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あかつきに咲く花

7、

 

オスカー・フォン・ロイエンタール―。
帝国騎士の家柄で、資産家の父のもとに458年に生まれ、現在28歳。任官後は数多くの武勲を上げ、門閥貴族出身ではない士官としては異例の昇進を果たし、今はローエングラム元帥の旗下で一艦隊を指揮する中将。
家名や地位がはっきりしたことで、端末による検索結果は驚くほど情報量が増えた。今までまったく見当違いの調べ方をしていたせいで、彼を見つけることが出来なかったのだ。エルフリーデの端末はゴシップネタや低俗な記事は見ることが出来ない設定になっていた。父も義母も彼女を世間の荒波から守ろうとしているのだ。それであっても、彼が数々の美女と浮名を流しているらしいことは垣間見ることが出来た。
その一方で、軍での功績は目覚ましいもので、帝国軍の誉れある若き将官として多くの戦役に参加していた。
エルフリーデは彼を扱った記事をいくつも読み進めた。情報としてのオスカー・フォン・ロイエンタールは彼女が知っている彼そのもののようでもあり、全く知らない誰かのようでもあった。彼には捉えどころのないところがあり、オスカーが彼女に見せている顔は彼のほんの一部でしかない。彼をもっと知りたいというエルフリーデの気持ちは一層強くなった。だが、あのようなことがあった今は、再びオスカーが彼女と会ってくれるかどうか分からなくなっていた。

 

