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二人の新任艦長

26、

宇宙港付近のその小道は朝靄につつまれており、低く垂れさがった雲の間からうすい光がさしていた。靄の中を少し重そうな紙袋を下げた若者が歩いていた。官舎に向かう途中に早朝から開いているカフェがあるのを見つけ、そこに入ってコーヒーを頼む。2階のテラスで自由に飲むことができると言われ、薦められた通りに階段を上がる。そこからは緑に囲まれた司令部と関連の建物群を望むことが出来た。素晴らしい眺望とは言い難いが、ここがこれから自分の職場になるのだと思えばなかなか感慨深かった。

運ばれてきたコーヒーをすすって紙袋の中身を確かめる。5冊の書籍と高級ワインが1本入っている。またワインを押しつけられたのだ。さすがに自分の不調をだしに相手を利用した自覚があったので、断ることが出来なかった。今は笑いの発作は収まり、昨夜のような映像記憶の暴走の兆候はなく、自分をコントロール出来ている。苦く熱い液体を流し込みながら、この店にまた来るかもしれないなと考えていた。

ふと物音がして、振り向くとマクダレーネ・ヤンセンが立っていた。

「となり、いいかな」

ロイエンタールは立ち上がって、彼女のために椅子を引いてやった。彼女はその椅子にすわり、戸惑ったように彼を見た。

「ありがとう、紳士なのね。私今まで椅子を引いてくれる人と付き合ったことなんてない」

ロイエンタールは肩をすくめた。これは彼が受けた教育の賜物で、考えもせず行動してしまうことの一つだった。相手がだれであっても同じことだ。

「まあ、大学にいた時に結婚したから大して付き合う相手もいなかったけど」

もう彼には関係ないことだが、聞いておきたいことがあった。

「そもそもなぜレイと結婚したんだ」

そこに店員がティーポットとカップ、ミルクピッチャーを持って来た。それを見て、ロイエンタールは言った。

「紅茶が好きなんだな」

「そう、宇宙船ではコーヒーが人気みたいね。やっと紅茶が飲めると思うと地上に戻れてほっとする」

自分でカップにポットからお茶を注ぐと、満足げなため息をついた。

「おれとて紅茶は飲まないこともないが、なぜか宇宙では美味くない」

「そうみたいね。入れ方にコツがあるのかな。水がよくないのかな」

二人は黙ってまるで普通の恋人同士のようにそれぞれ自分の飲み物を飲む。だが、何もかも普通ということはあり得ない。やがてマクダレーネが話しだす。

「私の父は軍医で最後の階級は少佐だった。宇宙船で戦闘中に殉職したの。同じ船にレイが乗っていて二人は友人同士だった。父はレイにまだ子供だった私の面倒を見てくれるよう頼んだらしい。それが彼の娘にとって悲劇の始まりだったというわけ」

最初はレイも彼女の生活の援助をするなどをしてそれで満足していたが、やがて彼女が医学校を目指していることを知ると、何とか医者になるのを諦めさせようと干渉しだした。しかし彼女は頑として譲らなかった。そもそも彼女には父親が残した信託基金があったのだ。それを自由に使えるように後見人であるレイに手続きをしてくれるよう訴えた。その信託基金には条件があって、彼女が結婚したときにのみ、その信託基金から金を自由に使うことが出来る。そうでなければ後見人が許可をした時にしか、使うことが出来なかった。結婚したところで、それは彼女の財産になるのではなく、管理者が後見人から夫に代わるだけだ。

「レイは自分と結婚すればいい、そうしたら学資を出してやると言った。私は別にいいと思ったの。医者になる勉強が出来るなら他のことはどうでもいいって。いざ医者になったら離婚してしまえばいいって。今ならなんて考えなしだったろうってわかるけど」

医学校の2年目に信託基金がすっかり貸出超過になっていることが発覚した。彼女の夫が使い込んでしまったのだが、もともと夫のものになっていたので、彼女にはどうすることもできなかった。彼女の名義の借金がないことだけが幸いだった。彼女は3年時の学費を払うことが出来ず、その年は締め切り直前に奨学金に応募して合格することが出来、それでしのいだ。それまではレイは比較的冷淡ながらも彼女を丁重に扱っていたといえたが、その頃から日常的に暴力をふるうようになった。

