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光芒走りて

4、 
「元帥閣下の部下が決闘などすると聞いて私がそれを見逃すと思うのか。決闘について元帥閣下が特別なお考えをお持ちとも思えぬ。であれば現行法を遵守されるであろう。すなわち私闘は禁止。しかも、そのような愚かしい理由で決闘に及ぶなど、理由にもならぬ」
だがロイエンタールは笑ってグラスを傾けるばかりだ。
「相手はおれの行動によって侮辱されたと言っている。応じなければ元帥閣下への援助をせぬと。おれとしては受けざるを得まい」
「決闘によって卿が死ぬとしたらなんとする。卿の命は元帥閣下にお預けしたものであろう。それをみだりに扱ってどのような申し開きが立つというのだ」
「それを言われると弱るがな…。閣下はお怒りになるだろう。おれとてご信頼を損ねて閣下を失望させ申し上げるのは本意ではない。だが…、おれの代わりなど、いくらでもいるのではないか? 卿ならばそう思うであろう?」
ロイエンタールはグラス越しに暖炉の炎を透かして、琥珀色の液体にその明かりが投射しているのを見つめているようだった。だが、その瞳はなにも映っていないかのように、ぼんやりと焦点があっておらず、暗い色合いをたたえていた。
―おれが奴を倒すかもしれんし、おれが奴に倒されるかもしれん…。どちらも卿にとっては悪くなかろう。
そう言ったロイエンタールの言葉がよみがえる。この男の存在は元帥閣下にとって現在のところ非常に有益である。だが、このような虚無的な思考、主君を主君とも思わぬ独断的な行動、すべていずれ思わぬ方向に現れ、元帥閣下を悩ませることになるかもしれぬ。
オーベルシュタインはデスクの引き出しから鍵を取り出すと、戸口に向かった。
「おい、どこへ行く」
振り返ってソファに寄り掛かって酒を飲むロイエンタールを見る。その姿はどことなく頼りなげで儚げな線の細さを思わせた。そんなことは感傷のなせる目の錯覚にすぎず、この男は自分などその気になれば一撃で倒してしまうだろう。
「来い」
書斎から暗く静かな廊下を歩いて行く。屋敷の一番奥に位置するこの場所は雨風の音はそれほど気にならない。老犬は二人が部屋を出て行っても起きてこなかった。
オーベルシュタインは鍵を使ってある部屋の扉を開いた。後ろにロイエンタールが佇む気配を感じたが、何も言わず室内に入った。

 

