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光芒走りて

8、 
ロイエンタールは木々が少し開けた広場のような所に立っていた。アイフェルの森ほどではないが、ここも決闘によく使われる場所だ。アイフェルの森は街から近く、厳粛な決闘の場には騒がしすぎると思う者にはエングリッシャー・ガルテンの方が好まれる。彼が立つ広場を取り囲む木々を嵐の名残の強い風が揺らして、ザザザザッと葉を鳴らす音を立てた。芝生の生えた一角はまだましな方だが、土がむき出しの地面は水を含んでところどころ軍靴がブクブクとぬかるんだ。決闘には結構な足場だ。
ふと、気がつくと少し離れたところに男が立っていた。木々を揺らす風の音がうるさく、近づく気配に気づかなかったのだろう。
「おはようございます。ロイエンタール提督」
男はどことなく安定感を欠いた声で声をかけた。緊張しているのだろうか?
「おはよう。卿は何者だ
。ボダルトの立会人か」
「おっしゃる通り、私はボダルトの立会人です。このようなお知らせをお伝えするのは恐縮ですが、ボダルトはここへ参ることが出来ません」
「なに」
「どうしても抜けられぬ身内の不幸がありまして、家族の者からこちらへ向かうのを止められました。そのため私が代わりに参った次第です」
そういうと、その男は手に携えていた剣を抜いて体の前に構えた。
「代わりに。卿がおれの相手をするというのか」
「さようです。どうぞお覚悟を」

眉をひそめるロイエンタールに立会人は剣を構えたまま頷いた。
「―そもそもボダルトの方から挑戦してきたのだから、代理と決闘など無意味だ。卿にはボダルトの元へ帰ってもらおう」
だが、相手は剣を収めなかった。腰を低くして剣を構え、目を細めた。
「いいや、ぜひとも相手をしてもらおう!」
いきなりぬかるんだ地面を蹴ってロイエンタールに飛び掛かった。
剣技に詳しくない者からしたら、ロイエンタールは手に持った剣をただぶらりとぶら下げただけの姿で無防備に見えただろう。だが、ボダルトの代理が斬りかかってあわやと思われるところでひらりと身体をかわした。いつの間にか抜いた剣でロイエンタールは相手の刃を受け流し、鋭く返した剣が男の胴を狙って迫った。男の身体はロイエンタールの剣の下に倒れ込むかと思われた。
だが、鋼と鋼が激しくこすれ合う音を立てて男はロイエンタールの剣を逃れ、息もつかせずその切っ先をまっすぐ前に突き出した。ロイエンタールの手首を狙ったように思われたが、ロイエンタールは再びぎりぎりのところでかわし、勢いよく迫って来た相手をまたしても受け流してその力をそいだ。
男はたたらを踏んでロイエンタールの後方のぬかるみに足を踏み入れた。バシャッと音を立ててぬかるみにはまった片足を抜くと、その余勢を駆ってくるりと回りロイエンタールの方へ向きなおった。そのような状態でありながらも、その間一度も無防備になることはなく、ロイエンタールに隙を見せなかった。
どちらも息切れもせずに剣を構えて相手の様子を伺っていた。
男は少し意外そうにロイエンタールを見たが、やがてその顔がおかしな具合に歪んで、ロイエンタールにはそれがこの男の笑顔だと気づいた。
「これは、これは…。その正眼に構えたところはとても漁色家の遊び人には見えませんな。ロイエンタール提督の武勇の噂は張りぼての戦艦の如きものではないとは、素晴らしい」
「卿はどうやら剣の腕前に自信があるようだな。ボダルトは最初から卿に代理で戦わせるつもりだったのではあるまいな」
相手は妙に歪んだ顔を崩さずに刃の向こうから答えた。
「さあて。あなたと戦えぬとは実に気の毒ですな」
「おれこそいい面の皮だ。朝も早くからどこの誰とも知らぬやつと剣を交えることになるとはな」
対峙する二人は街角で立ち話をするかのように気軽な会話を続けていたが、その実、どちらも相手の隙を狙って意識を集中していた。その時、男が先にロイエンタールにその隙を見つけたものか、緩く構えた剣を翻して前に踏み込んだ。
だが、ロイエンタールはその剣を再び受け流し、脇に飛びのいてまともには剣を交えようとしなかった。ゆったりと男の正面に向き直ってから剣を構えた。
「アイヒベルク中将はどうした。証人がいないところで戦って誰が決闘の結果を判断する」
男はその剣だけは揺るぎもせずにロイエンタールに向けたが、目を細めて相手を見た。
「…アイヒベルク中将? ああ、彼はボダルトと一緒にいますよ。来られるものなら来るでしょう」
「来られるものなら…?」
男は目をロイエンタールに向けたまま顎をしゃくって、片手を柄から離し、どこへともなく振った。
「そう、このエングリッシャー・ガルテンの森のどこかで泥の中に転がっていますよ。息があるならここへやって来るかもしれませんな。友人を守って戦う、なかなか骨のあるご仁でしたからな」
「…殺したのか、貴様。二人とも」
「さあて。生きているか死んでいるか確かめませんでしたので。何しろあなたをお待たせしてしまいましたのでね」
「言うまでもなく、先ほどのボダルトの家庭の事情とやらも貴様のでまかせだな」
ロイエンタールのその台詞が終わるか終らないかというその時、両者とも互いに相手に付け入る隙を見つけたのか、突然、泥を蹴散らして同時に相手に踏み込んだ。

