Season of Mackerel Sky
Fortune-teller
今日は目出度い帝国の祝日。
ヴァルブルク方面軍では街の住民を招待して、司令部上げての盛大な祝祭を開催した。
お祭り騒ぎの中、ファーレンハイト大佐はヴェールの向こうに自分とある人物の未来を垣間見る。
1、
「おめでとうございます。よい祝日日和でありがたいですね! 艦長、今日までいろいろお疲れ様です」
「ホフマイスター、卿もご苦労さま。まだ労わってもらうには早いよ。だが、まずまずといったところかな」
アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト大佐は控えめに言った。副長は会場内を見渡して、楽しそうに手を振る。
「いやはや、そんなに慎重になるとはわれらが艦長らしくない。人の入りは朝からひっきりなしだし、みんな楽しそうです。大成功間違いなしですよ」
「そう願いたいね、木に触っておまじない…と俺の母なら言うところだ」
ここヴァルブルクの司令部内は、普段は司令官の威令が効いて厳粛な雰囲気を漂わせているが、今日はまるで違う場所に変身していた。当然ながら司令部の中心へ入ることは許されていないが、練兵場や表の広場にはヴァルブルクの一般市民が司令部の兵士たちと立ち混じって、さまざまな屋台の間をそぞろ歩いている。ヴァルブルクではついぞお目にかかったことのない移動遊園地まであって、子供たちの人気をさらっていた。
本日は帝国の目出度い祝日であり、例年、当地では司令部の一部を一般に開放して祝祭の雰囲気を盛り上げているのであった。
毎年、司令部内の何人かの連隊長が持ち回りで、この日を祝う祭りの実行委員長を務めた。一般市民と兵士たちが共にこの日を祝い、市民たちにヴァルブルク方面軍に対して信頼と親しみを持ってもらう。この祭りは、当地の司令官たる中将閣下が、各地の駐屯地で頻発する軍と市民との衝突を防ぐために取り決めた、戦略的に重要な民間慰撫策であった。
前年は何事も貴族的にふるまうエンゲルス大佐と彼の連隊が中心となって祝祭を執り行った。エンゲルス自身の私財を供出して当地では初めてといわれるほど、盛大かつ格式高い舞踏会が開かれ、軍部内の将兵の妻や娘たちからは大変喜ばれた。だが、どちらかと言えばただ陽気に騒ぎたいだけの面々からは、堅苦しすぎると不評だった。女性たちがドレスにかけた出費を考えると、彼らの夫や父親である軍人たちが渋い顔をしたのも無理はなかったかもしれない。一般市民と駐屯部隊との交流という点においても、限られたものであったため、大成功とは言いかねた。
今年はファーレンハイト大佐の順番となり、彼の乗艦の副長であるホフマイスター大尉以下の士官、乗組員たちは総出で準備に駆り出された。連隊長が奔走しているのを、連隊の部下たちがただ眺めているわけにはいかない。副連隊長が事務的な手続きを執り行い、その他の連隊長の補佐や雑務は専任順で一番格下の少佐2人が務めた。
「おまじないと言えば、移動遊園地の中にある占い師が特に女性たちに大人気のようですよ。ヴァルブルクでは見かけませんから、余計に面白がられているようです」
副長がファーレンハイトに面白そうに伝える。
「占い師? そうか、司令官閣下はそういうものをあまり好まれないからな…。まあ、移動遊園地の占い師なんかはお遊びだから、閣下もお気に留められることはないと思うが…」
「気にしすぎですよ。女の子が将来の恋人を占ったり、子供が秘密を言い当てられたり、というおなじみのたわ言です」
方々を巡回するため副長が立ち去ると、ファーレンハイト自身は移動遊園地の方へ向かった。もちろん、大した問題ではないし、子供たちの楽しみを台無しにするような司令官閣下ではない。だが、特に占いのような迷信を嫌う閣下のことであるから、この場の責任者として一応それがどういったものか、実地で見ておくほうがいいだろう。