自動で間接照明がかすかな明かりを照らす。壁にはいくつもの絵が飾られ、その下にはガラスケースが陳列している。天井が高く広々としたその部屋はちょっとした美術館の展示室と言っても過言ではない。そこには歴代のオーベルシュタイン家の当主が集めた美術品、工芸品、あるいは彼ら自身の肖像画が飾られていた。
ロイエンタールがあるガラスケースの前に立っていくつも並べられたミニアチュールを眺めていた。楕円形をした金縁の枠の中に、滑らかな白い肌の少年の緻密な絵が描かれている。
「これは卿の子供のころの絵か?」
オーベルシュタインは客が指さす絵を眺めた。Paul von Oberstein, R. 321と書かれた人物の名前と製作年の小さなプレートがついていた。
「まさか。何代か前の同名の先祖だ。私の絵はここにはない」
「…ということは卿を描いた同じようなものがどこかにあるのだな。ここに卿の絵も並べればよかろうに」
オーベルシュタインは肩をすくめた。この部屋にはこの家の過去の歴史が詰まっている。こんなところにいっしょくたになどされたくない。
部屋の奥の壁一面に大きな肖像画が掲げられていた。その前にもガラスケースがあり、その中に剣が収められていた。よく見ると肖像画の人物も同じ意匠の剣を手に持っているのが分かる。
「これが噂の剣だな。この人物はこの剣の本来の持ち主か」
「そうだな。この人も同名の先祖でいわばパウル1世だ。この剣を引っ提げてルドルフに従って数々の戦を戦ったと伝えられている。武勇に優れた人物で美術品の収集家だったが、政治的な能力はなかったおかげで、爵位などは授けられずに今日に至っている」
「当時創設された帝国騎士の家はどこも同じようなものだろう。まあ、おれの家などは大した記録も残っておらんが、卿の家は当時からそれなりの家格を整えていたのだな」
オーベルシュタインはガラスケースの中の剣を眺めた。ルドルフのために振るわれ、幾多の人民の血を吸った剣だ。いや…、あるいはそんな話は後代の先祖の見栄でしかなく、パウル1世はただの刀剣愛好家で、ルドルフには有り余る金を与えて援助しただけというのが真実かもしれぬ。いずれにせよ、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの覇権に加担し、この家を貴族の家として築いたのだ。
「調査によればこの剣はそのルドルフのころよりも100年ほど前に鍛えられたもので、血液反応があることから、実際に人を斬ったことがあるものらしい。それが先祖の誰の手によるものかまでは分からぬが」
ロイエンタールが肖像画の人物を見上げた。古い形の派手な柄のフロックコートを着て、ぴったりしたズボンをはいている。細面の顔は傲慢な風に正面を向き、眼光は鋭く、まっすぐに立った姿は痩せて背が高い。剣は体の前の床に立て、柄に手を重ねて置いている。
「顔にどことなく趣があるし、筋肉の付き具合を別にすれば体つきも卿に似ているな。剣士だと言われればなるほどそうかと思わせるところがある」
フフッと笑ってロイエンタールはガラスケースの中の剣に目を転じた。剣は鞘から出されて刀掛けに掛かっている。持ち主の長身に見合った刀身の長さがあり、銀色に輝く刃は片刃で少し湾曲するように沿っている。刃には紋が浮き出て滑らかで柔らかな波型が切っ先から柄まで続いていた。
「きれいだな…。これを欲しがる男の気持ちが分からんでもない。それに…、これはよく見かけるサーベルとは造りが違うようだ。技術的なことは分からんが」
「調査によるとヤパニシェス・シュベルト*という古代から伝わる刀剣の一種で、帝国内では鋳造する技術は途絶えてもはや同じものは作れぬということだ」
「帝国内では? それでは同盟にはあるかもしれんということか」
オーベルシュタインは頷くと、ガラスケースの鍵を開け、剣とその鞘を取り出した。いったん剣を鞘に納めると、その鞘の柄に近い個所を持ってロイエンタールに柄の方を向けた。
相手は戸惑う風に剣を見ていたが、やがて両手を出して、柄と鞘を同時に手に持った。
「…抜いてみて構わんか」
オーベルシュタインは何も言わずに手を振ってついてくるように合図すると、隣の部屋に続く扉の鍵を開けた。そこは部屋の一面が鏡張りになっており、反対側は床から天井までの窓ガラスが嵌っていた。部屋の中は板張りの床のがらんとした空間で、外はいつの間にか雨が収まり、僅かに残る風が窓ガラスを揺らしていた。月明かりが差して、部屋の中は静かな白明に満ちている。
「ここはダンス室だが、ここであれば好きなように剣を振るえるだろう」
