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光芒走りて

5、

オーベルシュタインが起き上がると、そこは書斎のソファの上ですぐそばに老犬の寝顔があった。自分がなぜここにいるのか理解できず、ぼんやりと周囲を見渡す。暖炉の前にあったはずの外套はなく、老犬がいつも通りの自分の場所で寝ていた。

―もっと…! もっと強く…!

急に記憶と共にその言葉がよみがえり、オーベルシュタインは呻いて頭を抱えた。

こんなことはありえない。あってはならない。だが自分は酔っていたわけでもなく、酒のせいにはできなかった。意識ははっきりしており、すべてを忘れることなど出来そうにない。鮮明な記憶が脳裏によみがえり、彼の脳を燃やし、たちまちのうちに下半身が固くなった。

―ああっ、やあ…んっ、だめ…!

滑らかで密やかな低い喘ぎ声、自分から逃れようとする言葉。だが本当は彼は自分にしがみついて、さらなる攻撃を待っていた。その月明かりに白く輝くきめの細かい肌の感触が手のひらによみがえった。

オーベルシュタインは自分がシャツを肩にかけただけの裸の姿だと気づいた。昨夜の記憶によって身体はいつでも臨むことが出来る状態にある。幸い、ズボンと下着を自分の尻の下に見つけた。何とか心を落ち着け、記憶にあるあの声を排除してそれらを身に着ける。

デスクの上に鍵を見つけ、嫌な予感がして眉をひそめる。それを手に持って書斎を出て廊下を行くと、ばつの悪いことに執事と出会った。

「おはようございます。旦那様」

「…おはよう。ロイエンタールを見かけなかったか」

執事はパッと驚いた表情を見せた。

「ロイエンタール様? ロイエンタール様がおいでになっていらっしゃいましたのですか。わたくしが起きてまいりました時にはどなたもいらっしゃいませんでした。お会いできず残念なことです」

「…なぜ会いたかったのだ?」

「旦那様を暴漢の手から2度までもお守りくださった方ですから…」

だが、その当の男は昨夜おまえの主人を…。オーベルシュタインはしいて記憶が蘇らぬように努めた。正確に言えば、彼は自分に無理強いしたわけではない。実に巧みにこの自分をその気にさせたのだ。彼の誘いに乗って強姦されたとも侮辱されたとも思わなかった。ただ、何か釈然としない思いが自分の中に残っていることを感じた。

オーベルシュタイン家伝来の美術品を収めた部屋の鍵は閉まっていた。鍵を開け、室内に入る。自動で照明がつき、展示物保存のため薄暗い明かりのみが室内を照らすなか、オーベルシュタインは部屋の奥まで進んだ。

ガラスケースの中にあるはずのパウル1世の剣は鞘ごとなくなっていた。

 

剣は屋敷の中のどこにもなかった。あのダンス室にも、展示室にも書斎にも。

驚く執事を落ち着かせなだめて、ロイエンタールに貸したのだと説明して安心させた。実際に安心したかどうかはともかく、執事は納得したようだった。

もちろん、そういうことだったのだ。

他の誰でもない、ロイエンタールが持ち出したに違いない。そのために決闘などと言う馬鹿話をし、自分を彼の手の中に誘い込んでまるで人事不省にしてしまい、剣を持って行ってしまった。

その日、元帥府に出仕したオーベルシュタインが確認してみると、ロイエンタールは不在で、艦隊を率いて1週間の演習に出発したとのことであった。

今ロイエンタールの顔を見ずに済むのは幸いだが…。剣を返せと宇宙まで言いに行くわけにもいかない。もちろん超高速通信を使って直接話すことが出来るが、いきなり自分などから通信が入ったらロイエンタール艦隊の面々はもちろん、他の提督たちも何事が起こったかと思うだろう。そもそも通信のモニタ上であっても、あの男と顔を合わせてまともに話せるかどうか、今のオーベルシュタインには心もとない気がした。

それにしても、剣を確かにロイエンタールが所有しているとみていいものかどうか? それに、あの決闘などと言う与太話はただ自分に剣を出させるための作り話なのか、それともまさか、本当なのでは…?

