騒がしい夜~2~
「こっち、今夜も結構賑わってるな」
彼らは肩を並べて店の中に入って行った。
店内には赤白のチェッカー模様のクロスがかかったテーブルが5卓あり、そこに数人の男女が座って食事をしていた。暖房と人の熱気の他にも、店内の黄味がかった照明のせいでことさら暖かく感じた。
「よお、久しぶり。ゼルマ! 小公子が来たよ」
ドアが良く見える場所に座った男が小さなカーテンがかかった厨房の奥へ声をかけた。店内の客が一斉に振り向く。奥の方に座った大柄で坊主頭の男が彼に向かって手を振る。それにファーレンハイトは答えつつ、空いている席を探した。
「お友達と一緒なの? 二人ともここへ掛けなよ。あたしはあっちに座るから」
肩を出した服を着た30がらみの女が彼に声をかけて、隣のテーブルに皿を持って移動した。彼女が座ったテーブルにはしわくちゃの顔を真っ赤にした老人が座っており、歓迎するようにビールのマグを掲げた。
「おお、今夜はついてるな、美人が来たよ」
「爺さんをつけ上がらせるなよ、イェニー、こっちの方があったかくて居心地いいぜ」
一人の男が自分の膝を叩いてイェニーと呼ばれた女に茶々を入れる。
「言ってな。あたしは小公子と話したいからここがいいの」
ファーレンハイトが店の中をすすんで、席に着こうとするその後ろにロイエンタールが現れたので、店内の客はみな口をつぐんで彼を見た。彼はよくそういう目に会うので、別に気にもせずファーレンハイトの向かいに座った。
イェニーは彼の顔をじっと見て口元を手で押さえ、息を飲んだ。
誰かがピュウと口笛を吹く。
ファーレンハイトが咳払いをして黒板に書かれたメニューを指さした。
「リーキのスープにパンでもいいね、とりあえず黒ビールと…。あっ、リンダールーラーデン作ったのか、ゼルマ」
厨房から顔を出した大柄な中年の女にファーレンハイトが声をかけた。艶のあるかなり黒っぽい髪に少し浅黒い肌で、帝国では珍しい風貌だ。女はファーレンハイトの額に接吻すると、ロイエンタールの方を見てにっこりする。
「作ったよ、勘が働いたのかね、そろそろあんたが食べたがるころだと思って。今夜はたくさん作ったから、お友達も一緒に食べるといいよ」
「ではそうしようか。しかし懐かしいな、たくさん作ったなんてうれしいね。何かの記念日?」
ゼルマは丸い肩をすくめて笑いながら首を振る。
「あたしにとっちゃ毎日が特別な日さ。ことにこんなきれいなお客さんが来てくれることもあるとあっちゃね」
ロイエンタールは叔母のコルネリアを思い出して、ゼルマをじっと見た。髪や肌の色、着ているものこそ違うが、同じように大柄でふくよか、まるまるとしたほっぺただ。彼女にどう対応すればいいのか分からず、少しだけ口角をあげて頬笑みを形作る。
ファーレンハイトはゼルマの頬がひどく赤くなったのを見てあっけにとられた。ゼルマはその大きな手で顔を煽いだ。
「じゃあ二人ともビールとリンダールーラーデン、付け合わせはイモでいいね」
ロイエンタールの方をじっと見たまま、ゼルマがそう言ったので、ロイエンタールは頷いた。
「ありがとう」
「…どういたしまして」
ゼルマは真っ赤になった顔を煽ぎながら厨房へ引っ込んだ。店内の客はゼルマが去った方とロイエンタールの方を交互に見て、ぽかんと口を開けている。ファーレンハイトは顔を手で覆ってテーブルに肘をついた。
「ゼルマってばなんかおかしいね。『どういたしまして』だと」
「小公子、その男前のお友達は誰なんだい」
ファーレンハイトは顔をあげて手を振った。
「誰って…、いうとおり、友達だ。腹が減ったというからここへ連れて来たのさ。この時間この街で旨い飯と言ったらゼルマの所が一番だからな」
「いえてる。軍のおやっさんのお陰で街の中心じゃもうとっくに店は閉まってるからな。旨いものが食えるのはこの界隈だけだよ」
