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二人の新任艦長

15、 

「数日のうちにワープ航法に移る予定だ。準備を怠ることなきよう、よく船団の船長たちに通達してほしい」

ギルベルト・フォン・ベーリンガーが通信してきた。

長かったヴァルブルクへの旅もようやく終わりが見えてきた。ここでワープをして、一気に距離と時間を短縮することになる。

いつどの区間をワープで短縮するかはバイアースドルフ提督とその部下たちが協議して決定する。よく訓練された軍艦においてもワープの失敗はゼロではないが、失敗の原因は人為的なものが大半だという統計がある。安全なワープ航法の開発は日々進められており、システムと設備の問題は解決済みだというのが業界の定説だ。人為ミスを防ぐためのコンピュータシステムというものまであるが、どんなにお気楽な宇宙船でもこれだけは気を引き締めてかかるものだ。

「本来ならワープのためにさらに編成を組みなおしたいところだが、それが可能かどうか、船長たちとも相談する。そちらの変更を求めるような場合には早めに連絡しよう」

「そうしてくれ。ようやく最終段階まで来たということで、さすがに艦内も緊張しだしている。急な変更はこちらとしても避けたいところだが、やむを得ない場合は早めが助かる」

「承知した。それでは」

通信スクリーンからベーリンガーが消える。このところ、ロイエンタールはしょっちゅうこの男と通信しているような気がしていた。ログを見てみると、実際にあちらから何かと理由をつけて通信が入る。先日貸した書籍について質問はないかとか、よい参考資料を見つけたなどと言うのはまだしも、よく食事をしているか、粗暴な平民の乗組員と上手くいっているかなどと、埒もない通信が多くわずらわしい。どうやら、相手を目下の者と決めると、うるさく世話を焼きたがるタイプらしい。定時通信以外はなるべく理由をつけて通信に出ないようしたいところだが、今回のような重要な連絡がいつ入るともわからないため、そうそう避けてもいられない。

ミッターマイヤーと今まで一体どんな話をしていたのだったか。別に中身のある高尚な話などしていたわけではない。そもそもロイエンタール自身はあまりしゃべらず、相手の話に耳を傾けている方が多かった。だが、二人で話に熱中していると、疑問に対しては思ってもみなかった解決法が思い浮かんだり、迷いが晴れたりしてすっきりしたものだ。酒に酔っていなくても目覚めながら酔っているような、脳細胞が活性化された気分をたびたび味わった。それが懐かしい。

こんな喧嘩を長引かせているのはばかげているし、きっと直接顔を合わせていたら、自然に素直な謝罪の言葉がお互いに出てきたに違いない。だが、そのタイミングは失ってしまった。いつか、いつかと思いながら、その機会がいつ到来するかロイエンタールには分からなかった。

 

ミッターマイヤーも硬直した友との仲に悩んでいた。お互い、現在の任務に自分たちの不仲を影響させないように心を配ってはいたが、スクリーンで顔を合わせても目も会わせずに、報告だけして終了していたが、とうとう連絡事項だけのテキスト通信が増えてきた。

ロイエンタールはたびたびヤンセン医師と会っているようだ、と噂話がもれ聞こえてきた。自分が公開された通信でヤンセン医師の名前を出すという失敗を犯したことで、彼女の立場を悪くしてしまう可能性があったことに、彼は数日して気がついた。こうなってしまってはむしろ、ロイエンタールが彼女と会い続けることが望ましいのは、彼にも分った。本気じゃないならもう会うな、などと彼が最初に思っていたように、事は簡単ではなくなっていたのである。単純ならざる状況にロイエンタールが進んで責任を持とうというのなら、彼としてはそれを応援するべきであって、当初の志を貫くことはだれのためにもならなかった。

ミッターマイヤーにはあれほど人とかかわりを持ちたがらないロイエンタールがなぜ、進んで女性との(彼からみると)複雑極まる状況に陥ってしまうのか、不思議でならなかった。ロイエンタールはヤンセン医師を愛しているわけではない、だが、毎日会っている、彼女をかばっているようでもある。彼にはさっぱり分からなかった。

―あいつきっと、いつか女性のことでのっぴきならない立場に追い込まれるぞ

彼自身はどんな女性とも抜き差しならない状況に陥ったことなどなく、将来もそうならないであろうことは確信が持てた。彼の人間関係は男女関係なく単純なものが多い。それにもかかわらず、ロイエンタールのことだけはよくわかるように思えた。

 

