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Fortune-teller

5、

 

会場では再び賑やかなダンス曲が流れだした。一息ついて足を休め、渇きを癒した人々が、いよいよ興に乗ってさっき以上に楽しげに踊りだす。今は壁際に立って会場の盛況振りを眺めることにしたファーレンハイトの目に、ある元気に踊る姿が映った。蜂蜜色の髪が飛び跳ね、軽快でしっかりしたステップを踏んでいる。なかなか上手にパートナーの女の子をリードして、何よりその楽しそうな様子は見ている者の心まで浮き立たせた。

会場の窓から見える広場は照明が落されて暗くなっている。移動遊園地が終了して、片付けが終わったミッターマイヤー少佐がダンス会場へやって来たのだ。彼の艦の士官も数人踊ったり、ビールを飲んだりしている。兵士の何人かは艦長が踊るステップに合わせて手拍子を叩いたり、口笛を吹いたりしていた。

元気な踊り手が増えたことで、会場はさらに盛り上がりを見せた。踊り終わったミッターマイヤーにロイエンタールが近づいて、背中をたたいて笑った。ミッターマイヤーも何か言い返して笑っている。

次の曲が始まると、二人とも近くにいた女の子を誘って踊り始めた。曲が少しスローテンポであるため話しやすいのだろう、肩越しに二人して何かを言い合っている。パートナーになった女の子も一緒に巻き込んで、楽しそうな男女4人の若々しい笑い声が曲の合間に聞こえた。周囲もつられてゆったりした曲に合わせて和やかに笑ったり、ひそひそ話したりする声が聞こえた。

「今年は大成功ではないか、ファーレンハイト。皆、見るからに楽しそうだし、私も実に楽しかった。よくやったな」

司令官閣下がお気に入りの連隊長の肩を叩いた。司令官閣下の目にはファーレンハイトが上官に返した控えめな笑顔は、少し疲れたもののように見えた。連日任務の合間にこの日のための準備に奔走していたのだ。大成功の裡に祭りが終わるとなれば、ようやくその疲れが出ようというものだ。

司令官閣下はそのまま、バウマン中佐や他の今年の祭りの関係者に声をかけに行ってしまった。彼が後ろを向いた途端、ファーレンハイトがその笑顔を手でひと撫でしたかのように、消し去ってしまったのには気づかなかった。

彼は笑って踊る二人の少佐をずっと見ていた。彼らの方は自分たちに向けられる視線には一向に気づかなかった。彼らを見る目は多かったし、それはおおむね好意的なもので、それ以外の意味を持つ視線はごく限られていた。

ダンスパーティーは参加者の大きな拍手で幕を閉じた。彼らは次回もいい祭りだといいですな、とすでに来年のことを言いあった。誰もが満足そうに互いに笑顔を交わしながら帰途についた。

ひとまずざっと片づけたら全員打ち上げに参加すること―。というのが寛大な彼らの連隊長の指示だったから、連隊の関係者たちはいそいそと打ち上げの会場に急いだ。方々で参加者たちからお礼を言われたり、成功のお祝いを述べられたりした士官たちは、いい気分で乾杯をした。準備のためにずいぶん大変な目にあったが、明日から日常に戻るとなると、それが残念に思われた。自分の任務がどれだけ大変で困難なものだったか、今日自分の部署は驚くほど多くの客がやってきて、それは会場で一番の人出だったなどと、自慢めいた話をした。

若い少佐二人は同僚に囲まれて、賑やかにしゃべっていた。二人の笑い声が一緒に飲んでいる士官たちに交じってよく聞こえた。ロイエンタール少佐はいつもの彼とは違って、とても楽しそうに大きな声で笑っていた。ミッターマイヤーはもちろんのこと、周りの者たちもその笑い声を聞いてうれしそうだった。

「ミッターマイヤー! ミッターマイヤー!」

何度もロイエンタールが親友に呼びかける声がした。それに対して彼の親友は誰か他の者と話している最中でも、「なんだ!? なんだよ!?」と律儀に答えていた。

「あのお二人は仲がいいんですねえ」

自分の艦長の隣のソファでビールを飲んでいたホフマイスターが感心したように言った。彼らが見ていると、二人の少佐は今は顔を寄せ合って何かを話している。いたずら好きな子犬がじゃれあっているようなもので、何がおかしいのか、互いにバンバンと背中をたたいては笑いあっていた。

ロイエンタールは今までファーレンハイトが見たことがないほど、楽しそうで屈託なさげだった。親友の肩を抱いて、その耳に何かをささやいている。それに対してミッターマイヤーは真っ赤になって苦しそうに笑っている。いったいどんな話をしているのだろう。

またファーレンハイトの副長がにこにこしながら言った。

「どうもロイエンタール少佐はミッターマイヤー少佐が大好きなようですなあ」

その言葉に裏の意味などなく、ホフマイスターの言い方は微笑ましい子供たちの戯れについて話しているかのようだった。彼とてまだ30代なのだが、彼ら二人の若さを見ていると自分が兄か、父親のような気分になるのだろう。

