二人の新任艦長 第2部
9-2、
「オスカー、いったいあの副長はあなたにとってどういう人なの」
ロイエンタールはグラスにはいったビールを飲む手を止めた。
「どう? 言うまでもない、部下だ」
「あの人がいるせいで、私たちちっとも一緒に過ごせないじゃないの。いつもいつも、もっと一緒にいたいのに、『お迎えにあがりました』ってあの人が真面目腐った調子で現れて、しかもあなたは黙ってついて行ってしまう…! どうして私ともっといたいから構うなって言ってくれないの」
耳をそばだたせている周囲の客は次の答えを聞いて、面白がるべきか、恐ろしさに身をすくめるべきか、迷った。
「別にそれ以上一緒にいるべきだとも思わなかったからだ」
周囲の者は確かに一瞬空気が凍りつく音を聞いた。そのテーブルの周囲だけ、闇のような重い空気が漂う。
「それよりひとつ聞くが」
フローラの沈黙には意に介さないという風に、ロイエンタールの声が言う。
「先ほどのあれはなんだ。ミッターマイヤー艦長の副長にずいぶん親切なことだな」
「あら、気になる? 誰かさんは私のことなんてちっとも気にしていないようだから、私のことを構ってくれる人とお話していたのよ。悪かったかしら」
どことなく勝ち誇った風のフローラの声がホール内に響いた。先ほどの喧騒がうそのように、上品なレストラン並みの騒音に収まっている。さらに遠くのテーブルでも、ここで何が起きているか気付いたのだ。
「そうだな、あまりよいとは言えんな」
「あら、そう?」
「周囲の者も気付くくらい、副長は困っていた。ミッターマイヤーも気にしていたようだ。おまえは俺の親友に恥をかかせたな」
「あなたの親友ですって!? 親友が何だって言うのよ!! あなたはどうなの、ちょっとは妬けた? 悔しかったんじゃないの!?」
ロイエンタールの声はまるで絵の品評をするかのように落ち着いて聞こえた。
「おれか? ここは男漁りをするような店ではないから、あまり上品な行動ではないとは思ったがな」
フローラのハンドバッグが宙を切ってロイエンタールに迫ったが、彼がひょいと体を傾けたので、そのままバックのチェーンを持つ持ち主の身体に戻った。
「なんで避けるのよ! なんでそんな涼しい顔をしてるの! 私のことそんな風に言うなんて、あんまりじゃないの、オスカー! ほんっとうにひどい人だわ!!」
ロイエンタールがくすくすと笑ったので、周囲の者はぎょっとしてグラスに埋めていた顔を上げた。彼の正面のテーブルにいた者は、幸か不幸かその表情を見た。
「そのひどい男にかかずらうおまえも、たいした女じゃないな」
相手の男がいままでに見せたことがないほどきれいな笑顔を浮かべたので、フローラは呆然としてその表情を見つめた。
胸の前でその白く細い手の指を組み、震えながら彼に聞く。
「ねえ、オスカー。私のこと好きよね。私があなたの副長やお友達のことからかったから、怒っているのよね。ごめんなさい、許して。だから私のこと、まだ好きだって言って」
「まだ…? まるで今までそうだったかのような言い方だな」
わあっ、とフローラは声をあげて泣き出し、そのまま店を飛び出して行った。周囲はまるで畏怖するように、ただ黙ってビールを飲むロイエンタールを見る。周りから浴びせられる視線には気付きもしない風だった。明日は街中、噂話で大変だろう。彼らは物語の中だけの存在だと思っていた、本当のろくでなしの女たらしの美青年に出会ってしまったのだった。
グラスをつまらなそうに手で弄ぶロイエンタールの前に、ミッターマイヤーが静かに立った。ロイエンタールは親友を見てにっこりする。
「すっかり酔いがさめてしまった。店を変えるか、ミッターマイヤー」
ミッターマイヤーは黙って親友の先に立って店を出た。