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光芒走りて

6、 
元帥閣下ご臨席の下、諸将が集まり軍議が催された。オーベルシュタインは閣下のすぐそばの席から、向かいの席に座るロイエンタールを見た。ロイエンタールはこのような時、やたらに発言して会議を混乱させたりしない。議事の進行を黙って見守り、諸将の発言が迷走した時などに、さりげなく筋道を正すように発言する。その発言によってわき道にそれていた議論が元に戻るということが多々あった。
今日もまたいつもの会議だった。自分にとっては当たり前と思える事柄をわざわざ発言する者がいるのが、オーベルシュタインには不思議でならない。諸将がにぎやかに発言し、二転三転しながら議事が進行し、的確なところでロイエンタールの発言が入ってまとまった。
ふと気がつくと、ロイエンタールの隣に座ったミッターマイヤーがこちらをじっと見つめていた。特に彼に個人的な感情は持ち合わせていないが、彼の方は自分を嫌っていることは知っている。目の前に座られて気に触ったとしても自分の知ったことではない。
「おい、オーベルシュタイン、何か言いたいことがあるならはっきり発言しろ。ただじっと見るだけですませて、後になって後ろから足をひっかけられてはかなわん」
会議後に資料をまとめて退出しようとするオーベルシュタインに喧嘩腰で声をかけることで、ミッターマイヤーはその理由を明かしてくれた。
「…言いたいこととは」
「それを俺が聞いているんではないか。卿はさっきからずっとロイエンタールの方を何か言いたげにして見ている。黙っとらんではっきり言うんだな」
部屋を退出する準備をしていたロイエンタールが、親友の方をさっと振り向いた。目を見開いて驚いたような表情だが、やがて笑って親友とオーベルシュタインを交互に見た。
「いいんだ、ミッターマイヤー。この男のことは気にするな」
「良くないぞ。何か企んでいるかもしれん」
くすくす笑ってロイエンタールが親友の肩を抱く。蜂蜜色のふわふわした髪が遊ぶこめかみに唇を近づけるようにして笑った。その姿勢のまま色違いの瞳がオーベルシュタインの唇をじっと見つめ、やがて視線を上げたので自分の視線と絡まるのが分かった。
不審げなミッターマイヤーの目の前で身体の内側に熱がこもった。
「この男がおれに何を言いたいか、おれは分かっているつもりだ。決闘を止めろと言いたいのだろう」
他にも彼には言いたいことがあったが、自分でもはっきりしないことをミッターマイヤーの前で披露するつもりはなかった。
「…確かに。無益なことはやめるべきであろう。元帥閣下に卿が決闘することを申し上げたか」
ロイエンタールが少し怯んだ。
「…いや。だが、ことここに至っては受けるより他に道はない。もし、卿が閣下に申し上げるならば仕方がないが、閣下はご理解いただけるものと思う…」
「本当にそう思うのか?」
ミッターマイヤーにもロイエンタールのためらいが分かったらしい。親友の腰に腕を回して、反対の手でその胸を小突いた。二人は一分の隙も無くぴったりくっついて顔を寄せ合っている。
「ロイエンタール、おまえまた決闘を受けたのか」
「…うむ…。よんどころない事情でな」
ミッターマイヤーはため息をついた。オーベルシュタインはこの常識家が親友をいさめるのではないかと思ったが、ミッターマイヤーの考えは彼とは違った。
「相手は? 立会人や証人は?」
「前にも話したことがあるボダルトと言う男が相手だ。証人はアイヒベルク中将。あちらはだれか立会人が同道すると連絡があったが、こちらは別に用意していない」
「陸戦隊のアイヒベルク中将か、あの男ならよくわきまえているから安心だな。俺がおまえの立会人をやろうか?」