おいしそうなにおいを漂わせている食べ物の屋台が並ぶ広場を通り抜ける。ブルストや揚げたイモや魚、甘いチョコレートがけの果物、ポップコーン、ビールやワイン、子供たちのための鮮やかな色の甘い飲物など。ファーレンハイトが通り過ぎるとそれらの店から陽気な声がかかった。
「大佐! いい陽気になったね、うちのビールでのどを潤していったらどうだい」
「大佐! 焼きたてのブルストをパンにはさむよ、食べていきなよ」
木工の細工やアクセサリー、おもちゃを売る屋台なども並んでおり、まさにファーレンハイトの子供時代の夢のお祭りの通りだった。彼自身はこういったおもちゃを買ったり、食べ物を食べたりすることは出来なかったが、ただ眺めているだけで楽しかったものだ。数年に一度くらいはうまく遣り繰りして、わずかなマルクをポケットに入れて歩くことが出来た。そんな時は小銭をしっかり握った手をポケットに入れたまま、買いたいものの屋台の前まで決して手を出さなかったものだ。
空には陽気な雲が一片、二片と浮かぶだけのすがすがしい青空が広がっていた。日差しは明るく、時々そよそよと気持ちのいい風が吹くだけだ。のどを潤すというのはいい考えだと、ファーレンハイトはビールを買い、カップに入ったそれを飲みながら目的地に進んだ。
移動遊園地の前には電飾と色鮮やかなキラキラしたもので飾り立てられた門が立っていて、その前に蜂蜜色の髪が風でちょっと乱れた少佐が立っていた。彼はにこにこと笑顔を振りまいて、門を通る子供たちに手を振り、「楽しんでおいで」などと声をかけている。一度など、風船を手から外してしまった少女のために、飛び上ってそれを取り戻してやっていた。
ファーレンハイトはビールを飲み干すと、笑顔と隔意ない態度を心掛けつつ、部下の少佐に近づいて声をかけた。
「やあ、ミッターマイヤー少佐、ご苦労だね。卿自身で門番なのか。部下の誰かに任せても構わないだろうに」
「この移動遊園地は俺の責任ですから。みんなが楽しく過ごせるようにちゃんと目を配っておきたいんです」
敬礼した後、ミッターマイヤーはそう答えた。これが他のものだったら、軍人が出入り口に突っ立っていては子供たちも入りにくかろうと思うところだ。しかし、ミッターマイヤーはむしろ、子供たち、とくに少年たちの人気を集めているようだった。駐屯部隊がこの地の中心となっているのであるから、子供たちも軍人一人一人の存在に敏感だ。ミッターマイヤーは先の戦闘で武勲をたてたことが知られているから、(当然その詳細は伏せられているが)、街を歩くときなど常に少年たちの注目を集めている。ミッターマイヤー自身は軍務では厳格だが、子供たちには心からの親切な態度を崩したことがなかったから、よく好かれてもいた。ときどき、少年たちが差し出す端末のサインブックに署名してやっているのをよく見かける。
ファーレンハイトは無理な笑顔でおかしな顔になっていないか気にしながら、答えた。
「卿ならここの責任者に適任だな。子供たちが大喜びで入っていくし、大人たちも安心して遊ばせることが出来るだろう」
ミッターマイヤーは顔をしかめた。
「そうだといいんですが。実はここに入っていくのは子供ばかりじゃないですから。ちょっと脇の方に行くと、大人向けのアーケードがあります。まあ、そっちにはうちの副長や艦で一番強面の軍曹が目を光らせてますので」
「こういうところでは大人も同様に楽しめるのが一番だよ、少佐」
「申し訳ありません、彼らの邪魔をするつもりはありません。自分はお堅いってよく言われますが、ちゃんと責任を取りたいと思っているので」
ファーレンハイトは内心慌てた。叱責するような口調になっていただろうか?
