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光芒走りて

12、
剣が入った箱を押し戻されて、オーベルシュタインは再びテーブルの上にワインと隣り合わせに置いた。これをまた手ずから持って帰るとなると、ロイエンタールに見舞いの品を突っ返されたと噂されそうだが、仕方あるまい。
ロイエンタールも同じように思ったのだろうか。にやりとして言った。
「ひとまず預かっておこう。退院したらそいつを持って卿のところに返しに行く」
オーベルシュタインはその言葉に身体の敏感な部分がかっと熱くなるのを感じた。自分を見つめる色違いの瞳も、急にきらきらと光りを放ちだしたようだった。だが、この病室と言う環境のせいか、ロイエンタールの青白く透き通るような頬のせいか、オーベルシュタインの頭はあの夜のような熱病からは冷めていた。
「ロイエンタール、もう私のところへ来るな」
「屋敷では人目が気になると言うなら、おれはどこで会ったってかまわんが…」
ロイエンタールの両手をひとつにして、オーベルシュタインはそれを自分の両手で包んだ。
「違う。もう卿とは会わぬ。ベッドを共にするようなことはせぬと言っているのだ」
色違いの瞳にはっきりと怒りの表情が見えて、オーベルシュタインはまるで彼が自分に挑みかかってきた時のように背筋にぞくぞくと震えを感じた。
「卿はおれを振るつもりか」
「そうだ。卿と私はこれまでもただの同僚であったし、これからもそうなる。私は卿にとって単なる火遊びの相手にすぎまい。ならば―」
一瞬にして天地がひっくり返り、オーベルシュタインは何が起こったか咄嗟に測り兼ねた。その時視界いっぱいにダークブラウンの髪と白い肌が見えて唇が塞がれた。
あれほど弱々しく見えたロイエンタールにベッドに引き倒され、仰向けになって寝転がり、息が止まるほど強く唇を吸われているのだと、ようやく気がついた。
骨が折れるかと思うほど強く握られた両手首は1ミリも動かすことが出来なかった。自分の唇を塞ぐその唇は熱くしっとりとして柔らかかった。口の中いっぱいにロイエンタールの舌が蠢き、滑らかに温かく自分に絡みつき、唾液が溢れて濡れた音を立てた。一瞬手首が解放されたと思ったのも束の間、今度は両手をまとめて頭上に押さえつけられた。オーベルシュタインの両手の力は彼の片手にすらかなわない。だがそれ以上に、鼻孔いっぱいに彼の匂いを嗅ぎ、耳にその荒い息遣いを聞いて、オーベルシュタインは自分の身体中の力が抜けていくのを感じた。
足の間にロイエンタールの手が伸ばされ、あっという間にベルトが緩められ前が開けられた。
「…よせ!」
冷たい手が根元の叢を撫で、彼の抱擁の中で熱く立ち上がる固い鋼鉄をしごいた。まるでその感触を確かめるように、彼の手があらゆるところに丸い円を描いて蠢いた。ズボンが太腿の辺りまで押し下げられ、すっかり自分が露わになっていた。
ロイエンタールが頬をすり寄せ、その熱い息が耳に吹き込まれ、耳介に濡れた唇の柔らかさを感じた。
「…ああ、あったかい…。こんな病院のベッドは冷たくてうんざりする。卿のこれでおれを温めてくれ」
だめだ、だめだ! だがその叫びは言葉にならず、抑えられたうめき声にしかならなかった。まさか、こんなところで彼と…。彼の手が上下する動きに合わせて、ベッドがリズミカルにギシッギシッと音を立てた。
いつの間にか両手が頭上にないことに気づいたが、代わりにロイエンタールの背に腕をまわして自分にその身体を押し付けているのだった。オーベルシュタインは夢中でその白く滑らかな胸に舌を這わせて味わった。ロイエンタールがオーベルシュタインの頭を抱きしめ、押し殺した喘ぎ声を漏らした。
「…あんっ、んん…! 吸って、もっと…! 強く…!」
病院着の下で背骨に沿って手を走らせ、繊細な肌触りの双丘のあいだに指を忍ばせる。そこはきつく締まってとても入り込めそうになかったが、指先を少し強く押し込むとキュッと吸い付いた。
まるで犬のような二人分の熱く荒い息遣いが混じる。ロイエンタールの中心も熱く固くなって、オーベルシュタインの裸の腹に濡れた先端をこすりつけた。オーベルシュタインはその豊かに溢れる滑りを手に取り、忙しなく後ろをほぐしにかかった。
指がいつの間にか奥まで届き、オーベルシュタインの首筋に噛り付いていたロイエンタールがビクンッと上体を逸らした。色違いの潤んだ瞳が自分を見下ろし、今がその時だと気づいた。涙を流す自分の固いものに手を添え、とうとうロイエンタールの熱い入口に飛び込んだ。押し殺した喘ぎが病室にこだました。
「…ふぅっ、んっ…! んん…!」
自分が突き上げると、彼が降りてくる。そして再び突き上げ、彼が迎える。そのリズムにのって上体を動かすロイエンタールは、目をぎゅっとつむって息を継いでいる。口がだ円を描き、大きな叫び声を予感し恐れたオーベルシュタインは咄嗟に彼の頭を引き寄せ、その唇を自分の唇でふさいだ。
途端に二人の熱い鋼鉄が弾け、雷鳴が轟くような大きな音が響き、身体中が熱い炎に包まれた。