彼がその日も昼食後、満足しつつカフェテリアを後にすると、再びレイ将軍と行きあった。彼の船室とレイ将軍の船室は近くに位置するから、たびたびの遭遇も仕方なしといえた。しかし、今回は最も遭遇したくない場面の一つに行き当たった。修羅場か、愁嘆場か、男女のいさかいの場面に遭遇したのである。

「この売女め、とうとう本性を現したな」

「失礼なことを言わないで! そもそもあんたにそんなことを言う資格はないのよ!」

口汚い応酬はレイ将軍とヤンセン医師のものだった。二人とも真っ赤になって、廊下で言い争っている。ミッターマイヤーは廊下の先にある自分の部屋へ行くこともままならず、二人から見えない曲がり角まで戻って立ち尽くした。

「誰が色仕掛けを仕掛けろと言ったか、あの若造の金に目がくらんだか。進んでやったのなら売女がおまえにふさわしい称号だ!」

「私が何をしようとオーディンじゃちっとも気にしなかったくせに! 自分の思う通りに行かない時だけ、そんなセリフを言うなんて、おかしくって仕方ないわ」

バシッと強烈な炸裂音が耳にこだました。ミッターマイヤーははっとして曲がり角から飛び出そうとして、次の台詞を聞いてあわてて留まった。

「俺はおまえを好きなようにする権利があるんだ、おまえは俺の妻だからな!」

「あんたのおとなしくてかわいい妻はもういないのよ、何があろうと、もう絶対にあんたの言うことは聞かない。それで野垂れ死にしたってかまうもんか。私はもう一人前の医者だから、どこででも一人で暮らしていけるんだから」

「女だてらに医者なんぞと、馬鹿げたまねごとを金輪際出来ないようにしてやる」

「そんなことあんたに出来るわけない、素晴らしいことにこの世はあんた一人のもんじゃないんだから! それこそ優秀な人たちがいっぱいいて、あんたの汚い策略を木っ端みじんにしてくれるから!」

「それであのロイエンタールの若造に取り入って、貢いでもらおうというわけか!!」

肝の冷えるような恐ろしい悲鳴がしてミッターマイヤーは白昼夢から目覚めた。

「痛い!! やめて、やめて! 手を離して!!」

「こんな手バラバラにしてしまえば、下らん医者のまねもおしまいだ!!」

ミッターマイヤーは風を切って飛び出すと、相手の図体が倍以上大きいことなどかまわず、レイを渾身の力で殴り倒した。ヤンセン医師も巻き込みながらレイがドオッと、まともに後頭部から倒れる。彼女は悲鳴も立てずに夫の体の下からあわてて這い出した。

「ミッターマイヤー大尉!!」

ミッターマイヤーはぎょっとして、夫の張り手のせいで腫れあがった医師の顔を見た。幸い、彼女の握り合わせた両手はしっかり動いていて、まだ外科医として十分働けそうだった。

レイがうーむと唸って、起き上がろうとした。

「まったくみじめな情けない男だ、守るべき自分の妻に手を挙げるとは」

彼は頭を抱えて唸るレイを無視して、その妻の方に向き直った。

「あなたにはいろいろお聞きしたいこともあるが、ひとまずもうあなたはここには来ない方がいいでしょう。フラウ・レイ」

マクダレーネ・ヤンセンことレイ夫人はハッと息をついで、彼が自分の正体を知ってしまったことを悟った。彼女は頷いて、ミッターマイヤーがレイから彼女をかばうように廊下を戻るのに従う。

「こんなことを言うなんて我ながらどうかしていると思うが、むしろ、あなたはロイエンタールと一緒にいた方がいいでしょう」

「でも、あなたは聞いたでしょう。私、あの方をだましていたようなものだし。訳があることを分かっていただきたいのだけど…」

ミッターマイヤーはフウーっと鼻から大きく息を吐き出し、蜂蜜色の髪の毛をぐしゃぐしゃにした。

「どうも俺が思うに、この船団中よってたかって、俺とロイエンタールをだましていたような気がするな。あのレイとあなたが、夫婦だということを彼らが知らないはずがない。そのうえで、あなたがロイエンタールとあんなことになるのを黙認した」

マクダレーネは赤くなって、ミッターマイヤーの言葉にうなずいた。

「あの通り、あの人は気に入らないことがあると私に手を上げるんです。オーディンでは私がいくら訴えても、誰も本気になってくれませんでした。でも、狭い宇宙船の中では秘密のままにしておけることは少ないようです」

