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二人の新任艦長

13、 

『夢の翼』号は船団の船の中では小規模の方だが、船員の健康のために、狭いながらも充実した設備のトレーニングルームがあった。ロイエンタールは黙々と走りこみ続けていた。彼はランニングが好きだった。体を動かすと徐々に頭の中が空白に満たされていく。その状態がセックスの満足感にも似ている。女が何だというのだろう。彼には分らなかった。自分にとって女とは何だろう。ミッターマイヤーとの友情を犠牲にするほどの何があるのだろう。

昨年、イゼルローンで会ってからミッターマイヤーとはいろんな喧嘩をしたが、彼がこのような意見をしてきたのは初めてだった。ずっとあんなことを考えて黙っていたのだろうか。そうかもしれないし、そうとも限らない。頭の回転が速いせいか、ミッターマイヤーは喧嘩の時、普段は思ってもみないことを口から出まかせに言ってしまう。喧嘩をするたびに鋭い舌鋒を悔いてよくそう言って謝ってくる。

熱したときに自制が出来るようになったら、奴との議論は怖いものになるだろう。だが、今は顔を合わせられるような気分ではなかった。

マシンを止めてタオルで汗をぬぐっていると、トレーニングルームの自動扉が開いた。そこにワインの瓶を掲げたマクダレーネが立っていて、室内に入ってくる。

「これ、ワインが飲みたいんじゃないかと思って。今日のお疲れ様のご褒美」

ロイエンタールは頷いてベンチに座って水を飲みつつ息を整える間、彼女が近づいてくるのを見守っていた。彼女はかがんでロイエンタールの額に接吻を落とすと隣に座った。

「今、汗臭いだろう」

「いいえ、そうでもない。よく運動をする人は水みたいな汗をかくから、匂わないし、汗もサラっとしているの」

若者はふーんといって水を飲み干すと水が入っていたパックをひねってつぶし、ダストボックスに放る。

「まさかここで酒を飲むつもりではないだろう。私の部屋にくるのか」

彼女は彼の方を見ずにうつむきかげんに答える。

「…お邪魔してよければ」

自分の船室に戻ってみると、ベッドわきの小さいテーブルに軽食が所狭しと乗っていた。ワインと一緒に食べるとちょうどよさそうな料理のかずかずだ。

「1日オペレータ室に缶詰めになっていて、ゆっくり食事もしていないでしょう、何か食べた方がいいかと思って」

「…こんな気がきいたものを宇宙で目にするとは思わなかったな」

「オーディンでおしゃれな店で出てくる料理みたいね。この船のエーゲルが準備して部屋に置いておくからって。あの人、このとおりすごい料理が上手だって知ってた?」

なるほど、それであの朝、オムレツの特別料理が出てきたわけがわかった。あのエーゲルという男は彼とマクダレーネが前夜一緒だったことを知っていたのだ。目端の利くあの男がこの船の中で出来ないこと、知らないことはなさそうだった。

彼はマクダレーネに適当に座ってくつろぐように言うと、シャワーブースに向かった。手動ドアの向こうにトイレと洗面台が詰め込まれたクローゼットのような空間があり、その奥にさらに狭いシャワーブースの内扉がある。彼の実家の靴箱より狭いその空間へ手を伸ばしてシャワーのコックをひねり、盛大に水を放出する。そしてガチン、と音を立てて外から扉を閉めた。トイレの横のドアを少しだけ開き外の様子をうかがう。

思った通り、マクダレーネは彼のデスクにかがみこんで、彼の端末のモニタを覗き込んでいた。

―分かりやすい女だな、思った通りの行動をしてくれる

彼はわざと端末を立ち上げて誰でも中身を閲覧できるようにしてデスクに置いた。実のところ、彼としてはそういったものに見られて困るようなデータなど入れていない。日記など書かないし、機密文書を運ぶような任務を請け負ってもいなかった。

彼の端末には現在、個人的なデータを収納する箇所に20冊近い書籍が入っている。いくつかはイゼルローンで航海の友に買い求めたものだ。残りはすべてつい先ほどギルベルト・フォン・ベーリンガーの所蔵データから譲り受けた。補給、統計、経済、経営に関する資料や参考書で、ベーリンガーが業務の参考のためにオーディンから持ってきた書籍だった。補給について話したことがその場限りのものではなかったと知って、ベーリンガーは驚いたが、よろこんで書籍を譲った。

ロイエンタールは別にマクダレーネに対するカモフラージュのつもりでそうしたわけではなかった。本当に勉強するためにベーリンガーに参考にすべき書籍について聞いたのだ。それに対して、ベーリンガーは持ち合わせのないいくつかの書籍については書名を教え、手持ちの書籍のうち、初学者にもわかりやすい概論的なものと実践的な資料を与えた。一般的な経営学や経済についての書籍から読むと分かりやすいだろうという、ベーリンガーの見立てで、そのような書籍が今、ロイエンタールの端末に入っている。

彼はどれもすでに数ページ読み進んでおり、―紙の書籍の方が速く読めるのだが―、その中で気になる1冊をこれから全ページ読もうというところだった。

そういったいきさつをマクダレーネが知っていれば、おのずから違った意見を持ったことだろう。だが、彼女はある見地から、「若き経営者のための経済―ステップ10」、「帝国軍の補給と統計」、「帝国経済の未来―フェザーン病を乗り越える」などの書籍のタイトルを見て、一つの結論を導き出した。頷きながら彼女はデスクを離れると、テーブルに置きっぱなしだったワインに気づき、部屋の中を見回した。彼女は目的のものを見つけると、小さな食器棚からマグカップを取り出して、疑わしげに見た。ロイエンタールは扉をそっと閉めて、今度は本当にシャワーを浴びにブースに入った。

