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9、

 

ロイエンタールの指揮下にはルッツ大将並びにレンネンカンプ大将がいる。両者ともローエングラム元帥の信頼厚い提督である。その日、ベルゲングリューンはこれらの提督たちと直接通信せねばならず、朝から緊張していた。参謀長と事前に綿密な打ち合わせをした方がいいだろう。だが、ロイエンタールとはあの恥ずべき日以来、必要最低限にしか関わらないようにしてきた。敵への対応は現状維持を続けており、参謀長と新たに協議する必要がなかったためそれで間に合っていた。
しかし、あまり彼を避けているようでは総司令官と参謀長が不仲ではないかとの噂が立つ。ここは私情を廃してロイエンタールに対面せねばなるまい。
両提督と通信するにあたって、前もって両艦隊から現状報告があった。ルッツ提督からの報告には特に気になる点はなく、旗下の艦隊を手堅く統制していることが伺えた。レンネンカンプ艦隊も同様だったが、そこに添えられた提言には首をかしげた。
艦橋の司令官席でそれを読んだベルゲングリューンは、参謀長に声をかけた。周囲に多くの人がいて、彼らの様子を伺っているのであれば、ロイエンタールもあの時のことに関わる何事かを言うことはないだろう。
―この俺が閣下と二人だけでお話しできる、せっかくの機会を避けるとは情けない。
「ベルゲングリューン、どう思うか」
参謀長は声を掛けられて、意外そうに眉を上げた。しばらく任務についてもその他のことについても、他人行儀を貫いてきたのだから、当然と言えば当然だった。司令官から手渡されたレンネンカンプ提督の報告書を、何も言わずに受け取った。
ベルゲングリューンは咳払いして、司令官として普通の声の大きさで話しかけた。
「この度のイゼルローン要塞攻略がいかなる意味を持つか、レンネンカンプもよく分かっているはずだが」
ロイエンタールは頷いて、少しかしこまった参謀長らしい調子で答えた。
「はい。ですが、それでもなお、華々しい戦果により、我らの手でイゼルローン要塞を手中に収める可能性を捨てきれないのでしょう」
「我ら、というより、彼自身の手でということかな」
「恐らく」
レンネンカンプは大将の地位にあるが、彼より年齢的に若く軍歴の浅いロイエンタールの指令を受ける立場にいる。だが、この遠征の初めからロイエンタールから命令がある都度、それが自分の責務と言わんばかりに、いちいち提案付きで返答してきている。熱心さの表れと言えないこともないが、あまりに過剰ではあるまいか。
ここでベルゲングリューンは声を落として呟くように言った。
「どうも、閣下のご意向に逆らうような態度が許されると勘違いしているようです」
「彼は公平な人物だとの評を聞いたが、それも自分の目的にかなう場合に限ってのことなのだろう。戦において大局を見て適切な判断が出来るかどうかはまた別の話だ」
まっすぐに伸ばした上体を総司令官の方へ屈めて、参謀長はかしこまっているが、実際に口にしているのは皮肉交じりの言葉だった。
参謀長はやがて腕組みする総司令官に言った。
「閣下、ここはそろそろ次の段階に進んではいかがでしょう。敵主砲の内懐へ入り、一撃離脱方式で接近戦に持ち込むのです。その際、主な攻撃をレンネンカンプ艦隊に担っていただけば、提督からの提言にも沿い、理に適うかと存じます」
もともとの計画ではロイエンタール直属の艦隊からの攻撃を主として想定していたが、それをこの際利用しようと言うのだ。ベルゲングリューンにはロイエンタールの目的が分かった。
「それがレンネンカンプにとってガス抜きになるか」
「御意」
12月9日、帝国軍の猛攻がイゼルローン要塞に向けて開始された。レンネンカンプ艦隊はロイエンタールが司令した一撃離脱の戦法に従って巧みに戦っている。だが、イゼルローン要塞側もそれを受けて巧緻なまでに途切れることなく対応してくる。さすが魔術師と言いたいところだが、応戦するので手いっぱいの様子であるのはベルゲングリューンにも見て取れた。
「敵がかのペテン師でなければもう少し攻めきれたかもしれんな。レンネンカンプもよくやっているが」
「しかし、閣下の戦略としてはこれで十分と言うことになりますか」
参謀長としての顔を崩さず、ロイエンタールは微かに頷いた。
ここで勝ち抜くことに意味はないのだ。猛攻撃の後、帝国軍は2000隻以上の艦艇を失って軍を退いた。イゼルローン要塞側の損失も明らかだったが、この猛攻に耐え抜き、それは今後も変わりそうにない。
表面的には帝国側の作戦の失敗。これから総司令官ロイエンタールから帝都へ向けて、ローエングラム元帥に増援の派遣を求める。帝都周辺星域にて待機中のミッターマイヤーらにイゼルローン要塞攻略の増援軍の指揮が命じられるであろうが、その真の目的はフェザーン侵攻にある。イゼルローン要塞攻略は宇宙を股にかけた陽動であった。
