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二人の新任艦長

11、

ミッターマイヤーは帝都標準時間で0500に目が覚めると、ポンとばね仕掛けのようにベッドから跳ね起きた。部屋に備え付けの小型冷蔵庫の中からミネラルウォーターのボトルを取り出してぐいぐい飲みほし、少しストレッチする。軍服に着替えて、身なりを整えると(後ろ髪がどうしてもおさまらず、少し跳ねたままだ)、0530に部屋を飛び出した。

コローナ号の船首オペレーションルームは、船団の司令塔代わりになっている。宿直のスタッフがこれから昼間時間の担当者と交代しようとしている。宿直の者も交代要員も明るい顔色で、交わす声には活気がある。これからの行動に前向きになっているならば素晴らしいことだ。彼らが皆、ミッターマイヤーにきびきびとした挨拶の声をかけたことも良い兆候だった。ミッターマイヤーは自分が休んでいた間の報告を読み、夜間宿直当番のスタッフに口頭で説明を受けると、ひとまず朝食を取りにカフェテリアへ向かった。

コローナ号は大型輸送船であるため、事務方から操船に至るまでスタッフの数も多い。彼らは交代勤務を繰り返し一堂に会することはめったにないため、カフェテリアは1回の交代の人数分の広さしかない。それでも24時間開いていて、専属の調理師が待機している。オムレツ、サラダ、パンに飲み物が付いたシンプルだがなかなか味の良い朝食をとり、満足して足取り軽やかに食堂を出た。そこに異様なものを見て立ちすくんだ。

それ自体はおかしな光景ではなかった。男が大げさな身振り手振りで何事か熱心に話し、向かいには女がいて、疑わしげにその話を聞いているというだけだ。しかし、ここが女などめったに生息しない宇宙船の中であることと、男が疑惑のレイ将軍であることが不審極まりないと思えた。女はレイ将軍に何か訴えかけ、嫌そうに首を振ると振り返ってレイから離れた。レイはまだ何事かなだめすかすような口調で話しかけている。女がこちらに近付いてきた。

「おはようございます、ミッターマイヤー艦長」

女が過たず「艦長」と呼びかけたことに気をよくしかけて、ミッターマイヤーは気を引き締めた。これから何百回と「艦長」と呼ばれることになるだろうから、いちいち喜んでいてはいけない。

「おはようございます。あなたはどなたでしょうか。昨夜はお会いしていないようだが…」

「わたしはこの船団付きの医者で、マクダレーネ・ヤンセンと申します。医療スタッフは他にも5人ほどいます。みんなで後でご挨拶に伺おうと思っていました。昨日はあの騒ぎで船団中の怪我人を見て回っていたので、お会いできなかったんです」

「どうぞ、お忙しいでしょうから気遣いは無用です。しかし、この規模の船団に医療スタッフがあなたとあと5人だけなのですか?」

ヤンセン医師はあきらめ顔に微笑んだ。なかなか優しげでいい笑顔だ。

「どこの組織も一緒だと思いますけど、会社の締め付けが厳しいんで、いつも人手不足です」

「というとあなたはこの船団を所有する会社に雇われているわけですか。あのさっきのレイ将軍が幹部を務めている会社ですが」

ミッターマイヤーのもっともな問いだったが、相手は微妙に顔の表情をゆがめた。

「ええ、まあ、間接的にですけど、そのようなものです。それより、艦長はお怪我などないですか」

唐突な問いにミッターマイヤーはりりしい眉を吊り上げて答えた。

「ええと、そうですね、特に気になるような怪我はありませんが」

「昨夜ロイエンタール艦長にお会いしました。あの方はあの衝突の時、腰を打ったそうで、湿布を処方してあげたんです。あなたもご一緒だったそうですから、もしかしてと思いまして」

「そういうことですか、ご心配ありがとう。俺はおかげさまで今のところなんともないです」

ロイエンタールか、あいつのいるところ、常に女の影ありだ。まさか、宇宙のただ中で女が現れるとは。ミッターマイヤーはヤンセン医師が「ロイエンタール艦長」と言った時、頬を赤らめたのを見たような気がした。まさかとは思うが、昨夜のあの状況でこの医師と…? しかもだいぶ年上じゃないか? しかし、腰を打ったなどというプライベートな会話をロイエンタールがするということ自体異常だ。女の気を引くために出した話題だとしてもおかしくない。

ミッターマイヤー自身はどんな話題であれ、女の気を引く話などできないと思っていた。だから、そんな話題で女の気を引けるかどうかも分からなかったが、医者であれば有効かもしれなかった。しかし、ロイエンタールが昨夜任務をおろそかにして彼女とどこかにしけこんでいたとは思えなかった。実際彼が眠っている間もしばらく起きて船長達の対応をしてくれていたことが、報告としてあがってきていたのだ。

―どうもやつと後で直接話したほうがいいかもな…

そんなことを思う自分が、まるでロイエンタールの親か兄弟か何かの代わりをきどっているかのような気がして少しうんざりした。こんな忠告はするべきじゃないと分かっているが、心配ばかりさせる…!

