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Fortune-teller

2、

 

いったん司令部内の連隊事務所に戻り、室内で黙々と会計と連絡の取りまとめをしている副連隊長とその部下たちを労ってやる。どうやら夫人と喧嘩中らしいバウマン中佐は、夫人を今日の祭りに誘わずにここで1日仕事をするつもりらしい。上長たる彼がこうでは、部下の者たちもせっかくの祭りの日に息抜きに出歩くこともできないだろう。ファーレンハイトは副連隊長の辛気臭い愚痴を途中で遮って言った。

「せっかくの祭りなんだ、これを機会に仲直りしたらいいだろう。いい天気だし、うまいものでも食べて、ダンスに誘ったらどうだ」

ファーレンハイトは強引にバウマンの腕を引っ張り立ち上がらせ、部屋から追い出した。

「さあ、行った、行った。今日の祭りに少しでも不幸の影をちらつかせたくないんだ。祭りに何かあったら、それは卿が夫人と仲直りしなかったせいだぞ」

「いや、そんな、ファーレンハイト大佐…」

煮え切らない態度で中佐が扉を出ていくと、事務仕事に熱中したふりをしながら、こちらを期待に満ちた目で見つめていた部下たちにファーレンハイトは向き直った。

「さあ、卿らも昼ぐらいは外の広場で食べてこい。結構うまそうな屋台が出ているぞ。電話番なら俺がするから、誰か俺の昼食を屋台で調達してきてくれるか」

わっと、子供のように歓声を上げて彼らは礼を言い、「おいしい昼食をお持ちしますよ!」と付け加えると出て行った。

静かになった事務所の奥にある連隊長室でファーレンハイトはため息をついた。バウマンの仕事を手伝ってもいいが、さすがに今日は事務仕事をする気になれない。祭りの会場の各部署に詰めている部下たちにビジフォンをかけ、自分が連隊長室にいることを伝え、何かあったら連絡するように言う。今この段階で何かする必要が出ることはあまりないだろう。

彼自身の仕事は祭りが開催されるまでのさまざまな折衝や、進行の取りまとめがほとんどで、実務的なことは部下たちの裁量に任せている。あとは今夜のダンスパーティーで顔出しする必要がある。それまでは急務などないのだった。

練兵場や司令部前広場から届くかすかな喧騒を聞きながら、祭りが終了した後のための書類の片付けなどをする。そうこうするうちに部下の一人からちょっとした確認などが入り、その対応で端末を調べていると、連隊長室の表の扉が開く音がした。事務員の誰かが自分の昼食を持ってきてくれたのだろうか。

突然、連隊長室がノックの音もなしに開き、そこにロイエンタールが立っていた。ファーレンハイトがあっけにとられてみていると、ちょっと鼻を上に向けて堂々とした歩調でロイエンタールが室内を進み、彼の机の前まで来た。ファーレンハイトのデスクの上に持っていた紙袋を置くと、副連隊長の席から椅子を持ってきて座った。

「どうしたんだ?」

腕組みをして座っているロイエンタールの顔をまじまじと見つつファーレンハイトは聞く。

「あんたの昼飯を持ってきた。ここの事務員が屋台で買って持って帰ろうとしていたところに出会って、代わりに」

「…ありがとう…」

自分の昼飯を持ってくることを口実に、彼が自分に会いに来たという事実を信じていいのだろうか。いいにおいが漂ってくる紙袋に気を取られつつも、いつも彼と対するときに感じる、彼をどう考えたらいいのか戸惑う気持ちを抑えることが出来なかった。

―君はどんなことを考えている? どうして俺と一緒にいてくれる?

ロイエンタールは少しうつむいていた顔をおもむろに上げた。

「怒っているのか?」

「えっ、なぜそう思う?」

ファーレンハイトは心底驚いて聞き返した。相手はむっとしたようにファーレンハイトをにらみつけた。

「違うならいい」

「どうして怒っているとか…。俺、そんな不機嫌な顔をしていたか?」

「別にもういい。その袋の中身を早く食べろ。出来立てだったようだから冷めるだろう」

「もしかして、さっき、ダンスのブースで話したことか?」

「知らん」

紙袋を覗いてみると焼きたてのブルストをパンにはさんだホットドッグが2個入っていた。ザワークラウトがはみ出さんばかりに詰めてある。

ファーレンハイトは一つを手に取ると、瞬く間に3分の2まで食べた。

「うん、うまい」

「味わいもせずに」

ロイエンタールが笑って言う。その笑顔は穏やかで別に皮肉でもないようだ。ファーレンハイトは残りの3分の1をお上品にふた口で食べて見せて、さらにロイエンタールを笑わせてやった。

