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光芒走りて

11、
ロイエンタールの『証言』により、彼はノイラートが剣に仕込んだ毒薬の影響下にあり、血中濃度を下げるために透析が必要である、と医師たちに告げられた。人工心肺装置はそのまま血液透析装置に切り替えられ、処置が始まった。
いかなる作用機序の薬剤で、人体に及ぼす影響はどのようなものか、透析はどの程度必要かは、オーベルシュタインの指示を受けたフェルナーが調査し、明らかになった。
ロイエンタールに使用された毒は、内務省管轄下の秘密警察、すなわち社会秩序維持局が独自に開発したものだった。解析されたデータによれば、ノイラートは局員の一人であり、帝国内を行き来してさまざまな捜索や審査を行っていたという。つまりは秘密警察の一員として、帝国に害があるとみられるものを探し出し、場合によっては暗殺する工作員だったというのだ。
社会秩序維持局はローエングラム公によりいずれ正式に廃止になる見通しである。現在、その機能は完全にストップしており、局員は全員、解雇か謹慎処分になっている。ノイラートは正規の局員ではなく、一定期間だけ契約を結ぶ臨時局員だった。彼のような雇用者はいったい何人いたのか。ノイラートは定期的に繰り返し雇用されていたため、給与の支払い記録がはっきりしており、そこから身元の割り出しが比較的容易にできた。だが、短期雇用の者となると、事務的な手落ちか、あるいはもっとあり得るのが故意に、支払い記録も雇用記録も何もなかった。ただ、そういう雇用者がいたとの証言があると言うだけだ。今も大勢の暗殺者が大手を振って帝国内をうろついている可能性は大いにあった。
オーベルシュタインからの報告を聞いたローエングラム公は、明らかになった事実に激怒した。憲兵総監ケスラーはこの調査のために特別班を組織して、事態の解明に急くことになった。
そして、ミッターマイヤーは病室で大立ち回りを演じた。
「卿はそやつを誘い込むためロイエンタールに黙って彼を囮に使い、なおかつ、その暗殺者の追跡に失敗し、あろうことか囮にしたロイエンタールに多大な危険を及ぼした! ロイエンタールが何と言おうと、俺は卿を許さんぞ! オーベルシュタイン!!」
おそらく、ミッターマイヤーがオーベルシュタインと同じような立場になったとしたら、やはりロイエンタールを囮にして、似たような計画でノイラートを捉えようとした可能性は低くない。ただ、その場合、彼であれば親友と綿密な連絡を取って計画を進めようとしただろう。そして、ロイエンタールに一筋の怪我もさせずに成功させたかもしれない。
ミッターマイヤーが怒っているのは、オーベルシュタインがすべて『黙って』ことを進めたことに対してなのだ。
オーベルシュタインは反駁もせずにその批判を受け入れ、ノイラートを事前に捕え得なかったことに対して謝罪した。その率直な謝罪すらもミッターマイヤーを怒らせることになったが…。

後日、社会秩序維持局(廃止予定)長官の官舎の元にフェルナーが赴き、事実上監禁中のハイドリッヒ・ラングと面会した。面会の目的は彼の協力により、ロイエンタール提督は一命を取り留めたことを伝え、さらなる情報開示を求めようというものだった。
「もちろん、わたくしが知る限りのことはすべてお話いたしましょう。局内のデータもいくらでもご覧いただけます。オーベルシュタイン閣下のため、ひいてはローエングラム公のおん為にも」
ラングは『知る限り』というところを強調した。実際、彼は『いくらでも』、『オーベルシュタイン閣下』、『ローエングラム公』、さらには『おん為』も強調したので、発言すべてが押しつけがましく感じられた。