確認してみると、前夜、嵐の中さる屋敷でパーティーが開かれ、そこでポーカーのゲームがあった。そのパーティー及びポーカーの席には確かにロイエンタールとボダルトがおり、そして確かに二人はなにか争っていたということだった。

それが実際に決闘することになったかどうかまでは分からなかった。何分、私闘は禁じられており、挑戦した方も受ける方も一様に処罰されることになっている。誰もはっきりしたことは言おうとしないのだった。

こうなれば正面から行くしかない。オーベルシュタインはフェルナーに警備の計画を十分にさせると、ボダルトに面会の予約を取り付けた。

ボダルトが社長を務めるさる企業に出向くと、先日の会合で見たとおり、若く精力的な面立ちのボダルトが現れた。ロイエンタールよりは数年年長だが、なるほど軍人に向かって決闘を申し込みそうな頑丈で俊敏そうな体つきをしていた。

挨拶の後、元帥閣下のご様子など聞くボダルトの言葉を遮って、オーベルシュタインは単刀直入に聞いた。

「卿は元帥閣下の部下である、ロイエンタール提督と決闘するという話を聞いたが、それは本当であろうか」

ボダルトは眉をひそめたが頷いた。

「ロイエンタール提督の指図で仲裁にいらしたのでしたら、お帰りください。彼が直接私に謝罪するのでない限り、決闘は行われるし、彼もそれを受け入れたはずです」

「ロイエンタール提督は私がこちらに伺っていることを知りません。一言申し上げておきたいが、私は元帥閣下の総参謀長として、また年長者としてこのような私闘を止める立場にあると思うが、あくまで決闘をなさるおつもりなのか」

ボダルトは不快そうにオーベルシュタインを見た。

「あなたも貴族で軍人であるのなら、ことが名誉の問題であるとお分かりいただければ、決闘以外の道はないとご理解いただけるでしょう」

「一方では元帥閣下の貴重な人材を失う恐れがあり、また他方では元帥閣下の大事な理解者を損なう恐れがある。私がこれに反対する意味も、賢明な卿であればお分かりいただけると思うが」

「あなたが元帥閣下の権威をかさにこの決闘の取りやめを求めに来たのであるなら、無駄なことです。ローエングラム旗下の方々は、商人は名誉を論ずるにふさわしくないとみていると、私の仲間に伝えますがよろしいか」

何が名誉だ、そのようなもの、何の役にも立たぬばかりか、このように無用の争いを生む種になる。だが、この名誉の美学に憧れでもあるらしいかたくなな商人に、そのようなことは言えなかった。

「それでは、決闘の当日、ロイエンタール提督が現れなければ、あなたの名誉は損なわれることなく満たされるであろうか」

「彼が怖気づいて私との決闘から逃げたと、世間に向けてはっきり公表してもらえれば結構ですな。有耶無耶になってなし崩しになかったことにされてはたまりませんのでね」

オーベルシュタインは静かではあるが、鋼のような鋭さのある声でボダルトに言った。

「…それでは、卿が当日決闘に現れることがなくとも、ロイエンタール提督はそのことについて何も言わず、この問題は解決したとみなすよう取り計らうとしたら、いかがですかな」

だが、その言葉はこの武人好みの勇壮さに凝り固まった商人には逆効果だった。

「あなたは私に卑怯な取引を持ち掛けようとしている。それとも、私を捕えて監禁でもするおつもりか。さあ! お帰りください。あなたがロイエンタール提督の代弁者だとしたら残念なことだ。最初に仰ったとおり、提督自身はこのような取引について知らないということが真実であるよう、祈っておりますぞ」

交渉は失敗に終わった。辛うじて、決闘の日取りと行う場所を渋るボダルトから聞き出して辞した。

自分はどうやらロイエンタールの評判を損ねるような真似をしてしまったようだ。いろいろ噂はあるが、臆病、卑怯、卑屈さとは無縁の男である。そして分かったことがある。決闘をするというのは本当で、挑戦を受けた側の権利により、武器は剣を使用するとロイエンタールが指定したということだ。

剣を手に入れたいがために、理屈の通らぬ決闘を受け入れ、おそらくそれに反対するであろうオーベルシュタインを籠絡して剣を奪った…。

それで彼が得るものと言ったらなんだ? あの剣を手にする喜びか? 代わりに彼の人生がすべて終わってしまう可能性もありうるのだ。その可能性がないと自惚れているわけではなさそうなのは、昨夜の本人の言葉から分かった。まるで死を望むようなロイエンタールの言葉。あの言葉を聞いてから自分と彼の間は狂ってしまったのだと分かった。