とたんに誰かの腹が鳴った。ファーレンハイトはびっくりしてロイエンタールを見る。自分の腹でなければ、彼の腹が鳴ったに違いない、信じられないが。

「腹が減ってるなら、こっちの1個は君が食べろ」

ちょっと頬を赤くしてロイエンタールが首を振った。

「いい、後で食べるから」

「後で?」

「ミッターマイヤーがまだ持ち場を離れられないというから、もう少したってから奴と落ち合って昼食をとる」

「………」

ファーレンハイトは黙って立ち上がり、サーバーから二人分のコーヒーをカップに入れて持ってくると、2つとも机の上に置いた。自分の席に戻りコーヒーを飲みつつパンにかぶりついた。

さっき一緒に昼食を食べようといった時、彼は同じことを言って断った。そのせいでファーレンハイトが怒ったかもしれないと思って、彼に会いに来てくれたのだ。そんなことをするとは可愛いじゃないか、といい気分になったのは一瞬だった。

もちろん、彼がどう思ったか気になったというのも嘘ではないだろう。だが、ミッターマイヤーがすぐに一緒に昼食を食べに出ることが出来ていたら、ファーレンハイトの感情を確認することは後回しになっていただろう。

今度こそ、ファーレンハイトは本当に怒っていた。それでも、今、ロイエンタールは自分とこの場に一緒にいるという事実を大事にするべきなのだと分かっている。

だが、自分はいつまでロイエンタールの親友に遠慮しなくてはいけないのだろうか。

パンを食べているファーレンハイトを彼の方は澄ましてじっと見ていた。その感情はうかがい知れない。この彼を本当に自分だけを見るように仕向けることが出来るのは、ベッドの中だけなのだろうか。彼の夜だけでなく、昼間も自分のものにしたいと考えるのは贅沢なのだろうか。

ふと、ロイエンタールが目をそらした。何かを言おうとするように口を開いたが、ためらいを見せて口を閉じた。なんとなく、彼らしくないしぐさだった。

「…なんだ、何か言いたいなら遠慮なく言ってくれよ」

「やはり怒っているんだろう」

「……」

ファーレンハイトは残りのパンを食べきり、コーヒーで流し込んだ。

そうだ、俺は確かに怒っているよ。君に会った時から君をどうしたらいいかわからない。遠ざけるべきか、もっと寄り添うべきか、どう考えたらいいのか分からない。君を連れて、街から遠く離れた荒野にでも行ってしまいたくなる。

何か考える前に体が動いた。机の上から身を乗り出して彼の腕をつかみ、自分の方へ引っ張った。驚いて立ち上がった彼を強引に引き寄せてその唇を奪った。

ファーレンハイトは彼の抵抗を感じたが、肩をしっかりつかんで離れることを許さなかった。深く、深くその口の中を舌で蹂躙すると、徐々に彼の抵抗が弱まった。ロイエンタールは机に両手をついて支え、喉の深いところから呻き、一心にファーレンハイトの口の動きに応えだした。

彼がほしい。このままここで彼を―。

彼の軍服の襟元のホックを緩め、少し強引にその首筋に手を這わせる。手を追いかけるように彼の顎に唇を滑らせ、首筋をちょっとかじって、シャツの縁から鎖骨を舌でなぞった。ロイエンタールが彼の愛撫を気に入った時に出す、泣くような声を立てた。

だが、その時端末の呼び出し音が鳴った。ロイエンタールが身をよじって、彼の肩を押さえている腕から逃れようとしているのを感じる。ファーレンハイトは意地になって離すまいとした。誰からの連絡か分かっている。

突然ドン、と強い力で胸郭を叩かれて、ファーレンハイトは一瞬息が詰まった。ロイエンタールが彼から離れてゆき、後ろを振り向いて端末を取り出した。

「ああ、おれだ。もういいのか? うん、うん。ではそちらへ行く。うん、わかった。では」

彼は端末を手に持ったまま、こちらへ振り返って何かを言おうと口を開いたが、その途端、連隊長の執務机に置いてあるビジフォンの呼び出し音が鳴る。

ファーレンハイトはビジフォンとロイエンタールを交互に見つめ、ためらい、もう一度ロイエンタールを見つめてからビジフォンに出た。

副長のホフマイスターからだった。自分の艦長が連隊長室で電話番をしていると聞き、これから交代に来てくれるという。

「ああ、それは助かるな。卿の方はどんな様子だ?」

ファーレンハイトはビジフォン越しに副長との話に夢中になっているふりをして、ロイエンタールがいる方には一度も目をやらなかった。目の端にロイエンタールが立ったまま腕組みをして彼を待っているのがわかった。