 

一方のロイエンタールも船団の反対側の船中で朝食をとっていた。そこは食堂兼娯楽室といった趣のこぢんまりとした部屋で、バーカウンターの向こうにはなぜか、航法士兼通信士のエーゲルがいた。彼はコックも兼任しているらしく、ロイエンタールに「若い者は朝しっかり食べないと」といって意味深な視線を送ると、具だくさんのオムレツを手早く作って出した。朝はたくさん食べない主義のロイエンタールとしては閉口したが、周りのスタッフがうらやましそうに見ている中では断ることもできなかった。結局昨夜は食事が出来なかったうえに、深夜の運動だ。かなり腹が減っていたから自分でも意外なことにオムレツを平らげることが出来た。食後にエーゲルが入れてくれた非常に上手いコーヒーをすする。このエーゲルはどうやら目端の利く便利な人物のようで、少人数で切り盛りしているこの船のような環境では得難い人物のようだ。

かなりの上機嫌で通信室に戻ると、すでにエーゲルが仕事を始めていて、「ロイエンタール大尉にエルルーンから入電です」と声がかかった。

ロイエンタールに与えられたデスクの端末の通信スクリーンが立ち上がり、バイアースドルフ提督の副官、ギルベルト・フォン・ベーリンガーのしかめ面が現れた。ミッターマイヤーなら「うへっ」といったことだろう。ロイエンタールは口に出しては言わなかったが、内心「うへっ」と言いたい気分だった。

「おはよう。朝から不機嫌な顔をするな。失礼だろう」

今までいい気分だったのだがな、とロイエンタールは考えつつ、いちおう表情を引き締めた。ベーリンガー相手だとどうやら自分は率直に表情に感情が現れてしまうらしい。それは相手を取るに足らない人物だと思っているせいかもしれなかった。馬鹿にしていい相手ではないはずだが、これは提督に取り入る貴族意識の強い男だと思うと、まともに取り合う気にならないのも確かだった。

「早朝からわざわざのご連絡痛み入る。ご用件は」

ぶっきらぼうに返答を返す。自分のデスクであちこちのパネルとスイッチをいじっているエーゲルが興味しんしんと言った態でこちらを見ているのに気がついたが、無視する。

「船団の行程について、こちらでも昨夜各軍艦の艦長に伝達した。卿らの作成した航行データについて当艦の副長が詳細を説明したから、各艦の理解に問題はなかろう。これからについて、こちらからいくつか確認事項があるが…」

「伺おう」

ロイエンタールは端末にメモを取りながら、相手の報告を聞き、今回答できることは答え、確認が必要なことは懸案事項とした。ベーリンガーの報告は的確で無駄がなく分かりやすい。昨夜、二人が副長の後ろ盾を力に船団の行程を統制する案を持ち出した時、バイアースドルフ提督はへそを曲げてすべてを副官に丸投げした。船団がそのように動くのならば、護衛艦も一緒に行動しなくてはならない。そのような案が自分の幹部たちから出ずに、外部の者によって提案され、その指揮に従わなくてはならないことに憤懣やる方ないようだった。

ベーリンガーは護衛艦の艦長たちに説明する任を一手に引き受け、彼らを納得させることに成功したようだった。これに対して彼ら二人は感謝せねばならなかった。護衛艦の艦長は彼らと同格の者もいるが、大型艦の艦長は佐官級の者がほとんどだ。格下の艦長から出た案にバイアースドルフのようにそっぽを向く者もいておかしくないのだ。だが、この案の肝心かなめが隙のない集団行動にあるのであれば、どうしても船団と護衛艦の行動が一致していなくてはならないのだ。

ここは下手に出るべきだろうと感じ、ロイエンタールはベーリンガーに礼を言ったが、相手は肩をすくめただけだった。

「私としてもこの案が成功してほしいというだけだ。上手くいけばヴァルブルクへ短期間で到着できることだし、そうすればこの船団自体の補給の問題が解決するのはもちろん、司令官閣下ゼンネボーゲン中将の我が提督に対するお覚えもめでたくなろう」