 

エングリッシャー・ガルテンがその敷地内に抱える森はアイフェルの森よりも懐が深い。今朝のようにぬかるんでいなければ気持ちのいい小道を入り口からしばし進むと、よく人々がピクニックに来る芝生の広々とした空間に出る。この場所は決闘をする人々にとっても格好のピクニック場で、靄の中から突然剣戟の音がして、早朝の散歩をしている良き市民たちを驚かせるのだった。
だが、この広場に似た場所はエングリッシャー・ガルテンの中にいくつかあって、そのどこにいるかはオーベルシュタインには分からなかった。
東西南北の4つの門からそれぞれいくつかの広場に入っていける。東の門が一番市街地から近く、おそらく決闘者たちもわざわざ遠回りはすまいと思い、オーベルシュタインはそこへ向かった。
オーベルシュタインが乗る地上車にフェルナーから通信が入った。
「卿はエングリッシャー・ガルテンのどの門からロイエンタールが入って行ったか分かるか」
『申し訳ございません。ロイエンタール提督のすぐ後ろからつけて行ったはずの部下から連絡がないんです。南門から入ってすぐの広場が決闘場所に好まれると聞きますので、そちらへ向かっています』
「―卿も決闘などするのか」
上官の突然の問いに副官はうろたえもせずに真面目に答えた。
『友人が非常に優秀な法廷弁護士でして、俺なら法廷で闘おうと言いますよ。実際に何度か訴えて勝ったことがあるので、相手はまた本当に訴えられて賠償金を課せられてはかなわんと思うのか、大抵それで引っこみますね』
「…いかにも卿らしいことだな」
『俺のことをよくお分かりいただけて何よりです』
ひとまず二人は南門の前で落ち合うことにした。オーベルシュタインは近辺の憲兵詰所から借りた憲兵のうち数人を念のため東門へ向かわせ、残りは南門へ急行させた。うまくすればロイエンタールを追ったと思われるノイラートを挟み撃ちに出来るだろう。
だが、決闘者二人と立会人、証人のアイヒベルク中将がいて多勢に無勢、ノイラート一人で向かって行きはすまい。おそらく決闘が終わって一団が解散した後、一人になったロイエンタールを狙うのではあるまいか。決闘の後であれば、いかなロイエンタールと言えどもかなり疲れているであろう。
―ロイエンタールは百戦錬磨、武器を取っての戦いにも慣れている。私などの出番はなく、すべて無駄足になるかもしれぬ。
なぜ自分がそのように強く心に言い聞かせているのか、オーベルシュタインはその心理を分析しようとはしなかった。
その解析の結果を知ることを恐れた。

彼は我にもなく、その手のひらに汗をにじませていることに気づき、膝の上で両手を握りしめた。


 

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