 

まるで心臓が弾けそうなほど強い鼓動を打ち、その音で耳が塞がれた。ロイエンタールの荒い息遣いと早い心拍音が聞こえて、自分が何をしてしまったか、思い出した。
―ロイエンタールは安静にしていなければならぬのに…。
だが、彼はオーベルシュタインの首筋に顔を埋めて、なぜかクックックッと楽しそうに笑っている。

何を笑っているのか―。その時、オーベルシュタインは鼓動の音だと思っていたのが激しいアラーム音だと気づき、ぎょっとした。
「…なんだ、なにがあった」
とうとうロイエンタールが小さく声を上げて笑い出した。
「おれの、腕に刺さっていたなんだか知らんケーブルだかの根元が引っこ抜けて、さっきからそこの機械がビービー言っている」
慌ててオーベルシュタインがロイエンタールに入り込んだまま、彼を腕に抱えて起き上がった。どこを刺激したのか、ロイエンタールが甘えたように喉を鳴らしてしがみついてきた。

扉に鍵のかからぬ病室で、病人相手に自分はいったい何をしていたのか―。
廊下を走る足音がして人声が近づいて、それに対して副官がなにか答えているのが聞こえた。副官が相手をなだめ押さえて、やたらと大きな声で相手に答えている。
「なんでもありません、大丈夫です。先ほど小官がお見舞いの花が入った大きな花瓶を倒してしまって、その時、閣下のベッドの脇にある機械に引っ掛かってしまって…」
あの生意気な副官はこの病室の様子を全部見ていたのだろうか? おそらくある程度、察してしまったのかもしれない。
オーベルシュタインが温かい所から抜け出ると、大きな声で彼が「…あっん…」と鳴いたので、廊下まで聞こえてしまったかもしれない。その艶やかかつ楽しそうな表情を見て、わざとではないかと疑った。ベッドから降りてみると、長細い箱が床に落ちてふたが開き、中から剣が飛び出していた。あの時、まるで落雷のような大きな音がしたが、これが落ちた音だったのか。
ロイエンタールがなにやら派手な花が飾られた大きな花瓶を指さして小声で言った。
「あの大きな花瓶を倒してしまえ。やけに押しつけがましい、けばけばしい花だと思っていた。レッケンドルフの言葉通りにして、彼の労に報いてやらんと。それからバスルームならその奥にある。ついでにおれに濡れタオルを寄越せ」
オーベルシュタインがトイレに籠っている間に、副官がロイエンタールによって病室に招じ入られた。ひとしきりバタバタと窓が開く音や何かものを動かす音と、叱責の声がしたかと思うとふいにアラーム音が収まり、足音高く軍靴の音が響いて遠ざかり、副官が部屋を出て行ったと分かった。
トイレから出てみるとふて腐れた風情のロイエンタールがベッドに大人しく座っていた。すっかり身ぎれいにして、先ほどの乱れようは嘘のようだった。
「怒られた」
まったく馬鹿なことをしたものだ。オーベルシュタインはと言えば先ほどの出来事のせいですっかり疲れ切ってしまい、ベッドの頭の近くにある椅子に座り込んだ。
