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二人の新任艦長

3、

エヴァへ

今日の夕食は副長の招きを受けてワードルームで過ごした。同艦の提督と艦長も同席され、我々二人がゲストとしての栄誉をたまわった。当艦のワードルームは10名の士官が利用できるなかなかの広さだ。ワードルームのメンバーは、副長を筆頭に、航宙士長、先任航法士、提督副官、参謀の各1名、他には陸戦隊隊長である少佐の計6名で、これだけの人数が揃って夕食となると準備が大変だったろう。副長は鷹揚な40がらみの人物で、話好きと見える少佐と一緒に、場を盛り上げるためにいろいろ面白い話をしてくれた。

バイアースドルフ提督はうわさ通り気難しい様子の人だ。でも、今夜ばかりはわれわれにも寛大に対応してくださった。提督は長いテーブルの一方に座って、その向かい側が艦長、副長は真ん中あたりに座った。ロイエンタールは提督の左側、俺は艦長の右側に座った。提督の右側は副官で、俺が座っている席からはこの副官の表情がよく見えた。この男はいわゆる陰ひなたがあるタイプだ。俺に向けたあの憎々しげな表情と、提督に向けた恭しげなあの表情の違いはなんだろう。向かいにいるロイエンタールにもちょっと優しげな目つきを向けて、あの豹変振りを見て俺としては気味が悪いくらいだった。ロイエンタールの表情はこちらからは見えなかった。ロイエンタールがあいつのあの表情にだまされるとは思わないが、気をつけてほしい。だけど、あまり声が聞こえなかったし、いつもの社交辞令で場をやり過ごしていたのだろう。あいつは普段はかなり静かに話す方で、ときとしてずいぶんおっとりしたしゃべりかたの男だなって思う時もある。だが、酔っているときなど楽しい気分だと結構大声も出るのだ。怒っている時もだが。俺なんかいつでも大声で、よく母さんが向こうの角からでもウォルフがおなかをすかせて帰ってくるのが分かる、って笑ってたっけ。

そういえば提督がロイエンタールに話しかけていたのが聞こえた。

「卿はまだ二十歳をいくらも過ぎておらん。それでもう大尉殿だ。卿を引き立ててくれた人物にはよく礼を尽くさねばならんぞ」

提督のおっしゃりようは俺達がれっきとした武勲によってではなく、特定の上位の人物の贔屓のおかげでここまでの地位についたとでも言いたいかのようだった。対するロイエンタールの声はいつも通り静かだが、むしろ俺の席までよく通る声ではっきり聞こえた。

「そのような方がいらっしゃったとしても小官は寡聞にして知りません。もしご存じであればお教え願いたいものです」

「ほう、知らぬと申すか。それは残念なことだ」

そこであの副官が口をはさんだ。

「卿はこれからヴァルブルク方面軍に参加するのであれば、そちらのどなたかがぜひ旗下に欲しいと望まれたとしても不思議ではないのではないかな」

「なるほどゼンネボーゲン中将閣下は若い活きのいい士官がお好きなことで有名だ。きっと卿もよい活躍の場をえられることだろう」

「そうありたいものです」

俺にしかわからなかったと思いたいが、ロイエンタールの声音はかなりこわばって聞こえた。提督と副官の口調には何か二重の意味が隠されているように思われた。それをあいつも感じ取っていたのだろう。提督はゼンネボーゲン閣下に含むところでもおありなのだろうか。それとも本当に俺などは会ったこともない中将閣下のお引き立てがあったのだろうか。

ロイエンタールに心当たりを聞いてみたいが、一面どんな返答が返ってくるのか怖いような気がする。ゼンネボーゲン閣下について何かうわさを聞いたことがあるからだ。あいつが何も言わないのは理由があってのことだと思う。あいつに遠慮するようなことはしたくないが、無神経に質問などしてあいつを嫌な気分にさせたくない。

でも、心配はいらないよ、エヴァ。俺たちは結構馬鹿なこともするし、あとで考えると訳がわからん口喧嘩もしょっちゅうする。でも、どんな仲でも相手を思いやる気持ちは持っていたいのだ。

本当はこの手紙を君に出すことはないだろうな。あまりに内密の話すぎる。でも、君はいつも故郷に帰ると俺の話を退屈もせずに聞いてくれる。君はじっと聞いて、時々年下の女の子からとは思えないような面白い鋭い指摘をしてくる。だから、いつか話すことが出来るようになったら、この話をするかもしれない。

 

この艦の副長は二人と同格の大尉であるが、少壮のいかにも戦艦乗りの付き合いやすい人物だった。外部からの人間が珍しいのだろう、二人に艦内の人間関係の略図を示してくれたのはこの副長だった。

「これからまだ一か月以上は艦にいるのだからな、卿らもよく気を配っておくことだ」

彼はたびたび食事の席で二人に告げた。

「戦艦というのはどのような規模のものでもひとつの町のようなものだ。軍隊のどの部隊でも言える事だと卿らは思うかもしれぬが、戦艦内はその閉鎖性からいって陸戦部隊などの比ではない」

