騒がしい夜
なじみの店に食事に出た先で、自分の過去と運命に向き合うことになった、ファーレンハイトの慌ただしい一夜。
「二人の艦長」第2部をお読みになってからのほうが、物語の背景がよくわかると思います。
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~1~
「あんたが、好きなものを、おれも食べたい、と言っているんだ」
まったくなんという殺し文句だろう。ファーレンハイトは着替えながらそう思った。超然として無関心でいるように見えて、なかなか口が立つ。なるほど女たちが群がるわけだ。
「待たせたな、じゃあ行くか」
踊ったり騒いだりで汗を吸った服を着替えて、ファーレンハイトは寝室から出てきた。Tシャツに厚手のジャケットを羽織って、先ほどの格好よりは多少大佐の身分らしく見えた。ソファで膝を抱えて待っていたロイエンタールが立ちあがって、ファーレンハイトの後ろについて行く。
「深夜営業の店とはどこにあるんだ」
「トラムに乗って行くが、10分くらいだ。商業地区の裏側というのかな。完全に民間人のみの居住地区だから軍人連中はあまり行かない場所だ」
「地上車で行けば早いだろう」
ファーレンハイトはドアの前で立ち止まってロイエンタールを先に通すと、自分も出てドアを閉めた。廊下で待つロイエンタールの顔を見ないようにして小声で言う。
「密室で二人きりになったらどうなることか」
「何だって」
「いいや、別に」
ロイエンタールの肩を叩いてリフトへ向かわせる。自分が乗って来たばかりのリフトがまだいて、すぐに扉が開く。司令部のリフトで大佐と乗り合わせたら、少佐が先に乗って恭しく扉を開けたままにして待っているだろうが、ロイエンタールは大佐の後にリフトに乗り込んだ。奥の壁際に立って、扉が閉まるのを待つ。
ファーレンハイトがロビー行きの『1』のボタンを押したとたんに、ぐいと勢いよくジャケットの後ろの襟首を引っ張られた。強引な手が顎をつかみ、後ろを向かせる。
「うわっ」
ロイエンタールの顔が迫って来たかと思うと、唇がぶつかった。驚いて口を開いた所に、暖かい息がふきかけられる。柔らかい舌が口内を蹂躙し、ファーレンハイトの舌に吸いつき絡む。手が彼の首の後ろを撫でながら忍び込み、熱い身体が巻き付くように擦り寄ってきた。
ファーレンハイトは夢中になって腕を回し、その身体を自分に押しつける。その口は甘いワインの風味がした。もっと接吻を深めようと顔の角度を変え、彼の後頭部に手をまわして髪の毛をくしゃくしゃにしてやる。ロイエンタールが彼にしがみついて喉の奥でなまめかしい音を出した。
ポーンと音がした。
リフトが1階に降り、扉が静かな音を立てて開く。ロイエンタールが相手の胸をドンと押して、抱きしめる腕から逃れ、リフトの外へ出た。
「着いたぞ」
呆然としてリフトの中央に立ったままのファーレンハイトは、扉が閉まろうとしているのに気付き、慌てて外に出た。
ロイエンタールは片頬で笑うと、相手のズボンの前を見て「いい格好だな」と言ってホテルの玄関に向かって廊下を先に進んだ。
真っ赤になって、ファーレンハイトはジャケットの前のボタンを一番下まできっちり止めた。まったく、厚手の裾の長いジャケットで助かった。今の状態で人目にさらされたら大佐の評判もどうなることやら…。幸い、熱くなっていた箇所は突然、突き離されて急速に冷静になった。
「いい度胸だな、ロイエンタール少佐」
さっきの独り言を聞いていたのだろうか。彼にからかわれたことに気付いたファーレンハイトだったが、こちらを横目でちらりと見た相手も、見せかけているほど平静ではないことが分かって腹立ちを押さえた。少しうるんだ瞳、乱れた前髪、上気した頬と真っ赤にはれた唇では超然としていたくても出来るものではない。