「いや、卿はよくやってくれている。実際ヴァルブルクに移動遊園地を呼べるかどうか疑問だと思っていたし、こういった施設は健全なものばかりではないからな。ちょっと締め付けが厳しいくらいでちょうどいいんだろう」
ミッターマイヤーは子供たちに自然な笑顔を振りまき、連隊長に対しては真面目くさった顔を向けた。
「はい、ありがとうございます。その通りだと思います。これから夜まで頑張りましょう」
ぴしっときれいに為された敬礼に答えてから、ファーレンハイトはうなずいてその場を辞した。ミッターマイヤーが自分の戦場を完璧に把握し、占有しているのであれば、これ以上の干渉は無用だろう。もともとここへ来た理由もそれほど急務という訳ではない。
どうしてもミッターマイヤーに対しては他の者同様の自然な態度と口調を取ることが難しい。そのことについて考えを巡らせながら歩いて行くと、今夜のダンスパーティー参加申し込みのブースが見えてきた。
ブースの前は人だかりがしていて、みんなそれほどダンスがしたいかとわが目を疑うほどだった。そこには主に女性が大勢つめかけている。
このダンスパーティーこそ、この祭りの夜の目玉で、男女関わらず18歳以上なら誰でも少額の費用で参加できる。前年の祭りは予算オーバーで実行委員長の持ち出しまであった。エンゲルスは「せっかくの祝祭をケチケチするとは帝国に対する不敬だ」、と言っていたが、おかげで次の年のファーレンハイトは出費を抑えるよう、司令部の経理から固く申し付けられた。
ダンス音楽を演奏するバンドは司令部の軍楽隊だし、設営はもちろんファーレンハイトの自艦の乗組員たちだ。前年のような麗々しい舞踏会場ではなく、また都会のクラブ風でもない。乗組員たちがよく知っている公民館のダンス会場といった趣になったが、ヴァルブルクの街の住民も兵士たちもその方が馴染みがある。飲み物と軽食も出すが、食材は予算内、調理に関しては司令部の食堂から助けを得て、売り子は部下の兵士たちだ。
さまざまな屋台は司令部が募集をかけて、広場を商売を望む者たちに開放した。場所代を少々請求した以外、売り上げは全部彼らのものだし、こちらも彼らに対しては1マルクも払わない。これに関してはファーレンハイトの下町の友人たちが声を掛け合って、いい屋台を出してくれたおかげで賑やかなものになった。移動遊園地に費用の大半をかけて、その他は極力出費を抑えた。移動遊園地をなんとかしてヴァルブルクに呼び込みたい、と思ったのは子供時代の郷愁ゆえだった。実際に目の前にしてみると、今ではそれほど素晴らしいものとも思えない。あの心が浮き立つ仕掛けの数々、面白そうな心躍るアトラクション、それらを子供のころと同じ気持ちで味わうことはもう不可能なのだろう。
ダンス参加申し込みのブースには仏頂面のロイエンタール少佐がいて、参加申し込みの端末を操作していた。目を輝かせた女性が彼に参加費を渡すと、少佐は端末とペンを示して彼女に所定の申込内容を書かせる。その後、入場チケットを彼女に手渡して完了だが、女性は思い切ってという風に彼に声をかけた。
「あの…、あなたもダンス会場にいらっしゃいますか」
「私はダンスパーティーの運営の担当ですので、会場のどこかにはいます」
「では、私と踊って…」
ロイエンタールは女性の言葉にかぶせて答えた。
「私は運営の責任者ですので皆さんと一緒に踊ることは出来ません」
「ロイエンタール少佐、卿にも自由時間くらいあるだろうから、その時にこちらのお嬢さんと踊って差し上げればいいだろう」
しょんぼりとうつむいていた女性がパッと目を輝かせて「ぜひ!」と言った。ロイエンタールは渋々ながら、女性に少し微笑んで見せる。すでに踊るような足取りで女性が立ち去ると、ロイエンタールは連隊長をにらみつけた。
「私は誰とも踊りません」
「だが、それではせっかくのパーティーもつまらないだろう。卿が率先して踊って場を盛り上げるというのも責任者の務めだぞ」
ロイエンタールがブースのカウンターから身を乗り出して、ファーレンハイトに小声ながらきつい声で訴えた。
「彼女と踊ったら、他の女性とも踊らなくてはならなくなる。さっきからもう何人に声をかけられたか分からん。いちいち相手をしていられるか」
「そんなに大勢いたのか? 君が嫌がる気持ちは分からないでもないが、ここは抑えてせいぜい愛想よくしてくれ。ぜひ成功させたいからな」
「覚えておけよ」
ロイエンタールはさらににらみつけたが、ファーレンハイトはそれも楽しかった。彼をダシにしてダンスパーティーを成功させようというのは見え透いているが、かなり効果があったらしい。ファーレンハイトは自分も小声になってロイエンタールに顔を近づけた。
「忘れないよ。その代わり君の役割を果たしてくれれば、後は君の好きなようにしたらいいよ」
『好きなように』というところでちょっと声音に色を付けて片目をつぶって見せる。ロイエンタールはうんざりしたという表情で天を仰いだ。
「もう行けよ。あんたがそこに立っていると邪魔だ」
「薄情だな、ところで君はもう昼飯は食べたか? まだだったら一緒に食べないか」
「昼はミッターマイヤーと落ち合う」
少しだけ胸がチクリとしたが、自分の感情には気づかないふりをして、「そうか、ではまたあとで」と気負わない態度で答えた。ロイエンタールの顔を見ずに振り返ってブースを離れた。