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二人の新任艦長

5、

暗闇の中で警報と艦を揺るがす衝撃音が室内にこだました。

「敵襲だ!!」

ミッターマイヤーは飛び起きた。しかし、軋むような音とともに先ほどとは反対側に床が傾き、尻もちをつく。

「おい、いつまで転がっているんだ、敵襲か、すくなくとも何か異常事態が起きているぞ」

ロイエンタールは恨めしげにミッターマイヤーを見上げた。

「とっさに受け身をしたが、したたかに腰を打った。卿のせいだぞ。きっとどこか折れた」

「そんなわけ…」

ミッターマイヤーは言いかけたが、自分がまともに友の上に乗り上げたことを思って急に心配になった。グレーの瞳が陰ってりりしい眉をひそめる。

ロイエンタールはからかったことを半ば後悔しつつ、手をついて起き上がった。

「いや、大丈夫だ…。だんだん痛みも引いてきた。腰にアザが出来ているかも知れんが」

「そうか」

ミッターマイヤーはホッとしてロイエンタールに手を貸し立ち上がる。艦自体が傾いているのか、傾斜しているのを体感できる。普通の状態ならあり得ないことだ。ロイエンタールは少しかがんで腰をさすっている。軍事教練を受ける前から、幼少時の貴族らしいしつけにより立つときは直立し、椅子に腰かける時も背をもたれたりしない男だ。平民の若者がするようにズボンのポケットに手を入れて、だらしなくどこかに寄り掛かって立ったりしない。こんなしぐさは珍しい。

「悪かったな、俺がのっかったせいで余計に痛めたのだろう。医務室へ行こうか」

ロイエンタールは「いや、大丈夫だ」と繰り返した。

「後で腰を卿にさすってもらおうか。それより、先ほどの衝撃ではかなり深刻な怪我をした者もいるだろう。艦橋へ行ってみるか」

「その通りだな、いまだに警報が止まらんし…。また邪魔にされるとしても何か手伝えることがあるかもしれんな」

艦が傾いているせいか、タッチパネルで自動扉が開かず、無理やり開閉レバーを操作し廊下へ出る。そこへワードルームの従卒が控室の廊下側の扉から顔を見せた。

いつも落ち着き払った表情の彼もいささか動揺しているように見えた。ミッターマイヤーは声をかけた。

「大丈夫か、怪我はなかったか」

「ありがとうございます。わたくしは椅子に座って銀器を磨いておりましたから、かえってなんともございませんでした。ですが、ちょうど皆さまのご夕食にワインをセラーから出して準備しておりましたもので、これがすべて床に落ちてしまい…」

ミッターマイヤーは空気に漂う濃厚なアルコールの香りに気づいた。ミッターマイヤーとてワインは惜しいが、この状況にも関わらずワードルームの夕餉を完ぺきにこなすことを心配しているらしい従卒が微笑ましく思われた。己の職務に真剣に取り組む者はどこまでも真摯なのだ。ロイエンタールも同様に思ったのか、常よりやさしい声をかけた。

「それは残念なことだ。しかし気にすることはない。この様子では皆しばらく腰かけて食事は出来ぬであろうしな」

「さようでございましょうが…」

首を振りながらクローゼットからモップを取り出した従卒を残し、二人は廊下を急いだ。警報はいまだ止まず、艦が揺り返しのようにしばしば揺れるので、廊下の手すりを伝いながら行く。普段は比較的静かな艦内はどこかへ向かって走る兵や士官たちであふれていた。艦橋もまた、混乱の極みにあった。船体の傾きでドアが開かなくなることを恐れたのだろう、開け放たれたドアの外に立つ衛兵を無視して二人が中へ入ると、室内の騒音を全身に浴びることとなった。

各部署のオペレータが大声でどこかと連絡を取り合い、衛生兵や軍医が駆け回っていた。頭に包帯を巻いた副長の姿が見えるが、艦長は姿がなかった。警報が鳴り響く中、艦橋の大型スクリーンには一人の大柄な50がらみの男が映っており、その男とバイアースドルフ提督が真っ赤になって口論をしていた。後方の席でベーリンガーがうろたえたように提督を見ているが、その彼も血のにじんだ包帯を頭に巻いていた。

「レイ将軍、卿が船団の取るべき態形などという滑稽な通信して、わが艦のオペレータ達の職務遂行の邪魔をしてくださった、そのタイミングでこのような事態になるとは、まったくの偶然とも思えませぬな」

「バイアースドルフ提督、それはどういう意味かね、何か無礼なことを言おうとしているんじゃないかね」

「おや、お分かりになりませんか、はっきり言わせていただければ、これは利敵行為というものでしょう」

「なんだと…!」

ベーリンガーがさすがに青くなって提督の袖を引いた。

「…閣下!」

バイアースドルフはいらいらするように副官の手を払うと、腕を組んでスクリーンをにらんだ。相手のレイ将軍も同様にこちらを睨みつけている。

「ベーリンガー、いい加減このうるさい警報を止めんか。それから艦長に艦内の状況を報告させろ」

「艦長は打ち所が悪く、昏倒してしまいました。先ほど医務室へ移動させました。副長に報告させます」

「よし、それからレイ将軍には…」

そこで提督はスクリーンの向こうの相手がこちらを見ていないことに気づいた。なぜか、バイアースドルフの後ろの方を目を細めて凝視している。バイアースドルフが振り向くと、二人の新任艦長が近づくのが見えた。提督は嫌なものを見たというように顔をしかめた。

