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光芒走りて

3、 
元帥府の自分の執務室に戻り、しばらくするとロイエンタールから報告が入った。
『卿の護衛は全員何者かに殺されていた。襲撃者の武器は何だったか知りたいか』
「…聞こう」
『地上車の運転手はなぜか車から離れて裏通りにいた。遺体の近くに血まみれの割れた空き瓶があり、運転手の頸の傷の様子と血液型から、それが犯行に使われたと思われる』
オーベルシュタインは眉をひそめた。ビジフォンの画面でロイエンタールの表情が嫌悪感に歪んだ。
『他の者も似たようなものだ。木の枝、針金、布きれ…。卿を襲った時も空き缶のふたを使っていたな。手近なもので素早くすます。相手の油断を誘うことが出来、手がかからず、武器から足がつくこともない。経済的だ。卿を襲った銃だけ持っていればいい』
「…素人ではあるまいな。軍人だったかどうかまでは分からぬが…」
『卿はこのかわいい男と会ったのだろう。素性は調べられんのか』
「今、調査させている。本人が明かしたノイラートという名前や住所などは偽りのものだった。私が知る身体的特徴や性格からなにか割り出せると思うが…」
ロイエンタールの表情がなぜか面白そうなものに変わった。
『おい、オーベルシュタイン。その剣をおれに譲る気はないか』
「…ない。卿は剣などを扱えるのか。卿が戦斧を良く操るのは知っているが」
『レイピアとサーベルは扱えるだろうな。戦場では武器として使用せぬが。いわゆる決闘、試合用だ。卿も士官学校の教練でやっただろう』
それには答えずにいると、ロイエンタールはにやりと笑って続けた。
『おれに剣を譲れば奴は剣を持つおれに向かってくるだろう。卿としてはちょうどいいではないか。暗殺者を厄介払いできる、興味もない剣に煩わせられることもなくなる』
「…今度は卿が命を狙われることになるだろう」
『それも卿にとって都合がいいのではないか。おれが奴を倒すかもしれんし、おれが奴に倒されるかもしれん…。どちらも卿にとっては悪くなかろう』
ビジフォンの向こうで、ロイエンタールの2色の瞳が光線の具合かきらりと光った。その瞳が何か異様なものをたたえている気がして、この男には死の願望でもあるのだろうかとオーベルシュタインは首を振った。
「…卿はなにか考え違いをしている。私が元帥閣下のためにならぬことを望むと思うのか」
『おれが生きていた方が閣下のためになると言うのか』
子供じみた愚かな問いだ。オーベルシュタインは肩をすくめた。元帥閣下のみならず我々には卿が必要なのだ、などと告げる気はなかった。だが、そう、少なくとも今この男がいなくなっては困るのは確かだ。
『…それではせいぜい頑張って奴を倒すこととしよう。オーベルシュタイン、安心して剣を譲るがいいぞ』
「馬鹿げたことを。あれは家伝来の剣だと言ったであろう。私の気ままに誰かに譲ることなどできぬ」
『奴を倒すまで、期間限定でおれに貸しておけばいい。奴を倒したら返す』
「憲兵があの男を探し出して逮捕し、通常の手続きで裁判にかけ罪を問う。これは仕返しや決闘ではない。卿の出る幕はない」
ロイエンタールはなにか言おうとしていたが、構わずにビジフォンの通信を切った。画面の向こうでロイエンタールが悪態をついているのが見えるようだ。
オーベルシュタインは内心苦笑して再び首を振った。子供じみた同僚の相手はもうおしまいだ。
「閣下、ロイエンタール閣下とずいぶん長くお話しで」
「…あの男が切らせぬのだ」
我ながら言い訳じみている、と思いながらフェルナーの言葉に答えた。必要な用件以上に話した気がするのは確かだ。フェルナーは不満げに上官の顔を見ている。
「閣下、ロイエンタール閣下の口車に乗せられて、剣を渡したりなど絶対になさらないでください。小官が必ず閣下を襲った不逞な輩を捉えて裁判にかけますので」
「…それは卿の任務ではあるまい。憲兵隊の仕事だ」
「小官が協力すれば彼らの仕事も一層はかどることでしょう」
まるでこの副官が憲兵隊の秘密兵器だとでもいうかのようだ。好きにすればいい。オーベルシュタインは自分の端末に向かいながら思った。犯人探しに忙しい間は、この副官も自分を相手にしてあれこれ詮索する暇はないだろう。