「医学校を卒業した時に離婚してしまえればよかったのだけど…。そんな状態でも甘えがあったのね。借金だらけなのにお金のある生活に慣れてしまって、インターンの薄給で自立して生活するのが怖かったし、なにより毎日家でも外でも余裕がなくて何も考えられなかった。だけど、ようやっと経験を積んで、ふと私は自分の生活なんて持っていないと気づいた」

そんなときにレイが輸送船団の仕事の話を持って来たのだ。軍関係の仕事を経験すると今後のキャリアに有利だし、彼女にも別の病院からの引き合いが来ていた。レイもこの仕事が終わったら、離婚を前向きに考えようと言った。

「そのあたりのことは今後、弁護士を通してどういうつもりだったか聞いてみるつもり。『夢の翼』号に海賊が乗り込んで来た時のことを考え合わせると、もしかして…と思うのだけど。今まで疎遠でも一緒に暮らした人がそんなことを計画したなんて、想像したくもない」

「ゼンネボーゲン中将にはあなたのその事情をお話ししたのか」

「いいえ。でも、あの救援に来た隊の大佐さんの使いという人が昨日来て、私の話も聞きたいと中将がおっしゃっているそうだから、今日お会いする予定だけど」

そう答えてマクダレーネは不思議そうに彼を見た。

「中将閣下は世の中の仕組みをよくご存じだ。きっとあなたが不快な思いをせずに済むように相談に乗ってくれるだろう」

「あなたがそういうのなら…。聞いていただけそうならお話ししてみる。中将のような高位の方が私の話に興味をお持ちになるとは思えないけど」

二人はしばらく黙って座っていた。マクダレーネがカップに新しいお茶を注ぐと、もうそれでポットが空になった。ロイエンタールはとうに中身がなくなったコーヒーカップの底を見て、昨夜自分が誰と一緒だったかを考えた。

「あなたにはいろいろ…ごめんなさい。もし許してもらえるなら許してほしい」

ロイエンタールはカップをテーブルに置いて、彼女を見た。マクダレーネの方は少しうつむいて彼の視線に耐えていた。

「あの夜、あなたの所へ行ったそのもともとの動機は純粋な気持ちだった。だからそれは悪いとは思っていない。だけど、私に自分の感情のままに行動する権利はなかった。結局私が投げやりな気分でレイの片棒を担いで、それであなたにいやな思いをさせたわけだし…。あの偽のIDカードのことなんて、もしあの人の思い通りになっていたらと思うとぞっとする。そんなことにならずに済んでよかった」

マクダレーネは顔をあげてまっすぐ彼の目を見た。彼の顔には光が当たって、宇宙船の人工的な明かりの下ではこれほどとは思えないほど、その瞳がきれいに輝いて見えた。

「あなたが私に好意的でなくても仕方ないと思う。だけど、まるで敵のように嫌われてそのまま別れてしまいたくない。私のことを忘れたとしても、ちょっと思い出した時に少しは優しい気持ちで思い出してほしい」

ロイエンタールは大きく息をついて、首を振った。彼は忘れたくても忘れることが出来ないのだ。だが、それを言うと誤解を招くので、ただこう答えた。

「別に嫌ってはいない。だが、あなたを許す。これでいいか」

彼女は悲しげに頷いた。彼から得られるのはこれで最大限だと分かっていた。彼は決して彼女には捕まえることが出来ない。それが出来るのは彼女ではなく…。

「あ、見て、あそこ」

マクダレーネは立ち上がると、テラスの柵から身を乗り出して、外に向かって陽気に手を振った。

「おーい、ミッターマイヤー大尉!!」

ぎょっとしてロイエンタールはテラスから地上を見た。官舎の方から続く小道を当の人物が歩いてきており、上から降ってきた言葉にびっくりしてきょろきょろ見渡し、カフェのテラスにいる人に気づいた。

「こっち、こっち」

マクダレーネが盛んに手を振ってミッターマイヤーを呼んだので、彼はまるでいいのか、と問うようにロイエンタールの方を見た。ロイエンタールは頷く。ミッターマイヤーがカフェの入り口に向かって、視界から消えた。

とたんにマクダレーネがロイエンタールの首に抱きついて接吻した。さすがに彼が目を白黒しているとやがて彼女が離れて行った。そこにミッターマイヤーが軽やかな音を立てて階段を駆け上がってくる。

