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11、

イゼルローン要塞再攻撃に先立って、総司令官と麾下の二人の大将との間で通信が交わされた。レンネンカンプ提督による強硬なイゼルローン要塞総攻撃論は、はっきりと総司令官の反対に会い、二人の対決は今後の作戦行動に支障をきたすかと思われた。
この会談の終了後にロイエンタールは密かに、「おれのレンネンカンプに対する考えがあまりに的確に卿の口から出たので、不気味なほどだった」、とベルゲングリューンに漏らした。
「それは私にとっては褒め言葉のようなものです。すべて閣下がおっしゃったことで、それをちゃんと閣下らしく伝えることが出来たということなのですから」
「卿はおれを完璧に演じられるようなのに、おれは卿らしく振る舞うことも出来ん」
「とんでもないことです。先ほどは先日のことを思い出して怒鳴りつけてしまいそうになりました。いろいろ言い過ぎた気がします」
「おれとて、あれ以上のことは出来んさ」
始めの頃は総司令官らしい振る舞い方に悩んでいたのはベルゲングリューンの方だったのだ。だが、ロイエンタールの個性は強く、ベルゲングリューンがそれに合わせていく方がむしろ容易い。ロイエンタールがベルゲングリューンらしく振舞おうとしても、どうしてもロイエンタールの気質がそれを許さなかった。
ルッツのとりなしにより、総司令官とレンネンカンプ提督は互いに怒りの矛を収めた。ルッツ提督のいわゆる同盟軍への『いやがらせの攻撃』は、帝国軍の一方的な猛攻撃で終始するように思われた。だが、レンネンカンプ艦隊が一時は同盟の攻撃を凌駕しながらも、同盟軍の功名な罠に誘い出されてイゼルローン要塞の対空砲塔群の前面に飛び出し、大打撃を受けた。失点を回復しようと逃げ出す輸送船団に迫ったレンネンカンプ艦隊であったが、まさしく火船の罠となった500隻の輸送船が爆発するに及んで、帝国側の敗北は決定的となった。レンネンカンプ艦隊はルッツ提督が同盟軍に横撃を加えたことにより辛うじて救われたが、帝国軍は多数の艦艇と戦死者を出して退いた。
「失った艦艇は2000隻余り、戦死者は20万人を越えます。レンネンカンプ艦隊の攻撃に端を発した今回の損失は、この度の征旅における閣下の英名に傷をつけるようなものです」
レッケンドルフ大尉が言葉は激しいものながら、淡々とした口調で総司令官と参謀長に向かって述べた。
ベルゲングリューンは全く副官と同意見だったが、それを述べるのはさし控えた。
「これでレンネンカンプ提督を押さえやすくなったのは確かだがな。それにしても、同盟軍がこのような策を弄したのはこの先、本当に脱出する際にこちらの追撃を鈍らせるためだろう」
そう言ってからロイエンタールを見ると、じっと探るような視線を向けて来た。
「では追撃の準備をいたしますか」
「追う?」
神妙そうにしているが、まだ詳細を話し合っていないことについて、レッケンドルフの前でわざわざ聞くのだ。ベルゲングリューンを試しているのだろうが、その手は食わない。
「なぜ負う必要があるのだ。奴が逃亡してくれれば、我々は労せずしてイゼルローン要塞を手中に出来るのだから」
よろしい、と言いたげにロイエンタールが力強く頷いたので、ベルゲングリューンは少し得意だった。
その後、二人だけになった時に、ヤン・ウェンリーを野に放つことで後日帝国軍にとって憂いの元になり得るのではないかという点を指摘した。それに対して、「狡兎死して走狗煮らる、ということわざを知っているか」とロイエンタールは答えた。
―獲物がいなくなれば、それまで大事にされていた猟犬も不要となり、煮て食われる運命になり果てる。
そのような言葉を余人が聞けば誤解を招く。『ベルゲングリューン』の言葉など人は重要視しないだろうが、それにしても危険な発想だ。
恐らく、ロイエンタールは親友のミッターマイヤー相手であっても、このような言葉を軽々しく口にすることはあるまい。ベルゲングリューンは今や、ロイエンタールの思考を体現する鏡である。ベルゲングリューンと話し合うことでより思考が深まるというのであれば、ロイエンタールからそのようにして心中を打ち明けられ、頼られるのは嬉しいことだった。
だが、そう思いながらもベルゲングリューンの心は重かった。ロイエンタールがこのような不穏な言葉をもてあそぶのはなぜだろう。時として現れる、ローエングラム元帥に対する明らかな反抗心は、元帥の第一の部下の一人であるロイエンタールが玩具にするには危険すぎる代物だ。いつでも麾下の軍を率いて元帥を凌駕することが出来ると言う可能性を肩先に浮かべながら、ロイエンタールは命令に従っている。そのことに、あの若き元帥は気づいているのだろうか。
