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光芒走りて

10、 
「そこまでだ。ロイエンタールから離れろ、ノイラート」
ノイラートはハッとして顔を上げた。
ブラスターを構えて銃口を向けているオーベルシュタインを見て、男の顔が歪み歯を剥いた。そんな形相を人間がするとは目の前にしなくてはとても信じられないだろう。男はオーベルシュタインが両手でしっかりとブラスターを支えてこちらを狙っているのを見た。だがその顔を歪めて声も立てずに笑うと、ロイエンタールをその腕の中にしっかりと抱えなおした。
「撃てますか、オーベルシュタイン閣下」
ロイエンタールの顎の下に腕を回して自分の前にして盾にし、右手で剣先をその胸に擬した。オーベルシュタインは顔色も変えず、ブラスターの照準をぴたりと男の眉間に合わせた。
「私の剣がロイエンタール提督を斬り裂くより、ブラスターの方が早く私の命を奪うだろうとお思いでしょうが、そう上手くいくものではありませんよ。試してみますか」
ロイエンタールの白い頬には血の筋が引かれ、その両手も血に濡れていた。だがどちらもすでに血は止まっているように見える。他にもどこか見えないところに重症を負ったのだろうか。力なく男に抱えられるままに、泥だらけの顔をして目をつぶっていたが、その時目を開けてはっきりオーベルシュタインを見た。
「…はやく…うて」
息切れを起こしているような声だった。
「ロイエンタール提督もこうおっしゃってますよ。私とあなた、どちらが早いか競争しましょう」
そういうとノイラートはロイエンタールの頬に顔をぴたりと寄せ、頬ずりをした。
頬にロイエンタールの血が薄く付き、引き伸ばされる。
「なるほど滑らかな肌触りだ。一緒に死ぬのにいい相手ですな。あなたのお相手を奪うようで申し訳ありませんが」
ロイエンタールの眉が辛そうにひそめられ、震える唇からそれでも強気な言葉がこぼれた。
「…胸くそわ…、…てっ…」
風がいっそう強く吹き荒れ、木々を盛大に揺らして激しく音を立て、ロイエンタールのダークブラウンの髪を乱した。

ロイエンタールが口を開き、音を立てて大きく息を吸い込んだ。
「―うてー!!」
ブラスターの銃声が響いた。

 

ノイラートがゲラゲラと笑って、ロイエンタールをドンと突き倒して自分から離した。
胸をつかれてバランスを崩したロイエンタールは、壊れた人形のように力なく横ざまに倒れ、水たまりの中に半身を浸した。右腕が横倒しになった体の下になり、左腕は胸の前にだらりと垂れた。
すこし前にまるくなったその体勢はただ疲れて横になっているようにも見えた。
その口が動いて「ばかやろう…」と言っているようにオーベルシュタインには見えた。
銃口を天に向けているオーベルシュタインを指さして、ノイラートがその歪んだ顔に風を受けながら、腹を抱えて笑った。
「…腰抜けめ…! こいつに当たるのを恐れたか…! 撃てないとは呆れた男だ…!!」
だが突然、嘲笑う男のすぐ後ろで木々がガサガサと音を立てたかと思うと、葉をたくさんつけた大きな枝がノイラートに向かって迫り、その顔面に泥だらけの枝を叩きつけた。
泥水をたっぷり含んだ葉っぱのついた大枝を持ったフェルナーが、さらに腕を大きく振りかぶって、ノイラートに正面から音を立ててぶつけた。
唾を吐いて、目をこすったノイラートが文字通り目暗滅法に剣を振り回したので、慌ててフェルナーは飛び退って枝をノイラートに向けて放り投げた。一抱え以上もある大きな枝がガサガサと音を立ててぶつかったせいで、ノイラートは剣を取り落とした。
「何をするかー!!」
顔をこすって腕を振り回したので、今度はそれを見たフェルナーがヒステリックに笑い出した。それでもフェルナーはブラスターを構えて上官の前に立ち、ノイラートが上官に向かってくるのを防ごうとした。
「…くそっ!」
目に入った泥のせいで涙を流しながら顔を拭ったノイラートだったが、突然、ぎょっとして慌てて後ろを振り向いた。
そのまるで木偶の坊のように突っ立ったノイラートの正面に、銀色に光る鋼鉄が下から上へ血の色を描いて走った。
左手に握った剣を天に向けて、ロイエンタールがすっと立ち上がった。

その姿にノイラートは震える指を向けた。

ロイエンタールはまるで目が見えないかのように瞼を閉じ、泥だらけの顔の中でそこだけが白かった。彼はゆっくりと左手に右手を添えると、しっかりと柄を握った。
ノイラートの顔の真ん中が割れてドッと血があふれ、流れ落ちた。
目を見開き動くことの出来ないノイラートの顔が驚愕に歪んだ。
ロイエンタールの剣はまっすぐな美しい線を引いて、ノイラートの右肩から左の胴を斬り裂いた。真っ赤な血しぶきが勢いよく上がった。
ノイラートとロイエンタールが倒れたのは同時だった。片方は完全にこの世から足が離れ、もう片方の運命は誰にもわからなかった。
ロイエンタールの手元から落ちた剣は、血に染まった鋼を太陽の光に晒して、泥の中で輝いていた。

