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再び、2週間前と同様にエルフリーデはケーラー男爵夫人のお供として、オスカーとその部下の視察に同行した。夫人は先週の視察の予定がなかったことをエルフリーデに伝え忘れたことを謝った。当日の朝伝えるつもりだったのだが、体調が優れず忘れてしまったのだと言う。エルフリーデは夫人の謝罪を快く受け入れたが、細かい気遣いの出来る女性ではないのだなと思った。年上の経験ある女性に対してそのような批判的な感想を持つとは、オスカーの皮肉な考え方の影響を受けてしまったようだ。
視察は今月限りで終了すると言うことだった。だから、オスカーと一緒にいることが出来るのは今回で最後のはずだ。だが、エルフリーデはあまり気にしていなかった。父が言った「精いっぱいのことをする」と言う言葉を別にしても、彼とはまた会える気がしていた。今度はどこへ行けば彼に会えるか知っている。彼の上官のローエングラム元帥がいる元帥府とやらに行けばいいのだ。それがどこだか、エルフリーデは知らなかった。官庁街のどこかだろうが、後で調べてみようと思った。あるいは父なら詳しく知っているかもしれない。
婦人たちと軍人の一行は園芸を専門とした職業訓練学校を訪問した。この学校は戦災孤児を多数受け入れ、そのための奨学金制度の運営のため、トゥテラリィ協会が大いに支援している。
校長はおそらく20代後半かと思われるきりっとした顔立ちの女性で、きびきびとエルフリーデたちの前に現れた。エルフリーデたち一行は誰が代表か分かりにくいグループだったが、過たずオスカーの前に出て、さっと手を差しだし、校長のフラウ・ライマンだと自己紹介した。
エルフリーデが驚いたことに、オスカーはその手を取って男同士がするように握手をした。
「突然の訪問にも関わらず、我々をご案内いただけるとのこと、感謝する、フラウ・ライマン―」
突然、ケーラー男爵夫人が声を上げた。
「まあ…! あなた、フロイライン・フォン・シュヴァルツェンベルクではなくて!?」
「あら、確かに私の旧姓はシュヴァルツェンベルクと申します―」
男爵夫人は自分の記憶の確かさを喜ぶかのように手を叩いた。
「まあまあ、あの頃あなたは社交界では大人気でいらしたのに、一介の若い商人と結婚してしまわれて、私はたいへん驚いたものでした。それではその商人がライマンという名前なのね」
夫人の言葉はエルフリーデの耳にもたいへん不躾に聞こえた。フラウ・ライマンは眉を上げてケーラー男爵夫人の言葉を聞いていたが、にっこり微笑んで答えた。
「ええ、その通りです。私の学校にようこそ。それでは早速ご案内しましょうか」
そういうと一行の先に立って、大股に歩きだした。フラウ・ライマンは校内の温室や実験施設、農場を案内して回りながら、きびきびとした口調で分かりやすく客たちに学校の趣旨やカリキュラムについて説明した。ケーラー男爵夫人がたびたび、フラウ・ライマンに社交界から身を引いてから今までの経緯について聞き出そうとしたが、「そのような個人的なお話は別の機会に」、とぴしゃりと答えて取り合わなかった。
オスカーは興味深い様子でフラウ・ライマンの話を聞き、静かな口調で質問をした。フラウ・ライマンの答えは淀みないもので、時々エルフリーデの方を見ながら、彼女にもよく分かるように説明してくれた。フラウが自分の学校に日ごろから親しみ、非常に良く理解していることは明らかだった。オスカーの態度は落ち着いたものだったが、フラウ・ライマンの目をじっと見て彼女の話に聞き入っている様子に、エルフリーデの胸の内は小さなさざ波を立てた。
フラウ・ライマンは背の高いすらりとした姿で、パンツスーツが良く似合っていた。オスカーの鋭い意見にも怖じずに答えを返すのはもちろん、ケーラー男爵夫人が執拗に個人的な話を持ち掛けるのを冷静にあしらっている。その様子はエルフリーデがそうなりたいと思う大人の女性の姿そのものに思われた。
オスカーと話し込んでいるフラウ・ライマンの様子をケーラー男爵夫人もじっと見ていた。実験室の装置についてオスカーを相手に、何やら説明しているフラウ・ライマンの姿を見て、夫人が小さな声で、「まあ、偉そうなこと…」とつぶやいたのが聞こえた。
熱心に話しながら先に進む二人のすぐ後ろを、ケーラー男爵夫人が歩いて行く。エルフリーデは夫人に話しかけられないように、距離を置いてから後を追った。誰かを妬ましく思ったり、ましてや馬鹿にしたり、恐れたりもしたくなかった。
先を行く3人から離れて歩くと、隣にレッケンドルフ大尉が並んだ。大尉は目が合うとにっこりして、「おいて行かれますよ」、と言った。
このオスカーの気の利く部下の存在にほっと心を和ませて、エルフリーデも微笑み返した。
「少しゆっくり見て行こうかと思って。せっかく学校の見学をしているのに、生徒たちみんな実習で郊外の農場に出かけているなんて残念ね」
「そうですね。でも、最終日に良い学校を見学できてよかったですよ」
やはり、視察は今日で最後のようだ。エルフリーデは頷いて庭に咲く花を眺めた。艶のある葉をたくさんつけた木々が壁に沿って植えられており、1本ごとに赤と白の花が咲いていた。同じ種類の色違いの花は幾重にも重なった花びらをしているが、薔薇のようなあでやかさとは違う素朴な美しさがあった。
「…あれはなんて言う花です?」
レッケンドルフが問うのに、エルフリーデは答えた。
「遠くて良く見えないけど、赤い花はカメリアじゃないかしら。時季が遅いように思うけど…」
白と赤の花はどことなく、彼女の母から譲り受けたあの髪飾りを思い起こさせた。だが、あの花がカメリアならば、実物は大きくてふっくらとした花びらだろう。むしろ彼女が手作りした赤い花飾りの方が似ている。
不意にレッケンドルフが立ち止まった。
「…なんだろう?」
花のことを聞いたのかと思ったが、青年は振り向いて廊下の向こうを見ている。
「何かありましたか?」
「ガラスが割れるような音を聞きませんでしたか?」
何も聞いていなかった。レッケンドルフはちらりと上官の方を見たが、オスカーはまだフラウ・ライマンと話し込んでいる。すぐそばに腕組みして立つケーラー男爵夫人もいた。
「フロイライン、ちょっと失礼。あなたはあの方たちの側にいてください」
そう言うと振り返りもせずに行ってしまった。