「おまえ、どこにもいないと思ったら、いい場所を見つけたじゃないか。コーヒーを注文したが旨そうな香りがしてる。おはようございます、先生」

「おはようございます。ここは結構司令部でも人気の店らしいですよ。夜はおしゃれなバーになるんですって。私も輸送船の人に聞いて来てみたら、大尉に会ったんです」

「へえ、そうなのか。じゃあまた夜に来てみるかな」

ミッターマイヤーがまたロイエンタールの方を見た。ロイエンタールは眉をあげて相手を見る。ミッターマイヤーがにやりとした。

マクダレーネが笑いだした。二人の大尉が同時に彼女を見た。

「失礼。だってあなた方、さっきから顔を見合わせて…。本当に仲がいいんだなあと」

二人がまた顔を見合わせそうになって、ミッターマイヤーが慌てて視線を元に戻した。視線をそらされてロイエンタールの方は、親友の赤くなった頬を見ることになった。

マクダレーネは噴き出した。

「無理、無理。無駄な抵抗はおやめなさい、大尉さん。あなた方は息のあった親友同士だから、仕方がないの。あなた方の奥さんになる人たちは大変だわ。いえ、きっと一緒になって旦那さんを笑うでしょうね」

「…いや、おれは」

なぜか二人同時に言いかけて、また顔を見合わせた。いい加減、二人とも我ながらうんざりする展開になってきた。

「おまえ、何言うつもりだったんだ」

「別に。おまえこそ、あの女学生がどうとかいうつもりだったんじゃないか。恥ずかしいな」

「女学生じゃない。いや、確かにまだ学生だけど、名前を教えただろ」

「忘れた」

「だいたい恥ずかしいってなんだよ」

マクダレーネは我慢できず、あっはっはと笑った。彼女は久しぶりにすがすがしい朝の空気を吸って、今までとは違う一日が始まるのを感じていた。

「さあ、では私はこれで失礼します。まだこの星に当分いることになるだろうけど、たぶん、もうお二人にはお会いすることもないだろうから、ここでお別れしますね。どうぞ、お元気で。ご武運をお祈りしています」

立ち上がって彼女はさっと二人に向かって手を差し出した。ミッターマイヤーも即座に立ち上がり、迷わずその手を握って力強く振った。

「先生こそ、お元気で。ご無事の帰還を、それとあなたの仕事の成功を祈っています」

ロイエンタールは黙って彼女の手を握った。初めに会った時のまま、傷だらけで剣士のような鋼の強さを感じさせた。

「じゃあ…」

ミッターマイヤーのコーヒーを持って来た店員と入れ違いに、彼女は去って行った。店員は彼女の目に涙が溜まっているのを見たが、大尉二人のどちらが美人を泣かせたのか、深く詮索はしないでおいた。この星で暮らすには軍人とは上手く付き合っていく必要があるのだから。

 

二人はカフェを出るとぶらぶらと歩いて宇宙港へ向かって行った。宇宙港の外縁にあるドックに寄って今日こそ自分たちが指揮する艦を見るつもりだった。おそらく、彼らの副長となる人物がそこにはいるはずだった。その人物に会って艦や乗員について話を聞く必要がある。乗組員全員を集めて、修繕がなった艦の上で任命状を読み上げてはじめて彼らはその艦の艦長となれるのだ。

偶然通りかかった職員が、駆逐艦ベルザンディが入っているドックを知っており、そこへの地図を示した。

「同じ型の艦ならきっと一緒のドックに入っているでしょう。詳しくは事務所へ行かれるのが一番ですが」

二人は礼を言って、やはり迷わず行くためには事務所に顔を出すのが一番だと結論付けた。事務所では二人の新任艦長を迎えて快く対応した。ベルザンディの修繕担当のリーダー格の技術士官がちょうど出勤したばかりで、艦長に会おうと飛んできた。

「お待たせして申し訳ございません。今すぐドックへ参られますか。副長もじき来られるはずですから、よろしければ彼を待って一緒にご説明いたしますが」

「副長を待とう。彼にも会って話をしたい」

ミッターマイヤーは熱心な親友と士官の話に口を挟みかねて、傍でそわそわしていた。士官が彼に気づいて、問いかけた。

「ええと、大尉、あなたもドックに艦を検分にいらしたので…?」

「そうだ、おれの艦は駆逐艦でスクルドというのだが…」

「駆逐艦のスクルドですって」

人のよさそうな技術士官はびっくりして答えた。

「大尉、スクルドはもう出撃してここにはいませんよ」

 

 

第1部 完

 

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