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騒がしい夜~4~

2時間ほどして、フーゴを連れたファーレンハイトが戻って来た。店の中にはテーブルに肘をついた酔っぱらいや、眠り込む客がいた。その中に、ゼルマと向かい合わせに座ってコーヒーを飲むロイエンタールがいた。フーゴが腕を広げて彼を迎えたゼルマを抱擁する。

フーゴの後ろからファーレンハイトが覗き込むと、ロイエンタールは少しだけ口角をあげて笑った。

ファーレンハイトは腕組みして渋い顔をした。

「卿は帰れと言ったはずだが。憲兵から伝言を受け取らなかったのか」

「伝言なら聞きました。私が勝手に大佐を待つことに決めただけです」

そんな口調で答える。ファーレンハイトは首を振った。

「あー、もう…。そんな口のきき方するな。待たせて悪かったな。ゼルマ達ももう安心していい。発砲したやつは捕えたし、ひとまず今は安全だ」

「誰か死んだかい、小公子」

酔いからさめた客が、今夜の客の誰にとっても特別な意味を持つことになった呼び名で彼を呼ぶ。ファーレンハイトは暗い表情で首を振った。

「重症だが命に別条はない。さあ、みんな早く帰れ。いつまでもここにいちゃゼルマも迷惑するだろう、ゼルマ、今夜はありがとうな。また近いうちに来るから」

「なに言ってんの。あんたとあんまり話せなかったね、また絶対おいで」

ゼルマが立ちあがって彼を抱擁して両頬に接吻すると、背中を叩いて言った。

ファーレンハイトは頷いて、フーゴの敬礼に応えてから、彼自身もロイエンタールを促して店の外へ出た。

少し歩いて、噴水の前まで来るとロイエンタールの方に振り向く。

「もう帰っていると思ってた」

ロイエンタールは腕を組んで相手を見る。その目は少し不機嫌そうに見えた。

「おれは今夜あんたに会いに来た。一人で帰るつもりはない」

ファーレンハイトは俯いて首を振る。彼のこのような台詞を喜ぶべきかもしれないが、しかし、今はどのように受け取るべきか分からなかった。

「そうか…。もうトラムは走っていない時間だ。フーゴが地上車を呼んでくれたから、それで帰ろう」

路地を出た先に言葉通りに地上車が止まって彼らを待っていた。ファーレンハイトは運転席側へ行こうとしたが、ロイエンタールがパッと小走りして運転席のドアを開け中に入った。ファーレンハイトは立ち尽くした。

ロイエンタールが運転席の窓を開けてファーレンハイトに声をかける。

「早く乗ってくれ。ずっとここにいるつもりか?」

助手席側に回りこんでドアを開け、車内に入る。ロイエンタールが車内の暖房を強め、自動運転のパネルを操作していた。ファーレンハイトが腰を落ち着けてすぐに地上車が走り出した。

「なぜ運転席に座るんだ。おれが上官で君は部下の分をわきまえているってことを言いたいのか」

ロイエンタールは眉をひそめて助手席を見る。

「何を言っているんだ。そんなことは思ってもいない」

「ではなぜだ」

ロイエンタールはフロントグラスから街灯に照らされた街並みを眺め、おもむろに腕組みした。

「あんたが疲れているように見えたから」

街灯と車内の操作パネルの明かりに照らされた彼の横顔は表情が良く見えなかった。だが、好意を無にされて機嫌を悪くしているようにファーレンハイトは感じた。

「…そうか。すまない、変なことを言って。君が言う通り疲れているのかもな」

そして手足を強張らせて座席に座っていたことに気付き、ため息をついて背をシートにもたれ掛けた。

「ありがとう」

暗がりの中でロイエンタールが肩をすくめたのが気配で分かった。しばらく無言で地上車を走らせる。ロイエンタールが不意に口を開いた。

「伯爵の息子の小公子。結構な悪ガキだったそうだな」

「ゼルマが話したのか。まあ、あの界隈じゃ俺は身体が大きい方だったからな。力が強ければガキ大将になるのも容易い」

「子供の頃は小さかったとか彼女は言っていたが」

「引っ越した当時はな。だが、じき背が高くなって10歳で14歳のやつらより大きいくらいだった。というより、彼らが小柄だったんだ。なぜだか分かるか?」

「…さあ?」

前を見たまま、窓枠に肘をついてファーレンハイトは続けた。

「彼らはその親父も爺さんも、そのまた爺さんも何代にも渡ってずっと貧しい暮らしを続けてきているんだ。生まれた時から死ぬまで、栄養があるものを満足に食べる機会なんてめったにない。徴兵されればいい飯が食えて1日3食、食いっぱぐれることがないってんで、年を誤魔化してまで軍に入ろうとするくらいだ。それが何代も続けば体格も変わろうというものさ」