 

数日後の夜、再び悪天候となった。オーベルシュタイン邸の窓ガラスをガタガタと揺らす雨風は、外にいる者にとっては大変な気苦労だろうが、屋敷の中にいる者にとっては、激しい雨音のせいで、かえって俗世間から隔絶しているかのように思える。
陽気な炎を上げる暖炉の前で、老犬が足元に寝そべり、屋敷の主人はグラスを傾け居心地の良い椅子に座っている。彼にとっては一日の疲れを癒す最上の時間であった。たとえその手に置かれた端末が映し出している文書が、開明派貴族、リヒターの手による帝国の経済動向についての元帥閣下宛ての提言と言う、就寝前に読むものとしてはいささか頭脳の働きを必要とするものであってもだ。
風がいっそう吹き荒れ、屋敷の戸口に叩きつけられる。まるで誰かが扉を叩くような音だ。いや…? 本当に誰かが扉を叩いているように聞こえる。とっさにオーベルシュタインは近年では軍装の飾りと化した、ブラスターを保管した鍵付きの引き出しを見た。この屋敷にも衛兵がいるが、それを通り抜けて戸口まで来たのか…? 屋敷内には執事夫妻と自分と飼い犬しかいない。その他の使用人などはみな通いで夜間には屋敷内は完全に無人の場所も多い。
オーベルシュタインの書斎のデスクの上に置かれたビジフォンが鳴った。通信を受信してみる。
『扉を開けろ。この嵐の中におれを放置して、卿はおれを風邪引きにさせる気か』
なぜここにロイエンタール。
オーベルシュタインは訪問者に返事もせず画面をじっと見た。いや、そもそも彼はなぜ自分の私邸を知っているのか? それを言うのであれば、なぜ、自分のビジフォンの番号を知っているのだ?
「卿は私の屋敷の戸口にいるのか?」
『分かりきったことを聞くな。おい、いい加減開けろ』
「なにゆえ卿は…。いやいい、分かった。しばらく待て」
暖炉の前の敷物の上で顔を上げたダルマチアン種の老犬が、もの問いたげに主人を見た。
「聞くな。私にも分からぬ」
老犬はやれやれとばかりに立ち上がって、身震いをするとため息をついた。オーベルシュタインも同感だった。
踵に老犬をまつわりつかせたオーベルシュタインが扉を開けると、雨風と一緒に外套をまとったロイエンタールが入って来た。上から下までびしょ濡れで、いつもはきれいに整えられている髪は吹き荒らされて雨水が滴っていた。外套を脱ぐと、その下からダークスーツ姿の青年貴族が現れた。オペラかパーティーに行った帰りに違いない。
水の滴る前髪の間から、鋭い眼光が輝いた。
「そこに突っ立ってないで、タオルか何か拭くものを貸してくれ。卿の使用人はどうした」
「…執事はもう自室に引き取らせた。そもそもこのような夜に、この時間に、人を訪問する者がいるとは想定しておらぬゆえ、使用人もすべて帰宅している」
ロイエンタールがそれは主人側の不手際だと言いたげに舌打ちした。だが、とたんにくしゃみをした。オーベルシュタインは来客からさりげなく離れた。
「おい、人を病原菌のように扱うな。少し冷えただけだ。ブランデーか何かくれ」
「…今タオルを持ってこよう。そのように大きな声を出すな」
「誰が大きな声だ。これがおれの普通だ。卿の声が小さいんだ」
間違いなくロイエンタールは酔っている。この駄々っ子じみた青年貴族を満足させるにはひとまず、言うとおりにするしかない。おそらくこの近辺の屋敷でパーティーでもあってそこから歩いて来たのだろう。濡れ鼠をましな状態にまで乾かして、地上車を呼んで帰らせよう。
ふかふかとした大きなバスタオルをロイエンタールに与え、多少水気を吸い取らせたところで書斎に案内した。すっかり濡れた外套は玄関ホールのクローゼットに入れるわけにもいかず、どうしたものかと思ったが暖炉の前に広げて乾かすことにした。オーベルシュタインの老犬が自分の特等席を占領した外套の匂いをかいでいたが、諦めたものらしく暖炉前のあいている場所にまるくなった。しばらく片目で主人を見ていたがやがて眠ったようだ。
オーベルシュタインが客の方を見ると、ロイエンタールはすでに身繕いを終え、テーブルの上にあったウイスキーを勝手にグラスに注いでいた。
一口含んでほうっとため息をつく。
「卿は気に入らぬが卿の酒は気に入った。いい趣味をしているではないか」
ソファに腰を下ろしてグラスの琥珀色の中身を好ましそうに眺めた。濡れた前髪は頭上にかき上げられて秀でた額を見せており、そのダークスーツ姿も相まって、元帥府で見かけるロイエンタールとは違って見えた。
「…卿は何ゆえここへ来た。私の酒をたかりに来たわけではあるまい」
「ふむ、それもいいが…。勿論、おれが卿の家になどただ遊びに来るはずがない」
オーベルシュタインはソファの自分の指定席に座るロイエンタールの前に立って、腕組みをして客を見下ろした。ロイエンタールはうっすらと笑みを含んだ視線を上げてオーベルシュタインを見た。
「決闘をすることになった。ついては卿の剣をしばし借りたい」