 

エルフリーデがオスカーたちの元へ行くと、ケーラー男爵夫人がちょうど口を開いたところだった。
「申し訳ありませんけど、体調が優れませんのよ。もうあまり歩き回るのはやめて、あなたのお部屋で少しお話でも伺えませんこと? いかがです?」
最後はオスカーに挑むように聞いた。
フラウ・ライマンが気づかわし気に男爵夫人の肩に優しく手を置いた。
「まあ、お加減がよろしくないのですか? 確かにお顔が真っ青だわ。地上車を呼んでお帰りになりますか?」
「いえ、少し休めば大丈夫でしょう」
ケーラー男爵夫人がハンカチで口元を押さえて答えた。
「では、この後は私の部屋でお茶でも差し上げましょう」
オスカーには「どうぞ、こちらへ」、と声をかけて、男爵夫人を誘導するように歩き出した。
ハンカチの下から男爵夫人のくぐもった弱々しい声が聞こえた。
「あの青年は? レッケンドルフ…でしたかしら?」
エルフリーデが答えようとすると、フラウ・ライマンが男爵夫人の背中を軽く叩いた。
「ほらほら、他人のことは心配なさらないで。ひどい顔色をなさっているのに」
フラウ・ライマンはオスカーに手伝わせて男爵夫人を校長室へ連れ戻した。
部下の所在を確かめようとしたのか、オスカーがちらりとエルフリーデの方へ視線を向けた。一瞬、エルフリーデと目が合ったが、彼女が何か言う前に男爵夫人の方へ目を向けた。
エルフリーデはレッケンドルフ大尉が戻るのを待とうかと思っていた。ためらっているエルフリーデに気づいたのか、フラウ・ライマンが声をかけた。
「あなたもそんな離れたところにいないで、いらっしゃい」
レッケンドルフがこの場所に戻ったら誰も居なくて困るだろうと思ったが、あの気の利く青年なら、上官はすでに移動したのだろうと気付くだろう。ビジフォンをかけると言う手もある。そう思い、夫人たちについて行くことにした。
ケーラー男爵夫人はとうとうオスカーの腕の中に倒れ込んでしまった。オスカーは夫人を抱えて、フラウ・ライマンの案内で校長室へ運んだ。
「こちらですよ」
フラウ・ライマンが誘導する方向に大きなドアがあった。手動式のように思われたので先に行って開けようと、エルフリーデがオスカーの前に出た。
「鍵がかかっているのよ」
だが、フラウ・ライマンの言葉にもかかわらず、エルフリーデが手を掛けるとドアは滑らかに開いた。
「開いていますわ―」
エルフリーデは室内に入ってすぐ目の前のソファに気づき、後から入って来たオスカーの方へ振り向いた。
その時、前置きもなしに部屋の中から誰とも分からぬ姿が現れ、オスカーに向かって飛び掛かった。
ケーラー男爵夫人を抱えたオスカーがはっとして不審な影に鋭い視線を向けた。フラウ・ライマンの悲鳴とエルフリーデの叫びが、怒号とぶつかり合う音に交じった。

 

あかつきに咲く花

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