のちり芥のようなものだ。ベルゲングリューンは効果があるとだいぶ早いうちに知った、『ロイエンタール』の鋭いひと睨みを男に投げつけておいて、バスローブに袖を通しベルトを結んだ。こういう時、慌てて服を取りに行くようなロイエンタールではないことは、彼の日常を見ていてよく分かっていた。
男は真っ赤な顔にうっとりとした表情を浮かべて、総司令官の引き締まった肉体が上質のバスローブに隠れるさまを眺めていた。その熱っぽい視線はあまりに不躾で、気に食わないこと甚だしかった。
「そろそろ卿の名前を教えてもらおうか」
せいぜい皮肉たっぷりに言った。
「私のことはよく存じ上げていただけていると思っておりました…」
なにやら思い入れたっぷりに悲しそうな顔をしたので、閣下はこいつにお会いになったことがあるのか、とどきっとする。
―また、やってしまったか…?
だが、この男の落ち着かない様子、きょろきょろとさ迷う視線が何かがおかしいと思わせた。少なくとも彼がこの男を知っているとしても、たいして重要視していないに違いないと思わせた。
ベルゲングリューンはせいぜい『ロイエンタール』の冷たい視線を駆使して、姓名不詳の少将を鼻先から見下ろした。
「それで? 何か話したいことがあるとのことだが。わざわざ言いに来たからにはよほどのことであろうな」
男はごくりと音を立てて唾を飲み込み、喉仏を上下させた。
「はい。ご存知の通り私は参謀長として艦隊の重要な一翼を担い、レンネンカンプ大将閣下より厚いご信頼を受けています。地上に降りてからここイゼルローンでも多大なるご愛顧を受けて、広範にわたる局面でお役に立っているつもりです」
空虚な言葉を弄する男だ、と思いながらベルゲングリューンはあくまで無表情を貫いた。レンネンカンプ大将の参謀長と言われて、そういえばこの顔を見た覚えがあると思う。数度通信をしたことがあったし、この戦の前に各司令官の幕僚とも顔合わせをしたはずだが、顔と名前が一致しなかった。
後で確認しようと思っていると、男はこちらへ向けた視線を外さずに少し近づいて来た。肌蹴たバスローブからちらりと覗く、『ロイエンタール』の胸の辺りを舐めるように見ている。無遠慮な視線を浴びせられて、彼を思って怒りを覚えた。それと同時に、このようにたびたびあからさまに色情を交えて見られるのは気色が悪く、思わず後ずさりたいのを堪えた。
「ほう…。レンネンカンプ提督に卿のような相談役がいるとは結構なことだ」
口調にかなり嫌味を加えたつもりだったが、この男には皮肉は通用しないらしい。
「はい。閣下は隠密の計画さえも私に打ち明けてくださいます。無論、他の者は交えず内密にですが―」
男は思わせぶりに言葉を切ると、得意さの中に狡猾さの見える目つきで続けた。
「たとえば、この度のベルゲングリューン中将の告発に関して…。ぐわっ」
言葉が終わらぬうちに男の軍服の喉元を細くても力強い手で締め上げた。バスローブの裾が乱れるのも構わず捻り上げ、苦しがって真っ赤になっている顔に顔を近づけた。
「めったなことを言うなよ、青二才。卿はレンネンカンプの名誉を損ねる発言をしようとしている」
低く残忍な声を浴びせられて、男は『ロイエンタール』の力強い手首を緩めようと必死でもがいた。
「…でも…! 本当なんです! 閣下にこっぴどく振られて…! 閣下が急にレンネンカンプ提督への興味を失われたのは、全部ベルゲングリューン中将のせいだって…! 閣下をお救いしようって…!!」
吊り上げられて男が足で宙を蹴ったので、ベルゲングリューンは男の首から手を離した。急に喉元を解放されて、咳き込みながら男がよろめいたので、その腕を取って支えてやった。
「あ、ありがとうございます…」
上目づかいにじっとりとした目線を意味深長に向けられて、背筋に怖気が走った。心に『手玉に取る…、手玉に…』と呟きつつ、腕を掴んだまま顔を近づけた。
反吐を吐きそうだった。
「ほう、俺に振られて腹いせに参謀長を追い落とそうとしたか。レンネンカンプの相談内容とは俺の参謀長をどう排除するか、ということだな。あの中傷の投稿や告発文は卿のアイデアなのか?」
「明敏なる閣下はすぐお分かりになられるのですね。私は艦隊内では学があると頼りにされておりまして、今回もレンネンカンプ閣下から特に私が告発の文案を練るように、と命じられました」
さすがのレンネンカンプも、こんな汚い手口に自ら手を下したくなかったのだろうが、ロイエンタールへの色情とベルゲングリューン憎しでこの男の策略を受け入れたに違いない。
こんな男は信用ならないが、ちらりと見せる狡猾さと得意げな表情とのせいで、かえってすべて本当のことに違いないと確信した。
男は芝居がかった小声で話を続けた。
「レンネンカンプ提督はイゼルローン要塞の守りに不安があるとして、ベルゲングリューン中将の罷免を閣下に要求する予定です。もちろん、そうなさるよう私がご提案したのですが。現在の要塞内の様子では、提督を支持する者は多数いることでしょう」
得意そうに言って額から前髪を手で払い、その手は偶然のように総司令官のバスローブの胸元をかすめたので、襟元が崩れてその逞しい胸筋がよりよく見えるようになった。
「…それもこれも、卿が煽ったせいだろう」
男は手柄を褒められたかのようににっこりして、総司令官のバスローブのベルトを指に巻き付けて弄んだ。ベルゲングリューンは男の手を手刀で切り落としたいのを我慢した。
「レンネンカンプ提督の要求がなくても告発をこのままにしておけば、ベルゲングリューン中将は恐らく辞任を余儀なくされることになるでしょう。そんなことになったら大変です」