「当然であろう…。卿は何ともないのか」
「何が?」
うんざりするほど生き生きとした輝くような表情で、色違いの目を丸くしてこちらを見ている。やがてロイエンタールがくすくすと笑いだした。
「心臓のことを言っているのか? 今のはリハビリ代わりのようなものだ。医者どもが大事を取るからおれも自分が重病人のような気になっていたが、卿のおかげですっかり元気になった」
「…私などが卿の役に立てて何よりだ」
ロイエンタールが渇いた咳をしたので、先ほどと同じように水のボトルを渡してやった。「薬のせいでのどが渇くんだ」と言って、ごくごくと美味そうに水を飲んだ。ボトルから口を離すと、オーベルシュタインに指を振った。
「…ところで何の話をしていたのだったか…。そうそう、もうベッドを共にするようなことはせぬとか何とか、言っていたな」
枕を空いている方の手でポンポンと叩いて、ロイエンタールは言った。
「病院のベッドではあってもこれもベッドはベッドだ。卿の誓いは早々に破られたな」
楽しそうににやりと笑うロイエンタールを見て、オーベルシュタインはため息をついた。
「卿があのように挑んで来たら、私は逆らえぬ。卿の方が力が強いのもあるが、私は卿を拒み続けることは出来ない。卿と寝るべきではないのは明らかだ。だがそれは、私が卿を欲しないという意味ではない」
ロイエンタールは笑いを収めてオーベルシュタインをじっと見た。
「卿はおれが欲しいのか」
その言葉にオーベルシュタインはためらいも見せずに頷いた。ロイエンタールはほうっとため息をつき、その手をオーベルシュタインに伸ばした。
「はっきり口に出して言ってくれ」
伸ばされた白い手をオーベルシュタインは両手に取って、両方の親指でその手のひらのくぼみを撫でた。顔を上げて、ロイエンタールを見つめてその言葉を言った。
「私は卿が欲しい」
ロイエンタールの瞳が輝いて彼がその言葉を受け入れ、喜んでいることが分かった。だが…。
「ロイエンタール、卿に一つ聞きたいことがある」
「…なんだ」
「卿は私のものになれるか。私だけのものに」
この上なく綺麗に輝いていた瞳が揺れて、その光を隠すようにためらいがちに伏せられた。オーベルシュタインは両手の中の彼の手がゆっくりと遠ざかるのを感じた。
―ああ、やはり。当然そうなのだ…。
「さあ、分からないな…。それは今答えなくてはならんのか?」
「私は自分が今、卿を何よりも欲していることを知っている。だが、卿はそうではない。ならばすべて明らかであろう」
「…明らか?」
「私たちがもうこのようにして会うべきではないということが」
椅子から立ち上がったオーベルシュタインは、病室の壁をぼんやりと見つめるロイエンタールを見た。彼はまた青白い、弱々しげな儚げな様子に戻っていた。だが、その様子にほだされてはならない…!