総司令官ロイエンタールは指揮下のルッツ、レンネンカンプの両提督を旗艦に招いた。軍議の体裁を保ちつつ、会議の終わりに食事とワインでもてなした。
「ミッターマイヤー上級大将らの手によって、フェザーン侵攻が大過なくなされるのは間違いない。だがその間、我らもつくねんと手をこまねいている必要はない。むしろ敵方の狼狽をついて攻撃を仕掛けるに最適の時と存ずるが」
レンネンカンプ提督は司令官に熱心に言い募った。
今回の戦闘は陽動でありイゼルローン要塞を徹底的に叩く必然性がない。状況が許せば、イゼルローン要塞を落とすことも叶うだろうが、それは真の目的ではない。むしろ、フェザーン侵攻が成功すれば、イゼルローン要塞の孤高の立場は戦略上崩壊し、それ以上の攻撃は無益化する。それを敢えて徹底的に叩こうと言うのはどういうことだろうか。
―勝たなくては意味がないということか。勝利主義者はやりにくいな。
レンネンカンプは大将の地位にあるが、ロイエンタールを軽く見る傾向と言い、自分との思考回路の違いを感じさせた。とは言え、ここでレンネンカンプの鼻を明かして、ロイエンタールの立場を悪くするわけにもいかない。
「それは卿の働き如何だろうが、今日の同盟の戦いぶりから察するに、言うほど簡単ではなかろうと思うが」
卿などヤン・ウェンリーの敵ではない、と言わんばかりに最後の言葉を付け加えずにいられなかった。それを打ち消すようにワイングラスを掲げて申し訳程度に微笑む。
レンネンカンプは司令官の言葉に明らかに苛立っていたが、向けられた微笑みに苦笑を返した。さすがにここで司令官に反抗する気はないらしい。
少し離れた席で陪食している参謀長はレンネンカンプの言葉に眉をひそめて聞いていたが、司令官と視線が合っても特に何も言わなかった。
出来ればあまり多くの人と身近に会って、その面前で総司令官として演じる危険は冒したくない。だが、ルッツ、レンネンカンプ両提督は日ごろ親交がある提督たちではないから、危険は少ないだろう。ルッツ提督はかつて故キルヒアイス提督の副司令官として善戦し、その信頼も厚かった。ロイエンタールのために、ルッツ提督と親交を深められたら有益だろう。レンネンカンプの独走を押さえるためにはルッツの堅実な手腕が必要なのだ。
ベルゲングリューンはかなり酔っていたに違いなかった。ふいにロイエンタール秘蔵のウィスキーの存在を思い出した。酔っていなければ、それを客人に提供しようなどと思いつかなかっただろう。参謀長はルッツと熱心に戦略について話し込んでいる。それを確認してから、ベルゲングリューンはふらつく足元にも気づかず、寝室にウィスキーを取りに行った。
ロイエンタールの酒を飲んでやろうというのは子供じみているが、彼の慌てる様子をぜひ見たいと思うとそれ以外のことは何も考えられなかった。
寝室の灯りもつけずにキャビネットの中を探り、中からウィスキーを取り出した。さて立ち上がろうとすると後ろから肩に手が置かれた。
「司令官閣下、よろしければお時間をいただきたいのだが」
レンネンカンプ提督の声にベルゲングリューンは驚いたが、辛うじて顔に出さずに振り返った。
「すぐあちらへ戻る」
「いや、他にはもらしたくないので、ここでお聞き願いたい」
別に構わないだろうと頷いたが、そのロイエンタールらしからぬ素直な態度が良くなかったのかもしれない。気がつくと薄暗い寝室のベッドに二人並んで腰かけ、両手を取られて、レンネンカンプにすべて任せれば総司令官の手中にイゼルローン要塞を収めることが出来る、と説得されているのだった。
「すべて…?」
「そうです。この度の戦略には隙も多く甘いところがある。ベルゲングリューン中将の才にケチをつけるわけではないが、もっと攻めようがあるかと存ずる」
ベルゲングリューンはすっかり酔いが醒めた。
「私に戦略の立て直しをお命じくだされば、即座にイゼルローンに猛攻をくわえ、あなたのこの麗しい手の上に要塞の支配権をお渡ししよう。フェザーン侵攻を果たすミッターマイヤー提督に後れを取らずにすみますぞ」
「卿は分かっているはずだが、このイゼルローン侵攻は要塞奪取が最終目的ではない」
レンネンカンプがカイゼル髭を震わせて笑った。ロイエンタールの冷たい白い手をなだめるように撫でたので、背筋に怖気が走った。
「元帥閣下とてすでに手中にあるイゼルローンを敵に返せとは申されますまい。すべて安心して私にお任せくださればいいのです」
「だが、まだ卿の手中には落ちていないぞ」
手を引き抜こうとしたが、レンネンカンプの両手はがっちりと細い両手首をつかんで離さない。戦況についてかたくなな考え方をしているのはともかく、レンネンカンプの目論見がいったいどこにあるか分からず混乱した。
―本気で閣下がイゼルローン要塞攻略をこの男に任せるなどと思っているのか?