翌週、トゥテラリィ協会に行ってみると、ケーラー男爵夫人は事件にあった衝撃から立ち直っておらず、しばらく活動を休むと連絡があったと言う。ローエングラム元帥からは旗下のロイエンタール中将からの報告を受けて、寄付について前向きに検討している旨、丁重な挨拶があったということだ。
男爵夫人があの事件の首謀者である、とのオスカーの糾弾はどうなったのだろう。だれも、事件の全貌についてエルフリーデが知りたがっているとは思いもよらないようだ。事件について質問すると、相手はびっくりして詳しいことは知らない、と答えるのだった。父か、あるいは被害者のフラウ・ライマンに会って話を聞けば教えてくれるかもしれない。
「エルフリーデ、準備は出来たの? 入るわよ」
早々にパーティーのための準備を済ませた義母が、エルフリーデの私室に入って来た。ドレスの着付けが結婚前の娘に相応しいものか、最終確認をしに来たのだ。義母が干渉する前に済ませてしまおうと、すでにエルフリーデの着付けは済み、今はアクセサリーを付けているところだった。
「後は髪を整えれば終わりよ、お義母さま」
エルフリーデの豊かなプラチナに輝く髪を侍女が熟練の技で最新の流行の形に結い上げていく。義母は厳しい目でその様子を見て、合格のしるしに頷いた。
「可愛くできたわね。ところでエルフリーデ、いいものを持ってきましたよ」
得意げな表情の義母が手に持っていたものを顔の前に掲げて見せた。それは真っ赤な大輪のカメリアの花束だった。
「それどうしたの? カメリアはもう時季じゃないと思ってた…」
義理の娘の驚きの表情にフラウ・フォン・コールラウシュは満足げに頷いた。
「あなたの大伯父様にお願いして、北の産地からはるばる取り寄せたのよ。オーディンの気候でもこの頃は初夏のようですから、さすがにカメリアはもう咲いていませんものね。こんな短期間で手に入れるなんて、さすがでいらっしゃるわ」
義母はエルフリーデの侍女を手招きして花束を預けた。
「その作り物の花は取ってしまいなさい。代わりにこれを落ちないように、綺麗に取り付けて」
「…お義母さま…! この花は縫い付けてあるの…」
義母は手を振って眉をひそめた。
「取ったところでドレスがバラバラになるわけではないでしょう。あなたのことだから、きれいに縫い付けたことだろうし。そんな素人の手作りのものより、本物の花の方が素敵よ」
エルフリーデは胸元に取り付けた赤いシルクのふっくらとした花びらを、潰さないように両手で押さえた。彼女は自分でも素敵にデザインできたと思っていた。お嬢様の服装に厳しい基準を持つ侍女も、贔屓目なしに感心していたのだ。その侍女はお嬢様とも奥方様とも目が合わないように、顔を伏せている。侍女は味方にはならない。
「でも、とっても素敵に出来たし、髪飾りともピッタリでしょう…。それにこのカメリアはかなり強い色合いだから、このドレスに合うかどうか…」
「もちろん、あなたはこんなに色白で綺麗な肌だから、カメリアも映えるわ。若い娘には自然な美しさというものがどんな世代の女性より似合うと思うの。ほら、付けなさい」
侍女が熟練の技でカメリアの花束をばらして、バランスよくブーケにした。小さな鋏を持ってドレスからシルクで出来た赤い花の縫い目をパチン、パチンと切っていく。一瞬、侍女と視線が合ったが、侍女はすぐに目を逸らして手元に集中した。侍女がシルクの花をそっとエルフリーデの手元に預けた。
真っ赤なカメリアのブーケがドレスに取り付けられた。
「ほら! 言ったでしょう。とても素敵。似合っているわ」
義母が手を叩いて喜んで言った。確かにもともと色白なエルフリーデの肌色が、胸元の鮮やかな赤によってさらに華やかになった。
だが、それは少し強すぎた。
ほんのりとした光沢のあるシルクで作られた花は確かに子供っぽいところがあったが、エルフリーデのはっきりした目鼻立ちをやわらげて可愛らしく見せる効果があった。それは彼女の優しい面を際立たせた。
侍女が眉をひそめて、化粧道具を取り上げた。エルフリーデの頬に紅色のパウダーを追加し、艶を付けただけで自然な色味のままだった唇に口紅を追加した。
「まあ、素晴らしいわ、これでドレスとぴったりね。よくやったわ」
義母が侍女の腕前を労った。だが、侍女は少し不本意そうにしている。
エルフリーデは鏡の前の自分をじっと見つめた。そこには今まで知っていた自分とは少し違う、大人びた女性がいた。
「ああ、ああ、綺麗だね。やはりうちの子は美人さんだね。とても綺麗だよ」
ヘル・フォン・コールラウシュがやって来て、義母の隣で手を叩いた。いつもなら、「うちの子は可愛い」と言っていた父からそのように褒められたのは初めてという気がした。
「―ありがとう…」
父はエルフリーデの髪に散りばめられた小さな花の髪飾りをちらりと見て、自分の胸元をすっと撫でた。そのシルクのネッククロスにはあの白い花の小さなブローチが飾られていた。お揃いだねと言いたげな表情で父がウインクして、娘に腕を差し出した。
「さあ、行こうか。今から行けばちょうどパーティーの参加者全員の視線を釘付けに出来る。今夜の私はちょっと挑戦的な気分なんだ」
父はぽっちゃりした手でお腹を叩いてから、その手を妻に差し伸べた。
「しかも両手に花で怖いものなしだよ」
いつになく陽気に父が言うので、エルフリーデは笑って自分の姿に対する不安を忘れた。鏡の中の自分がまるで、本来の自分よりも年上の淑女に見え、無理に伸びをしているような違和感を覚えて居心地が悪かった。だがそれは、そんな様子の自分を見慣れないせいだからだろうと自分を納得させた。

 