周りの士官たちも同じような微笑ましいと言いたげな表情で二人を見ている。そのくらい、二人は楽しそうで、その雰囲気が周りの者にも伝染しているかのようだった。

だが、その後の状況の変化はこの目で見ていなければ信じられない、まるで小学校の裏庭の出来事のようだった。

少佐二人の周りの者は皆、20代後半から30代前半で十分に重要な任務を果たしうる優秀な軍人ばかりだったが、まだまだ若いのだということを証明した。とにかく誰もが酔っ払っていたことは確かだった。

少佐二人が互いに肩を寄せ合って話し込んでいると、周りの者が無理やり片方を別の方へ引っ張って行って、「飲め! 飲め!」と言って新しいアルコールのグラスを差し出した。ミッターマイヤーがロイエンタールに声をかけようとすると、ロイエンタールは別の方へ呼ばれて手を引っ張って行かれた。ロイエンタールがミッターマイヤーを呼ぼうとすると、今度はミッターマイヤーが「ちょっと来てくれよ!」と強引に連れていかれた。

ミッターマイヤーは何が何だかわからない、という表情をしつつも連れていかれるたびにげらげら笑った。反対にロイエンタールは自分が親友から引き離されるごとに不機嫌になって行った。ロイエンタールは何度か苦労して彼らを引き離す手から逃れて、ようやく親友の隣に再び席を確保した。そして、何か大切なことを話そうとするかのように、親友の両肩をがっしりつかんで座った眼をして「あのな、ミッターマイヤー…」と言った。

その途端、再びミッターマイヤーは後ろにいた別の者に「おいおい、こっちだ! ミッターマイヤー!!」と言われて引っ張って行かれそうになった。ミッターマイヤーは訳も分からずまた笑い出した。

だが、どうやらロイエンタールの我慢の限界に達したようだった。彼はいきなり低いテーブルの上に飛び上ると、ミッターマイヤーの胸ぐらをつかんで思い切り殴った。

周りから、わっ! とはしゃぐ軍人たちの歓声が上がった。ミッターマイヤーが酔っ払いとは思えぬ素早さで立ち上がり、親友にアッパーカットをくらわした。

ロイエンタールはひっくり返って、ソファに座っていた軍人の膝の上にのしかかった。

「おお! まともに入った!」

「いいぞ!ミッターマイヤー!! ロイエンタール、やり返してやれ!!」

頭からひっくり返ったはずのロイエンタールが、アルコールの影響などみじんも感じさせぬ優雅さで飛び上って、手近にいた誰かに華麗な足蹴りをくらわす。それは眉を顰めながらたまたま通りがかった副連隊長のバウマン中佐で、中佐は「ぐおっ」と言ってひっくり返った。

「おい! ロイエンタール!! 上官だぞ!!」

「いい加減にしろ! やめやめ!!」

誰かが振り回した腕が、隣の者にあたり、「何をするか!」と言って相手が殴りかかる。その勢いに押された者が前にいた者に頭突きをくらわす―。なぜか周囲のものまで連鎖的に喧嘩を始めて、見る間に打ち上げの場は若い軍人の闘技場と化した。

 

打ち上げは盛況のうちにお開きとなった。

明日はなぜ怪我をしているか思い出せない、記憶喪失の者が多発するだろう―。ファーレンハイトは彼同様、理性を残している不幸な者たちと共に、楽しげに喧嘩をしている者たちを引きはがし、官舎に帰らせた。

ファーレンハイトはペントハウスの自室で酒臭くなった軍服を脱いだ。いつものTシャツとスウェットパンツという気楽な格好になってほっとする。バスルームの棚を探し回って救急箱を見つけ、客用寝室へ向かった。

頬を腫らしたロイエンタールがベッドに大の字になって寝ていた。目を開けてこちらを見たところから察するに、もう酔いは醒めているらしい。酔い覚まし用の水のボトルをサイドテーブルに置き、ファーレンハイトが救急箱を開けて炎症止めを取り出すと、体を起こそうとする。だが途中でぴた、と止まってあばらを押さえた。

「うっ…、なんだこれは」

「殴られるか蹴られるかしたんだろう、誰かに。ヒビでもいってないといいが」

「そんなヤワでたまるか。くそっ…」

ロイエンタールが悪態をつくなど、めったにないことだった。ファーレンハイトはため息をついてロイエンタールの肩を押さえてベッドに戻した。

「寝ていろよ。まずはその顔だな。じっとしていて」

ファーレンハイトが消炎効果のあるジェルをたっぷりとってロイエンタールのすでにひどく腫れている頬に塗り、上から保護シートを張り付けた。シャツを開いて同じように真っ赤になっているあばらのあたりに同様の処置を施す。腫れた皮膚に冷たいジェルが乗って気持ちがいいのだろう。ロイエンタールは身動きせずにされるがままになっていた。