部屋の中央に立って、ロイエンタールは剣を鞘から抜いた。月明かりを受けて光りながら刃が徐々に姿を現し、ついにすべて鞘から抜け出た。鞘を左手に持ち、刃を目の前に立ててロイエンタールはその輝く剣に見入った。
何度もゆっくりと視線を上下に動かして剣に浮かぶ波紋を眺めていたが、やがて鞘をそばに立つオーベルシュタインに渡した。
それからの動きはオーベルシュタインにとって、まるで夢の中にいるかのように音もなく、滑らかに踊る様に漂って見えた。
レイピアを構える時のように剣の柄を片手で持つのではなく、両手で握ったのは重さを感じたからだろうか? 両手に持った剣を頭上に掲げると、ロイエンタールは一気にそれを振り落した。その時、同時に滑らかに右足が前に動き、振り下ろされた剣は続けて左から右上に振り上げられた。上下に、左右に振り降ろされ、振り上げられる剣と共に、その軸のしっかりした身体は静かな足の運びと共に部屋の中を動いた。
まるで踊る様に、だが一足運ぶごとにロイエンタールの口から「ハッ」、と勢いよく息が吐き出され、その動きはあくまで滑らかでありながら、彼の額にはやがて大粒の汗が噴き出した。そのようにして振り降ろされた剣がオーベルシュタインの前に迫った時、彼は全く反応することが出来ず、そのままその剣は彼の身体を両断するかに見えた。
だが、剣はオーベルシュタインの鼻先で止まり、静かに退いて行った。その光りを受けて細く輝く切っ先を眺めながら、これで斬られても何も感じることはないだろうと、オーベルシュタインは考えた。
ロイエンタールはただ切っ先を眺めているオーベルシュタインの様子を見ていたが、ゆっくりと剣を構えなおした。
「なぜ逃げぬのだ」
「…卿は私を斬るつもりだったのか」
ロイエンタールは額に汗を浮かべていたが、息の乱れも見せずに鼻で笑った。
「おれが卿を斬ることはないだろうと思っていたのか」
実のところ、斬られるとも逃げようとも何とも思っていなかった。ただ、自分などには到底出来ぬ、舞うような軽やかな剣士の動きに魅入られていたのだ。
その時切っ先が目の前に迫り、反射的にオーベルシュタインは後ろに跳び退った。切っ先の向こうににやりと笑うロイエンタールの表情が見えた。その切っ先は光となっていったん引くと再びオーベルシュタインに向かって迫った。
「…よせ…、何をするか」
「卿を斬ろうとしている」
刃をよけながら、オーベルシュタインは同じ夢の中でも悪夢の中にいるように後ろに逃げた。猫がネズミをなぶる様に、オーベルシュタインが斬られるぎりぎりのところで刃が退き、やっと逃げおおせたと思ったら再び襲い掛かった。
オーベルシュタインはその刃から目を離さず、走って隣の部屋へ続く扉に向かった。その時刃がかすかに彼のシャツを捉え、切り裂いた。腕に薄く血がにじんだ。
「…止めぬか…!」
「卿が逃げなければやめる」
逃げなければ狂人に斬られる。オーベルシュタインは刃をかいくぐってロイエンタールの脇へのがれた。鏡に必死になっている自分と、後ろに迫る白く輝く刃が見えた。ふと、すべてが止まったかのように、その鏡に剣を頭上に振りかざすロイエンタールが見えた。
―やられる…!
オーベルシュタインは鏡に背を預け、迫りくる刃を見上げた。刃は彼の頬を掠めて赤い線を描き、肩先に届くと再びシャツを裂き、肩の皮膚に血がにじんだ。
大きく息を継いでいるロイエンタールが目の前に立って、剣を片手に下げて彼を見下ろしていた。
「はっ! 卿を斬ってやった。ほんのささやかなものだがな…! 両断するわけにいかぬのが残念だが! 見ろ! その慌てふためく様子を! 血を流して、汗も流して、喘いで、大きな息継ぎで胸を弾ませて…!」
ガランと剣を投げ捨てると、鏡に寄り掛かって肩で息をしているオーベルシュタインの前に立った。オーベルシュタインはその時、ロイエンタールが鏡に映ったおのれの姿を見て顔をしかめたのを見た。月明かりを背にして、鏡に映った姿は暗くよく見えなかったに違いないが、何が見えたにせよ、それは青年を落ち着かせる効果があった。彼はオーベルシュタインの前に屈みこみ、おもむろに手を伸ばした。その細い指が刺すような痛みを伴って自分の頬に触れ、オーベルシュタインは身震いした。
「…痛いか」
「ひりひりする。当然だろう」
「血が出ているな。月明かりが存外明るいが物の色までは見分けられぬ。その血はやはり赤いのか」
「…緑色をしているとでもいうのか」
ロイエンタールは突然、目の前の男の頭を両手でつかむと、顔を近づけた。オーベルシュタインがぎょっとする間にもその顔はみるみる近づき、その唇が自分の頬に触れた。