「卿はイゼルローン要塞を徹底攻略したいと言うのか?」
「さようです。私に任せると一言おっしゃればいいのです。さすればイゼルローンはあなたのこの白い手の中に納まるのです」
ベルゲングリューンは立とうとして今度は軍靴の足で足を踏みつけられた。ふらついて、ベッドに倒れ込みそうになったところを、レンネンカンプの腕に助けられた。半ばのしかかられ腰を抱くように支えられて、まさかと思いつつも、何が起きようとしているかようやく悟った。
「おい…!」
「ずいぶん酔っておいでのようですな」
膝を足で抑え込まれ、太腿の内側に手が這った。その手がほとんど股間に触れそうになっては勘違いのしようもない。
「退け!」
頭をレンネンカンプの顎めがけて勢いよく振り上げると、ガツンといい音がした。レンネンカンプが呻いて顎を擦ろうとするところに、軍服の胸を両手で捻り上げ、喉元を締めあげた。
「卿の方こそ酔っているようだな…! すべて任せろだと!? 俺を辱めて言うことを聞かせるつもりか?」
「…ち、ちが…」
「そうか、ではやはり、今のは酔いに任せてのたわ言だったに違いない。イゼルローン要塞を落とすなど、卿一人の力で出来るはずがないからな…!」
自分では落ち着いているつもりだったが、気づけば声を限りに怒鳴りつけていた。レンネンカンプの顔色が真っ赤を通り越してどす黒くなり、いかんと思って手を離した。
「ロイエンタール、よくも私を虚仮に…」
真っ赤な顔で咳き込んで、喉を押さえたレンネンカンプは総司令官に片手を伸ばした。
だが、その手を後ろから押さえる者があった。
「レンネンカンプ大将閣下、旗艦までお送りするシャトルの準備が出来ています。どうぞおいでください」
参謀長が背後からの灯りを背にして、黒々とした影の中で立っていた。その表情はよく見えなかったが、その声音は凍り付くように冷たかった。
レンネンカンプは自分の手を参謀長からひったくった。総司令官の方へ向き直った顔があまりに憎々し気だったので、飛び掛かって来るかと身構えた。だが、レンネンカンプは参謀長を押しのけてそのまま出て行った。

ベルゲングリューンは両手を握って怒りに震えていたが、徐々に収まってきた。そしてどうやら、レンネンカンプ大将をロイエンタールに対する敵対者にしてしまったのではないかと言うことに気づいた。ベルゲングリューンは寝室の戸口に立つロイエンタールを見た。
「閣下…。ついカーッとなりまして…」
「ああ、まあ、仕方あるまい。いつまでもあの男を手玉に取るわけにもいかぬゆえ。せめて、この作戦中はうまく調子を合わせられたらよかったのだが」
上官がどうも聞き捨てならぬことを言った気がして、ベルゲングリューンの視線は鋭くなった。
「まさかあの恥知らずな助平親父は、以前から閣下にあのような振る舞いをしていたのではありますまいな…?」
「まあ、時々な。その都度のらりくらりとかわしてきたが、今夜は酔っぱらった卿が隙だらけであったゆえ、思い切った行動に出たのだろう」
苦笑するロイエンタールにベルゲングリューンは呻いて首を振った。
「あんな男の誘いをのらりくらりと…? 私には到底あなたがなさるように行動することは出来ません」
自分のことは棚に上げて、と一瞬思った。だが、その傍から、
―俺はあんな男とは違うのだ、俺の気持ちはもっと純粋なのだ、あの男の戦の功名と色情を都合よく利用した下劣さとは違うのだ。
と激しい反論が湧き出た。
だが、上官に面と向かって口には出せず、ベルゲングリューンは耐えかねて、ベッドにどさっと腰を下ろした。
「…戦の間は私にもあなたのお考えに近づくことが出来る、とうぬぼれていました」
「その通りだ。卿はよくやってくれている」