その時、ロイエンタールの視線がゆっくりと動き、ふと、何かに気づいたというように眉が顰められた。
「…この剣はテーブルに確かに置いてあったはずだが、なぜ床に落ちたのだろう」
床に落ちた剣は副官の手によって、テーブルの上に戻されていた。まったく何の脈略もなくロイエンタールがつぶやいたので、虚をつかれたオーベルシュタインは思わず返事をした。
「きっとベッドから振動が伝わってテーブルが盛大に揺れたのだろう。この病人はずいぶん暴れていたからな」
ロイエンタールがフンと鼻を鳴らした。
「おれより卿の方がすごかった。おれは卿の腹の上で跳ね上げられたぞ。この間より強烈に感じた」
なぜか、ロイエンタールの瞳が再度輝きを取り戻した。
「とてもよかった」
オーベルシュタインを濡れたようなその瞳でじっと見つめ、低い滑らかな声で言った。オーベルシュタインは非常な努力を払ってその瞳の牽引力に逆らおうと、会話をつづけた。
「…おそらく、私が剣をしっかりテーブルに乗せていなかったのであろう。どのように置いたか覚えておらぬが」
「だが、テーブルに一緒に置いてあったワインは1ミリも動いていないぞ。ワインが床に落ちたら割れて大惨事だったな」
一瞬、今まで話していたことなどすっかり忘れて、互いに顔を見合わせた。
「―やはりこれは私が持って帰ろう」
オーベルシュタインが手を伸ばしかけるのを、ロイエンタールは押しとどめた。
「いいさ、置いてゆけ。そこに置いておいたら何が起きるか見てみたい」
「―何も起きたりなどせぬ」
「ならば、なおのこと置いてゆけ。おれが自分で卿のところへ持って行くのだからな」
「―ラーベナルトが喜ぶ。あれに卿が訪ねてくると伝えておこう」
枕に身を預けてロイエンタールがベッドからオーベルシュタインを見上げた。
「あの老人に会いに行くのではない。おれは卿に会いに行くのだ」
「そうか」
そう言ってドアの方へ向いたが、「オーベルシュタイン」、と呼ばれて振り向いた。
ロイエンタールが手のひらを上にして右手を上げ、こちらへ来い、というように人差し指を少しだけ動かして合図した。
オーベルシュタインが近づくと、仰向けられた白い顔の中でロイエンタールの目がそっと閉じられた。何も考えずにその差し出された唇に唇を重ねた。
ゆるく開かれたその柔らかい唇の間に舌を走らせる。喉の奥で歌うような音を立てるロイエンタールの顔にそっと手を添え、滑らかな顎を撫でつつ存分にその温かさを味わった。そして、オーベルシュタインは離れた。
しばらくしてロイエンタールの瞳が開かれた。
「―なるほど、どうやら卿は本当におれを拒むことが出来ないようだ」
まったく、その通りだ。
ロイエンタールがちょっと指を動かしただけで自分は―。オーベルシュタインは首を振ってロイエンタールに背を向けた。
「…卿の目は私だけに向けられているわけではない。今は卿も私が珍しいだけだろう」
「卿は珍獣の類か」
「お互い、相手の存在が珍しいだけだ。必ずや相手にうんざりする時が来る」
「それはあり得るな。だが、今ではない。だからおれは卿に会いに行くぞ」
その言葉を背中に聞きつつ、扉を開けて廊下に出た。
彼にうんざりする時など、きっと未来永劫訪れはしないだろう。彼はいくつもの輝きを持った複雑な男で、その輝きに魅了されたら彼のすべてが欲しくなる。
―だがきっと、彼へのこの欲望がいずれ私の行く手を阻むことになる。それが分かっていながら、彼を無視し排除することが出来ぬとは。
彼を決して自分のものにすることは出来ないと知りながら、彼を拒みえない自分はなんと弱い人間だろう。だが彼があのように自分に執着を見せ、見つめる瞳のなんと甘美なことか。
それがただ一時のものだとしても自分にとっては一生の宝物のように感じられ、その思いを反芻しつつこれからの歳月を過ごすことが出来る。彼と過ごし、別れた数多の恋人たちの気持ちが分かる気がした。
オーベルシュタインは門番の副官が廊下に据えた椅子から立ち上がって、顔は俯いているが、目はじっとこちらを見ていることに気づいた。扉の中からロイエンタールがシーツの中にもぐりこむ衣擦れの音が聞こえた。室内で何があったかなど、この副官には筒抜けだっただろう。
「―世話をかけたな」
副官ははっとして顔を上げた。オーベルシュタインが声をかけるとは思わなかったのだろう。意外そうな表情は最初赤くなっていたが、やがて強気なものに変わりまっすぐな瞳で睨み付けられた。
「あの方は決してあなたのものになどなりません。いずれあなたの本性に気づいてあなたをお見捨てになられます」
「―卿は私の本性を知っているのか」
「あなたはご自分の行く先だけを見ています。その行く先とは私の閣下とは相容れない、決して交わらぬものです」
その言葉は自分が意識下でぼんやりと考えていたことと、酷似していた。オーベルシュタインがふっと苦笑をもらしたので、副官はぎょっとして目を見張った。
「―彼は私の本性などすでによく分かっていよう。だが―、覚えておこう」
オーベルシュタインは踵を鳴らしてその場を去った。
そうだ、分かっている。自分には進むべき道があり、ロイエンタールの存在に惑わされるべきではないことを。今しばらくは彼と共に歩むことが出来るだろう。だが、いずれすべてが変わるときがくる。せめてその時まで、彼を手元に囲い込み、彼のすべてが自分のものであるふりをしよう。

 

 

Ende
 

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