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二人の新任艦長

25、 

その夜、栄えある銀河帝国宇宙軍の中でも最も若い大尉のうちの二人を囲んで、世にも賑やかな酒宴が開かれた。懐豊かな船長たちが資金を出し合い、比較的広いレストランを貸し切ったにもかかわらず、参加希望者全員が入りきらなかった。大尉二人を直接知らない末端の乗組員たちもいたが、希望する者はわずかな参加費で美味しい酒と料理を食べられたので、大勢の宇宙船乗りが出たり入ったりした。

大尉二人も大いに飲み、食べた。ロイエンタールが供出したもらいものの410年物のワインはまだ早いうちに一瞬のうちに飲み干された。誰もが陽気で浮かれていた。

ロイエンタールすら、この場の雰囲気にあおられ、まずまず陽気といえそうな表情をしていた。ミッターマイヤーは誰が見ても陽気に騒いでいた。コローナ号の乗組員の誰彼が挨拶に来ると、そのたびに「プロージット!!」と叫んで、その時手に持っているアルコールを飲みほした。ビール、ビール、ワイン、ワイン、サケ、サケの合間にどんどん料理も食べて留まるところを知らぬ勢いだった。

ロイエンタールは陽気な気分のまま、常になく酔いが早く回ることを自覚していた。自分でも気付かぬうちに疲れがたまっていたのかもしれない。手に持ったグラスが滑り落ちそうになり、慌てて中身を飲み干そうとした。

「ロイエンタール大尉、ロイエンタール大尉! こっちへ来てこれをお飲みなさいよ」

「待てよ、大尉はどうも眠っておいでのようだぜ」

「可哀そうに、お疲れなんだよ」

「おや、このお人も眠っていると普通の若者に見えるね。うちの息子を思い出すよ」

「普通が笑わせる。おまえの息子なんざ親に似てふといどら息子で、比べるのもおこがましいぜ」

「少なくともうちの奴もだいぶ女の子を泣かせてらあね」

船乗りたちはそっとロイエンタールの手から、上手く引っ掛かって落ちずにいたグラスを取りあげた。両肩の間に首を沈めて、不自然に前かがみになっているのを起こしてやり、背中にクッションをあてがって寄り掛からせてやった。そこは少し照明が落としてある隅のソファーだったので、疲れた者は周囲に邪魔されずにゆっくり休めそうだった。船乗りたちは満足して自分のアルコールに戻って行った。

周囲が静かになったことでかえって眠りを妨げられたロイエンタールは、ふと気付いて目を開けた。彼が沈み込んだ暗がりからは、ミッターマイヤーが船乗りたちに囲まれて陽気に騒ぐ様子が見えた。まるでそこだけ光があたっているように彼には見えた。

なぜかミッターマイヤー一人が立っており、周囲の者は口をあけて座って、時々笑ったり、茶々を入れたりしながら彼の話を聞いている。ミッターマイヤーが盛んに腕を左右に振り回しているので、ロイエンタールにはその手に戦斧を持って戦いに臨む親友の姿が見えた。周りの魅入られたような様子からいっても、どこかの戦場の話でもしているのかもしれない。

気がつくとロイエンタールはくすくす笑っていた。ミッターマイヤーの動きがあまりに正確で、どんな話をしているか分かるような気がしたからだ。ほのぼのとした笑いが込みあがってきた彼は、なんだか胸がいっぱいになって、よろめきつつ立ち上がった。

「おーい、ロイエンタール! おーい」

親友が呼んでいるような気がしたが、気のせいだったかもしれない。彼がいた場所は他から取り残されたような薄暗がりで、親友がいる明るい場所からはよく見えなかっただろうから。

オレンジ色とピンク色をした霞の中を、自分ではしっかりしていると思っている足取りで進む。扉をあけて、そこにほんの2,3段しかない階段を見つけたが、最初の段を登れず、またくすくす笑いが立ちのぼった。

ようやく階段を上がると、夜更けにもかかわらず空はなぜか薄明がひろがっており、そういえばこの街は緯度が高い位置にあるのだと思いだした。彼はそのまま何となく壁に寄り掛かって、オーディンの星空とこの薄明かりの夜空を比べていた。

もっとよく見ようと路地へ出ていき、少し歩き出す。ひんやりとした空気が頬にあたり、酔っぱらっているなとようやく自覚する。足元も見ずに歩いていたら、空き缶を蹴飛ばして、なにかに当たって見事な音を立てた。またくすくす笑い。