ホテルの外の通りはすでに人通りが少ないが、繁華街に建っているだけに、地上車も多く走っていた。今度はロイエンタールも地上車のことは何も言わず、トラムの停車場まで黙ってファーレンハイトと並んで歩いて行く。
風避けの不透明なパネルが三方を覆うトラムの乗り場は人気がなかった。運行表示によれば、じきに次が来る。見るとロイエンタールは腕を組んで肩を縮こませている。
「寒いのか」
「いや、さっきまで暖かい場所にいたから」
「軍人のやせ我慢というやつだな。温まる方法を教えてやろうか」
ロイエンタールは相手の笑顔にある種の危惧を覚えて後ろへ下がる。
「いや、結構だ」
「遠慮するな」
風避けのパネルの隅に追いつめて相手の肩を抱いてやる。結構だといいながらも、ロイエンタールはぬくもりを求めるように身体を押しつけてきた。そのジャケットの下に手を忍び込ませ、シャツの合わせの間を探って素肌に手を触れる。その胸はとても暖かかった。
「冷たい」
「そのうち温まるよ」
最初にそっと少しだけ、胸の突起に触れ、その後周囲を探索する。ため息をついてロイエンタールは相手の肩の上に額をつける。片方の腕をそっとファーレンハイトの後ろの腰に回した。
「…あっ…」
彷徨わせていた手を疼いているに違いない胸の中心に戻し、押しつぶしてやると小さい声がした。さらにじっくりと急ぐことなく押しては転がしてやる。どんな色をしているか見てみたくなり、シャツのボタンを2つ、3つと開ける。左胸だけはだけさせて、薄暗い明りの中で見てみると少し赤くなって、まだまだ注意を向けてほしがっていた。
冷えないようにジャケットの襟を立ててやり、肌をあまり露出させずに胸だけ外に出るようにして、胸の突起を口に含んだ。
唇に裸の肌の熱を感じ、暖かい口内に閉じ込めて吸いついて突起に舌を絡ませ、冷たい空気にさらさないように守ってやる。
ロイエンタールが快感をやり過ごそうと相手の襟首の布にかみついている。だが、息が抜けて「…ふん…ん」と声を出した。
「もっと声をきかせてくれ」
ふうっと大きなため息をつくのが聞こえる。声を聞きたいという彼の望みに逆らおうとしているのだ。お仕置きをしてやろうと、胸から唇を離して、ひんやりとした空気をあてる。ぶるっとその身体が震えた。そしてまた再び温めてやろうと口に含み、今度は強く早い動きで突起を舌で転がした。首をのけぞらして、ファーレンハイトの後頭部をつかむ。
「…あっ、…ん…」
遠くからゴトゴトとトラムが近づく音が聞こえてきた。
ファーレンハイトは顔をあげると、てきぱきとロイエンタールの服を整えてやった。
「これでおあいこだ」
ロイエンタールは片手で目元を覆い隠して、風避けのパネルに寄り掛かったまま、天を仰ぐ。ファーレンハイトも隣に立って静かに忍び笑いをする。
相手を責めたところで、自分もつらくなるばかりのお遊びだ。
トラムが停車場に入って来た。自動運転で運行されるそれは、数人の客を乗せている。残業か、遊びの帰りといった風情の疲れた表情の人々だ。二人は平静なふりをしてトラムに乗り込む。疲れ切った人々は新たな乗客を見もしない。
二人は3人掛けのシートに並んで座った。乗客は互いを見ないように俯いて座っている。
ファーレンハイトはジャケットの裾から、手が忍び込むのを感じた。
小声でその手の持ち主をたしなめる。
「おいっ」
その手は遠慮することなく、目的の場所へたどり着くと、しっかりと上下に撫でさすり始めた。ファーレンハイトはその手が欲しかった。だが、今どかさなかったら非常に困った事態に陥るだろう。何とか手をどかそうと相手の腕を押さえこむ。
「いいかげんにしろ」
「誰も見ていない。ちょうど仕切りがあるから分からない」