ロイエンタールは親友の肩に回した手でポンポンとその背中を叩いた。優しげな笑顔をその目に滲ませている。
「いいんだ。こういっては何だが民間人相手に長引かせるつもりはないし、もしあちらがねばろうとしてもアイヒベルクがうまく仲介してくれるだろう。彼は決闘の作法に置いては信頼がおけるからな」
「そうか…。気をつけろよ」
「分かっている」
ミッターマイヤーは親友の腕の中から抜け出すと、ため息をついて首を振った。オーベルシュタインをけん制するように一瞥すると、親友に手を振ってその場を去った。
ロイエンタールは文句があるか、とでもいうようにオーベルシュタインを見た。その瞳には不敵に人を嘲笑う高慢さが見えて、オーベルシュタインはもう自分が言えることは何もないと悟った。

 

内心はいささか落ち着きを欠いた状態ながらも、オーベルシュタインは通常通りに勤務し、少し残業してから元帥府を辞した。フェルナーの司令が行き渡り、送迎の地上車はこのところ以前よりも厳重な警備になっている。ダミーの地上車まで繰り出す徹底ぶりだ。だが、今夜も何事もなくオーベルシュタインは私邸に帰り着いた。
着いてみると、居間に客人がいるらしく人声がした。その声は良く響く低い声で、どことなく聞き覚えがあった。
なぜか執事が居間の床に敷物をひいて座り込み、その前にあのパウル1世の剣を置きその手入れをしていた。ロイエンタールが執事のすぐそばに膝を抱えて座り込んで、執事の手元をじっと見ていた。
「旦那様、申し訳ございません。お出迎えいたしませず―」
慌てて立とうとする執事を手で押しとどめて、ロイエンタールを見た。彼は何も言わずに剣から目を上げてにやりと笑った。
「…これはどうしたことだ」
「1週間の演習の間、ずっとこいつを使いこなそうと振り回していたから、手入れをしようと思ってな。普通の剣と同じでも構わんかもしれんが、一応専門家に見てもらっている」
執事が大層面白い冗談を聞いたとでもいうようににっこりした。
「専門家などと…。わたくしは先代様や先代の執事から手入れの仕方を教わって来たというだけのことで」
意外にも執事を見るロイエンタールの瞳は優しく、彼に対する敬意が仄見えた。
「だがずっと大事に手入れをして管理してきたのは卿であろう。卿の主人がそのようなことをするとは思えんからな」
「それはそうでございますが。お仕事もございますし、致し方ないかと存じます」
ロイエンタールには好きなようにさせておいて、オーベルシュタインは老犬を従えて自分の部屋に引き取った。身繕いの後、簡単な食事をしてから食堂を出ると、剣を掲げたロイエンタールが廊下を歩いているのに出会った。
「おい、オーベルシュタイン。少し稽古をするから相手をしろ」
「…剣の稽古の相手など、私に出来るわけがなかろう」
「立ってるだけでいいんだ」
「私が相手でなくてもよかろう」
ロイエンタールは鼻で笑った。
「あの善良な老人を相手にして稽古をしろというのか? かわいそうに、驚かせてしまうだろう。卿なら遠慮はいらんし、卿の方がやる気がでていいんだ」
納得しがたい思いをしつつも、逆らう気が起きずダンス室へ向かった。ロイエンタールはオーベルシュタインを部屋の中央に立たせ、自分は抜き身を片手に少し離れて立った。そしてオーベルシュタインの正面に向かって「ハッ」、と息を吐いて剣を振って踏み込んだ。先日より足取りは軽く、剣がその手に吸い付くように自在に動いた。まるで重さを感じぬように剣が閃き、
すぐに汗が額に吹き出した。すでに軍服の上着は脱ぎシャツ1枚になっている。その純白のシャツにも汗がにじむのが見えた。
やがて、オーベルシュタインの額にも汗がにじみ始めた。ロイエンタールの剣越しの鋭い視線がこちらへ突き刺さり、その気迫が胸に迫った。決闘の相手は民間人とは言え、剣を振るう以上抜かりがないようにしたいのだろう。自分のものではない剣のはずだが、すっかりその手に馴染ませて、まるで剣と一体化したかのようにオーベルシュタインを中心にして部屋中を動き回った。