「大尉たちのお出ましだ、ベーリンガー、彼らの相手をしろ、そして丁重に追っ払え」

バイアースドルフは別に声をひそめもしなかったので、近付いていた二人にはその言葉が聞こえた。ベーリンガーはいささか困ったように見えたが、それでも提督の言葉にうなずいた。

提督の言葉はスクリーンの向こうのレイ将軍も聞こえたらしく、先ほどよりは落ち着いた声で問うてきた。

「大尉たち? 彼らは誰だね」

「我々の客ですよ。ゼンネボーゲン中将の艦隊の傘下に入るということで、我が艦が彼らをヴァルブルク方面へお連れする栄誉をたまわったわけです」

「彼らはなんという名前かね」

バイアースドルフは意外なことを聞くというように眉をあげた。二人はベーリンガーの制止にもかかわらず、すぐ近くへ来ようとしている。部外者に痛くもない腹を探られるのはまっぴらだが、ことこのような事態となっては一層の注意が必要だ…

ベーリンガーは険しい表情で二人の前に立ち、ミッターマイヤーに向かって言った。

「ここは卿らの来てよい場所ではない。お引き取りいただきたい」

「この非常時だ、我らにもこの艦内のことでなにか手伝えるのではないかと思って、提督のご意向をうかがいに参った。お忙しいであろうからお邪魔はせぬが…」

「非常時? 非常時などということはない。であれば卿らに手伝っていただくこともありはせん。部屋に戻っていていただこう」

副官は不思議とロイエンタールには目を向けず、いつものように鼻先からミッターマイヤーを見下ろして、彼だけに向かって言う。だが、副官がロイエンタールを意識していることはなぜか二人にも分った。目は向けつつも、体がロイエンタールの方を向いていたからかもしれない。

そのロイエンタールがまるで無視されていることに気づかぬ風に、ミッターマイヤーの前に立ってベーリンガーに近づいた。ベーリンガーが一瞬びくっとする。

「これは異なことを聞く。この騒音、艦内の尋常ではない様子、異常事態であることは明らかだが、我らが部外者であるということでなにか隠したいことでもおありか」

「それは邪推と申すものだ。ただ我々は常に忙しくしているし、艦内には機密も多いゆえ、察していただきたいのだが」

あくまで言い抜けようとしているのは分かりきっており、二人に対する相手の態度にミッターマイヤーはいらいらした。それでもベーリンガーはロイエンタールと目を合わせられないようだ。ちらちらと横目で見て直視しない。何かほんとうに後ろ暗いところでもあるかとミッターマイヤーは不思議だった。

「もういい、ベーリンガー。二人をこちらへ寄こせ」

提督がうんざりするように声をかけ、手招きをした。

まったくベーリンガーは使えない…! 普段の事務仕事で不満を感じることはないが、貴族のプライドなどを大事にしているからこういう場面で上手く立ち回ることが出来ぬのだ。バイアースドルフ自身は平民出身で門地も縁故もなく、おそらく今の地位が己の限界だろうと自覚している。それでもかなりよくやった方なのだ。それを貴族出身というだけで彼の努力を軽々越えていくこの若者や、上位者の贔屓でひよっこの若造が二人までも小さいとはいえ駆逐艦の艦長となる。年功や経験に重きを置き、時として我を曲げて上位者の意を迎えて今の地位を築いた彼としては、忸怩たる思いにとらわれずにはいられなかった。

二人が提督の席のそばに立ち、きれいに敬礼をすると提督もおざなりな敬礼を返した。そして、大型スクリーンに映し出された人物を指差す。

「こちらは我々が護送の任務を負っている輸送船団の所有会社の代表のひとりでいらっしゃる、レイ将軍だ」そしてレイ将軍に対し、二人を紹介する。それに対して、レイはうなずいて二人を認めた。特にロイエンタールに目を留めているようなのがミッターマイヤーには分かり、不審に思う。彼自身は目に入っていないようだ。この目立つ友と一緒にいるとよくあることだが、これほどあからさまに無視されてはいい気分ではない。

バイアースドルフが言葉を続ける。

「これから彼らをそちらの船に向かわせます。出来れば私の直属の部下を差し向けたいところだが、彼らはこの艦に残ってこの状況を改善するため、彼らの仕事をせねばならん。いつまた襲撃されるかわからぬ今、肯定以外のお返事は受け入れかねますぞ、レイ将軍」

「…それは我が船団を監視する目的のためということかね」

「違います。私の任務は貴公の会社の船を守り、無事ヴァルブルクへ送ることです。そのために、万全を期する義務があります。それは貴公とて同じかと存じますが」

レイはじっとその目を提督に向けていたが、しばらくして頷いた。

「承知した。二人を寄こしてもらおう」

スクリーンの画像が相手側から切断され、しばし静寂が戻った。

「そういうことだ。卿ら二人にはしばらく我々のために役立ってもらおうか」

 

 

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