top of page

光芒走りて

2、

自分はノイラートという者であり、剣の収集家だとその男は言った。

オーベルシュタイン家に代々伝わる名刀があるとものの本にあり、ぜひそれを拝見したいと訪ねて来た。執事によれば外征中、主人が留守の間にも何度か訪問の許可を得るビジフォンなどがあったという。主人のオーベルシュタインには興味がないものだが、先祖伝来のものを見学したいという希望者を拒むこともしない。その人物には自分の留守中、執事が対応するので好きな時に見に来るように許可を出した。
その客は午後遅くにやってきて、家宝の剣をじっくり見聞すると、(オーベルシュタインとしては)厄介なことにそのまま主人の帰りを待った。たまたま通常より早い時間に帰宅したオーベルシュタインにはいい迷惑であった。
しぶしぶ客に対応した主人に、ノイラートはこれがどのような種類の剣か、他の剣と何が違うか熱心に説明した。そして、剣を拝見してぜひ自分の手元に置きたくなった、ついては代価は十分に払うので譲ってもらえまいか―、と主人に迫ったのだった。
オーベルシュタインは剣などには興味がないが、だからといってどこの誰とも分からぬ者に言い値で売り渡すほど初心でもなかった。その夜は客の申し出を断って終わった。
だが、ノイラートはしつこかった。オーベルシュタインが多忙もあって自宅で待つ男を避けるともなく避けていると、自宅前や元帥府ビルの車寄せで無理やり彼に近づこうとした。一度など、昼食に出たオーベルシュタインの食事中の席に偶然のようにして同席した。さすがにオーベルシュタインとしては相手をせざるを得なくなり、いかに彼が所有する剣が稀なものであるかの熱弁を聞く羽目になった。ノイラートはその剣の価値をよく知る自分こそふさわしい所有者であるとまで言ったのだった。
―あの男が言うほどあの剣が優れたものなのか、急に思い立って骨董屋などに足を運ぶからこのざまだ。ラーベナルトにあの剣を扱うにふさわしい専門家を探させてみよう。
その執事のラーベナルトの手厚い看護を受けつつ、オーベルシュタインは自室で今夜の出来事について考えた。何者かに襲われ、しかもよりによって元帥府の若い同僚に助けられる羽目になるとは。オーベルシュタインはさほど自分の身の安全に重きを置いていないが、かといってやすやすと暴漢の手に掛かるつもりもない。一度は逃げおおせたのだから、あの時『海鷲』でロイエンタールなどに会わなければ、おそらく大人しく地上車を呼んでそれに乗って帰れたであろう。
ロイエンタールは元帥閣下にとって使える男だが、一面厄介な人物だとの思いは以前からあった。彼に掛かると単純極まりないことまで極端から極端へ走り、極彩色の何かに変り果てる。まるでそれを裏付けるような今夜の出来事だった。

 

額の傷もいくらか癒えたころ、オーベルシュタインはある会合に出席するため、副官のフェルナー大佐を連れて外出した。元帥閣下の改革に賛同するオーディンの商工会議所主催によるもので、オーディン市場に有益であるとして彼らはこの改革を歓迎していた。つまりはそのことを伝えることで、自分たちに優位になるよう改革を誘導しようという訳だ。