 

オーベルシュタインとフェルナーは、ロイエンタールがあまりに鮮やかにノイラートを斬り倒したので、それまで倒れていたのはノイラートを油断させるための演技だと思ったほどだった。だが、再び倒れた後、しばらくたっても起き上がらないロイエンタールに、ようやく二人は異常に気付き、慌てて駆け寄った。
オーベルシュタインの指示で広場を包囲していた憲兵隊により、ロイエンタールは救急病院へ急ぎ搬送された。ロイエンタールは非常に浅い息を繰り返し、顔色は真っ青で苦しそうにしていた。救急看護の資格のある憲兵がその様子に気づいて、慌てて心臓マッサージをして救急隊の到着まで凌いだのだった。
救急車の中では必死の救命蘇生が続けられた。救急隊員により心筋梗塞による心室細動を起こしていると診断され、誰もが耳を疑った。救急車内設備の心電図、身体所見によれば心筋梗塞の診断は妥当に思われた。
病院の特別室に移され、緊急検査で彼の心臓の状態を確認すると、プラークもなし、壊死した血管もなし、外面的には非常に健康な心臓にもかかわらず、動脈硬化に似た症状を起こしていることが分かった。現時点での診断名は虚血性心疾患とされた。原因究明のため即座に人工心肺装置が取り付けられた。数々のケーブル、カテーテル、モニタにつながれ、酸素マスクを取り付けられた病院着のロイエンタールは、しばらくして昏睡状態から目を覚ました。
周囲には看護師や人工心肺装置の技師など、少なからぬ人間が立ち働いていた。それにもかかわらず、そのふた色の瞳はすぐにオーベルシュタインの姿の上に落ちた。
看護師が上ずった声を上げた。
「目を覚まされましたよ!」
フェルナーに諸々の後始末を任せ、オーベルシュタインは救急車に同乗して、病院までロイエンタールに付き添った。ロイエンタールはローエングラム公の大切な部下であり、帝国軍の重鎮だ。実際、彼が側にいて患者が何者か指摘しなければ、おかしな兆候を見せる心臓を即座に捨てて、高性能の人工心臓が移植されてしまっただろう。いかに高性能で頼りになる人工物とは言え、それはしょせん偽物だ…。
だが、ロイエンタールが帝国の重要人物であることを主張するくらいのことは、憲兵隊の誰でも容易にできただろう。誰かに任せてしまっても何の害もない。
だが、オーベルシュタインはロイエンタールのそばに留まった。責任感? そうかもしれぬ。彼への執着? それもあるだろう。
ただ彼から離れられないというそれだけの理由で、オーベルシュタインは留まり続けた。その行動に報いるように、目を開けたロイエンタールは真っ先にオーベルシュタインの姿を認めたのだった。
彼の周囲で立ち働く人々にはまるで目もくれず、色違いの目を大きく見開いて、ロイエンタールはオーベルシュタインを見た。まるで今までこん睡状態だったと思えぬほど、はっきりと理解の光を宿した、強い視線だった。オーベルシュタインはその輝く瞳のまぶしさに、視線を逸らしそうになった。だが、酸素マスクの下のロイエンタールの血の気を失った唇が、何かを言いたげに震えているのに気付いた。
同時に、たくさんのケーブルでつながれた彼の腕の先の指が、まるでこちらへ来い、と言っているように小さく動いていた。
「ロイエンタール? どうした」
滑らかさだけは失わぬ乳白色の顔の中で、ロイエンタールの目がさらに大きく開き、はっきりと彼が何かを伝えたがっていると分かった。
「ミッターマイヤーならば、今、こちらへ向かっている。安堵せよ」
彼を安心させるためにそう言って、ロイエンタールの小刻みに動く指の上に手を置いた。実際、オーベルシュタインが一番に連絡を取った相手の一人が、ミッターマイヤーだった。
だが、ロイエンタールはそれに感謝の色を見せもせず、それどころか小さいがはっきりと首を横に振った。その唇がますます震え、ロイエンタールの喉仏が何度も上下するのが見えた。
「ロイエンタールの酸素マスクを外してくれぬか」
オーベルシュタインはすぐ近くにいた看護師に言った。看護師は狂人を見るようにオーベルシュタインを見ると、「駄目です!」と強く言った。
「彼が何か言いたがっている。彼を襲った者についての証言に違いない。卿は私の職務の妨害をするのか」
看護師は―あなたの方こそ、私の職務の妨害をしている―と言いたげだったが、賢明にも何も言わずに上司を呼びに行った。医師の診断の後適切な処置が施され、ロイエンタールの酸素マスクが外された。
オーベルシュタインはロイエンタールの唇の真上に屈みこんだ。その乾燥していたが柔らかさを保った唇が耳朶に触れ、こんな時にもかかわらず、彼と過ごしたささやかな夜のぬくもりを思い出した。
ヒュウヒュウとロイエンタールの浅い息遣いが鼓膜を打った。
ロイエンタールの手を強く握り、一言も聞き漏らすまいとオーベルシュタインは全神経を耳に傾けた。

 

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