―閣下の反抗心はハミから逃れようとしている悍馬のようなものだ。この悍馬の手綱を握っているのは元帥なのだろうか。
ベルゲングリューンの背後にじわりとある考えが忍び寄って来た。その手綱を握る者が誰であろうと、現在のロイエンタールは『ベルゲングリューン』である。『ベルゲングリューン』がどのような反抗心を持ち合わせていようとも、中将の地位にあるとは言え一介の艦隊参謀長などに注目する者はいない。自分が『ロイエンタール』をこの先もずっと演じ続ければ、ロイエンタールは自ら危険に飛び込むようなことは出来ない。参謀長をそばから離さずずっと傍らに置いておけば、彼の悍馬はベルゲングリューンが統御することが出来るだろう。
ロイエンタールを本来の姿ではなく、今の無力なベルゲングリューンの姿のままに留めておけば、彼はずっと安泰だ。
激しく首を振って、ベルゲングリューンはすぐさまこの考えを打ち捨てた。
―馬鹿な…! 本来の閣下を取り戻すことを拒否するなど、ひどい冒涜だ。
仮に、ロイエンタールを危険から遠ざけておくことが出来たとしても、ロイエンタールが本来享受するべきあらゆる可能性を否定して、それで彼のためになると言うのか。上級大将としての彼、元帥の厚い信頼を受ける彼、帝国軍のあらゆる将兵の尊敬を受ける彼、その多くは彼自身がなした功績の当然の結果なのだ。
―閣下の御身を大切に思うあまり、閣下がご自分らしく生きる道を邪魔立てするようなことはすまい。絶対に閣下に元に戻っていただく。元に戻られた閣下が何をなさろうと、俺もすぐお側にいるのだ、何だってお助けできるはずだ。
ベルゲングリューンはトリスタンの艦橋に参謀長を従えて立ち戻った。今は『ロイエンタール』の姿を借りているだけ。どのようにすれば元に戻れるのか、いまだその方法は見つけることが出来ないが、必ずロイエンタールにこの身体を返す日が来る。その時には元に戻ったベルゲングリューンもきっと閣下のお側にいるはずだ。

1月19日、イゼルローン要塞は同盟軍より解放され帝国の所有の元に戻った。帝国軍が要塞へ乗り込むに当たっては、同盟軍により巧みに隠された極低周波爆弾の撤去などもあった。同盟のそのやり口に姑息な真似をすると司令官も参謀長も思ったが、ヤン・ウェンリーというのは打てる手はすべて打つ男のようだ。
安全が認められてようやく、総司令官は幕僚たち、指揮下の2提督を引き連れてイゼルローン要塞へ足を踏み入れた。
ヤン・ウェンリーがつい数時間前までいた司令官執務室は、まだ新しい主を迎え入れることが出来ずにいた。技術士官や警備兵たちがコンピュータのセッティングをしたり、安全設備の入れ替えをしたりする必要があるのだった。
「せっかくですので、外の公園で新鮮な空気を吸っていらっしゃったらどうでしょう」
執務室の準備を取り仕切るレッケンドルフはそう言って、司令官を埃舞う慌ただしい室内から追い出した。
「その公園が安全ならば、参謀長を連れて行ってみるか」
ベルゲングリューンがわざわざそう言ったのは、もちろん、ロイエンタールが安全に過ごせるように確認したかったからだが、上官の言葉を聞いてレッケンドルフはこわばった表情になった。
「もちろん、安全であることは確認済みです。私がお供出来るといいのですが、ベルゲングリューン中将がご一緒でしたらいっそう安心です」
副官が参謀長の名を口にした時、苦虫を噛み潰したような表情になったのは気のせいではあるまい。その公園は人工の太陽とはいえ柔らかな光が降り注ぎ、緑の木々が生い茂って、芝生のあちこちに休憩に良さそうなベンチがある、なかなか気持ちの良い所だった。
「なるほど、執務室の近くにこういった公園があるとは、以前いた時は気づかなかったな」
衛兵が聞こえないところでロイエンタールが言うと、ベルゲングリューンも頷いた。
「私がここにいた時はまだ若輩で、司令官執務室付近には近づくことすら出来ませんでした。閣下もそうでしたか?」
「ここへ初めて赴任した時はまだ中尉だった。ミッターマイヤーと初めて会った時だ。卿もまだ将官ではなかったのだな」
ロイエンタールは穏やかな微笑みを見せた。『ベルゲングリューン』の表情筋はロイエンタールが感じている懐かしさをはっきりと表現していて、見ている者の胸をちくりと刺した。
―もし、ミッターマイヤー閣下が『ベルゲングリューン』と新しい友情を育めるなら…。
その展望は二人が元に戻れない可能性を示している。そんなことは仮定であっても考えるべきではない、とベルゲングリューンは首を振った。
