関わりあうものたち
ロイエンタール家には現当主には来歴の分からない美術品があった。案内係に著名な芸術家提督を迎えて、不思議な美術品の謎を解く―。
(この作品には大人向けのオマケがつきますが、本編は色っぽい要素はありません)
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1、
終業の時刻の知らせと共にペンを置くと、「卿らも早く帰れよ」と言って、ミッターマイヤーは副官に見送られて執務室を出た。元帥府で最も残業率が低い部署ということで、先日元帥府事務局から特に名指しで称賛を受けた(くそっ、オーベルシュタインめ)、ミッターマイヤーだった。
いつもなら妻の待つ暖かい炉辺に急ぐところだが、今日はエヴァンゼリンは実家に行き帰りが遅い。親友とはすでに帰りにおちあって飲みに行く約束を取り付けてあった。
待ち合わせ場所の元帥府のビルのロビーに向かうと、その親友と元帥府の僚友の一人、エルネスト・メックリンガーがなにやら額を寄せあって話しこんでいる。おや、と思いつつミッターマイヤーが二人に近付くと、ロイエンタールが気付いて手を挙げた。メックリンガーも隣でいつもの穏やかな表情を向ける。
メックリンガーと共に飲んだ夜はいつもより知的好奇心が刺激され、楽しい酒になることが常だったから、ミッターマイヤーはそれを期待して喜んだ。
「やあ、卿も一緒に飲みに行くのか?」
すると二人は同時に笑いだしたので、訳も分からずミッターマイヤーはむっとした。
「なんだよ」
「いや、悪い。メックリンガーとは飲む話をしていたわけではないのだ。少し知りたいことがあって…」
ロイエンタールはよほどおかしかったのか笑みをたたえたまま言う。親友が楽しそうにしているのは結構なことだが、どうせならその理由を知りたいものだ。
それはメックリンガーが明かしてくれた。
「実はある美術品について教えてほしいと彼に言われてね。ぜひ、あとで卿らと一緒に飲みたいが、その前にこれからちょっとした芸術鑑賞に向かうのはどうだね」
ミッターマイヤーはひるんだ。彼は美術品の価値について理解したいという気持ちはあるが、それではそれを実際に学びたいかどうかとなると話は別だ。著名な芸術家提督が美術品について何を語るか、知りたいという好奇心はあった。しかし、話について行けず、僚友をがっかりさせてしまうのではという気遣いから、彼は即答をためらった。
この時もいつも通り親友が彼に助け船を出してくれた。
「おれも美術品についてはさっぱりわからんが、卿が一緒に来て精神的支えになってくれれば、メックリンガーの芸術的攻撃に耐えることが出来るだろう」
「おや、おや、それほど恐れられているとは」
冗談めかした二人の会話から小難しい話にはならないだろうと予測して、「それじゃあ、ご一緒しようか」とミッターマイヤーは明るく答えた。
帝都で唯一という現代美術館なる建物の前に集った3人は、なんとなくその建築物を眺めた。よく知る者に案内されでもしなければ見過ごしてしまうような、一見普通のオフィスビルだ。ミッターマイヤーは周辺をきょろきょろ見渡した。この辺りはオーディンの一般的な企業や銀行が立ち並ぶ、商業地区の一角だ。
「こんなところに美術館とはね。美術館と言うのは麗々しい貴族的な建物を使うのが普通だと思っていたな」
メックリンガーが嘆かわしげに首を振った。
「それは美術品が特権的な貴族たちのものとなり、庶民の手から離れてしまったからなのだ。そういった美術館には特別な許可がなければ入ることが出来ん。卿らも学校行事などで特別に許されて鑑賞したきりだろう」
ミッターマイヤーは頷いた。聞けばロイエンタールは幼少時に家庭教師に連れられて、何度かそういった麗々しい美術館に見に来たことがあるとか。それでも何カ月も前から予約をしてようやっと見れるのだから貴重な機会を無駄にするなと、何枚もレポートを書かされたそうだ。