オーベルシュタインは耳を疑った。何かの聞き違いかと思い、ロイエンタールが次の言葉を言うのを待った。相手はただウイスキーを飲むばかりで何も言わない。
「…私の聞き違いであろうな。『けっとう』とは何のことだ」
「決闘。卿はボダルトという商人を知っているであろう。この人物は元帥閣下への支持を表明していると聞いたが」
それは先日の商工会議所での会合において、副会頭として紹介された若い商人の名前であった。若いがいかにも切れ者というようすで、理論的で意志の強そうな発言が目立った。
「まさか、あの青年が決闘などするはずがない。そもそも何ゆえ卿と決闘などをする必要があるのだ」
「聞いたところではボダルトには夫人の他に女がいて、どうやらおれはその女をボダルトから奪ったらしい」
「…らしいとはどういうことだ。当事者である卿がなぜ詳細を知らぬのか」
「言われてみればそのような女と付き合ったことがある気がするのだが、おれは誰からも奪った覚えがない。おれは相手のいる女とは付き合わぬようにしているつもりだが、女がおれを首尾よく騙していたとすると、さすがにおれもそれを察することは出来ぬ」
「その女はどうなった」
「さあ…? いかんせん、今おれが付き合っている女とは違うし、おそらく何かうまくいかないことがあって早々にお引き取り願ったというところだろう」
オーベルシュタインは額を押さえて自分のデスクの椅子に座った。何もかもがおかしい。なぜそれで決闘することになる。
「ボダルトは女に未練があるようだな。その女はボダルトにおれと寝たことを責められた時、おれに乗り換えた挙句振られたというので、逆ギレしてボダルトを責めたてたそうだ。それまで円満だったボダルトの家庭もギクシャクしだして、すべておれのせいと言うことになったらしい」
「…だからなぜ、そのような理不尽ないきさつで決闘などすることになる」
「ボダルトは自分が商売人だから決闘を受けぬというのであれば、ロイエンタールは腰抜けだと言いふらすと言っている」
「馬鹿な…! 子供の喧嘩でもあるまいに、好きなように言わせておけばよい。そのような挑発に乗るなど馬鹿げている」
オーベルシュタインは吐き捨てるように言ったが、ロイエンタールは動じずにウイスキーを飲んでいる。グラスを掲げて言葉をつづけた。
「さらに、元帥閣下への支持を取りやめ、仲間の者たちにも身分差別をするローエングラム体制への援助をやめるように強く勧めると言っている」
「…なにを…」
琥珀色の液体からロイエンタールの黒い方の瞳がこちらの方を射るように見た。その口元には嘲るような笑みが浮かんでおり、軍務においては沈着冷静、容易に動じぬことで知られる青年が軽佻浮薄な遊び人じみて見えた。
「さあ、オーベルシュタイン。卿の剣を見せてくれ。実戦に使用する前に感触を確かめておきたい」

 

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