おじのバルテルさえ、レイは若い妻をこの上なくいつくしんでいるように見せて、だましおおせていたのである。真実が露見し、船団の船長たちは暴力的な夫に対抗して、妻に味方した。限られた宇宙空間では出来ることも少ないが、即座におじの船に船室を移動させた。医師としての仕事は契約があるためやめるわけにはいかないが、なるべくレイに近付かずに済むようにした。

「しかし、あなたは自分からすすんで会いに来ていたようだな」

「それはロイエンタール大尉と関係があることなんです」

それを聞くとミッターマイヤーは即座に彼女をカフェテリアに連れて行った。なるべく人目がある場所の方がいいだろう。彼女のために腫れた顔を冷やせる冷却パックと暖かいお茶を持ってこさせて、よく面倒を見てくれるよう頼んだ。彼自身は急いで勤務時間外の航宙士数人を連れて、先ほどレイをのした廊下へ戻った。

レイはまだそこに座りこんで、ハンカチで鼻血を止めようとしていた。ミッターマイヤーがやってくるのに気付き、睨みつける。

「レイ将軍、あなたのご夫人は今は私の保護下にあります。あなたは女性の夫たる人物にふさわしくない方のようだ。もう彼女に近づかないようになさるがよろしいでしょう」

「貴様にそんな権限はないぞ。私のものを私がどうしようと勝手だ」

ミッターマイヤーはうんざりしながら答える。

「いいえ、地上ではまた別でしょうが、今は帝国軍宇宙艦隊バイアースドルフ少将のご下命により、私がこの船団の全責任を負っています。私とロイエンタール大尉が」

ビクッとしてレイが憎々しげにミッターマイヤーを見た。目が血走って、髪が乱れたその形相は恐ろしいくらいだ。

「この船団にたいする私の権限により、あなたがこの航海中、マクダレーネ・ヤンセン医師に近付くことを禁じます。従わないのであれば、最悪の場合、ヴァルブルクまで部屋から一歩も出られないよう、拘束させていただくことになります」

ミッターマイヤーの静かな通告に対し、レイはじっと考えるようであった。しばらくしてレイが頷いたので、彼がもし反抗した場合、取り押さえることを求められていた航宙士たちはほっとした。

「貴様の言葉に従う。もうあの女とは会わん。どうせ地上に戻ればあいつの不貞を理由に離縁だ。若くて従順な娘は他にもごまんといるからな」

レイは少しよろめきながら立ち上がると、小柄なミッターマイヤーを見下ろした。

「貴様もせいぜいあのロイエンタールの若造のおこぼれをもらうがいい。そういや童貞だったな、貴様は。ロイエンタールめとあいつのあの噂をもっと早くに聞いていたら、貴様なんぞの手を煩わせずに済んだのにな」

ミッターマイヤーは全身の血が逆流してこめかみから噴き出すかと思ったが、ぐっと押さえて静かさを保ちつつ答えた。

「あなたとあなたの夫人の名誉を傷つけるような言葉はもうおっしゃらぬ方が賢明だろう。この上その下らぬ口をきくようなら、私としてもただ黙って聞いているわけにはいかぬ」

レイは鼻血が出た状態で出来る最大限の威厳を保って自室へ向かって行った。その姿が部屋に消えるまで、ミッターマイヤーは腕組みして見守った。そうして、感心している航宙士たちを従えてカフェテリアへ戻った。

たまたま回診中だった医療スタッフの一人がマクダレーネのそばにいて、その腫れあがった頬に薬を塗っていた。その後、冷却パックをあてがう。周りには人だかりがしていて、常の通り、船中が事の顛末を理解し、どうなるか見守っているようだった。

「レイ将軍にもうあなたと会ってはいけないと、私の船団に対する権限によって命令しました。この人たちがこの命令が完全に守られるようにしてくれるでしょう。あなたは即刻、この船からおじ上の船へ向かわれるがよろしいと思う。そして、今後決して、レイ将軍と直接会ってご自分で話をつけようとしてはなりません」

「分かりました…。ご配慮ありがとうございます」

「そしておじ上に、このことの詳細をすべてお話しなさい。私からも連絡をしてあなたが話しやすいようにしておきましょう」

ミッターマイヤーはじっと彼女の目を見て言った。見返したマクダレーネの顔色が真っ青になったところをみると、彼の意図するところは伝わったようだ。彼女はゴクンと音がするほどつばを飲み込むと言葉も出ずに頷いた。

 

 

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