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Fortune-teller

4、

 

ようよう日が落ちて、広場や移動遊園地にランタンの明かりが灯った。色とりどりの明かりでいつもは殺風景な軍司令部の広場が幻想的な雰囲気になる。まだ人々は帰りもせず、このまま祭りが終わるまで居続けそうだった。

若い男女の二人連れや女性の集団が着飾って現れだした。三々五々、軽い足取りで司令部のダンス会場となるホールに集まってくる。戸口ではロイエンタールの艦の士官や兵たちがその人々の誘導をしたり、チケットをもぎったりしている。中に入ると、戸口で司令官閣下や連隊長と共にロイエンタール少佐が並び、なけなしの愛想を総動員して客たちに歓迎のあいさつをしていた。

司令官閣下の簡単な祝祭の挨拶がすむと軍楽隊によってダンス音楽が演奏される。覚悟を決めたダンスパーティーの責任者たるロイエンタール少佐が、会場で一番若い少女をエスコートして参加者たちの先頭を切って踊りだす。会場の人々の期待通り、ロイエンタール少佐は上手に緊張気味の少女をリードした。彼らが会場を一周した後、他の人々も踊り始めた。

舞い上がるような表情でまだ踊っているような歩き方の少女を母親のもとに連れ戻すと、ロイエンタールはその後、次々と一人でいる女性に声をかけ、踊りだした。

一度、ファーレンハイトが司令官閣下と談笑しているときに踊っているロイエンタールと目が合った。彼はファーレンハイトを認めると、ちょっと顎を上げて顔をしかめた。

―覚えていろよ。

ファーレンハイトは彼がそう言っているような気がして面白くなった。手に持ったシャンパンを持ち上げて彼の心意気を祝福してやった。

―覚えているよ。

さて、この祭りの責任者である連隊長たるもの、部下に任せっきりという訳にもいくまい。シャンパンのグラスを通りがかったウエイターに扮した兵士に渡すと、ファーレンハイトはパートナーの女性を探しに出かけた。

元気の良さそうな女の子を見つけて声をかけようとすると、最近はやりの曲が流れて、若者たちがワッと歓声を上げた。軍楽隊がこのような粋な選曲をするとは意外だったのだろう。声をかけた女の子は社交ダンスよりこの曲の方が踊りやすそうだ。嬉々としてファーレンハイトの誘いに乗り、共にフロアに躍り出る。

彼ら二人が走るようにしてフロアの中央に現れると、周囲から口笛が吹き鳴らされた。彼らの後から他のカップルもフロアに加わり、どうやら彼らが一番乗りだったらしい。アップテンポの明るい曲に合わせて、翼が生えたような軽い足取りでステップを刻む。相手の女の子も早いテンポにもめげず、楽しそうにファーレンハイトのリードについてくる。彼がくるりと彼女をターンさせると、女の子はくるくるとファーレンハイトの想定以上に回って、それでもちゃんとリズムを合わせて彼の腕の中に戻ってきた。

「きみ、結構踊れるね、つぎ、いいかい」

息も乱さず女の子は答えた。

「なんでも任せて!」

曲の盛り上がりに合わせて、女の子に目で合図して彼女の腰を支えて宙に跳ね上げ、パーティーの客たちがわっ、と歓声を上げる間にも、くるりと回って降りてきた女の子を受け止める。周囲のカップルも負けじと派手なターンやリフトを繰り出して、観客たちを驚かせた。口を開けて、唖然として彼を見つめる同僚たちが目の端に映った。

こういったダンスは街の若者の方が達者なはずだが、ファーレンハイトは誰よりも巧みに踊った。新しい曲に代わると、壁際にいた別の女の子を誘う。彼のパートナーは上手な女の子ばかりでなく、アップテンポな曲が苦手な相手でも、彼と一緒だととても上手に踊った。

ファーレンハイトは少しも疲れを感じなかった。身体は軽くしなやかに動き、重心は腹に在ってぐらつかず、足元はしっかりとリズムを刻む。まるでいくらでも踊れるようだった。彼の心の中は音楽とステップで浮き立つようだった。

やがて一連の流行曲の演奏が終わり、彼は拍手と歓声の中でようやく休憩する気になった。軍のパーティーで社交ダンス以外の踊りを踊ったのは初めてだった。いつもならこのような踊りは私服で街に出たときだけ踊ったものだったが、今夜は踊っても構わないと思ったのだ。

冷たい飲み物を取りに行こうとした時、目の端に背の高い優雅な姿が映り、そちらを見ると彼の色違いの目もこちらを振り向いた。そして目が合ったかどうか確信が持てないでいると、そのまま彼はホールの戸口を出て行った。

ファーレンハイトがビールの小瓶を2本ぶら下げて外に出ると、彼は建物の少し脇の方の薄暗い階段状のポーチに腰掛けて夜空を見上げていた。

彼の目がファーレンハイトを認めて頷く。手に持ったビールの小瓶を彼に渡して、ファーレンハイトは彼の近くの柱に寄り掛かった。

「ダンス会場でビールか。オーディンのお上品な社交場ではありえない飲み物だな」

ロイエンタールがビールを一口飲んでから、小瓶を矯めつ眇めつして言った。

「シャンパンもいいがこれの方がこの場の雰囲気にはぴったりだろう。なにより、他の酒より手ごろだから予算を抑えられる」

「…あんたけっこうダンスが上手だな。あんなふうに踊れるとは知らなかった。それにしても、帝国賛美の曲しか知らないような軍楽隊がああいう流行の曲を弾くとはな」

からかうような表情をしてロイエンタールが言った。その言葉にファーレンハイトは目を瞬いた。

「彼らも普段弾く行進曲なんかと目先が変わって面白がってくれたよ。踊りのことについてはまあ、好きだからな。実のところ、社交ダンスなんかは俺はちょっと苦手だが、君はとても上手だった。君の方は社交ダンス限定か」