「厳しいなぁ、俺は家庭教師じゃなくてよかった。レポートなんて書いて偉いな」
「誉められたものではない。今でも覚えているが、美術図鑑を一晩かけて要約したのだ」
「それにしても力作だ」
悲しげにメックリンガーが天を仰ぐ。
「それも子供たちが美術から遠ざかってしまう遠因なのだ。その硬直したテキスト重視の教育が自由な感情の発露を奪ってしまう」
「その時見た美術品についてさっぱり覚えていないのは確かだがな」
ミッターマイヤーは腕を組んで二人を見る。彼は腹が減ってきて少しいらいらしていた。
「おい、入らないのか? いったいなんだってこんなところで現代教育の弊害なんぞ話してるんだ? どうして俺まで美術館くんだり連れてこられたのか教えてくれよ」
それを合図に3人はビルのエントランスをくぐり、美術館が入っている階へリフトで上がった。
この現代美術館は国立の帝国美術館などとは違い、民間の芸術団体が経営していて、誰でも鑑賞したい者は入場料さえ払えば、見たい時にいつでも見れる。美術館の経営は入場料だけでは賄えないので、民間からの寄付や、併設のカフェや売店で補っているそうだ。3人も窓口で普通に入場チケットを買った。
窓口の女性がロイエンタールに声をかける。
「お荷物はそちらのクロークでお預かりしますよ」
「ああ、ありがとう」
ロイエンタールはそういうと元帥府を出た時から手に持っていた荷物を、クロークにさっさと預けに行った。窓口の女性は「きゃっ、話しかけちゃった」という顔をしている。相変わらずだ。
クロークでも同様に係の女性に「きゃっ、お荷物預かっちゃった」という表情をさせておきながら、さっさと戻ってくると、展示室の入口で待つ二人に合流した。
3人もの軍人が入室したことで、その場の鑑賞者たちは驚き危惧したようだったが、彼らが大人しく鑑賞しだしたので、安心したようだ。慌てたような雰囲気だったのが、どことなく落ち着いた空気になって行く。
誰が見に来るんだろう、などと思うのは門外漢の勝手な思い込みで、退勤後の夕食までの時間を静かに芸術鑑賞をして楽しみたい者はいるものだ。ミッターマイヤーはもっぱら展示物を見ずに鑑賞者を見ていた。
気が付くと、何人かが黒いカーテンの向こうに消えていく。そこからは風のささやきのような音楽が流れてきて、『室内は照明が落とされていますので足もとに注意してください』と立て札がある。
ミッターマイヤーは入ってみた。
そこは確かに真っ暗だったが、室内の一角にかすかな光がさしていて、そこから風が吹いているように思われた。まるで星屑が流れ落ちるような音楽が静かに鳴っていた。やがて暗闇に目が慣れると、風が吹いているかと思われた一角には布が破れたような穴が空き、そこから光がさしているのだった。その穴からは砂が入りこんでいるようだった。
―…埋められてしまう
何となくそう感じて、ミッターマイヤーは急いで黒いカーテンをくぐって抜け出した。布一枚向こうは天井の高い明るい展示室で、人々が歩き回る音や、静かに展示物について語り合う声に満ちていた。
気がつけば、その音をカーテンの向こうでも聞いていたはずなのに、暗闇の中の静けさにとらわれていたのだった。
なんとなく不思議に思って首をひねりつつ展示室を行くと、同行の二人はすでに少し行った別の展示室にいた。
二人は部屋いっぱいに広がる花畑の中にいた。部屋の中にいる鑑賞者たちはある者はその花を決意に満ちた表情で手に取り、またある者たちは互いにつつき合いながら一輪の花を手に取り、秘密を共有するように笑顔を交わす。
花は床に区切られた溝の中にある水を張った流れに挿してあるのだった。
「これなんだ? 来場記念のプレゼント?」
メックリンガーが一輪、ピンクの大きな花弁の花を取ってから言う。
「ここから自由に花を取っていいのだよ。ただし、帰り道の途中で誰か知らない人にこれを渡さなくてはならない」
「ええ? 自分で持って帰ってはだめなのか?」
僚友は花弁の向こうでにっこりする。