ようやくビジフォンを切ると、ファーレンハイトは待っているロイエンタールの方を見た。ロイエンタールが口を開く。

「もう行く」

「ああ、うん。昼飯持ってきてくれてありがとう。君も楽しんできて」

ファーレンハイトは明るい大きな声でそう言うと、忙しそうに端末に今の副長との会話のメモを取った。少し眉をひそめて端末をのぞき込み、考え込む。

「…じゃあ」

「うん、またな」

端末から顔を上げずに手を振ると、ロイエンタールが振り返って扉に向かって出て行った。

自動扉の開く音と閉じる音。

ファーレンハイトは司令部内ネットワーク画面のトップページをじっと見つめたまま、その音を聞いていた。もちろん、画面には何も入力されてなどいない。

―何をやっているんだ、俺は。

そのまま動くこともできずに、今の自分の行動に対する恥ずかしさと後悔に身を任せる。自分の思い通りにならないことに対する子供っぽい怒りと、それに報復しようとする醜い嫉妬心について思いを巡らし、密かに身もだえしつつ連隊長室のデスクの前で頭を抱えていると、外に物音がして、部屋の扉を誰かがノックした。ファーレンハイトの入室を許可する声に答えて、彼の副長が入って来た。

「艦長、お待たせしました。こんなところにお一人でいないで、すぐ呼んでくださったらよかったのに」

「いやあ、いいんだ。ちょっと暑くなってきたところで、休憩になってちょうどよかった。卿にも来てもらって悪いな」

彼の副長は苦笑して手を振る。

「何をおっしゃるやら。ところで艦長、今そこであのロイエンタール少佐とすれ違いましたが」

「うん、そうなのか。彼がどうかしたか」

自然に答えたつもりが、われながら白々しい言い方だと思った。ロイエンタールが手つかずのまま残していったコーヒーを、あくまでさりげない様子で飲む。とにかく副長というのは誰より身近な存在だ。なんとなく今の自分の感情を取り繕うのが難しい気がした。

その証拠に、副長は艦長の異変に気付いているようだった。

「…艦長、老婆心ながら申し上げますが、彼はいけません」

ファーレンハイトは飲み込もうとしたコーヒーが気管に入りむせた。副長は咳き込む艦長にハンカチを差し出しつつ、続けた。

「つまり、彼と付き合うのはやめておいた方がいいです」

ファーレンハイトはため息をついた。副長というのは大変身近な存在だ。艦長が現在、誰と付き合っているか、それがうまくいっているかもよく知っている。

ホフマイスターも彼の艦長が女性と親密になることもあるが、男性にも心を動かすことがあるという状況に気づいていた。昨今は世間においてはかつてのルドルフ大帝の御代のように、同性との付き合いを禁忌と見なさないが、奨励されるべきことでもない。特に軍においてははっきり禁止が明文化されている。

だが副長は、軍法会議ものですぞとは言わなかった。

「彼はよくない相手です。彼と付き合って艦長が幸せになれると思えません」

ファーレンハイトは目を瞬いて副長を見つめる。自分の副長がそんな過保護な母親めいたことを言うとは意外だった。

「なぜそう思う」

「現に今、満足しているようではないではないですか。しかも、あらぬ方を見てぼーっとしたり、ため息をついたり、突然賑やかに話し出したり、急に黙り込んだり…」

副長の言葉を聞いて、ファーレンハイトは徐々に顔が赤くなるのを覚えた。

「そもそも彼が女性と付き合って今、何人目かご存知ですか。私が知っているだけでも5人にはなりますぞ。女性は遊びで男に本気だという性質だとも思えません。ロイエンタール少佐は誰に対しても本気ではないんだと小官は思っています。そんな人と付き合っても無駄に心労が深まるばかりです」

「…俺がそれでもいいんだと思っていたら…?」

「艦長…!」

副長が天を仰いだ。ファーレンハイトは肩をすくめる。

「どうしようもないんだ。月並みな言い方だが、理屈ではどうすることもできないってことは卿もわかるだろう」

「…それは、分かります。あの人についてこんな失礼なことを言うとは、我ながらおこがましいと思います。でも、艦長が彼にいいようにされているということが、私は嫌なんです」

副長に対して彼のために怒るべきなのだろうが、ファーレンハイトはそうすることが出来なかった。それは副長の言葉が真実だと思っているからなのだろうか。

―彼はそんなんじゃない、となぜ言えない?

それは本当には彼の心を捉えることが出来ていないからだと、初めから分かっていた。

 

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