 

彼らしくもないうつうつとした表情ではあったが、ミッターマイヤーはその料理がかなり気に入っているコローナ号のカフェテリアに赴き、旨い夕食をとった。カフェテリア内は彼の内心とは裏腹に活気に満ちていた。いささかやけくそ気味に取り放題の副菜を皿に山盛りにし、がむしゃらに詰め込む。その後、食べ過ぎた感のある腹を撫でつつ自室に戻るため廊下を歩いていると、ばったりとレイ将軍に行きあった。

「やあやあ、大尉。今日の航行は上手いこといったようだな。これでヴァルブルクまで何の憂いもなしに行けそうだな」

彼も他の船長たちと同様に上機嫌で、ミッターマイヤーの背中をバンバン叩いて祝福した。少しきこしめしているのか、赤い顔をしている。ミッターマイヤーは苦笑いを返した。

「どうだね、今は全船が通常の航行中だろうから、しんがりにいるもう一人の大尉もシャトルで移動が出来るだろう。二人とも私の部屋で祝杯でも挙げないか。いい酒があるのだがな。さて、なんといったかな、もう一人の大尉は…」

「ロイエンタール大尉です、閣下。お招きは大変ありがたいのですが、まだ、明日以降の調整もありますし、今夜は遠慮させていただければと思いますが」

上位者の酒の招きを、特にすでに酔っぱらっている上位者の招きを断ることは少々危険だったが、まだ任務が完了したわけではないのは本当だ。ロイエンタールと顔を合わせる羽目になるのを避けたい気持ちもあった。

「そうか、それは残念だが、任務とあっては無理強いできんな。私が現役の時は上官の酒を飲んでからでも立派に任務を果たしたがな。卿は若いから飲みつつ成果を上げるなどと言う余裕はあるまい」

若さを理由になにやら馬鹿にしたような言い方だったが、機嫌を損ねたわけではなさそうだ。ひとまずミッターマイヤーは「この任務が終わったらその時はぜひ…」、と調子を合わせてその場をやり過ごした。レイ将軍はご機嫌のまま廊下を行く。宴会の犠牲者を探しにいくのだろうか。

今日は朝から1日中オペレータ室にいたとはいえ、今の今までレイ将軍の姿を見かけなかった。自室に引きこもってでもいたのだろうか。今までのバイアースドルフとの行き違いから今回も出張って、ミッターマイヤーに意見の一つも言うのではないかと思っていたが、そうならなかったのは肩透かしを食らった気分だ。順調にいきそうだと思ってミッターマイヤー達を信用して口出しを止めたなら、よいことだといえた。彼はあの将軍とヤンセン医師がなにか揉めていたのをロイエンタールに伝えるべきだったと思い始めていた。揉めていた理由は分からないが、ミッターマイヤーは騎士道精神から、か弱い女性の味方になるべきだと思っていた。彼女とロイエンタールが関係したことにより、ロイエンタールには彼女を庇護する責任が生じたのだと信じている。だが、これらのことをロイエンタールに説明できるような状況ではなくなってしまった。おまえにそんな指図をされるいわれはないと言われれば、確かにそうだと彼自身にも思われた。

ヤンセン医師は2人の医師と3人の看護師からなる医療チームのリーダーのようであるから、雇用問題でもめているのかもしれない。レイと同輩の男の医師がリーダーになればいいのに、とミッターマイヤーは思う。あんな優しげな若い女性にはレイのような経験を積んだ陸軍上がりの相手は難しいだろう。

彼の周囲には仕事をする女性はいなかったから、若い女性が男ばかりの職場でまともに仕事など出来るのか理解できなかった。おそらく医師として優秀なのだろう、とは思ったが、彼の女性に対する尊敬は、庇護するべきか弱い存在を尊重するという立場を出ていなかった。むやみに女性を神聖な立場に立たせる彼の心理は、女性に無知であることに根があったが、帝国の社会全体の習慣によっているため仕方ないとも言える。その点、ロイエンタールはいろいろな階級の女性と出会う機会が多い分、この性についてミッターマイヤーよりは情報を持っていたため、それほどか弱い存在だとは思っていなかった。また、夫に代わって会社の社長を務める女性や、何かの組織の代表に据えられた上流の女性を知っていたので、女性もそういうことが出来る、ということを知っていた。

そういった彼ら二人なので、根本的に女性に対する態度が違っているのは当然だった。今までそのことで争いにならなかったのは、ミッターマイヤーが性に対しておおっぴらに話すことにためらいがあったからにすぎない。

―あいつとは何でも話せる仲だと思ってたけど、そうもいかないことってあるんだなあ。だいたい、たいして知り合いもしないうちにそういうことが出来るって、俺には分からん。あいつは普段は他人に対して垣根があるようなのに、なぜだろう。つまり…裸になって、自分でも見たことないようなところを、相手が見たり、触れたりするだろう…

彼は身体の中がむずむずざわめきだす感覚に急いでふたをして、あわてて自室に戻った。

 

 

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