フェルナーはこの男もそんな表情が出来るかというほど厳しい表情を崩さず、終始ラングに対して事務的な態度で通した。彼がその上官の態度をまねて、ラングなどに隙を見せまいとしているのは明らかだった。長時間にわたる面会が終了し、ラング夫人のお手製のトルテを是非にもと薦められて渋々(内心、彼本来の図々しさが頭をもたげ、喜んで)、ラングと共にお茶を飲んだ。
その席でラングが少々恥じらうかのようにフェルナーに問いただした。
「ロイエンタール提督のお加減はどのようなご様子でしょうか。あの薬剤は提督のような立派な方に使うべきではない、非常に危険なものでしたので…」
かの薬剤は投与開始後しばらくは筋肉が弛緩するだけですむが、いずれ薬剤が心臓に到達すると、心臓の収縮機能に影響を及ぼす。それが心筋梗塞と似た症状をもたらす。もっとも反社会的な人物を、心筋梗塞の症状に陥れて人知れず暗殺する―。それがこの薬剤が社会秩序維持局で開発された目的だった。ロイエンタール提督のような立派な旧王朝への反抗者でなかったら、いったい誰に使ったというのだろう。
「提督はもともとよく身体を鍛えていらっしゃったため、強靭な体力をお持ちでしたし、もちろん心臓も非常に健康だったそうです。そのため毒薬の影響も限定的だったと医者は言っていますが、それでもあのような激烈な症状になったのですからね。私や卿のような常人にはとても持ちこたえられなかったでしょう」
ラングより洗練されたさりげなさで、『卿』という言葉を強調してフェルナーは言った。
「実はロイエンタール提督にお見舞いの品などをお送りしようかと思いましたが、それはかえって提督にご迷惑かと思い、控えました…」
ラングはお茶のカップの上で寂しげに首を振った。ロイエンタールが社会秩序維持局の元局員の犠牲になりかけたことは遺憾であり、その局員達の総元締めであった長官職は辛い世過ぎの仕事だったと言いたげだった。
「…かと申して何もせぬのも心苦しく、妻の名でお花を誂えさせ病室にお贈りしたのです」
「ほ、ほ…う、そうですか、それはそれは…」
フェルナーは感心したように言ったが、我ながら白々しいと思った。ラングははっとしたように総参謀長の副官を見て、慌てて付け加えた。
「…っと、これは失礼を。フェルナー殿はお話しがしやすいお方ですな、ついこのようなことを申し上げてしまいまして…。どうか、ロイエンタール提督には私からお花をお贈りしたことはご内密に」
フェルナーはにっこりしてラングに請け負った。
「もちろんですよ、ラング殿はお優しい心根をお持ちですな」
ラングは子供じみたまるいピンクの頬をさらに赤く染めて、「いや、そんな…」と手を振った。
フェルナーはお茶のカップに表情を隠して、自分の嫌悪の感情が相手から見えてはいまいかと心配した。
―偽善者め、社会秩序維持局の長官として、この男が指示したこと、黙認したことすべてが、多少の善行で帳消しになるとでも思っているのか。
彼の上官がこの男をどのように使うつもりなのか、今後の展開は見逃せないとフェルナーは考えた。

 

ロイエンタールは絶対安静という医師の指示の下、病室で過ごしていた。病室と言っても軍病院の入院施設のうちでも一番設備が整った特別室だ。彼は外見上、全く元通りになったように見える。だが、医師たちは彼の社会的な身分と、未知の毒薬の影響を考え合わせ、慎重になっていた。ロイエンタールが完全に解放されるにはまだ数日かかりそうだった。
連日、ロイエンタールの元には彼の部下たちが押し掛けた。1番に彼の病室に駆け付けたのがミッターマイヤーだとすると、その次に慌てて駆け付けたのが、上官の署名が必要な書類を持ってやって来た副官だった。その日が締め切りの書類だったのだ。上官がペンを持つこともできないと知りショックを受けていたが、試行錯誤の上、副官が手を添えて署名をした。書類は部下に持ち帰らせ、副官自身は病室の扉の前に椅子を据え、膝に端末を載せてそのまま陣取った。任務のため抜け出せず、昼前にようやく駆け付けることが出来たロイエンタール艦隊の参謀長は、この門番に入室を阻まれて歯噛みした。