「他の踊りは知りようもない」

「一緒に行ってみるか? 俺がいつも踊りに行くクラブとか」

それには答えずにロイエンタールはビールの小瓶を傾ける。その表情は柔らかで、返事をしなかったのは別に拒絶の意味ではないのが分かった。ファーレンハイトは足元に座る彼を眺めながら、心はまだ踊っているような気がした。

昼間の自分はここで踊るつもりなどなかったはずだが、音楽を聴いてすぐに足が軽くなった。彼はなぜだか分かっていた。ロイエンタールから離れるなと言った、あの占い師の言葉のせいだ。おそらく、あの言葉がなくてもいずれ今と同じ心境に達しただろうが、時間がかかったかもしれない。

―司令官閣下がご心配なさるのも無理はないな。あんな単純な言葉一つで気持ちを入れ替えることが出来てしまうとは。ああいった輩はつまりは、客が言ってほしいことを汲み取ることに長けているのだろう。

ロイエンタールが顔を上げて彼の方を見ていた。その目には何かいたずらなからかい以上のものが光っていた。彼は人差し指を曲げてファーレンハイトに近づくように合図する。

ファーレンハイトが彼の方に少し腰を屈めると、ロイエンタールがささやいた。

「ダンスがうまいやつについておれの発見を教えてやろうか」

「何を発見したんだ?」

「ダンスがうまい女はセックスもうまい」

ファーレンハイトはビールが気管に入ってむせた。

「こういうところで変なことを言うな。一応聞くが、どういう根拠があるんだ?」

身を屈めている相手の腕を取ってロイエンタールがその耳にささやく。

「どちらも同じように身体を使うだろう? 向き合って、しっかり背中を抱いて、腰と腰をぴったり合わせて、相手に息がかかるくらいに近づいて」

彼の隣の階段にファーレンハイトは手をついてから座った。まだロイエンタールの手が彼の腕を取ってささやき続ける。

「手の中に相手の身体の熱を感じて、どう反応するか確かめるように、相手の身体を身体で押して。それに対して相手も押し返してくる。こちらから押すばかりだと、手ごたえがなくてまるで人形でも抱きしめてるみたいだ」

「…君は相手がはっきり反応する方が好きなんだな」

「手ごたえがないのはつまらない。なんのために二人の人間がいる?」

「楽しく踊るために…?」

「そうだな。うまく息が合うとこれ以上はないというような気分になる」

彼らはずっと何かを踊りに託して話し続けた。自分の腕にかかるロイエンタールの冷たく冷えた指先を手の甲で撫でつつ、ファーレンハイトは言った。

「どうして君はその息の合った女と一緒に踊らないんだ」

ロイエンタールが鼻で笑った。

「簡単だ。そんな女はめったにいない。一度踊って結構うまくいったと思っても、2度目はないのが普通だ」

「俺と踊ればいい。この先も…」

声を出さずにロイエンタールが笑う。

「あんたの踊りを? おれはあんたのようには踊れない」

ファーレンハイトはロイエンタールの手を取ってしっかり握った。昼間の自分であったら『君が好きなように踊ればいい』と言っただろうが…。

「踊るんだ。俺と一緒なら君もきっとうまく踊れる」

今度は小さな声を伴ってロイエンタールが再び笑った。ファーレンハイトは重ねて言った。

「今夜、この後で。どう踊るか教えてやるよ…」

「…あんたはどんなふうに踊る?」

今度はファーレンハイトが彼の耳にささやいた。

「君の手をぎゅっと握りしめたら、俺の腕の中から離れないようにするんだ。そうしたらもう一方の手で君の腰をしっかり引き寄せる。その手で君の身体が俺とよく馴染むように、君の背中を上から下までゆっくり何度も撫でる。君のその耳元に顔を寄せると、きっと体温を感じて頬があったかくなるだろうな。ようやっと君と俺の身体がぴったりと沿ったら、リズムに乗って前後に揺れる。1、2、3…、1、2、3…。ゆっくりのんびり揺れるか…、あるいは激しく揺さぶるか…」

実際に手に取っている彼の指の柔らかいところを、親指でそっと押すように揉んだ。ロイエンタールが小さくため息をついた。

―君がほしい。今ここで。俺はいつも君を見たとたん、その場で君がほしくなるんだ。

ファーレンハイトが口を開こうとしたその時、ダンス会場で軍楽隊の音合わせの音が響いた。楽団も休憩が終わり、次のダンス曲を弾く準備を始めているのだ。会場のざわめきがファーレンハイトの耳にまで届いた。

ロイエンタールが身じろぎして、立ち上がった。ファーレンハイトが持つ彼の手がゆっくりと離れていく。見上げるとロイエンタールも彼を見下ろしていた。

その目が細められてロイエンタールが笑っていると気づく。

「それでは、また後で」

「ああ、後でな」

確信をもってファーレンハイトは返事をする。ロイエンタールはもう振り返りもせずに明るいダンス会場内に戻って行った。

 

 

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