あの日
- seasonofmackerelsky
- 2015年3月2日
- 読了時間: 2分
2011年3月11日金曜日
花金などはいずこの昔、あの日もいつも通り仕事に追われていた。
14:46の時刻に作業していた仕事は今でも覚えている(持ち帰ったから)。Excelのめんどくさい文書だった。ありがたいことにあれ以来、同種の案件はあれど同じだけの分量のものはない。
私の席は壁際の柱がある場所。いつまでたっても収まらないどころか、どんどん大きくなる揺れの中で、隣の席の部長は驚いて立ってたままだったが、私は真っ先に机の下にもぐりこんだ。小学校以来の避難訓練の成果。
机の下で、柱のつかみどころのない表面につかまって、早くおさまれ、おさまれ、と祈っていた。
ようやく揺れがおさまった時、遠くで『ゴオン、ゴオン』と何かが音を立てている以外、全くの無音状態。
ありえない静かさ。(後で、エレベーターの箱が揺れて、音を立てていたらしいと知った)
私の職場は、都内の東京駅周辺地域、オフィスビルが多いとはいえ下町の風情がある街。会社の前には東京駅まで続く6車線の大きな道路がある。車が走っていないせいで静かだった。
次の最大の余震が15:15にあったが、もうその時のことは覚えていない。
机の上に積んであった書類が揺れのせいで床に落ちた。潜っているときにバサバサ落ちる書類に気づいていたが…。PCのモニタがずれていた(確か、倒れなかった)。午後に飲むのが日課のコーヒーが書類にこぼれていた。
余震があるだろうからいったんビルの外へ、という指示により、コートを羽織り外階段を降りて1階へ。コートを取りに行くとき、手が震えているのに気付いた。会社は8階にある。
ビルの外、歩道や道路にはたくさんの人。6車線の道路の中央分離帯に人がいる。自分たちはのんきにビルのすぐ近くにいたが、建物からの落下物があるかもしれないから、道路に出るのがいい。
おそらく16時過ぎには8階の事務所に戻る。家族と連絡がつかない。家にはわんこが一人で留守番してる。
仕事再開…。
柱につかまっている間、日本人なら誰でも思うだろうこと、『とうとう来た』という思いと、その年2月にあったニュージーランドの地震のことを思い出していた。
この日はとてもいい天気だった。
東京のこの地区は震度5弱。
続く…
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