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あかつきに咲く花

目次

 

1、 2、 3、 4、 5、 6、 7、 8、 9、 

1、

 

慈善団体、トゥテラリィ協会の理事室の扉が開いた。
「フロイライン・フォン・コールラウシュ、この軍人さんたちを案内してレギーナ地区を回りますからね。本当はわたくし一人で十分ですけど、あなたも経験を積むために私のアシスタントとして同行するようにという理事会の指示ですから、その言葉に従いましょう」
理事長と客人との面会を終えたケーラー男爵夫人が廊下で待っていたエルフリーデに言った。夫人は言葉の最後を言いながら扉の向こうを睨み付けた。
扉を押さえて夫人を先に通した軍服姿の男が、外で待っていた部下に皮肉めいた声をかけた。
「レッケンドルフ、ケーラー男爵夫人のご案内でレギーナ地区へ視察に行く。元帥閣下に報告書を提出せねばならん」
「…はっ」
部下にあてていた視線をゆっくりと巡らせて、その瞳の強い光がエルフリーデの元に降り注いだ。
夫人の後から彼が現れた時から、エルフリーデはじっとその顔を見つめていた。
―オスカー。
彼とは思いがけない場所で出会うことが定められているようだ。

 

二人の婦人と二人の軍人は協会差し回しの大型地上車に乗り込んで、レギーナ地区へ向かった。運転席を背にしてオスカーが座り、その隣にオスカーの部下のレッケンドルフが座った。ケーラー男爵夫人はオスカーからエルフリーデを遠ざけようとしているのは明らかだった。彼女をレッケンドルフの前に座らせたが、そうすると夫人自身がオスカーの目の前に座ることになる。どうやらそのために夫人はジレンマに陥ったようだ。
レギーナ地区までの道のりの間、いらいらした様子で夫人はずっとエルフリーデの方を向いて座っていた。
オスカーの部下の青年がこちらを好奇心も露わにこちらをじっと見ていることに気づきながらも、エルフリーデはオスカーの顔から目を離すことが出来ずにいた。
彼の顔を明るい日の光の下で初めて見たのだ。
滑らかな乳白色の頬の上の瞳が、片方は青く、もう片方は暗い色をしているように見えるのは、光の加減か、目の錯覚だろうか?
エルフリーデは彼の瞳をなんとか捕えようと苦心した挙句、少し車に酔ってしまった。
「わたくしがローエングラム元帥府に伺った時、キルヒアイス中将と言う方が応対してくださって、その方も元帥閣下もわたくしたちの慈善の取り組みにとても興味を持ってくださったわ。その方が名代としておいでになればよろしかったのに」
夫人がエルフリーデの方を見ながら突然言ったので、当のエルフリーデはオスカーと夫人を見比べ、レッケンドルフと目を見合わせた。
エルフリーデの視線に気づいてオスカーも彼女をちらりと見た。その視線は緩やかに夫人の方に向けられた。
「キルヒアイス中将はさる任務により艦隊を率いて出撃しています。そのため、仕方なく元帥閣下が私をこちらへ寄越されたのは先ほど申し上げた通りです」
あくまで夫人はエルフリーデの顔を見つめながら続けた。張り付いたような笑顔を保つ夫人の頬が震えた。
「ローエングラム元帥府には有能な若い軍人さんがたくさんいらっしゃると聞いたわ。きっと、キルヒアイス中将のようにお優しい心の方は他にもいらっしゃったでしょう」
「残念ながら、ポーカーの勝負で慈善事業の担当者を決める様な無骨な軍人どもの集団です」
「あなたが負けて、それで担当になられたの?」
「エルフリーデ!!」
夫人の声にエルフリーデは肩をすくめた。思わず釣り込まれて聞いてしまったが、してはいけないことをしてしまったらしい。その証拠に夫人に睨み付けられ、オスカーが低い声で笑っているのが聞こえた。
「いや、勝ったのだが、元帥閣下は勝者に任せるとお決めになってしまった」
オスカーは彼女をじっと見てその瞳は楽しそうに和らいでいた。エルフリーデは自分の口がぽっかりと開くのを自覚した。
その瞳は確かに左右で色が違った。エルフリーデは彼の瞳の奥をのぞき込むようにして見つめ続けた。彼もエルフリーデを見ているようだった。そうでなければこれほど彼の瞳を正面から捕え続けることは出来ない。
エルフリーデは突然、ケーラー男爵夫人に腕を引っ張られた。
「フロイライン・フォン・コールラウシュ! 淑女らしくまっすぐ前を向いてお掛けなさい!!」
金切り声で叱られて、エルフリーデは真っ赤になって、急いで視線を外した。
夫人に悟られぬようにそっと視線だけを上げると、すぐそこに彼の顔があった。片頬を歪めた微笑みで夫人を見ている。
オスカーの切れ長の目から放たれる視線は鋭く、冴えわたる瞳の輝きにエルフリーデは目が離せなくなった。自分が見たものが確かに現実のものか分からず、視線だけで何度も見返した。