ロイエンタールは彼の方をじっと見ているようだった。ファーレンハイトは自分の口調の苦々しさを感じつつもそれを押さえられず、話を続けた。

「俺や君を見てみろ。先祖代々飽食に明け暮れたそのお陰で、結構な体格を受け継いだ。どんな腰抜けであろうと大貴族どもに身長170センチ以下のやつを俺は見たことがない。それと同じだ」

「…だが、あんたも子供のころは貧しかったのだろう。いや、それでも先ほどのような肉を食べられたのだからましな方だったということか」

「…そうだな…」

ロイエンタールは相手が話を続けるのを待っていたが、ファーレンハイトはそのまま何も言わず、行く先を見つめていた。ときどき街灯が彼の秀でた額やしっかりした鼻筋を照らし出す。その口元はゼルマの店で見せたような柔らかな頬笑みではなく、こわばって引き結ばれていた。

やがて地上車が減速し、ホテル近くの補給スタンドを目指して進路を変えた。明かりに照らされた補給スタンドの駐車場の空いている場所に停車し、二人は地上車から降りた。街の中心地にほど近いせいか、スタンドには夜中にもかかわらずちらほらと人の姿が見えた。

「ああ…、ここか」

ここから2、3分の距離にあるホテルまで歩いて向かおうとした時、ロイエンタールが声をあげた。補給スタンドに併設された売店の方を見ている。

「どうした。何かあったかいものでも飲むか? 部屋に行けば何かあると思うが…」

「いや、いいんだ」

ロイエンタールは首を振った。少し微笑んでスタンドの明りの方を見ている。

「この間、ちょうどあそこでミッターマイヤーと夜中にコーヒーを飲んだ。それほどとは思わなかったのに、気付いたら1時間くらい話しこんでいた。それを思い出しただけだ」

その瞬間、ファーレンハイトは自分の心臓がついに止まってしまったと思った。駐車場の煌々とした明かりに照らされて、ロイエンタールの表情ははっきり見えた。これまでそのような懐かしむような、憧れるような優しい眼差しを彼の表情に見たことはなかった。

ファーレンハイトは悟った。

自分は彼が好きだ、と。

だがその思いと同時に、彼の方は自分のことをなんとも思っていない、彼が好きなのはあの黄色い髪の男だが、彼自身はそれに気づいていないのだ―、という言葉が電流のように脳裏を駆け巡った。

ファーレンハイトの方を振り向いたロイエンタールは、ハッとしたように彼の顔を覗き込んだ。

「おい、急にどうしたんだ? 顔色が悪い」

そういうと、ファーレンハイトの両肩をつかんだ。

きっと自分は真っ青になっているに違いない、ファーレンハイトは震える手をあげて額に当てた。気が付くと、心配そうな表情をした色違いの瞳がこちらを見ていた。肩に置かれた手はしっかりとしていて、そこから彼という存在が根を張って身体中に広がるように感じた。

「何でもない。暖かい車内から急に外へ出たから、ちょっと寒くなっただけだ。早く部屋へ戻ろう。食事が終わったらすぐ帰るつもりだったのに、ゼルマと腕相撲したり、殺人未遂があったり、ずいぶん騒がしい夜になってしまったな」

まだ納得していないような表情のロイエンタールの肩を抱いて、彼はホテルに向かって歩いて行った。彼の横顔を伺うように見ているのが分かった。

―馬鹿だな、俺も。ミッターマイヤーが何だって言うんだ。今、彼が一緒にいるのは誰だ? それが分からないのか?

ロイエンタールは彼に『会いに来た』と言った。そして先ほども帰らずにずっと彼を待っていた。そして今も、彼の方を見ている。時々あの男を思い出すにしても、今は彼だけを見ているのだ。

―あいつを忘れさせてやる

そんなセリフはソリビジョンドラマの中だけのものだと思っていたが、彼はまさしくそのような決意を胸に部屋へ入って行った。

 

部屋の中は主が不在の間も中央暖房で暖められており、彼がロイエンタールのジャケットを脱がし、シャツをはだけさせても少しも冷気を感じることはなかった。ロイエンタールの優美と言えるほど細く長い指は冷えており、暖を取るかのようにファーレンハイトのTシャツの中に忍び込んだ。火傷しそうなほど熱い身体のお陰で、じきに爪の先まで温まった。