だが、会合に現れたオーベルシュタインをたかが軍人と侮っていた企業の代表たちは、開始30分もたたないうちにその考えを改めることになった。オーベルシュタインが商売について詳しくないことは明らかだったが、会合が終わるころには、彼が交渉と取引について疎いとはだれも思わなかった。
「彼らは閣下が操りやすい単純な軍人ではないと気づいて、慌てたようでしたね。あの会頭は最初、まるでこちらが子供だとでも言いたげな物言いだったではありませんか。それに対する閣下の切り返しは見事でした」
得々とした表情でフェルナーが会合後に上官に話しかけた。
「―実際、こちらは商取引においては子供のようなものだ」
「だからと言って閣下に対して子ども扱いは失礼です。余人ならともかく…」
部下の言葉にオーベルシュタインは同調しなかった。フェルナーは元帥閣下の部下の提督たちの誰かを指していったものだろうが、彼らとて彼らなりにうまく対処したことだろう。自分の方が商工会議所相手のような場合にはいくらか適切だったというだけのことだ。目の端にちらりとこちらを見透かすような部下の表情が見えたが、上官が見ていると気づいたか、さっとその表情が従順な副官のものに変わった。この男は常に自分が何かを吐露するところを待って網を張っている。自分が何をこの男に打ち明けようというのか。開示するようなものなど、自分には何もないというのに。
「閣下、次の予定まで少々お時間がありますので、近くの店で昼食でもと思いまして、予約しておきました。よろしいでしょうか」
「…よろしいも何も、もう卿の方で準備して予約までしているのであろう。そこで昼食をとるというのであればそれでよい」
「承知しました。ありがとうございます。それではその店へこれから向かいます」
二人は地上車に乗り込み、フェルナーは嬉々として運転手に指示を出す。その指示は「次の予定は今朝伝えた通りだ」、というものだった。
…この男はわざとやっているのだろうか。すでに運転手から衛兵に至るまで手配済みでは、よろしいも何もあったものではない。大まかな指示は自分が出しているものの、日々の詳細を決定するのはこの男だ。副官と言うものは多かれ少なかれ上官の日常を支配する立場にあるが、通常はもっと上官を立てるようにするものではないだろうか。たとえ立てる振りだけであっても。
フェルナーがこちらの出方を待っているように感じられる。オーベルシュタインはそれを無視して副官に連れて行かれるまま、黙って端末で次の予定の資料を見ていた。
昼食は驚くほどうまい料理で、帰り際オーベルシュタインは挨拶に出て来たシェフにねぎらいの言葉をかけた。フェルナーは上官の様子を見て嬉しそうにしており、この程度の反応が欲しいのかと不思議に思った。
「閣下、お気に召したようで小官もお連れした甲斐がありました。実は以前ここで食事をして非常に愉快な体験をしました。ぜひ、閣下にも召し上がっていただきたいと思いましたもので」
「そうか」
「その時の相手は先だっての会戦で敵味方に分かれてしまったわけですが」
また何か自分から引き出そうとしているな、とオーベルシュタインは横目で副官を見た。その副官の表情が楽しそうなものから驚愕の表情に一瞬にして変化した。
―卿こそ、いつも取り繕った表情をしている。その顔の方が卿の本心だな。
「閣下!!」
フェルナーが上官に飛び掛かって、オーベルシュタインは後ろに倒れた。何も反応できないまま彼がレストラン前の植え込みにもたれかかると、耳元を掠めてバシュッと何かがはじけるような音がして、近くにいた護衛が倒れた。
オーベルシュタインは植え込みに押し付けられて、フェルナーの背中しか見えなかった。そのフェルナーの右手がいつの間にかブラスターを掲げて、車道側に向けた。どこからか女性の悲鳴が上がる。フェルナーが怒鳴りつけた。
「下がっていろ!! 巻き添えを食うぞ!」
オーベルシュタインにも自分が誰かに狙撃されたようだと分かった。だが、たいして厚みのない植え込みよりほかに防御になるものはない。フェルナーはおそらく相手から丸見えだろう。護衛と地上車は近くにいないのか。
「俺が援護します。閣下は店内に戻ってください」
自分がこの場合、何の役にも立たないことは分かっていた。フェルナーの射撃の腕前は知らないが、自分よりはましだろう。オーベルシュタインは低い姿勢のまま、植え込みから抜け出そうとした。
その指先のすぐそこにブラスターの衝撃波が走った。
「くそっ! どこから狙っているんだ!!」
フェルナーの焦りを感じて、オーベルシュタインはこれはまずいかもしれないと思い始めた。銃撃戦に対応するにはこの参謀タイプの副官は実戦能力が足りないようだ。ここでこの男を失うのは惜しい気がする。
その時、さらに一閃が走り、その銃撃の元を狙ってフェルナーのブラスターも火を噴いた。
「閣下! 早く!!」
オーベルシュタインはどうやら覚悟を決める時だと、植え込みから出てまっすぐ立ち上がった。フェルナーが上官の無防備な有様にぎょっとしてその腕をひく。
「閣下! しゃがんで…! 低く!!」
だが、彼らの前に猛スピードでやって来た地上車が止まり、「乗れ!!」と声がかかってその扉が開いた。どこからか地上車に向かって連射してきたが、車内からも応戦する。フェルナーが上官の軍服をグイッと引っ張って地上車に飛び込んだ。
地上車は来たときと同様、猛スピードで走り去った。

 