「それが作者が我々に提示したこの作品を鑑賞するためのルールなのだよ」
「知らない人に? 何の理由もなく花を渡す?」
「理由はないこともないと思うよ、私は。まあ、その内容は人それぞれだと思うがね」
ロイエンタールが一輪手に取った。
「ええ、おまえまさかそのルール通りに帰りに誰かに渡すのか?」
親友は紫色のかれんな花を目の前に掲げて、少し寄り目になって見ている。
「おれにはその作者が『どうせ出来ないだろう』とからかっているように感じたぞ。では、やってやろうではないか」
「おまえな~」
メックリンガーが面白そうに笑った。
「この作者は確かにいたずら好きな人柄だったようだ。しかし、これを挑戦ととらえる者がいるのは面白い。どんな理由にせよ、ここにいるみなが帰りに知らない誰かに花を渡す、そうすることで街中に花畑が広がるようで素敵だと思わないかね」
「うーん」
ミッターマイヤーはふと気づいて言った。
「俺たち美術展を見に来てるんだっけ。さっきから変わった展示ばかりだなぁ。さっきはなんだか音楽が鳴ってる真っ暗な部屋があったし…」
「おお、あの部屋に入って見たのか。どう思った?」
腕組みをして渋い顔をしたミッターマイヤーは、砂に埋もれそうな感覚に陥り、ちょっと怖くなったことを正直に話した。メックリンガーはうれしそうに聞いている。
「元帥府の中で芸術を語れるとしたら、卿ら二人だと思っていたことは間違っていなかった。ミッターマイヤー、卿のような感想を聞いたのは初めてだよ。感受性が鋭いのだな」
どうやら褒められたらしいと気づいてミッターマイヤーは照れくさそうにする。それにしてもそんな感想が誉められるとは、やはりおかしな展示だ。
「つまり作者は鑑賞者が怖がるように作ったってことか? それにこの花畑もその作者の作品なんだろう? それなのにみんな花を持っていってしまったら、作品が成り立たなくならないか?」
メックリンガーは二人を先へ誘いながら、(おそらく周囲の邪魔にならないようにだろう)、静かに話す。
「怖がらせようとしたわけではないと思う。どんな感情にせよ、作者は見た者に何かを体験して欲しかったのは確かだ。そして、その体験を胸に部屋を出る…」
「―体験」
「そう、この花にしても、ここに飾られているだけではまだこの作品は完成していない。みなが花を持って帰り、それぞれ帰り道に誰かに花を渡すことでようやっと作品として成り立つ」
ロイエンタールはまだ手に持った花を見つめていた。
「何となくわかった。この作者は鑑賞者に見るだけでなく行動することを求めているのだな」
「そうだね、見知らぬ人に花を渡すなんて行動は、めったにするものではないだろう? それを作者の誘いに乗って誰かに花を贈る。そうすることでその人が何かを感じ取る。喜びかな、恥ずかしさ? 突然花を贈られた方はどうだろう。そうやって感情の輪が広がって、そこで初めてこの作品が完成する、というのがまあ、こういった芸術活動の考え方なのだ」
「ただ絵を見るというのとはだいぶ違うなぁ」
「そう思うかい? 絵を見るという行動の結果、何かを感じる、という意味ではこれも同じ芸術の形なのだ。まあ、ともかく次を見ようか」
この展示の出口に係員の女性が立っていて、花を持つ人々にぞんざいに水を含ませたスポンジ入りの小さな袋を渡していた。その女性はロイエンタールが手に花を持っているのを見ると、嬉々として近付き、その手から花を受けとって切り口にその小さな袋をゴムで取り付けた。そしてにっこりして「どうぞ」と言ってロイエンタールに返した。
「ありがとう」
ロイエンタールはさっさと先に行ってしまったが、女性は「きゃっ、やってあげちゃった」という表情をしている。
同様に取り付けてほしい表情をした老人が近くに立っていたが女性は気付いていない。
先に自分で袋を花に取り付けたメックリンガーが僚友にささやいた。
「どうも彼にはかなわんな」
注意:「関わりあうものたち」で言及している美術品について