「すべて卿の計画通りなのだろう。卿にとっては結構なことではないか」
「とんでもない…! レンネンカンプ提督の思い通りになりますと、イゼルローン要塞内に混乱を招き、ロイエンタール閣下に大変なご迷惑が掛かります。それは私の本意ではありません」
「ほう…。卿は俺をこの厄介な状況から救ってくれるとでもいうのか」
男は目を輝かせて、バスローブのベルトを握ったまま『ロイエンタール』を仰ぎ見た。
「はい…! 私はレンネンカンプ提督の幕下にありますため、提督が満足するようにご提案するより他ありませんでした。でも、もちろん最終的にはロイエンタール閣下のお為になるよう、丸く収まる方法をちゃんと考えているんです」
興奮して言いながら顔に息を吹きかける。男が手にしたベルトがいつ解かれるかと気になって仕方がない。ベルゲングリューンはもう限界だ、とばかりに男の腕を離し、さりげなくバスローブのベルトも取り戻した。
男の首を絞める代わりに自分の腕を傲慢な風情で組んだ。
「なるほど、卿の丸く収まる方法とはなんだ?」
「ローエングラム公にご裁断を願うのです。ロイエンタール閣下の問題はイゼルローン要塞の問題。広い目で見るとローエングラム公の問題です。公のご裁断なら誰も文句を言いますまい」
「…あの告発文にもローエングラム公に助言を乞えとあったな」
「ベルゲングリューン中将が無実の証明をするのは難しい。それは明らかだと思います。あの方は実際行動に不審な点があります。所在を明らかにせずに執務室を不在にしたり、総司令官室から退出した記録があるのに自分の居室に戻った記録はなく、どこにいるか不明な時間が多すぎます」
ロイエンタールの挙動がつかめない時間があるのは、総司令官室に忍び込むためだろう。あるいは、彼の気ままな行動のせいだ。それはレッケンドルフが苦慮するところでもあった。それをこの男は上手く突いている。
ねずみのようなずる賢さに騙されて、この男の能力を軽視してはいけないと気を引き締めた。この若さで少将となり参謀長に任じられただけあって、危険なほど悪知恵が回る。今回のことも参謀長の行動の裏をしっかり取ってから、画策したのだろう。
「だが、ローエングラム公におすがりするなど、俺は要塞一つまとめられぬ役立たずのようではないか」
「そんなことはありません。世間ではそう思う者もいるかもしれませんが、閣下がお目を向けるべきはローエングラム公ただお一人のご意向です。ロイエンタール閣下のご才気は多くの提督方を遥かに凌駕しておられます。完璧すぎる部下を持つ上官はいずれその部下を疎ましく思うようになるものです」
男はまるで年少の者を諭すように優しく説くと、歪んだ陰謀家めいた目つきをした。
「よってここで公におすがりしておけば、公はロイエンタール閣下を与しやすい相手と錯覚され、長い目で見ますとその方が閣下のお為になるでしょう。それに、ベルゲングリューン中将の経歴のお陰もあり、今回のことを公には受け入れやすくなっています」
「経歴?」
「ベルゲングリューン中将は亡きキルヒアイス大公の参謀でした。噂ではなかなかご信頼厚かったとか。ローエングラム公は必ずや亡き親友の判断を信じられる。そして、ベルゲングリューン中将をお許しになります」
ベルゲングリューンは男を凝視し、あまりに強く見開いたので目から血が噴き出すかと思った。
―殺してやる…! この男…!!
だが、肉を破るかと思うほどきつく自分の腕を握って、狡猾極まりないねずみの首を締め上げまいとした。
―何が丸く収める、だ。結局俺は潔白を証明されることもなく、留保付きで許されるだけだ。しかも、閣下のご英明にも傷をつける結果になるではないか。打算であのローエングラム公を愚弄するとは。
男は得意そうな表情で何かを待ってこちらを見ている。上官を裏切って垂れこんでおきながら、今度は総司令官から褒めて貰おうとしているのは明らかだ。唾棄すべき、恥ずべき汚い策略家。
―だが、この男の思考は一貫している。さも忠実そうにこちらに取り入っておきながら、最終的にはより大きいもの、上のものに簡単に寝返る。この男こそ元帥閣下のご意向以外は眼中にないのだろう。
ベルゲングリューンはもうたくさんだ、と思った。大事なキルヒアイス提督との思い出を汚すようなこんな男を、ロイエンタールの側に近づけたくない。
「卿の言いたいことはよく分かった。考えてみよう」
だが、男は頷きつつも立ち去ろうとしない。
「卿はもう下がれ」
「はい…。でも、もし私の行動を嘉していただけますなら…」
もの欲しそうな表情は間違いなく、何か褒賞を期待しているのだ。だが、ベルゲングリューンはきっぱりと言った。
「まだ、参謀長は疑惑をかけられたままだ。このことが上手く収まるか結果を見る」
上手くいけば褒美をやるとの言質は与えないように、慎重に言葉を選んだ。だが、男は都合のいいように解釈したようだ。
「では、私のご助言の通りに上手く運びましたらお願いがございます」
「…なんだ」
「すべて解決しましたあかつきにはローエングラム公の直属に配属されるよう、閣下から私をご推挙ください」
もう、呆れるほかない。ここまでくれば拍手したいほどだと思った。
「…もう行け」
「はっ、失礼いたします」
こそこそとした挙動でねずみは出て行った。ベルゲングリューンは自分が穢れたような気がした。何としても、ローエングラム公のご寛恕などに頼ることなく、この状況を打開しなくてはならない。

 

​面影を抱きしめて

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