Season of Mackerel Sky
Fortune-teller
6、
祭りの後、ファーレンハイトの連隊ばかりでなく、司令部全体で記憶喪失のけが人が続出したが、若者の多い軍隊では珍しいことでもない。しばらくは司令部内は祭りの日の思い出に浸って現実逃避する者が見られたが、それも徐々に日常に戻った。だが、1か月もたたない頃、連隊長室に珍しい客が訪れた。
「卿がここへ来るとはいったいどうしたことだ。何があったのだ?」
ファーレンハイトに面会を求めたのは、憲兵隊の顔見知りの大佐だった。傍らになぜか、ミッターマイヤー少佐を連れていた。
憲兵大佐はうなずいて答えた。
「実は少々困ったことになってね。いや、ミッターマイヤー少佐のおかげで大事には至らなかったのだが」
ファーレンハイトはミッターマイヤーを見た。真面目くさった表情のミッターマイヤーが上官に敬礼してから報告した。
「実は先日当地へ呼びました移動遊園地の要員の中に、窃盗の容疑で逮捕された者がいます。占い師と他に数人のアトラクションの要員の者です」
「占い師?」
「支払いが終わったにもかかわらず、当地を離れない要員の存在にこのミッターマイヤー少佐が気づいて、怪しいと思ったというのが事の発端だ」
憲兵大佐の説明によると、ミッターマイヤーの示唆により彼らをひそかに警戒していたが、さる邸宅(司令部の某幹部)に忍び込んで盗みを働き、さて引き上げようというところでまんまと捕えたということであった。
「どうやら占い師が占った相手の様子を聞き出して、その留守宅を狙うという手口らしくてな。それでいくつかの星で逮捕状が出ている。実際に窃盗を働いた者どもは現行犯で疑いの余地なしだが、この占い師は盗みに同行していない。そこでまあ、卿に手伝ってもらえればと思ったのだが」
「それは役に立てるなら手伝うのはやぶさかでないが…。俺に一体何ができるというのだ?」
「連隊長が祭りの日に占い師に会いに行かれたと私の副長が言っていました。それで、その占い師の様子などお聞かせいただければと思ったのですが…」
ミッターマイヤーの言葉にようやく、なぜ自分が彼らの訪問を受けたか理解した。しかし…。
「様子と言っても盗みにつながるようなことを見たかどうか? 残念だが俺で役に立てると思えぬが…」
「まあ、ひとまず面通しだけでもお願いできるか」
憲兵大佐の言葉にしぶしぶ従い、ミッターマイヤーを連れてその占い師が逮捕拘留されている拘置所へ向かった。
―しかし、あの占い師が窃盗犯の仲間か…。どうも釈然としないな…。
あの占い師の言葉を信じてしまった者としては受け入れがたいが、事実であれば人を見る目がなかった自分を責める他ない。
あの時の占いの効力も急速に薄れるように感じてひやりとした。
―あたしはあんたがこの美人と付き合うのは、別に悪いことだとは思わないけどねえ。
―できればその恋人から離れず、忘れない努力をするといいよ。
ミッターマイヤーの存在にもかかわらず、あれからロイエンタールとの仲は我ながらうまく対処できるようになったと思っていた。しかし、その自信もあのように差し出された無責任な他人の言葉に縋っていたおかげだったとは。
憲兵詰署の一室で占い師はテーブルを前に腕組みして座っていた。少し黒っぽい衣装を着た、取り立てて目立つところのない30代と思われる女だ。憲兵やミッターマイヤー共々、監視カメラからの映像を大きなスクリーンを通して眺める。
「…どうも思い起こせば、あの時占い師はヴェールをかぶっていたな。今、あの姿を見てもあれが同一人物か確信が持てない」
「スクリーン越しだから分かりにくいのではありませんか」
ミッターマイヤーが助け舟を出すように言う。ファーレンハイトは首を振った。
「自己弁護になるが、あの部屋は薄暗くて占い師自身もすっぽりヴェールをかぶっていた。あちらもプロだろうから正体がわかるような真似はしていないのではないか。役に立てず申し訳ないが…」