もし、オーベルシュタインがふらりと見舞いに訪れとしたら、この副官に門前払いを食らわせられる可能性が高かっただろう。だが、彼の手にはまさしく伝家の宝刀があった。
「ローエングラム公の代理として見舞いに参った。ロイエンタール提督が起きておいでなら、直接閣下からの見舞いの品を渡したいが」
ロイエンタールよりさらに若く見える副官は、胡散臭そうにオーベルシュタインを見た。副官という者はどこでも上官を上官とも思わないものと見える。
「お待ちください」と言って病室に入って行き、しばらくして戻ってくると、オーベルシュタインの入室を慇懃に許可した。
見舞いの品を持ったオーベルシュタインが入って行くと、ロイエンタールは体を起こしてこちらを見ていた。病室の中は医療機器が並ぶ中に見舞いの花やチョコレートや菓子などの品々が置いてあり、賑やかだった。
ロイエンタールのベッドのすぐわきに直径1メートル程度の広さの丸テーブルがあった。その上にラベルの表示からなかなかの銘品と思われるワインの瓶が置いてあり、オーベルシュタインは片方の眉を上げてロイエンタールを見た。
ロイエンタールはオーベルシュタインの視線の先を見て苦笑した。
「ビッテンフェルトの見舞いの品だ。奴にしては気が利くと思ったが、酒を飲むなどもってのほかだと医者に叱られた」
オーベルシュタインはそのワインの隣の空いているところに、ローエングラム公からの長細い箱に入った見舞いの品を置いた。
「当たり前であろう。卿の心臓は危険なほど異常な負担がかかったのだ。不養生、不摂生は避けるべきだろう」
「分かっているさ。心臓の痛みで苦しんだのは卿ではない、おれなのだからな」
あの時、ロイエンタールは身体の自由がきけば胸をかきむしって苦しんだであろう。苦しみを訴えようにも身体が動かず、声も満足に出せなかったのだ。その事実を思い、オーベルシュタインは今更ながらぞっとした。
彼は救急車の中で救急隊員に邪魔にされながら、ロイエンタールの泥で汚れた顔を自分の手で拭った。そこに現れた顔色があまりに酷く、汚れが落ち切っていなかったかと何度も拭ったのだった。
「ところでそれは何だ。ずいぶん長さのある箱だが、茎の長い切り花でも入っているのか」
気を取り直したようにロイエンタールが言って、オーベルシュタインが持ってきた見舞いの品を指さした。
「これはローエングラム公からの卿への見舞いの品だ。中を見てみるか?」
「…閣下からの? わざわざかたじけないことだ。あの方がお見舞いを下さるなど…。中身は何だろう」
「剣だ」
ロイエンタールが耳を疑う風にオーベルシュタインを見た。オーベルシュタインは肩をすくめて言葉をつづけた。
「卿が決闘の場に持参した剣は憲兵が回収したが、それを閣下はお手元にお取り寄せになられた。そして、相応しい職人を探し出して、血や泥で汚れてしまった剣をきれいにさせ、砥ぎにも出された。それを見舞いの品として卿に渡せとの仰せを私は言いつかったのだ」
「…だがそれは…、本来は卿の持ち物であろうが!」
オーベルシュタインは眉を上げてロイエンタールを見た。これは自分のものであると閣下に理解していただくためには、これまでのいきさつを詳しく話さなくてはならない。しかし、ロイエンタールとのさまざまな出来事は二人の間だけのことにしたかった。
ロイエンタールが咳ばらいをしたので、小さなサイドテーブルに置かれた水のボトルを渡してやる。礼を言ってロイエンタールは水を口に含み、かすれた疲れの見える声で言葉をつづけた。
「卿に聞きたかったことがあるのだが…。そもそもなぜ、あいつに剣をやってしまわなかった?」
「この剣はわが家伝来のもので私個人のものではない」