そんなことを冷静な口調で言う。押さえこまれた手から逃れて、ズボンの上からその箇所の形を確認するように、しごくように動かす。
ファーレンハイトは目をつむって、その気持ちよすぎる動きに反抗しようとした。いささか強すぎる力で腕を引っ張る。引っ張られてロイエンタールは少しバランスを崩して、ファーレンハイトの膝に倒れ込んだ。
「もう終わりだ、終了。頼むから大人しくしてくれ」
ロイエンタールは大人しくなった。腕を取られたままで、顔をそむけているのでその表情は分からない。だが、ファーレンハイトの脇の下に何となく寄り掛かっているので、甘えられているような気がした。
―それにしても急ぎ過ぎる。さっきまでただ食事をするのだと思っていたのに、こんなに早くこういう雰囲気になるとは。
ファーレンハイトも何人かの男女と付き合ってきたが、おおむね順当に手順を踏んで親密さを増して行った。だが、ロイエンタールは他の誰とも違う。こんなに急に性的な雰囲気になるのはまるで、後先考えないその場限りの仲のような…。
ファーレンハイトは危険な思考を振り払うように首を振った。その動きに気づいて、ロイエンタールが顔をあげる。その表情は別に甘えてもいない、いつもの―自分は無関係だ―、とでも言いたげなものだった。
ファーレンハイトはため息をついてロイエンタールの耳にささやく。
「俺も早く君が欲しいよ。だけど、ほら、まだこれから食事に行くところだし。もう少しいろいろ話をしたい」
まるで物慣れない学生みたいだ、と我ながら思う。だが、あまりに性急にすぎてめまいがしそうだった。
「…話?」
何を言われているか、分からないとでも言いたげな声が言う。
「そう、だいたい君がどんなものが好きかも聞かないで出てきてしまったな」
「あんたが好きなものならなんでも―クロワッサン以外で」
本来だったらその言葉で有頂天になってもいいのだろう。だが、ファーレンハイトは素直に喜べないことに気付いた。少しの焦燥感と共に、彼は自分自身のことをあまり聞かれたくないのではないか、という疑念が湧いた。
しかし、その疑念をよそにロイエンタールは口を開いた。
「ミッターマイヤーと一緒の時は良く、あいつの好きなカリーブルストと揚げたイモを食べる」
「あれが嫌いな奴なんているかな」
「おれは最初はあまりおいしいと思わなかったが、ミッターマイヤーに付き合って食べるうちに味に慣れてきた」
並んで座るロイエンタールの腕を囲い込んだまま、ファーレンハイトはその手を取って長くて細い指をもてあそんだ。
「…へえ…。あいつとはよく出かけるみたいだな」
「まあ、たまに…」
彼は言いよどむとそのまま黙りこむ。ファーレンハイトも別にミッターマイヤーの話をききたくなかったので、それ以上は話を広げなかった。
「ブルストもいいけどな。これから行く店は家庭料理の店だから、君も懐かしくなるかもしれないな。おふくろの味ってやつかな、特別なものは出ないがかなりうまいんだ」
ロイエンタールはそれに対して何も言わなかった。おかしなことを言っただろうか、と思う間にも、トラムが停車場に到着する。
ロイエンタールの手を離して、ファーレンハイトは「ここで降りるよ」と言って先に立ってトラムを降りる。
ファーレンハイトが先導して、二人は停車場からすぐに細い路地に入った。路地の先から音質の悪いオーディオが何かの曲を再生しているのが聞こえる。路地を出るとそこは噴水のある小さな広場になっていた。噴水をはさんで一方に大きな街路樹が植わっており、もう一方に明かりの洩れる店の扉があった。そこからはにぎやかな声がしていた。まだ、どこからか音楽が聞こえている。
店の看板には『ゼルマの店』とある。噴水や店の周囲を眺めているロイエンタールの袖を引っ張って、ファーレンハイトは店の方へ顔を向かせた。