「いや、他の何人かにも聞いたのだがね、みんなそういうのだ。卿も占い師に会ったというからひそかに期待していたのだが」
「期待に添えず悪いな。我ながら情けない、人の印象はどちらかというとよく覚えている方なのだがなあ」
「いやいや、相手が悪かったようだ」
その時、スクリーンの女が組んでいた腕を外して、さも座っているのに飽き飽きしたというように目の前にあるテーブルの上に手を投げ出した。ファーレンハイトはその手を見てはっとした。彼が息をのむのを聞いて憲兵大佐が詰め寄る。
「どうした、何か分かったか?」
ファーレンハイトは暴れる心臓を押しとどめて、あくまで落ち着いた風を装い、首を振って答えた。
「…いや、すまん。何か記憶に引っ掛かるような気がしたが、気のせいだった」
「そうか…?」
何か分かったことがあったら連絡すると言って憲兵大佐を納得させ、ミッターマイヤーを連れて署の外へ出た。司令部まで大した距離ではないので、二人とも黙って歩いて帰る。
ファーレンハイトは先ほど見た女の様子に混乱していた。あの拘置所の女は、細くて骨ばった手をしていた。思えば全体的にほっそりした体つきのようだった。だが、ファーレンハイトが会った占い師はふっくらした手をしていた。その手にずっと両手を取られていたのだから、間違いない。あのような手をしたものは体つきもふくよかなのではあるまいか。
―だとしたら、俺が会った占い師はどこの誰だ? どこに行ってしまったのだ?
理屈の通る説明としては移動遊園地には二人占い師がいて、一人は窃盗犯の仲間で、もう一人は本物の占い師ということだ。あの憲兵署の占い師がオウムを飼っているかどうか、憲兵大佐に聞いたらどうだろう。だが、ファーレンハイトはこれ以上、真実を突き詰めて考えたくなかった。
―できればその恋人から離れず、忘れない努力を…
「こんなことになってしまい申し訳ございません。せっかくの祭りの成功に泥を塗るようで」
ミッターマイヤーが声をかけた。ファーレンハイトが振り向く。
「何を言うか。卿のせいではないのだから、気にしないことだ」
「それでも、後味が悪いです」
「そうだな…。だが、卿が注意深かったおかげで憲兵も窃盗犯を逮捕できたのだ。重ねて言うが気にするな」
ミッターマイヤーは頭を下げて「ありがとうございます」と言った。
そのまま司令部近くまで来たところで、再びミッターマイヤーが声をかけた。
「連隊長、少しお聞きしたいことがあるのですが…」
その言葉にファーレンハイトは振り向いて立ち止まった。ミッターマイヤーも立ち止まる。彼のまじめな顔は何かの決意を固めたように見えた。
「あの…、連隊長は」
「なんだ」
ミッターマイヤーの拳がぐっと握られた。ファーレンハイトは眉をひそめる。
「あの…、ロイ…、俺の友人についてです。あの、連隊長は…」
「何を言うつもりだ、ミッターマイヤー少佐」
ミッターマイヤーは今まで聞いたことがないほど強い連隊長の口調に、開いていた口を閉ざした。ファーレンハイトもまた、拳を握って若い少佐をにらみつけた。自分の目から雷光のように意思が飛び出し、ミッターマイヤーを貫こうとしているように思えた。
「それ以上何も言うな。ミッターマイヤー。卿が言おうとしている人物のためにも」
―お前になど俺の気持ちを揺るがすことは出来ない! 彼のことについてお前に何か言わせなどしない!
ミッターマイヤーはほとんど顔色を失いかけていたが、そのしっかりした眉はきりりと上がり、彼もまた上官をにらみつけていた。
身分の違い、年齢の差、上官と部下であるとに関わらず、彼らはある人物を間にして、その人物のためにただ睨み合った。
ファーレンハイトは相手の視線を強引に断ち切って、司令部の方へ向き直った。そして、頭を高く上げてミッターマイヤーには構わず歩いて行った。ミッターマイヤーの視線がまだ自分の背中に刺さっていることに気づいていたが、無視してそのまま歩く。その歩調に合わせて、あの占い師の言葉が彼の決意と混じり合って響いた。
―彼から、離れず、忘れない、彼を、ずっと、離さずに…
Ende