お覚えについては無視することとし、ロイエンタールはベーリンガーの今の台詞で気になることを尋ねた。

「補給に懸念があるとは知らなかった。そのように余裕がない状態なのか」

「このままのペースで行けば最後の週はかつかつと言ったところだろう。なにしろ、今まであのレイ将軍のせいでずいぶん時間を食った。食料については艦内のネズミを捕って…と飢えるまでは行かぬが、この案が上手くいかないと分かれば、今から引き締めていかねば難しいことにもなりかねん」

これは盲点だった。戦闘における補給についてその重要性は理解していたが、そもそも軍隊とは存在するだけで金がかかるものだ。その軍隊を食わせる輸送船にも補給の悩みがある。この経済の問題を疎かにしていたら、いずれ帝国軍は破たんしてしまうだろう。彼としても少し考える必要がありそうだった。ロイエンタールは口調を改めて言った。

「我々はそう言ったことにはまだ経験が浅い。卿にはよく教えていただかなくてはならんな」

ベーリンガーは意外そうではあったが、まんざらでもないといった表情だ。忌々しいが、仕事の上で知らないことを知らないと率直に言うことは恥ではないと思っている。見栄は無駄なばかりで何の益もないし、一時恥をかくとしても後日挽回の機会は必ずつくれる。

時間が0700に近づこうとしていた。

「すまんが、これから0900に第一陣が発進する。その最終調整があるゆえ、これで通信を終わらせてもらう」

「そうか、ではひと通り終了した後で、そちらから結果を報告してもらいたい。時間は卿の都合がよい時にいつでも通信してくれてかまわん」

「承知した」

通信スクリーンがブラックアウトした。ありがたいことにベーリンガーの加勢により、護衛艦の方は問題なしと言えそうだ。あのバイアースドルフの旗下の艦船が指示通りに動けないということはなかろうから、信用していいだろう。目の端でヘッドセットをかぶりなおしたエーゲルが手を振って合図するのが見えた。

「コローナ号より入電、ミッターマイヤー大尉です」

「了解、すぐ受ける、出してくれ」

通信スクリーンが入れ替わり、ミッターマイヤーのいきいきとした少年っぽい顔が現れた。

「よう、おはよう、ロイエンタール艦長。調子はいいか」

「おはよう、ミッターマイヤー艦長。卿に劣らずな。それより吉報だ。われらがベーリンガー殿の助力により護衛艦の方は我々と歩調を合わせてくれそうだ」

スクリーンの向こうの友は太い眉をあげると口笛をひと吹き吹いた。

「それではこの作戦の何割かの心配は晴れたと言えそうだな。まあ、実際に動き出してみなけりゃわからんが。っと、それは輸送船団の方も同じだが」

ミッターマイヤーはしみじみとした表情になると、スクリーンに近付いて小声になって言った。

「ベーリンガー氏の相手は卿に任せてよかったかな。あいつがどう出るか心配だったが杞憂でよかった。俺は思うんだが、あいつは卿に対して少し態度がおかしく感じないか」

「それは卿に対しての話だろう。先般、あいつが何か卿に対して失礼なことを言った、あの時のことを結局卿はおれに打ち明けてくれなかったが。また卿が何か言われるのではないかと思って、それでおれはあいつの通信を担当すると決めたのだぞ」

スクリーンの向こうで蜂蜜色の髪の毛を片手でくしゃくしゃにして、ミッターマイヤーはこまったような表情になった。むしろ友のことを心配するあまり、自分が被った不愉快な経験について忘れていたのだ。

「あの時のことは気にするな。貴族を相手にしていると時々ある類の話で珍しくもないから、俺はすぐ忘れてしまった。でも確かに、あいつの差別意識がない分、俺が相手をするより卿の方が比較的スムーズにいくとは思ったがな」

「…差別的なことを言われたのだな、やはり」

ロイエンタールは瞳を伏せて暗い表情になった。額に前髪がかかり、優雅に指先で髪を払った。

「聞いてくれ、ミッターマイヤー。おれは貴族だからと言って特別偉いとは思わん。生まれた境遇の違いは偶然の産物だ。大きな違いだということは認めるが…。軍に身を置いてからは、貴族か平民かにかわらず、日常では偉そうにしている奴らが、戦場で馬脚を表わす場面を何度も見てきた。おれは卿の普段の様子と、戦場での様子を知っているが、どちらにおいても卿は変わらず、常に裏表がない。おれはそれは素晴らしいことだと思っている」

「…朝から酔ってるのか、真顔で言うなよ」

ミッターマイヤーは髪の毛をくしゃくしゃにすると照れて横を向いた。ことさらに腕時計を軍服の袖から引っ張り出し時間を確かめると言った。

「さあ、この話は終わり! 船長たちがしびれを切らしていることだろう。そろそろ発進の準備から始めようか」

「…了解だ。こちらの準備は問題ない。始めよう」

 

 

 

 

 

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