ロイエンタールはぶらぶらと司令官が行く道とは違う方へ足を向けた。
「閣下? どちらへ?」
「レッケンドルフに聞いたところでは、民間人の居住区のほとんどの安全が確認されたそうだ。もう少しあちらへ行ってみよう」
本来ならば行き交う人で賑やかなはずの道には当然ながら誰もおらず、ゴーストタウンさながらの民間人居住地区は、店のシャッターが閉まり、民家に人の気配はない。人工のものとはいえ穏やかな天気の下、誰もいない静かな通りをロイエンタールと二人だけでそぞろ歩くは心躍ることだった。その手を取れたらと言うのは贅沢にせよ、彼と隣り合って歩ければ言うことなしなのだが高望みはするまい。いずれにせよ護衛の存在は彼の安全のために妥協するしかないが。
洒落た外観のバーまでたどり着くと、ロイエンタールは店のテラスの椅子に腰かけた。
「この店の馴染みでしたか?」
「いいや。そうだとしても覚えていない。だが、こんなような店にはよく行ったな」
今は点灯していない店のネオンサインを指さして、「店主も同盟から来たのだろうし、この2年半違う店だったのだろう。ほら、店の名前も同盟語だ」
そういうと、ロイエンタールは立って暗い店内を窓から透かして覗いた。ベルゲングリューンも椅子に座って、彼と来るならこんな賑やかそうなバーも悪くないな、と考えた。いきなり静かな店で彼と差し向かいで飲むのは緊張するだろう。
「ベルゲングリューン!」
呼ばれて「はっ!」、と咄嗟に勢いよく立ち上がって答えたが、自分のふるまいに気づいて慌てて衛兵たちの方へ振り返った。衛兵たちは控えめに二人から離れたところに立って、店の周囲を見張っている。今のやり取りに気づいたとしても、異常を察知したような様子を見せなかった。
ベルゲングリューンが自分の迂闊さに舌打ちしつつロイエンタールの方へ行くと、彼はバーのガラス張りの扉を開けて戸口に立っていた。
「鍵を壊したんですか。いけませんな」
「もとから開いていたんだ。慌てて出ていって、戸締りなんか思いつかなかったのだろう。戻るあてはないのだからな」
「それはそうですな」
赤いレンガの壁に黒光りするカウンターがある店だった。壁には額縁に入った写真やポスターが飾られて、それらは同盟語ながら帝都にもよくある若者向けのバーと変わりない。同盟の残したものを懐かしく感じるのが不思議だった。
物思いにふけっていると扉を開け閉めする音がして、振り返るとロイエンタールがカウンターの中に入り込み、冷蔵庫からビールの小瓶を取り出していた。
「閣下…!」
「同盟軍が撤退したのちも要塞内の電力は稼働していた。ちゃんと冷えているな」
同盟の遺留品をあまりいじっては略奪行為と受け取られる。心配するベルゲングリューンをよそに、ロイエンタールはビールの小瓶を矯めつ眇めつしている。
「閣下、いずれこれらの店内を改めるものも参りましょう。あまり、そこら中に手を付けないでください」
「ほら、ベルゲングリューン、これを見てみろ、帝国産のビールだ」
言われてビールのラベルを見ると、確かに帝国でよく飲まれる黒ビールの銘柄だった。
「これは不思議ですな。帝国と戦いながら帝国の酒を飲んでいたわけですか」
「裏側をよく見ると、販売元がフェザーンの業者になっている。同盟のご立派な経済構造の内部にはおそらく、フェザーンの資本が入り込んで幅を利かせているのだろう」
「ははあ、フェザーンですか」
ベルゲングリューンの瞳の奥で、ロイエンタールの知識の冴えがきらりと見えた気がした。
「察するに、元帥閣下はフェザーンに本拠を置かれるおつもりかもしれん。帝国がフェザーンを統治下に置くからにはその経済動向には今後注意が必要になって来る。小なりと謂えども強靭なフェザーンの資本経済の下で帝国が太刀打ちできるかどうか…。この問題についての報告がレッケンドルフから上がって来ていたのだが…」
すべて読み通す前に現在の状況になったが目を通したか、とロイエンタールは聞くのだった。ベルゲングリューンは慌てて首を振った。
「私などそのような報告が上がって来ても、さっぱり理解できないに違いません。経済について私に分かることと言えば、フェザーン人は商売上手だと言うことくらいで」
ベルゲングリューンは内心青くなった。もし、元帥閣下からそのようなご下問があったら、一言も答えられまい。そんなことになったらロイエンタールの名を汚すどころではない。ロイエンタールの実務的管理能力がずば抜けていることは幕僚の者たちには周知のことである。元帥閣下が今後の占領地統治にロイエンタールの能力を当てにしているとしたら…。
「閣下、絶対元に戻りましょう…!」