参謀長の声音ではあったが、そこにはロイエンタールの労わりの気持ちが現れていた。だが、自分で自分を褒めているようで、彼の言葉を素直に受け取れずにベルゲングリューンは両手を大きく振り回して否定した。
「ですが、その自惚れの結果がこのざまです…! 私にはすべての面においてあなたがなさるようには出来ない…! もう無理です!!」
ロイエンタールのため息が聞こえて、彼の手がベルゲングリューンの背中を軽く叩いた。肩甲骨の間を撫でるその手は、レンネンカンプの手と違い、ベルゲングリューンを我に返らせ落ち着かせた。
「終わったことをあまりいつまでもぐだぐだいうな。どうせ、レンネンカンプとおれとは相容れないのだ。今後は卿が思うように振る舞えばいい」
「しかし、閣下にもいろいろお考えがございましょう。今回のことはいい例です。レンネンカンプ提督などはまだ何とかなりましょうが、他の提督がたや元帥閣下のことはどうなさいます」
ベルゲングリューンはミッターマイヤーのことは言わなかった。ロイエンタールの唯一無二の親友のことを口にするのは憚られた。彼が『ベルゲングリューン』である以上、ミッターマイヤーとは二度と親友付き合いは出来なくなる。そのことを口に出して明らかにするのはむごいことだと思われた。
だが、彼もミッターマイヤーのことを考えていたに違いなかった。
「卿にも親しい友人がいるのだから同様のことが言えるだろう。おれたちはお互いの今までの人生をすべて入れ替えなくてはならんのだから。過去のすべて―」
何か別のことを考えているようなぼんやりとした言い方だった。
戦場であれば総司令官と参謀長は常に一心同体だ。戦術の一つ一つはよく話し合えばロイエンタールの理論の道筋を間違えることなくたどることが出来る。反対に、人間関係においてはロイエンタールが言うように、ベルゲングリューンの好きなように、臨機応変にするのが一番簡単だろう。だが、そうやってベルゲングリューンの意志を反映し続けていると、『ロイエンタール』を無傷のまま返すことは難しくなるだろう。もう二度と元に戻るつもりがないなら、それでもいいかもしれないが…。
彼は元に戻ることよりも、現状を受け入れようとしているように思える。それは以前にも感じたことだった。だが、まさか、そんなはずはあるまい。彼の地位、元帥が寄せる彼への信頼、誰が見ても明らかな親友との深い絆…。
ロイエンタールは先ほどレンネンカンプが座った場所に、それとは知らずに腰掛けていた。腰にするすると腕をまわして来て、ベルゲングリューンの肩にそっと額を乗せる。『ロイエンタール』の身体より『ベルゲングリューン』の身体の方が厚みも背丈もあって大きい。だが、その身体が慰めを求めるようにベルゲングリューンの胸に頬を擦り付けてきた。
「…閣下?」
「じっとくっついていれば魂が戻りやすくなるのだろう…?」
くぐもった返事が返って来た。その仮定はもう成り立たないことが証明されたようなものなのに。恐らくは―。
だがもちろん、彼も不安を感じているに決まっている。すべては不安を押し隠すための虚勢なのだ。
「卿を誘惑する奴らはたくさんいる。自分の艦にいても隙を見せるな」
ぼそりと言う言葉で彼が心配してくれていることが分かり、心が熱くなった。
手を伸ばして頬を撫でるとざらざらとした肌が指先に触れて、『ベルゲングリューン』の身体はこの時間には髭がまた伸びてしまうことを思い出させた。1日過ぎた後でも比較的滑らかな『ロイエンタール』の肌に慣れてしまっていることに、ベルゲングリューンは恐れをなした。

 

​面影を抱きしめて

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