正面から人が来るような気がして、一度上げたら下がらなくなった頭を苦心して下げた。どこかで見たような人物が、こちらを見てびっくりしたような表情で立ち尽くしている。誰だったかな、と思う間にもその相手は近付いてきて、感心しないという風に眉をひそめた。その辛気臭い顔つきに相手が誰だったか思い出した。

「ああ、ベーリンガー」

そしてまた我慢できずにくすくす笑いがわき起こった。ベーリンガーはまるで怒っているかのようにこちらを見ている。だが、相手も酔っぱらっているのか、自制がきかないという風に、だんだんその口角がつられたように歪んで、震えた。あのベーリンガーに笑いがうつったのがおかしく、ロイエンタールはますます笑いの発作が止まらなくなった。

―卿のその顔、見ものだな

そう言ったつもりだったが、口からは笑いしか出てこなかった。

とうとうベーリンガーも声をたてて笑い出した。酔っぱらった帝国軍人が二人、狭い路地で向き合って狂ったように笑っている。その図が思い浮かんで、ますますぽこぽこと笑いの泡がロイエンタールの気道をくすぐった。

その時、突然、上の方からガタガタと窓が開く音がし、男のどなり声がした。

「うるせえぞ!! ここはまともな界隈なんだ! 盛った猫どもが、あっちへ行け!」

ザアッと水が降る音がして、ロイエンタールが見ると、ベーリンガーが水を滴らせて、頭から切り花数本をぶら下げていた。どうやら男は花瓶の中身を丸ごと下に投げつけたらしい。別のものじゃなくて助かった、と思う間にもまた笑いがこみ上げた。

さすがにベーリンガーは酔いもさめた風でこちらをじろりと見た。

「いい加減にしろ」

その時ちょうど鼻の頭に切り花がぶら下がったから、収まりかけていた笑いがまた復活した。ベーリンガーは不機嫌な顔のまま頭を振って切り花やしおれた葉をしぶきを立てて落とす。それを指差して若者は笑った。

「いい加減にしろと言っているんだ!!」

ロイエンタールの両肩をつかむと、ベーリンガーは花瓶の中身をぶちまけた男の家の壁に音を立てて押しあて、その口にかみついた。

さっぱり力の入らない腕をあげてなんとかベーリンガーの抱擁をほどこうとするが、そうする間にも、すっかり油断した自分がおかしく、またくすくす笑いが唇を震わした。ベーリンガーは信じられないという風に唇を離して相手を見たが、彼が見たのは街灯の光が当たって輝くふた色の双眸だけだった。その後頭部を囲い込んで夢中になって口づけを再開し、何度も角度を変えて繰り返し深めていった。そのあいだに男はうわごとのように「頼む、頼む、お願だ」と呟き続けた。

ロイエンタールはよく見えない目の裏に、この男に初めて会った時から今までの記憶の映像を克明に見ていた。カードをシャッフルするように、ある場面、この場面と、関連づけることなしに1分1秒つながりあってそれは彼の脳裏を流れて行き、そして先ほど見たびっくりして立ち尽くす姿に行き当たると、また最初に出会った時に戻ってまた繰り返す。

―ああ、うるさい、やめてくれ、もう思い出したくない。止めてくれ。

いつもなら記憶の中の映像を上手く退けられる方法があったが、酔いのせいで上手く機能しなかった。そういう時、これらの記憶の暴走を和らげる方法が他に一つあった。彼は腕をあげて相手の背中に回した。

「もっと」

「も、もっと?」

「そうだ、もっと」

白いまぶたをつむったままの相手の顔を男は覗き込んだ。そしてごくりとつばを飲み込むと、若者の腕をつかんで走り出した。

 

―だめだ、だめ、もっと集中させてくれ、そんな風じゃ止められないんだ、もっとおれにすべての意識を向けるんだ、全身で、すべての細胞で、能力で、もっと、もっと…

何度か意識が真っ白になり、よみがえると何度も何度もねだった。酔いが全身を駆け巡っていつもより記憶が鮮明に、克明によみがえる。一つの映像が現れると、その時目に入った周りの映像を関連付けて、この男とは関係ない事象をどんどん記憶の中に送り出す。だが、やがて1秒ごとのコマ送りになった映像がぼやけてきて、彼が知っている男女のさまざまな映像に切り替わった。