パーティー会場はまるでオーディン中の人々が集まったかのように賑わっていた。宇宙のかなたでは叛乱軍の新たな侵攻が開始され、その混乱に巻き込まれている民衆がいるというのに、そんなことは誰も気にも留めていないようだった。事情通の人々の間ではローエングラム元帥の出陣が噂されていた。戦乱の前に楽しめるうちに楽しもうと言うのか、多くの軍人の姿が散見された。
コールラウシュは知人夫婦と話し込む妻と娘をおいて、友人を探して歩いた。その友人は交友関係が広く、ある人物をコールラウシュに紹介すると約束してくれたのだった。その人物との交友について、彼の庇護者であるリヒテンラーデ侯爵も了承済みだった。その先のとがった指先で顎を摘まんでしばし熟考した挙句、侯爵は彼の行動を許したのだった。
それはコールラウシュが望むように自然な形でなされた。
パーティー会場の広間の片隅で友人から紹介を受けたコールラウシュは、その人物とゆっくり時勢について話しながら会場を歩んだ。反対側からは妻が彼の自慢の美しい娘を連れて知人夫婦とやってくる。妻はいつも通り、通りがかる人とあいさつを交わし、話しかけ、賑やかに笑って、その様子は何か企みを秘めているとは露も思えず、まるで水を得た魚のようだった。
「おお、これは驚いた」
さすがのコールラウシュにも焦りがあったのか、少々唐突に言った。
「なんと、あちらから来るのは私の友人です。おや、私の妻と娘も一緒です。ベルメール、ロイエンタール中将はご存じかね。ロイエンタール中将、こちらは友人の財務次官のベルメールです。それからこちらは妻と娘のエルフリーデです」
ロイエンタールはエルフリーデを見ても特に驚くような表情を見せなかった。おそらく、コールラウシュが姿を見せた時から、このことがあるのを予想していたのだろう。
「はじめまして。フラウ・フォン・コールラウシュ、フロイライン・フォン・コールラウシュ」
ロイエンタールは夫人の手に触れるか触れないかの接吻をし、エルフリーデには小さく頭を下げる丁寧なお辞儀をした。エルフリーデも膝を折ってお辞儀を返す。
彼らは正式にオスカー・フォン・ロイエンタールとエルフリーデ・フォン・コールラウシュとして知り合ったのだった。
エルフリーデは俯いて、じっとオスカーの視線が自分の顔に注がれるのを感じた。まさか、彼とこのパーティーで出会えるとは思っていなかったのだ。あの事件以来初めて彼と会うせいか、突然鼓動が早まり顔が真っ赤になった。顔を上げて彼を見ることが出来なかった。
父やベルメール夫妻が何か二人に話しかけ、オスカーが答えている。周りにいるたくさんの人々の視線を感じて、エルフリーデは全く何も聞こえなくなった。ただ、彼の存在だけが感じられた。
いつの間にか、白い手袋に包まれた彼の手が彼女に差し出された。
「―フラウ・フォン・コールラウシュのお言いつけに従いましょう。フロイラインと少し歩いてきます」
義母が広間の中を少し『散歩』して娘をリラックスさせて欲しい、と言ったのだが、エルフリーデは突然差し出されたオスカーの手に戸惑った。ようやく顔を上げて彼の顔を見ると、途端に色違いの厳しい瞳と出会った。彼の頬には微かに擦過傷と打ち身の跡があって、治りかけのそれは青く変色しだしていた。それを目にしてますます動転した。
エルフリーデの手を取って、オスカーが腕にかけ広間を歩き出した。
しばらく二人は笑いさんざめく人々の間を縫って歩いた。父母から聞こえない場所に来ると、オスカーが苦笑して言った。
「迂闊にも謀られたものだ。これですべてあんたの望み通りか」
エルフリーデは彼の冷笑に気づき、途端に口が滑らかに動き出した。
「何を謀ったと言うの? 私、あなたがパーティーに出ていることすら知らなかった。知っていたら、真っ先にあの時のことを謝ったのに」
「あの時?」
オスカーの腕に乗せたエルフリーデの手に力がこもった。
「先日の、フラウ・ライマンの学校でのこと。あの時、あなたのお友達をちゃんと連れてこれずにごめんなさい。私、ローエングラム元帥の元に辿り着くことも出来なかったし…。約束のあのままだったら、時間にはとても間に合わなかったし、タクシーも捕まえられなかったし、それで、何とかしなくちゃと思って…」