ベルゲングリューンの様子があまりに必死なので、ロイエンタールはプッと噴き出した。そして首を振りつつ、ビールの小瓶を元通りに冷蔵庫に入れた。
「元に戻ることを考えるより、卿が経済の勉強をした方が早いな」
「そんな…、閣下! どうか諦めないでください…」
「ベルゲングリューン、いずれにしても卿もおれの側にいる以上、経済について無知でいることは出来んぞ。少しは勉強することだ」
困惑するベルゲングリューンの肩を叩くと、扉を開いてバーから出て行った。

司令官執務室の体裁はようやく整った。この部屋を中心にして要塞内のコンピュータシステムを再構築する計画だが、完了まで時間がかかるだろう。総司令官の机には紙で出力された書類が日々、山積みになっていった。参謀長はしばしば総司令官の書類仕事の手伝いに駆り出された。自分が処理できない分野の書類が副官と二人っきりの時に回ってきたらどうする、というのがベルゲングリューンの最新の悩みだった。それを回避するにはなるべくロイエンタールには司令官執務室にいてもらうことだ。
ところが、ロイエンタールを昼食に送り出して一人でいたところに、思いがけずレッケンドルフが休憩から早めに戻って来た。ベルゲングリューンは慌てたが、いずれロイエンタールも戻るに違いないと、心を落ち着けた。
レッケンドルフは何やら固い表情をしている。
「実は、由々しき事実が発覚いたしました。同盟軍が遺棄した補給物資を不当に着服しようとする者がおりました」
要塞に来た日、ロイエンタールがバーで見つけたビールのことを思い出して、ベルゲングリューンは一瞬心臓が飛び跳ねた。だがもちろん、あれは手を付けずに元に戻した。それに、軍の補給物資などではない。
「不正を為した者について、誰の仕業か判明しているのか」
「はい。すでに憲兵が取り押さえ、監禁しております。軍法会議にかけるため調査を進めておりますが、余罪も相当にあるようです」
その者は艦隊の経理担当士官で、要塞に到着してから経理チームを率いて遺棄された補給物資の確認をし続けていたが、古参の立場を利用してその一部を私物化しようとしていたという。
「初犯ではないと言うことならば、こやつ一人の仕業ではないかも知れぬな」
「はい。着服した物資を金にするか、どこかへ横流しするにしても人手が必要でしょうから、仲間がいるに違いありません。その点も現在、憲兵が尋問しています」
尋問は机と椅子以外には何もない、鈍い青色の壁の四角い部屋の中で行われていた。軍法会議にかけられることは確実であり、そうなればもう軍での将来などない。士官は悄然とするどころかむしろ、ふてぶてしく自己弁護の言葉をまき散らしていた。
『この戦で死んだ奴らが生きていたら使い込んだに違いない物資を、生き残った俺が有効に利用してやったんだから、感謝してほしいところだ』
取り調べ室の内部を克明に映し出した別室のモニタで、ベルゲングリューンとロイエンタールは士官の言葉を聞いていた。
「勝手なことを言う」
「身勝手だからこそ、着服などするのだろう」
部屋の中では憲兵が無表情のまま尋問を続けていた。
『これほどの量、まさか卿一人で帝国軍から奪えたわけがないな』
『俺にとっては大した量じゃないさ。だいたい、ローエングラム公に比べれば俺がしたことなんか、大したことじゃないだろうが』
『元帥閣下を引き合いに出すとは不敬も甚だしい』
『だって考えても見ろ、ローエングラム公は国を奪おうとしているんだ。国を盗み取ろうとするよりまだ、俺の方がましだろう』
ベルゲングリューンは馬鹿々々しさに舌打ちした。
「まったく、提督たちがどれだけ苦労を積み重ねて勝利を収めてきたか、こやつには想像力がないのか…! 物資の着服なんぞと比べるのもおこがましい。この度の戦だって、一つとして簡単に勝てた戦闘などなかった」
隣でロイエンタールも嘲るように鼻で笑った。
「こういった輩には元帥閣下の真の偉大さは分かるまい。自分も国を奪ってみればいいのだ。無論この者にそんな力量などなかろうが」
ロイエンタールの冷笑には何か言い知れぬ暗さがあり、ベルゲングリューンはさっと上官の方を見た。表面上はいつも通りの不敵な表情だった。
「この者を公開の軍法会議にかける」
『ベルゲングリューン』の声音でロイエンタールの言葉が冷ややかに紡がれた。
「判決は決まっている。軍律を正すため、また、同様の犯罪抑止のためにこの者は死刑に処する」
ベルゲングリューンは頷いた。ここは戦場なのだ。

 

​面影を抱きしめて

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