ロイエンタールがファーレンハイトを見た。
「軍のおやっさん?」
ファーレンハイトは小声で答える。
「このあたりじゃ、司令官閣下をそう呼ぶのさ。別に悪気があってそんな呼び方をしているんじゃない」
「…別にそう思ったわけではないが」
戸惑いを隠しきれないようなロイエンタールの言葉に、ファーレンハイトは首をかしげて相手を見る。
「どうした?」
ロイエンタールはテーブルに頬杖をついて視線だけ動かして店内を見る。
「いや。なんだかあんたはさっきとは別人のようだな。話し方まで違う気がする」
「…そうか?」
そこにビールのマグ2つと料理が乗った大皿を持ったゼルマが戻って来た。
「さあ、どうぞ。今ちょうど二人分の皿が全部洗い場で洗われるのを待っててね。大皿で悪いけど取り皿に取って食べて頂戴。小公子、パンかごから好きなだけパンをお取り」
「了解、ゼルマ。君は先に食べててくれ」
ファーレンハイトが立って、厨房の前にあるカウンターに置かれたパンかごにパンを取りに行く。ロイエンタールがその後ろ姿を追って視線を動かす。すると、まだ彼の方をじっと見つめたままだった隣のテーブルのイェニーと目があった。
「あんたの目、左右で色が違う…。明かりのせいかと思ったけど、やっぱり違う。女の子にその目でじっと見つめてほしいって言われない?」
そう言う自分がじっと見てほしい、と言っているのは分かったから、ロイエンタールはイェニーの目をじっと見ながら口を開いた。
「『小公子』とは何のことだ?」
イェニーはうっとりと彼を見つめながら答える。
「あんたを連れて来てくれた彼のこと。あたしもなんでかは知らないけど、ゼルマはいつもそう呼ぶから、みんな真似して言うの。この店の常連は彼が大佐さんだって知ってるけど、このあたりに偉い軍人は普通来ないし、軍人を嫌がる奴もいるしね。あだ名よ」
ロイエンタールは頷いた。イェニーはまだうっとりしたまま彼の方を見ている。ファーレンハイトが少し身を乗り出していたイェニーをつついてどかせた。
「そら、お待ちかねのがっしりしたパンだ。料理も自分で好きなだけ取ってくれよ」
2つの小皿に黒っぽいパンと白っぽい色のパンをそれぞれ2つずつ置くと、ファーレンハイトはビールをあおって飲み、ふうーと息をついた。大皿にいくつも乗った肉の塊とイモに手をつけもせず、ロイエンタールが皿をじっと見て戸惑っていることに気付いた。
ファーレンハイトはロイエンタールがなぜすぐに料理を取らないか分からず、その顔を覗き込んだ。
「なんだ? 腹減ってんだろ。俺が先に取っていいのか?」
ロイエンタールが頷く。ファーレンハイトは自分のナイフとフォークでさっと2個の肉の塊を取り、同様にいくつかイモと玉ねぎも自分の皿に取って、すぐに一口切って口に放り込んだ。
「うん、旨い。おふくろの味だね。もちろんうちで母さんが作ってたのとはちょっと違うけど、それでもみんなが知ってるおふくろの味だな」
ロイエンタールは黙ってファーレンハイトと同じように自分のナイフとフォークで皿に肉を取り、イモと玉ねぎも取った。皿の内容をじっくり確認してから、肉を切って口に運ぶ。肉は薄切り肉で玉ねぎと人参、ベーコンを巻きこんで隠しており、それがひと固まりの肉になっているように見えたのだ。マスタードの風味が利いて見た目以上にうまみがあった。ロイエンタールは頷いた。
「旨いな」
ファーレンハイトがにっこりして「そうだろ」と言う。その笑顔に応えるようにロイエンタールの頬が緩んだので、ファーレンハイトはナイフを取り落としそうになった。気持ちを落ち着けるためにビールを飲む。
ときどき二人して目を合わせる以外、特に話すこともなく食べ続ける。懐かしくも暖かい料理のおかげか、ロイエンタールの瞳が終始自分をじっと見ているせいか、ファーレンハイトは身体の内からぽかぽかと温もって来た。