「何があったか、筋道立てて話せ」
ぴしりと言われ、エルフリーデはつばを飲み込んで、ゆっくり言葉を選びつつ話した。
近くにフランツが住んでいることを思い出し、彼に助けを求めたこと。彼の友人が救助隊を組織することになってしまったこと。そのフレーゲル少将が、窮地の貴婦人を救うことこそ騎士の誉れと言って(オスカーが盛大に鼻で笑った)、強引に軍から一隊を引き出したこと。そのおかげでかなり大掛かりな救助隊になったこと。
すべてが終わってから、フラウ・ライマンからケーラー男爵夫人が首謀者らしいことを聞いたが、その後、誰も夫人がどうなったか教えてくれないことを話した。
「先日、レッケンドルフに命じてフラウ・ライマンと連絡を取らせた。それによると、ケーラー男爵夫人の親族に懇願されて、夫人がオーディンの社交界から身を引くことを条件に、夫人を告発しないとうちうちに話をつけたということだ」
「でも、そうしたらオスカー、あなたはあんなひどい目にあったのに…」
オスカーが再び鼻で笑った。
「仕方あるまい。どうやらケーラー男爵夫人の不興を買ったことはおれの自業自得らしいからな」
エルフリーデは熱心に言った。
「でも、そんなことは夫人の身勝手でしょう。あなたと姪御さんの話を聞いたけど、それは二人の間の問題だもの。あなたもその人と別れて辛かったかもしれないけど、でも、その人は結婚してしまって、もうどうしようもないし」
オスカーが立ち止まった。
「あんたはおれがどう思ったかなどと、忖度する資格も義理もない。だから、勝手にその女とおれがどうだったかなどと言うな」
エルフリーデはオスカーを見上げた。彼の色違いの瞳は冷たく、何の感情も感じられなかった。視界がぼやけて、エルフリーデはそっとオスカーの腕から手を外した。
「ごめんなさい…。私…」
「やめてくれ。こんなところで泣くな。あんたの両親が見ている。手を貸せ」
泣くつもりはなかったのに、オスカーに厳しい声で言われると、堪えることが非常に難しかった。オスカーはエルフリーデの手を取ると再び腕に掛けた。
「以前も言ったように、おれは結婚する気はない。あんたとあんたの結構な親がどう思おうと、おれは世間並みに結婚できる人間ではない。そもそもあんたとおれでは違いが多すぎる」
「…そんな…、そんなこと…。あなたも私も同じ…」
「同じだと言うのか? そうじゃない。あんたは違う。身分も、暮らしぶりも、その育った環境も。あんたはおれに合わせることは出来ない。それではおれの方があんたに合わせなくてはならないのか? そんな面倒は御免だ」
急に身体が宙に浮き上がったようになり、エルフリーデはすべての感覚を失った。
オスカーの腕に乗せたはずの手がさ迷った。彼は彼女と付き合うことを重荷に感じていたというのか―。彼女を面倒な娘だと思っていたのか―。
「もう火遊びは十分だろう、フロイライン。あんたはあんたの仲間の元に帰るんだ。気にするな、どうせすぐに新しい、あんたに相応しい男が現れる」
エルフリーデはさっとオスカーの顔を仰ぎ見た。彼の色違いの瞳は微笑みを形作っていたが、本当の笑みではなかった。その底に何か、彼女には分からない感情を湛えていた。
「私、あなたに相応しくなれるように頑張る。きっとあなたの側にいてもおかしくない女性になる―」
「それはいつまで? ―もうたくさんだ」
オスカーは吐き捨てるように言った。
その言葉を聞いてエルフリーデはオスカーの腕を振り払った。そのまま早歩きで急いで彼から離れた。周囲にあふれる人々にぶつかりそうになりながらも、俯いて彼から遠ざかった。
泣いているところを見られたくなかった。
―もうたくさんだ。
―そんな面倒は御免だ。
彼女が立ち去った後を辿るように、赤い花びらが落ちていた。オスカーが足元に散る花びらを長いあいだじっと見ていたことに、エルフリーデが気づくことはなかった。

 

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