 

ケーラー男爵夫人はオスカーをエルフリーデに紹介するつもりはないらしかった。いったい何が起きているのか、彼女に説明する必要を誰も感じていないようだ。
察するに、どうやらオスカーはローエングラム元帥の部下らしい。ケーラー男爵夫人が過日、元帥に寄付のお願いをしに面会したことは、トゥテラリィ協会に参加している他の少女たちが羨ましがって騒いでいたので知っていた。元帥はトゥテラリィ協会の慈善の取り組みに興味を持たれて、オスカーを派遣されたのだろうか。
協会の取り組みの一環に、大人向けの古着のシャツやズボンを子供たちのために作り替えると言う地道な作業がある。縫物が好きなエルフリーデは、彼女と同じような女学校出の少女たちと一緒に毎週水曜に集まって、その作業をしていた。その最中に彼女はケーラー男爵夫人のアシスタントとして呼び出されたのだ。どうやら夫人とともに、ローエングラム元帥の名代を案内する役割を担うことになったらしい。
しかし、彼女も春から参加し始めたばかりで、協会が支援している施設を見学するのは初めてだった。訪れた孤児院で、子供の絵などを院長から見せられてもオスカーは興味がなさそうだった。一方、エルフリーデは子供たちの部屋や食堂など、隅々までじっくりと見て周った。女学校に在学当時も寄宿舎に入らず自宅から通った彼女には、知らない者との共同生活というものが非常に珍しく、楽しそうに思えた。
「この部屋で大勢で一緒に暮らすって楽しいでしょうね」
大きな窓のある明るい日差しが差す食堂で、エルフリーデは孤児院の院長に向かって言った。だが、彼女の言葉に答えたのはオスカーだった。
「なぜ楽しいだろうと思う?」
「だって…。この絵を描いたのも、飾りを作ったのも子供たちだと院長先生が仰ってたでしょう。楽しくない子供はこういうカラフルな絵を描いたり、部屋をきれいにする飾りを作ったりしないと思うの」
しかし、オスカーはその言葉を受け入れがたいと言いたげに、片方の眉を上げて彼女を見下ろした。
ふいにエルフリーデは気づいていった。
「ここで暮らす子たちは孤児なのよね。お父さんは戦死して、お母さんもいない…。たぶん悲しい気分の時もあるだろうけど、でも…。きっと子供たちもここでなら、少しの間悲しいことを忘れて、楽しく暮らすことが出来るのじゃないかしら」
エルフリーデが食堂の中を見渡すと、オスカーも部屋の中に視線をめぐらした。まるで初めてそれに気づいたかのように、黙って壁に飾られた絵や、写真を見ていた。

 