ロイエンタールは急に動きを止めると、大きく息をついて剣をひらりときらめかせて鞘に収めた。
「…終わりか」
「もう少しやりたいところだが卿がフラフラしだしたのでな。卿はもっと鍛えて30分くらい気楽に立っていられるようにするべきだろう。儀式のときなど、それでどうする」
確かにひどく疲れた気がするが、それは主に剣戟の真っ先に立たされたゆえの気疲れから来ているのだろう。額に手をやるとじっとりと汗を感じ、手の甲でそれと分からぬようにそっと拭った。
「何かの儀式であれば1時間でも2時間でも立っていられる。剣先に晒されるのとは違う」
「それはお見それした」
ロイエンタールは軍服からハンカチを取り出すと、彼も額の汗を拭った。その様子を見つつオーベルシュタインはさりげなく声をかけた。
「客用寝室にシャワールームがある。そこで汗を流すといいだろう」
「それはありがたい。世話になるな」
それには答えず、ロイエンタールの様子を見ないようにしてダンス室を出た。廊下を通りがかりに執事に客用寝室の用意を申し付ける。
「ロイエンタールはだいぶ疲れがたまっているようだ。今夜はこの屋敷に泊まっていくように伝えよ」
執事はにっこりした。
「承知いたしました。今夜は冷えますゆえシーツをよく温めておきましょう。お夜食をご用意すべきでしょうか」
「彼が欲しいというのであれば準備してやってくれ」
忙しそうに立ち去った執事を見送って、自分は書斎に引きこもった。いつもは静かな屋敷内が少し賑やかな気がする。彼一人の存在でそうも変わるものであろうか。
もうじき12時になろうかという時まで、オーベルシュタインは書斎で資料を読んだり、次の日の業務の準備をしたりして過ごした。ふと気がつくと廊下を行く足音や人声に耳を澄ましている自分がいた。そのたびに苦労して書類に戻った。
―私は何を待っている?
これ以上遅くなっては明日の業務に支障をきたす。椅子から立ち上がって、ふといつもの暖炉前の指定席に老犬がいないことに気づいた。自分のデスクからすぐ見える場所でいつも寝ているのに、その不在に気付かずにいたとは自分はずいぶんぼんやりしていたらしい。
老犬は主人の寝室のベッドの上に、ロイエンタールの太腿を枕にして寝ていた。ロイエンタール自身はベッドのヘッドボードに枕を積み重ねて背を預け、物憂そうに老犬の耳を掻いてやっていた。
「…毛がつくぞ」
「こいつの抜け毛のことか? 犬だから仕方あるまい。こいつは短毛だから気にするほどのことはないし、洗えばいい」
ロイエンタールはバスローブ1枚の姿で、その太腿は分厚いタオル地におおわれている。老犬は主人の声に気づいてその尻尾を振っているが、気持ちの良い枕から頭を上げようとしない。
オーベルシュタインは手をパンと打ち合わせた。
「降りろ! ベッド!!」
老犬はパッと顔を上げると、渋々とオーベルシュタインの『ベッド』からひょいと飛び降りた。通りすがりに主人の足にすり寄ってから、主人が戸口の方を指さすのに従って部屋を出て行った。
ロイエンタールがベッドの上で腹這いになって、面白そうにその後ろ姿を見送っている。
「卿でもそんな声が出せるんだな。彼はどこへ行ったんだ? ここにいてもよかったのに」
「…書斎の暖炉の前にあれのベッドがある。私の寝具の上には登らないようにしつけている。甘やかしておかしな癖をつけないでほしいのだが」
「別にかまわないではないか。大人しいやつだし賢いな」
頬杖をついてこちらを上目づかいに見上げたところはまるで無邪気そのものに見えた。だが、そのバスローブの下にはこの上なく魅惑的な肉体を隠しており、それを惜しげもなく晒すつもりでいる。
―自分のために…?