ロイエンタールがその沈黙を破るようにして話しだす。
「こういう店はミッターマイヤーが好きそうだ。イゼルローンで似たような店に連れてこられたことがある。こういう料理があったか分からないが」
ファーレンハイトは彼がどんな表情で話しているか見るのが怖いような気がして、俯いてパンをちぎった。ロイエンタールが話し続ける。
「あいつはだいたいいつも同じような料理を注文する。ブルストとイモ。終わったらデザートまで食べる。デザートを食べるのはいつもではないが、あいつは酒も飲むが甘い物もたくさん食べる」
「…そういう時、君は何を食べるんだ?」
「おれ? おれはあいつが注文するものを食べる。料理の名前は良く分からないから」
「デザートも?」
「おれはあまり甘い物は好まない。一口くらいだったら食べるが。ケーキの味を知らないのは不幸だとか言ってよくミッターマイヤーに無理に食べさせられる」
またミッターマイヤー? 馬鹿げた想像がファーレンハイトの脳裏をよぎる。あの黄色い髪の男がフォークにケーキを一口取って、ロイエンタールに食べさせる場面だ。
ファーレンハイトは無理に調子を合わせようとして口を開く。
「甘い物もたまにならうまいけど。疲れた時とかな」
「そういう時は酒を飲む」
と言ってロイエンタールはにやりとした。
「マシュマロ入りカフェ・ラテ。マシュマロが何かはおれだって知っている。あんな甘いものを食べる男の気が知れない」
「あれはたまの休日の楽しみなんだ。休みの日の朝ぐらいいいだろ」
ロイエンタールが艶のある声音でフフフッと笑ったので、ファーレンハイトは自分の心臓の鼓動が早くなるのが分かった。隣のテーブルのイェニーまでこちらを向いた。
「いいなー、小公子。あたしも混ぜてよ。彼とお話したいな」
『小公子』と呼ばれたもうすでに小さくはない20代も半ばの男は手を振って苦笑いする。ロイエンタールが何かを言いたげに口を開こうとしたが、ビールのマグを持ってゼルマがこちらへやって来たので口をつぐんだ。
「そうそう、あたしも混ぜとくれ。今夜は結構疲れた。ここで休ませてもらうわ」
そう言って、ロイエンタールの前の空いている席に座る。隣の席を大柄な女性に占領されて、ファーレンハイトは少し横へずれた。ゼルマがその城から出て客と一緒に飲むなど、珍しいこともあるものだ。他の客も面白そうに彼女を見ている。もちろん、誰のせいかは明らかだ。
ゼルマがビールをぐいっと飲んでから尋ねる。
「この彼も軍人なの? 小公子」
「そうだよ、まあ俺の部下のうちの一人と言うかな…」
イェニーが鼻で笑った。
「ゼルマ、当り前よ。この街のいい男はみんな軍人。いけすかない男もみんな軍人。軍人でないやつはクズばっかりよ」
「あんたの男は3つ全部足したやつだね、イェニー」
さっきイェニーに膝に乗れといった男が口をはさむ。
「顔はいい男、性格はいけすかない、軍人を辞めちまったクズの元軍人だ」
「うるさいよ!」
イェニーはさっと男の方を向いて手を振り回すと、再び元に直ってロイエンタールをじっと見つめる。
「あんたはきっと優秀なんでしょうね。軍服を着ているところが見たいわ」
イェニーに怒鳴られた男が鼻を鳴らした。
「本当に軍人かい、ずいぶん細っこい兄さんじゃないか。小公子も細いと思ったけど、あんたはここの仲間だしな。けっこうやるって実地で見て知ってる。顔がいいだけで優秀かどうか、分からないぜ」
店内から複数の声が飛ぶ。
「妬いてんのかよ、こちらの兄さんに失礼だぜ」
「そうそう、小公子が顔だけのやつと友達になるかよ」
ゼルマがビールのマグをダン、とテーブルに置いて叫んだ。
「よしっ、じゃあ、あたしと腕相撲しとくれよ! 顔だけじゃないところを見せておくれ!」