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あの日~2~

2011年3月11日(金)19:30

私は家に向かって歩いていた。

ネットの地図で検索してみると、都内の会社から自宅まで約18 km、3時間半の距離だ。家に無事たどり着いたのが11時過ぎだったから、ネットの表示通りと言える。

この距離は近いか、遠いか。

いつも通りの時間まで残業したが、あれほどの地震の後ではどの電車も止まっているのは当然だった。都内に住んでいる部長(女性)が自宅に来てもいいと言う。だが、会社のSEの一人は私の家の近くの町に住んでいるが、彼は歩いて帰るので、一緒に帰るならもうすぐ出るから、と言う。同じ方向で、我々の経路の途中に自宅がある嘱託のおじいさん(70)も一緒だというので、私はこのグループに加わる決心をした。

家まで18 km、学校のミニマラソンだと10 km走る。フルマラソンなら42.195 kmだ。

会社を出ると歩いている人がたくさんいた。同じ方角へ歩いている人は、おそらく、皆、同じ場所へ向かっているのだろう。すなわち、家路へと辿る国道がある街へ向かっている。会社からそこまでは4 kmくらいだった。

どの店も煌々と明かりをつけて扉を解放しているのに、地下鉄駅の入り口だけ口を閉ざしていた。どこもかしこも明るかった。

その日の服装は(今年も同じような格好だが)、ダウンのコートにお気に入りのウールのショール、セーターとズボン、歩きやすいぺたんこ靴だった。

4 kmくらいは運動不足の人間でも何でもない距離だった。アドレナリンの作用もあったのだろう。4 km地点の駅はタクシー待ちの長蛇の列があった。道路も渋滞していたから乗る気にもならない。ハイヒールの女の子、ベビーカーのお母さんが歩いていると気になった。でも、どうしようもない。あの日以来、金曜日になるとスニーカーを履いてしまう…。

7 km地点を過ぎた辺りだと思うが、公民館が解放されており、そこの会議室のようなところで休憩させてもらった。トイレも借りてかなり助かった。

このころ、金曜日にはゴスペルのレッスンに通っていた。そのため、そこに行く前に食べるつもりで、その日の朝、通勤途中に大きなあんぱんを買ってあった。みんな、コンビニの空っぽの棚を見て嘆いていたが、私には食料があった。あんぱんは好きだ。

ここの会議室のパイプ椅子に座り込んだら、非常に足が疲れていることに気づいた。だが、長居をすると二度と立てなくなりそうである。一息入れただけで再び立ち上がった。

おじいさん社員の自宅はここから2つの川を渡った街にある。2つ目は車やバスでもよく通る大きくて長い橋を渡る。このような場所も人が続々と歩いて渡っている。

国道の道は川を渡った途端に繁華街ではなくなり、ネオンが少なくうす暗かった。もうすぐおじいさん社員の住む街だ。やっと馴染みの近くの街に来た、とほっとしたが、本当の試練はこれからだった。

ようやっと、10 km地点に来た。

まだ帰れない…。

まさかの、続く…

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