その中にはついこの間までベッドを共にした女性の姿もあったが、しいて意識から遠ざけた。そうしないと今度は彼女の姿をずっと映像として見ることになるだろうから。この男といるときにそれを見続けることは耐えがたいことだった。

 

ベーリンガーが泥のような眠りから目覚めハッとして起きると、誰かがシャワーを使う音がした。疲れきってしびれがきた腕を何とか持ち上げて、身体を起こすと、そこにちょうど濡れた頭をタオルで拭きながら若者が現れた。ベーリンガーのバスローブを若者が勝手に着ていたので、彼は少し心臓が高鳴った。彼が起きていることに気づいているのか、いないのか、すたすたとキッチンに向かうと、冷蔵庫から水のボトルを出して飲んだ。

キッチンのテーブルには紙袋が置いてあり、それに気づいたロイエンタールは中を覗き込む。そして書籍が入っているのを確認すると、それを全部取り出して一冊ずつぱらぱらとめくった。そのままテーブルの前の椅子に座り、一冊を手に取ると読みだした。

「まさか、ずっとその本を読んで過ごすつもりか」

ロイエンタールが目だけ向けて彼の方を見た。額に髪がかかって常より幼く見えたが、さっきまでのほがらかな様子とは全く違った。彼が知っているいつもの超然とした姿だった。

「これはおれにくれるつもりだと言っていたやつだろう。それともあれはおれを部屋に呼ぶための口実か」

「…そ、それもあったが、やると言ったのは本当だ。きっともう二度と会うこともないだろうから、何か私の持ち物を持っていてほしかった」

「女々しいな」

ロイエンタールはひとごとのように笑った。「もう二度と会わないか…。一度寝てそれで満足したなら結構なことだ。しつこい奴が多いからな、おれはうるさくされるのは嫌いだ」

ベーリンガーは汗で冷えた身体から急速に体温が奪われていくような気がした。ロイエンタールはパラパラと書籍の残りのページをめくると隣に置いた次の書籍を手に取った。

「…何をしている」

「これを読んでいる。卿が黙っていたら全部今日中に読むことが出来る。そうしたらもらって帰る必要もない」

―今日中に読めるはずがあるか…! 全部で5冊、どれも専門書だぞ…!!

だが、恐ろしいことに本当に読んでいるらしかった。彼の様子をまったく毛ほども気に留めず、本に目を落として、おかしな風にページをパラパラとめくっている。

ベーリンガーは冷え切ったはずの身体に、一気にかあっと血液が駆けめぐり、自分の膝に置いた指先が震えるのを感じた。ベッドを飛び出してつかつかと裸足でテーブルに駆け寄ると、若者の手から書籍を払い落した。

「君は残酷な男だ。私を誘っておきながら、その誘いに乗った私を笑いものにするんだな」

ロイエンタールは空っぽになった自分の手とテーブルを見ていたが、ゆっくりと目線だけ上げて彼の方を見た。そこにはうっすらと笑みが浮かんでいて、今までに見たどの表情よりも美しく、また憎々しげに輝いて見えた。

「そうか、誰もかれも一緒だな。卿も結局は執着するんだな」

「誰もかれもとは、あの平民の同僚もそうなのか」

びっくりしたようにロイエンタールは顔をあげて彼を見た。

「ミッターマイヤー? まさか。あいつはおれなんかとこういうことはしない」

「あの男は一体君の何だ」

「親友だ」

ベーリンガーはめまいを覚えた。彼はロイエンタールがそう言った時のその表情をまともに見た。それは今まで彼の表情に見たことがないようなものだった。

彼のその目、その口調、まとう雰囲気すらそれまでのものと一変したのを見た。

ベーリンガーは怒りにまかせて若者の腕をつかみ、無理やり立ち上がらせた。彼は眉をひそめて腕を自由にしようとしたが、ベーリンガーは万力のような力でつかみ離さなかった。

「君など嫌いだ。君があの日エルルーンに乗り込んできた時、その目を見なければよかった。だが、日が昇るまでは君はすべて私のものだ。その後は親友だろうがなんだろうが、誰とでも勝手に行ってしまえばいい。本を読むなど許さん、全部持って帰るんだ」

そう言ってベッドへ引き戻し、力の限り抱きしめた。

再び若者がくすくすと笑うのが聞こえた。

 

 

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