―まるで彼を慰めようとでもいうかのように、彼を抱いたのか…。

だが彼の方はその慰めに後足で砂をひっかけて、剣を奪って演習があるのをこれ幸いと宇宙に飛び出して行ってしまった。

それからの1週間、オーベルシュタインは表面上何気ない風を装いながらも、ふとした時にあの夜のロイエンタールの様子を思い出し、苦悩した。彼の声、肌触り、匂いは強烈な記憶でオーベルシュタインの脳裏に刷り込まれていた。自分は彼の身体から離れられなくなってしまったのではないだろうかとオーベルシュタインは疑った。

決闘はロイエンタールが演習から戻って3日目の払暁、決闘を数多く執り行うことで有名なアイフェルの森の中で行われる。オーベルシュタインはそれまでの辛抱だと思って過ごした。何を待っているのか、すべて終わってもロイエンタールが自分の手元に戻るかどうかも、取り戻したいのかどうかも分からなかった。ただ、ひたすら彼を望む肉体の渇望に耐え、彼が戻ればなにがしかの問題が解決されるであろうことは疑っていなかった。

 

その日、元帥閣下の執務室から出て来たオーベルシュタインは、やはり元帥閣下への演習の報告に参上したロイエンタールと廊下で出会った。その表情が変わることはなかったが、オーベルシュタインは自分の身体がカッと熱くなり、よりによってこのような場所で目覚めて欲しくない個所が活動を始めるのを感じた。ロイエンタールもそこにオーベルシュタインがいるのを見て驚いたようだったが、ただニヤリとして目礼すると副官を従え、元帥閣下の執務室へ入って行った。

彼が通り過ぎる時、コロンの薫りに交じってその身体の匂いが運ばれてきてオーベルシュタインを痛めつけた。

彼の手が自分の手を握り、彼のあの熱く狭い場所に誘い込んだ…。その時の唇からのぞかせた赤い舌…。耳元でささやかれたため息交じりの言葉…。唐突にそれを思い出し、オーベルシュタインは走る様にして廊下を進んだ。

「閣下? いかがなさいましたか」

副官が不審げに聞くが、返事などできるわけがない。オーベルシュタインはその質問には答えず、憲兵隊の捜索について副官に尋ねた。

「ノイラートと名乗るかの男はどうも巧みに隠れているもののようで、憲兵隊の捜索は難航しています」

「これまでは突然私の目の前に現れたこともあったものだが」

フェルナーは頷いて眉をひそめた。

「このようにすっかり影をひそめてしまうとは、あのような襲撃を企む以上、それが失敗した場合のことも考えていたに違いありません。銃撃にはビーム・ライフルを使用しています。そのようなものを入手しうる者は素人ではありえません。我々はその線から彼奴の素性を割り出そうとしています」

『我々』ときた。卿は私の副官ではなかったのか―。フェルナーは前言通り、憲兵隊に協力してたびたび忙しそうに執務室を出たり入ったりしている。しかし、ひとまず副官の任務をおろそかにはしていないので、オーベルシュタインは黙っていた。フェルナーはどのように組織の網目をかいくぐったものか、特にどこからも苦情の申し立てはなかった。

これはロイエンタールの狙い通りになったということだろうか。オーベルシュタインの周辺は静かなもので、ノイラートの気配は全くなくなった。あるいは自分などはそのような気配を感じることが出来ないだけで、ノイラートは巧みに隠れているのかもしれない。

あの男はロイエンタールの近くにいるのだろうか。突然現れて鼻先から剣を奪って行った男の後をつけているというのは、ありそうなことだった。

フェルナーはオーベルシュタインが剣をロイエンタールに渡したと聞いて、ため息をついてそれを受け入れた。もちろんなぜそのような事態になったか詳細は聞かなかったが、ロイエンタールが強引に剣を持ち去ったことを確信しているようであった。

「ロイエンタール閣下はちょうどよく宇宙においでだったので、あの方がひとまずご無事なのは何よりです。まさか、宇宙までついて行ったはずはありませんから。まあ、そうなればむしろ事は簡単でしたでしょうね。提督の一騎当千の部下たちが四方を取り囲んでいるのですから」

「あの男があくまで剣を持つものを追っているのならば、ロイエンタールが地上にいる今こそ、奴を捕縛する機会だと思うが」

フェルナーは頷いた。

「そう思ってロイエンタール提督の周辺に密かに人を張りつかせていますが、奴もそれは心得ているようです」

オーベルシュタインはしばし考え込んだ。さて、憲兵の捜索にどの程度介入できるであろうか。いや、あるいはこのフェルナーであれば、憲兵隊の不信を招かずに介入が可能ではあるまいか。

そうだ、目的はあの男を捕える、ただそれのみだ。

 

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