オーベルシュタインは目を見開き、青年の閉じた白い瞼を見つめた。彼の唇は温かく頬に触れ、剣がつけたかすかな細く長い傷に強く吸い付いた。その長い傷をたどって湿った舌が動き、唇は頬の皮膚から離れることなく、オーベルシュタインの頬骨に沿って動いた。
首筋から背筋を伝って、電流のようなものがオーベルシュタインの背後を下りて行った。
「…しょっぱいな。色は分からんが並の血と同じ味のようだ」
唇はオーベルシュタインの皮膚から離れることなく、言葉が紡がれた。その低く響く声の振動が自分の心臓までも届く気がして、オーベルシュタインは身震いを押さえられなかった。
ロイエンタールの両手が頭から首を撫で、肩まで下りて来た。破れたシャツの間にその指先が入り込み、素肌に触れ、傷を確かめた。指先は血の存在を認め、その傷の流れに沿ってゆっくりと動いた。オーベルシュタインはそこにも彼の唇が当てられることを想像し、息を飲んだ。
「…いま、何を考えている。傷の痛みか…? それとも…」
低い含み笑いがオーベルシュタインの首筋を揺らした。
「…何か別のもの。卿もそれを感じることがあるのか…? 並の人間が感じるように…。おれが感じるように…」
「…私は何も感じない…」
「そうか? 今、卿の身体が感じていることを卿の心は否定しようとしているが、それを無視することはできても、存在していることに変わりはない」
再びその手が片方降りて来て、シャツの上から胸の上に添えられた。片方は肩の傷を静かに撫で、もう片方は胸の中心にある突起を摘まむようにして捻った。オーベルシュタインは腕を斬られた方の手を上げて青年の手を自分からどかそうとした。
「…よせ。何をしている」
その声は小さく震えていた。ロイエンタールが笑う。笑ったままの唇が首筋の柔らかい肉を捉え、痛むほどに吸ったので、吸われた方は息を飲んだ。
片手は肩の傷口に添えられたまま、もう一方の手がさらに下に降りた。手は決して離れることなく胸から脇腹を撫で、ズボンの履き口に到達した。シャツをズボンから引き抜き、布に隠れた素肌に触れようとして、柔らかい肌着に突き当たった。その布地のさらりとした感触にロイエンタールは再び笑った。その肌着も引き抜いて、素肌をさっとなでると、脇腹の皮膚が無意識にぴくりと動いた。ようやくオーベルシュタインは正気づき、侵入する手を防ごうと手を伸ばした。
「よせと言っている。いい加減にしないか」
「…本当に嫌ならこれ以上はしない。だが、こんな嵐の夜くらい、成り行きに任せて楽しんでも罰は当たらないだろう…?」
何を馬鹿なことを。しかも、彼を相手に? この青年が、漁色家と言われ月に何度も女を代え、またそれが可能であるほどの青年が、自分などに何の用があるのか。
「もし、卿が何かを感じるのであればそれをおれにも教えてくれ…。いつものようにただ一人自分だけのものにせず、卿が感じることをおれにも与えてくれ…」
シャツを行く手から除けると屈みこみ、裸の腹に唇を触れさせた。オーベルシュタインはハッとして自分の臍に生暖かい柔らかなものが差し入れられるのを感じた。その感覚を自分に与えている元凶の、青年の絹糸のような髪に手を差し入れてつかんだ。それはすでに乾いて冷たく、さらさらと彼の手の中に納まった。ロイエンタールが喉の奥で唸った。
「…私は卿に与えるようなものは、何も持っておらぬ」
「そうか…? 卿の手は大きくてひんやりしてる。おれの頭をそうやって掴んでいると気持ちがいい。もっとしっかり掴んでくれ」
オーベルシュタインはのろのろと両手を上げて、彼の腹の皮膚を唇でさぐる青年の頭を掴んだ。そしてその頭を強く腹に押し付けた。ロイエンタールの笑いが腹の皮膚を震わせる。
ズボンのベルトが緩められ、前が開かれるのをオーベルシュタインは感じた。そこは冷たい手とは裏腹にこれ以上なく熱くなっていた。下着の上から唇がその熱く固いものに触れ、存在感を確かめるように形に添って動いた。その少し持ち上がった先端に唇が触れると、布地の上から温かい口内に含まれた。
悲鳴のような喘ぎが薄暗い室内に満ちた。
「…卿はこれでも何も感じぬというか? これほどの証拠があるものを」
そして一気にオーベルシュタインの下着とズボンを下ろすと、現れたものに手を添え、すべてを滑らかな口の中に閉じ込めた。

 

 

* ヤパニシェス・シュベルト(Japanisches Schwert):Japanese sword、すなわち日本刀です。 

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