部屋の中に薬剤のにおいが充満する。これはこれで清潔そうな匂いで結構なことだ。

「さあ、おしまい。これで明日の朝にはいくらか腫れは引くだろう。しばらく痛みそうだがな」

ファーレンハイトは救急箱に出した中身を片付けると、箱を持って立ち上がろうとした。だが、ロイエンタールの手が彼のズボンをつかむ。

「そこにいろよ。聞きたいことがある」

ベッドに腰掛けてロイエンタールの顔をのぞき込む。彼は先ほど処置された時のまま手足を広げて転がっている。動くと痛いのだろう。

「ミッターマイヤーは?」

ファーレンハイトはぐっとため息をつくのをこらえた。きっと聞くだろうと思って、ミッターマイヤーのことも確認しておいたのだ。

「彼の副長が連れて帰ったよ。俺が見たときはもうぐうぐう寝てた。彼も喧嘩の真っただ中にいたが、副長がちゃんと面倒見るだろう」

「…フン、そうだな。あの副長ときたらあいつの影も踏まない崇拝ぶりだ。あの部下たちは呆れるくらいミッターマイヤーに入れ込んでいる…」

それは君の部下も同様だろう。ファーレンハイトは再び救急箱を取り上げて立ち上がった。だが、再度ロイエンタールの手がはばんだ。

「そこにいろと言っているだろう」

「…一緒にいたいと言っているのか?」

返事はなかったが、さも殴られたところ(あるいは蹴られたところ)が痛いとでもいうように、ロイエンタールが顔をしかめた。彼の顔の横に手をついて、ファーレンハイトはその眉間に接吻を落とし、ついで唇に近づこうとした。しかし、ロイエンタールの頬の炎症止めのジェルの保護シールからはみ出た部分が、彼の頬にもピタッとついた。

「うはっ」

「何がうはっ、だ。失礼な」

ロイエンタールがかがみこんでいるファーレンハイトの後頭部に手をやり、ぐいっと引き寄せたので、ファーレンハイトはロイエンタールの胸の上にまともに乗り上げた。

「ううっ、薬がついた。せっかく塗ったのに取れるぞ」

「取れたらあんたがまた塗ってくれればいい」

そのまま二人とも黙って並んでベッドの上に寝転がる。ファーレンハイトは肩肘をついて、眉をしかめたままのロイエンタールの顔を眺めた。薬には構わず、もう一度眉間に唇をふれ、前髪をかき上げてやった。ちょっと起き上がって水のボトルを取り上げ、一口飲んでからファーレンハイトは言う。

「そういえば一緒に踊るって話だが…」

その言葉に眠そうなつぶやきが答える。

「今夜はもう眠い…、やりたくない…」

「そっちの踊りじゃなくて、本当の踊る話。俺が知ってるクラブに踊りにいかないかって話しただろう」

「ああ…、時間が合えばな」

「そうだな…。近いうちにまた出撃命令が出そうな気配がある。だがまあ、一緒に行ってみよう」

「どうかな…」

気乗りしない返事をするロイエンタールの額に自分の額をつけ、ファーレンハイトはささやいた。

「一緒に踊ると分かるんだろう…。相手がベッドでもうまいかどうか」

お世辞を釣ろうとしているのは明らかだったので、ロイエンタールは鼻で笑った。

「あんたがベッドでどうだか、踊らなくても知ってるよ」

「どうなんだ?」

ロイエンタールは何も言わなかったが、その手がそろりとファーレンハイトのスウェットパンツのウエストに忍び込んだ。前の敏感なところは持ち主同様、眠たげに横たわっていたが、それをそっと撫でた。ファーレンハイトはヒュッと息を吸ったが、相手はそれ以上何もせず、ひっそりと手を添えて軽く握ったままだ。どうやらそれ以上のことはしそうにないので、気を逸らそうと再び水を少し飲む。

「そこは止まり木ではないぞ」

ロイエンタールの頬が上がった。

「いい具合に鳥の巣も卵もある」

今日何度目か分からないが、ファーレンハイトは飲みかけの水がむせて咳き込んだ。何度かゲホゲホと言った後でようやく言葉が出る。

「…君は意外に猥談が好きだな」

「別にいいだろう、所構わずやるわけじゃない。相手があんただから」

それは自分が特別という意味か、こういう話を好みそうだという意味か。ファーレンハイトが黙って考え込んでいると、ロイエンタールの息づかいが深いものに変わり、どうやら眠ったようだった。

しばらくそのままでいたが、ふいに眠ったと思ったロイエンタールが小さな声で言った。

「今日は成功してよかったな」

あまりに小さな声だったので聞き違いかと思い、ファーレンハイトはロイエンタールをじっと見た。彼は少し口を開けて静かな表情で寝ている。その口が再び開く。

「なかなか…楽しかったな」

「そうだな、ありがとう。君たちのおかげだな」

いいや。ロイエンタールが声にならない声で答えた。そのままもぞもぞと身動きすると、薬が相手につかないようにちょっと体を離して、ファーレンハイトに寄り添った。

薬がつくくらい大したことじゃない。ファーレンハイトは彼を引き寄せて、腕の中に囲ってやった。まるでチークダンスを踊る時のようにしっかりと寄り添って。

 

 

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