視察を終えて、地上車が協会の建物に着くと、挨拶もそこそこに夫人はエルフリーデの腕を引っ張って奥に引っ込んでしまった。車中でオスカーが言った言葉が夫人の逆鱗に触れたのだ。
孤児院の後には職業訓練学校を視察し、夫人はさらに別の施設へ軍人たちを案内しようとした。だが、それを遮ってオスカーが言った。
「ケーラー男爵夫人、先ほどのような場所に連れて行かれるおつもりなら、もう結構。こちらで視察するべき場所を選定するので、そこを次回ご案内いただこう」
当然ながらケーラー男爵夫人はむっとしたようだった。
「今の学校のどこがご不満ですの」
エルフリーデにはオスカーの瞳が鋭く光ったのが見えたが、しばらく夫人の言葉には答えなかった。
「ともかく、私は元帥閣下にしかと報告をしなくてはならない。閣下も姉君が興味を持たれているとご存じなければ、慈善などには関わるおつもりはなかっただろうが…。しかし、いったん関わると決められたら、中途半端は嫌われる方だ。―レッケンドルフ」
オスカーは部下の青年に鋭いひと声を掛けた。
「はっ」
「しばらく視察のために時間を取る必要があるな。今後のスケジュールは?」
「今月末まで、ちょうど毎週水曜日のこの時間は空いていらっしゃいます」
青年は懐から小型の端末を取り出したが、中身を見ずに答えた。予定を覚えているか、前もって確認していたのだろう。
「よし。先ほど理事長から預かった書類の中に支援先のリストがあった。その中から見るべき場所をこちらで選別しよう。ケーラー男爵夫人にはこのレッケンドルフから前もってお知らせします。その場所の案内をお願いしたい。あるいは、ご自分が不適切と思われるなら、別の方でも構わないが」
エルフリーデがどんなにぼんやりしていたとしても、オスカーがケーラー男爵夫人に向かって言ったその言葉に、嘲りの色を見て取ることが出来た。
夫人は顔を真っ赤にして憤慨して答えた。
「私は長年この協会で活動しています。私以上の案内は不要ですわ」
夫人は希望する視察先を必ず前もって知らせてくれるようにしつこく念を押すと、後は同乗者には構わず、じっと黙って地上車の窓から外を眺めていた。

 

協会の建物の中に入る手前でエルフリーデが振り返ると、意外なことに軍人たちは二人を見送っていた。エルフリーデが立ち止まったので夫人も振り返ると、オスカーが胸に手を当てて軽くお辞儀をした。それを見ている夫人の表情から、どうやら彼女を苛立たせるためだけに二人が立ち去る姿を見送っていたのではないかと思われた。
「エルフリーデ、これからあの人たちと嫌でも付き合わなくてはならなくなってしまったけれど、あなたは無理する必要はありませんからね」
「…いえ、私もご一緒してお手伝いするようにというお言いつけですし…」
夫人は腹立たし気にため息をついた。
「そうね。でも、先ほどのように紹介されてもいない男性に話しかけたり、目を合わせたりしてはいけません」
エルフリーデはびっくりして夫人の固い表情を見つめた。
「でも…。立派に帝国のためにお勤めをなさっている方たちですし…」
「たかが成り上がりの帝国騎士ですよ。人がましくあんな指図などして本当に図々しい。私はあなたのお母さまからあなたをお預かりしているのですから、お母さまのお言いつけと思って私の言うとおりになさい。今後、勝手にあの人たちと話さないこと」
その義母でさえ、オスカーを忌避するような態度はとらなかったというのに、ケーラー男爵夫人がこれほど社交の決まりごとに厳しい女性とは知らなかった。平民ならともかく、帝国騎士なら蔑むのは不当だ。このような態度はいくらなんでも度が過ぎると思った。
「エルフリーデ、分かったわね」
反論を許さない、と言いたげだった。
「…はい」
心に釈然としないものを感じつつも、エルフリーデは夫人に面と向かって反論することは出来なかった。

 

アンカー 1

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