ファーレンハイトは相手を傷つけまいと優しくゆっくりと、手を、唇を彼の全身にさまよわせた。ロイエンタールの足の小指を撫で、ふくらはぎに接吻し、またそのすんなりと伸びた背中に接吻の痕跡を残し、全身に彼の存在を感じさせようとした。

優しくも綿密でいつ終わるとも知れぬ愛撫にロイエンタールは焦れて身もだえした。喉の奥でまるで泣くような声を出して、ファーレンハイトの燃えるように熱い身体にしがみつく。滑らかな肌触りのシーツにかかとを食いこませて、両膝で挟むようにしてファーレンハイトの腰にすがりついた。その足が滑るようにしてファーレンハイトの尻からふくらはぎまで撫でおろす。そして彼らの中心と中心が一部の隙もなく合わさった。

ようやくファーレンハイトが彼の中に入り込もうとした時、違和感とそれ以上に強い快感に責められ、ため息と共に彼は大きな声をあげた。一度声を出したことがまるで引き金になったかのように、喘ぎ声を止めることが出来なくなった。ファーレンハイトがゆっくりと揺さぶりつつ侵入するごとに、彼は押さえきれずに声をあげた。

その喉元からあごへ唇を滑らせて接吻の雨を降らせて、弾む息の下からファーレンハイトが問いかける。

「つらくないか、気持ちいいか」

ロイエンタールは浅い息を繰り返し、ぎゅっと目をつむって相手の背を力いっぱい抱きしめ、小さな動きで頷く。

ファーレンハイトは彼の震える背を撫でながらさらに聞く。

「どっちなのかはっきり教えてくれ。また声をあげてくれ、聞きたいんだ。君の声がすごく好きだ。もっと聞きたいんだ」

ロイエンタールは小さく口を開けたが、声はしなかった。その時ファーレンハイトが自分の動きと合わせて、彼の中心を握りこみ摺りあげたので、大きな「あああっ」という叫びをあげた。そして伸びあがると相手の首の付け根に文字通りかじりついた。

首と肩の間に感じる痛みと、彼の中心を飲みこんで引き絞るその箇所の、しびれるような快感にファーレンハイトはうめいた。彼はもう声をかける余裕を失い、しかしロイエンタールから手を離さずに、そのまま彼を締め付ける熱さに全身を捧げた。

 

ようやく一息ついたファーレンハイトは、うつ伏せたまま起きあがろうとしないロイエンタールを抱えて、よろめきながら浴室へ向かった。彼も非常に疲れていたが、同時に頭はふわふわとし、浮ついているといえるほどの気分の高揚を感じていた。

彼はロイエンタールをバスタブに座らせてお湯の蛇口をひねると、飛ぶようにして寝室へ戻ってベッドの後始末をした。

シーツを抱えて再び跳ねるようにして浴室へ向かい、この部屋専用のランドリーシュートに洗いものを投げ込む。彼はめったに使わない、もらい物のいい香りのするシャワージェルのボトルを見つけ出した。自分ではない誰かのためにこれを使えるのがうれしかった。興奮のせいか手が震えて、ふたを開けたシャワージェルのボトルを、湯を張ったバスタブにそのまま落とした。1回の分量としては恐ろしいほどのジェルがお湯の中に溶けていく。

ファーレンハイトはバスタブに大きなスポンジを持って入り、指一本動かそうとしないロイエンタールを徹底的に洗ってやった。ロイエンタールはうっすら目を開けてどのように洗われようと相手に任せたままだった。一度、彼の中心から後ろの方に手が忍び込んだ時に顔をしかめただけだった。

ざっとシャワーで泡を落としてからバスローブでくるんでやり、今度はちゃんと自分で立ちあがったロイエンタールを再びベッドに連れ戻した。

キッチンから水のボトルを2本持って寝室に戻ると、ロイエンタールはバスローブのままベッドの上で半身を下にして眠っていた。その寝顔につめたい水のボトルを押し当てる。

「水飲まないか?」

ロイエンタールは唸ったようだったが、『飲む』と言ったようにも聞こえた。だが目を開けようとしない。ファーレンハイトは自分の分の水をごくごくと飲み、思った以上に喉が渇いていたことに気付いた。そして一口水をふくむとロイエンタールを仰向けにして、その口に水を少しずつ流し込んだ。

ロイエンタールの喉が水を飲んで動く。それを3回ほど繰り返した。3回目の水がロイエンタールの口にすべて移されると、そのまま二人の口を合わせたままにする。まるで無意識のように動く舌を絡め取り、吸い上げて最後にチュッと音を立てて離れた。ローブの紐をほどきすべて取り去って、並んで横たわった身体の上に毛布と羽毛布団を掛けるとロイエンタールを腕の中に引き寄せた。そして、明かりを消した

 

 

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