「ロイエンタール閣下…! なぜこんなところに…?」
副官の声に気づいて見上げると、地上車の助手席には大口径のブラスターを手にしたロイエンタールがいて、後部座席の方へ身をひねってこちらを見ていた。
「人と会うためにこの近くで食事をしていた。卿の護衛はどうしたんだ。なぜこいつだけが応戦することになった」
「地上車も護衛もすぐそばにいたはずです。閣下と一緒にいた護衛は最初の銃撃で倒れました。他にも店の周辺にいたはずですが…」
フェルナーがロイエンタールの問いに答えた。確かに、彼らはどこに行ったのだ? まさか、先ほどの襲撃者にあらかじめ…?
ロイエンタールの炎のように冷たく厳しい瞳がオーベルシュタインの視線とぶつかった。
「今、おれの護衛が周辺の捜索に向かっている。うまくすれば卿を襲った奴を捉えられるだろうが…。これは先日の襲撃の第2章ではないのか?」
フェルナーが目を見開いてロイエンタールからさっと上官の方へ振り返った。
「閣下、まさか、以前にも襲われたことがあったと…!? なぜ仰ってくださらなかったんですか!?」
ロイエンタールが眉をひそめた。
「憲兵隊から報告がなかったか」
「ありませんでした…! 少なくとも小官は存じません…!! 何てことだ! あまりと言えばあまりではありませんか…! それを知っていたら前もっていろいろ出来ることがありました!」
フェルナーは黙ったままの上官につかみかからんばかりに攻めよった。
「分かっています、閣下はその報告を俺に先んじて手に入れて、握りつぶしておしまいになったんですね。閣下は俺の誠意を信じておいでではないんだ…!」
「…誠意? 卿が真面目に務めているだろうことは認めている。先日のことはただ個人的な問題であって軍務とは関係がなく、卿に知らせる必要性を感じなかったというだけだ」
「…個人的な問題など存じません。しかし閣下の御身ご自身のことに関わるとなるとそれは俺にも無関係ではないんです」
副官は恨めしそうにじっと上官を見ている。オーベルシュタインはため息をついた。確かに自分は先日のことを軽く見ていたのかもしれない。ふと副官から目を転じるとロイエンタールの面白がっているような視線と出会った。色違いの瞳が日に当たって楽しそうにきらきらと輝いていた。
「卿の副官の言うことは一理ある。しかし、元帥閣下の参謀部及び統帥本部の部内に不協和音があるとは知らなかったな。元帥閣下のお膝元の足並みが揃わんではおれも安心できない。卿は自分の部下をまともに扱うこともできんのか。部下の一人や二人、うまく掌握できんで元帥閣下に対する任務が務まるとは思えんな」
「総参謀長閣下は『個人的な問題』で小官らを煩わせまいと気を使ってくださったのです。それは間違っていらっしゃったのは確かですが、お気持ちを打ち明けてくださるまでのご信頼を得られなかったのは小官の不徳の致すところです。閣下がお悪いのではありません」
なぜかフェルナーが上官を庇ってロイエンタールに食って掛かったので、オーベルシュタインは反論する機会を失った。
「ほう。卿は先ほどオーベルシュタインを責めていたではないか。おれには卿が精いっぱい真心こめてこの男に奉仕しているにもかかわらず、この男はそれを理解していないように思われたが」
「それはロイエンタール閣下の誤解です。総参謀長閣下はよく部下のことをご存知です。ただお気を回しすぎるだけです」
オーベルシュタインは副官が上官を持ち上げて言い募るごとにいたたまれない思いになって来た。ロイエンタールは気づいていないだろうが、副官の声は先ほどまでの切迫した緊張感が抜けて、何か舞台ででも話しているような調子になって来た。先ほどの銃撃に応対している時がこの副官の地金だったのか? それとも今がこの男の本領なのか?
副官が発する言葉はロイエンタールに向けているようでありながら、上官の反応を待って楽しんでいる風があった。再びこの男は自分から何かを引き出そうとしている。
副官の意識が自分に向いているのを感じつつオーベルシュタインは口を開いた。
「あの者が私自身の命を狙うまでのことをするとは思わず、ことを軽視していたことは認めよう。そもそも今日のことが先日のことと関連があるかもまだ不明ではあるが」
「卿が各方面から命を狙われていると想像するのは非常に愉しいが、この場合、先日の件とのみ、関連あるとみるのが適切だろう。そうそう暗殺者が転がっていてたまるか」
オーベルシュタインはロイエンタールの言葉に頷いた。たかが剣ひと振りを譲らぬからと言って命を狙うものか…? だが、それこそがオーベルシュタインとあの男との違いなのだろう。オーベルシュタインはたかが剣だと思う。あの男は何よりも優れた剣だという。脳裏にあの男が言った言葉が思い出された。
―名刀は所有する人を選ぶのです。閣下は自分がそれにふさわしい人物だと思われますか。
快く譲ってもらおうというには傲慢すぎる言葉だ。おそらく、あの時すでに自分を自らの手で断罪するつもりだったのかもしれぬ。おのれに相応しくない剣を占有していたという罪で。

 

 

目次へ   前へ   次へ

bottom of page