「…ロイエンタール、なぜここへ来た」
上目遣いの視線がゆっくりとオーベルシュタインのものとかちあった。
「剣の手入れをするために…?」
「違う。この部屋へ、このベッドへ…私のところへだ」
ロイエンタールは肘をついて上体を起こした。その目には先ほどののんびりした雰囲気はもはやなかった。
「卿はおれを自分の屋敷に泊めておいて、そのくせ試すようなことをするのだな。…なぜ卿のところへ来たかというと、手近にセックスの相手がいたからだ」
「…そのような相手には卿の恋人がいるだろう」
「女とは別れた」
オーベルシュタインが目を剥いて眉を上げたので、ロイエンタールは鼻で笑った。
「卿のためではないぞ、言っておくが。決闘前には女とは別れることにしている。女がいてまとわりつかれるといろいろ面倒だからな。今回は特に他の女が原因だし、二股かけていたと思われてはかなわん」
オーベルシュタインはベッドのそばに立ったまま、ロイエンタールを見下ろした。
「…卿はそうしょっちゅう決闘をしているのか」
「近頃はおれに挑戦するような輩はめったにいないのだが、以前は…そうだな、月に何度もということはざらにあった」
「なぜ決闘などする」
ロイエンタールは再びベッドに腹這いになって肘をついた。片手で頬杖をつき、片手をオーベルシュタインの方へ伸ばす。その手がオーベルシュタインのズボンに届き、太腿を撫でた。
オーベルシュタインがぶるっと震えたので、ロイエンタールは笑った。
「なぜ決闘をするか…? きっとポーカーで有り金全部を賭けるようなものだろう。おれは今日生き延びるだろうか、それともとうとうやられるか? 命を的にしたぎりぎりの選択の後、決闘に生き残って自分に命があることを感謝する…。一瞬の感激ではあってもなかなか気持ちがいいものだ…」
「…戦いそのものではなく、生き残った結果、感じる気持ちに快感を求めているというのか」
「それは甘美なものだ…。生きていると気づかされるのは…。たいがいの時は自覚などしないものだろう。卿もそうではないか?」
オーベルシュタインは眉をひそめてロイエンタールの目を見つめた。彼の手はまだ太腿を撫でていた。
「私は決闘などしたことはない」
「決闘の話ではなく、生きていると気づくこと。例えば誰かと裸で抱き合って、繋がって、身体いっぱいに相手を感じてあらゆる神経が活発になる…。そんな時」
ロイエンタールが頬杖をついていた手の指を曲げて近寄る様に合図をした。オーベルシュタインはそのたった1本の指の動きに導かれるように、彼の方へ1歩踏み出した。ロイエンタールの伸ばされた腕がオーベルシュタインの太腿を引き寄せ、ベッドに膝がついて寝具の上に片方の膝を折って座る形になった。その太腿にロイエンタールの顔が寄せられ、頬が乗せられた。くぐもった声が聞こえる。
「おれを抱けよ、オーベルシュタイン。卿は何も感じていないような顔をしているが、この間おれといた時はそうではなかった。全身で叫んでいた」
「…私はそのような…。叫んでいたのは卿の方だ」
「言葉ではなく身体で、気持ちがいい! もっと欲しい! と言っていたと言うんだ。声を出すと感覚が倍増する気がするからおれは声を出す。卿は気持ちよかった…。卿は大きな手をしているな。その冷たい手がおれを撫でるとじょじょに暖かくなった…。この指が骨ばっているから、おれの中をさぐると当たってとてもいいんだ…。しかも卿のものは大きくて入れていいかどうか怖くなる。これがまるで鉄みたいに固くなるといっぱいになって」
もう我慢の限界だった。オーベルシュタインは自分としては渾身の力で、ロイエンタールの腕を取って引っ張り上げた。上体を持ち上げられて、ロイエンタールは片手でベッドに手をついて身体を支えた。その色違いの目は大きく見開かれて鮮やかな色合いに輝き、近づいてきた顔をじっと見つめた。
「それでは声を出せ、ロイエンタール。ただし私だけに聞こえるように」
「卿だけにというのは難しい注文だな。だが声を出すのは請け負おう」
まるで蔦のようにロイエンタールの腕が首に絡みつき、その唇が柔らかく頸動脈に吸い付いた。

 

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