「だが、卿は今までまったくこの剣に興味はなかったのだろう。むしろ、子供のころからこの剣を嫌っていたようだと、卿のところの執事が言っていた。それにあいつは最初から剣を奪うつもりだったわけではなく、買い取るつもりだったのだろう。ならば…」
ベッド脇に立つオーベルシュタインの、両脇に垂れた手が微かに揺れた。ロイエンタールが自分の白い手を伸ばして、その緩く握られた骨ばった手にそっと触れた。
「あいつはもしかして…、卿に面と向かって何か不届きなことを言いはしなかったか」
「…不届きなこと?」
オーベルシュタインの表情は常のように固く、何の感情も表してはいないように見えた。だが、その両手がロイエンタールの手の下で、ぐっと握られた。
「卿が義眼の持ち主であることを自分から世間に触れ回るはずがない。だが、どこからともなくそういった噂話が流れて来て、おれたちはいつからかそのことを知っていた」
その言葉に微かに頷くオーベルシュタインをじっと見つめて、ロイエンタールが続ける。
「ローエングラム公はもちろんのこと、おれは提督たちの口からその事実について、卿を侮辱するような言葉を聞いたことがない。だが…」
ロイエンタールの意識にあの男の言葉が蘇った。
―満足に剣を持つことも知らぬxxxのくせに…!!
それはオーベルシュタインの目が見えぬことを侮蔑し、嘲笑う言葉だった。オーベルシュタインとて欠点の多い人間の一人にすぎない。だが、彼が盲目であることが彼の人としての不完全さを示すものであるはずがあろうか。その言葉を聞いてまるで我が事のように感情が湧き立ち、ロイエンタールは動かなくなった身体を無理やり鞭打って剣を振り上げたのだった。
オーベルシュタインは静かにため息をつくと、握っていた手を緩め、ロイエンタールの手を取った。その白い手は絆創膏が貼られてはいたが、敵を容赦なく斬り捨てる戦士の手であり、また、自分を奮い立たせることもできる優しい恋人の手でもあるのだった。
「義眼であることで私はこれまで様々に遇されてきたが、ローエングラム公にお仕えするようになってからは、このことで侮辱を感じるようなことは全くなくなった」
「…そうか、そうでなくてはならん」
「単に私の地位が他の者にそれを許さなくなったということもあろうが」
「卿の義眼について侮辱するような輩は卑怯者だ。いくら卿がいけ好かない男だからと言ってもな。それが分からぬ者は閣下の配下たり得ぬだろう」
「だがかつては、あえて私の不完全さの証拠として義眼を挙げつらい、私を侮辱する者も存在した。彼らを哀れに感じはするが、だからと言って私を蔑む者たちの言うなりになるつもりはない」
オーベルシュタインは剣がしまわれた箱をテーブルから持ち上げ、ロイエンタールの膝の上にそっと乗せた。
「ロイエンタール、卿こそこの剣が欲しかったのではないか?」
ロイエンタールは自分の足の上に置かれた箱の上に手を走らせた後、ゆっくりと首を振った。
「いいや、おれは卿が大事にしまい込んだ剣とはいったいどんなものか、ただ興味があっただけだ。それに…、これは良くない剣だ」
「良くない?」
「うまく言えんが…。剣とはあくまで芸術品ではなく、戦場で使用する実用的なものだと思っている。―ではあるが、これは確かに芸術的な綺麗な剣でありながら、むしろ戦いに使われたがっていた」
「剣が…使ってほしい…と卿に言ったのか」
ロイエンタールは我ながら自分の言葉が信じられないと言いたげに、眉をひそめて剣が入った長細い箱を眺めていた。
「直接そんな言葉を聞いたわけではない。あるいはあの毒薬の影響だったかもしれん。戦っている間、剣が何か普通とは違うように感じられた。まるで妙に生き生きと輝きが増したような…。だが、剣は剣だ。おれはそんな自己主張の激しい武器は手元に置いておきたくないな。約束通り、卿に返す」

 

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