まるで自慢めいて聞こえる言い方にミッターマイヤーとロイエンタールは顔を見合わせた。それを副長は二人が信じていないものと勘違いしたようだった。

「われらが艦はさほど規模が大きい方ではないが、それでも多くの兵士や士官を抱えている。それだけの人員が日がな顔を突き合わせていれば問題が起こるのは当然のことだろうな。だが、生粋の戦艦乗りは狭い空間で同じ面を毎日見続けることにならされている。問題は、」

ここで少し彼は声をひそめた。

「この艦の幹部連中だ。おっと、俺や我が艦長は除外してくれたまえ。ただの戦艦乗りにすぎんのでな」

そこで彼はこれ以上最高の職務はないというように胸を張った。

「ただの戦艦乗りにしてはあまりに立派な戦歴だと思いますが」

ミッターマイヤーは年上の大尉に敬意を表していった。どんな名司令官がどれほど華麗な戦術を駆使しようとも彼らがいなくては始まらないことを彼は知っていたのだ。

「幹部というと副官や参謀などのワードルームの住人のことですか」

ロイエンタールも口調を改めて聞いた。

「その副官様だ。ベーリンガー大尉はわれらと同格ではあるが、副長は各方面軍司令官の裁量で任命される。あちらは軍務省直属で、形式上軍務尚書直々に各提督方に仕えるよう命じられる。貴族である上にいまだ20代であるし、いずれどこかへ異動することだろう」

彼はロイエンタールの方を向いてすまなそうに目で合図する。

「貴族ということで卿に含むところがあるわけではないぞ。貴族出身でもよい士官はよい士官だ。だが、優秀であれなんであれたちが悪いものも多い」

「それは否定しません。それではベーリンガー大尉は貴族であるにもかかわらず優秀なのですな」

副長はうなずき、そのあとはただ一言「気を付けたまえ」とだけ言った。

 

ロイエンタールは副長が食事を終えて持ち場に戻って行ったあと、ミッターマイヤーに向かっていった。

「卿はあの時、あの副官が何と言ったか俺に言う気はないのか」

「聞いても気分の晴れるような話じゃない。やめておこう」

ロイエンタールは彼の気分を害させまいとするミッターマイヤーの遠慮のようなものを感じ、歯がゆく思った。

―俺が貴族社会というものに対してどう思っているか、彼はもう分かってくれていると思っていたが。共に闘ってきた戦友とはいえ、生まれ育った身分というものはそれほど越え難いものなのだろうか。

 

ロイエンタールは二人が乗船したあの日、一人でいるところを廊下でベーリンガーに会った。その数時間前の乗船の際、彼らを出迎えたのが司令官の副官たるベーリンガーで、じつに愛想のよい応対だった。二人の携行品箱を兵に運ぶよう命じると、ロイエンタールが手に持っていた腕の幅ほどの収納箱も別の兵士に運ばせようとした。ロイエンタールは個人的な持ちものだから、と言って断り、手ずから自室へ運んだ。

ベーリンガーは気にかかっていたのか、そのことを問うた。

「あれは何か大事なものであったのかな」

自分のことを話すことを好まないロイエンタールは眉をひそめた。個人的なもの、と言ったのを聞いていたはずだが、相手はそれには頓着しないようだ。

ロイエンタールが何も言わないでいると、それをどう受け取ったのか、ベーリンガーはうなずいて言った。

「卿は知らなかったかもしれないが、一言いってくれれば追加の携行品箱を持ちこみ出来たのだが、残念であったな」

「追加の? 戦艦の乗員は規定の携行品箱を各自ひと箱のみ持ち込めると決まっていると思っていたが…」

携行品箱は各自衣類や書籍、場合によっては食料品など、自分の持ち物を入れることが出来る幅70センチ、高さ40センチほどの大箱である。それぞれの自室の専用スペースにぴったり入る大きさとなっている。スペースに限りのある艦の上では、身分の上下に関係なく持ちこみ可能な携行品箱は一つと明文化されており、それが守られなくては戦艦は荷物だらけになってしまうだろう。ベーリンガーはロイエンタールの肩をそっと叩くと、近付いて声をひそめて言った。彼の肩に手を置いたまま、耳元に唇を近付けんばかりにしてささやくので、ロイエンタールは内心ぎょっとした。

「それは下士官以下についてのみ該当するのだ。特に貴族階級の者は事務方の許可さえあればもう一つくらいは融通がきく」

「…私はそれほど物を持たないので」

「そうかな、しかし着るものも余分があれば助かろうし、ワインも食事時には好みのものを欲しいだろう」

ベーリンガーはその手でぐっとロイエンタールの肩を一度つかむと、ゆっくりと手を離した。ロイエンタールは己の肩を払いたい気持ちを抑えた。

「特別扱いはご容赦願おう。任地に着けば必要なものはその地でそろうであろうし、気遣い無用だ」

「…そうか、いずれにせよ、覚えておいて損はない。どこでも同様の扱いを享受できるはずだからな」

立ち尽くすロイエンタールを残し、ベーリンガーは手を振って廊下を歩み去った。

―特権階級気取りの貴族出身の副官か、反吐が出る…!

ご親切にもロイエンタールが一人でいるときを捕まえて特権を行使する権利があると教えてくれたわけだ。ミッターマイヤーが同じ人物から自分とは鏡合わせの対応を受けたことは容易に想像できた。一体具体的には奴が何を言ったかはミッターマイヤーが言わない以上、分からないが…。

 

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