top of page

二人の新任艦長 第2部

9-1、 

会議を終えた両艦の士官たちはなんとなく肩を並べて共に歩きながら廊下を去って行った。二人の副長は会議室の片づけを終えると、先に二人並んで進む艦長達の後を追った。艦長達は立ち止まって彼らを待つ風だったので、副長たちは小走りに近寄った。ミッターマイヤーが笑いながら言う。

「ロイエンタール艦長が慰労のため奢ってくれるそうだ。卿らも遠慮なく一緒に来るといい」

バルトハウザーが自分の艦長をちらりと見ると、艦長は肩をすくめて好きにしろと言わんばかりだった。おそらく、艦長の意図としては親友と二人でじっくり話したかったのではあるまいか。だが、ほがらかなミッターマイヤーの様子を見てバルトハウザーは遠慮は無用だと思った。

「それではよろしければ少しだけご一緒します」

「ああ、そうしろ」ロイエンタールがこれに応えて安心させるように言った。

先輩のバルトハウザーがついて行って問題ないと判断するのならば、バイエルラインも喜んで同道出来る。艦長と飲む機会などめったにあるものではないので、「ぜひ、喜んでお伴します」と喜色をにじませて言う。

4人は街の中心に戻り、賑やかなビアホールへ入った。ミッターマイヤーが4人分の黒ビールと料理をどんどん頼む。ロイエンタールは無言で運ばれてきたビールを飲んで、注文はまかせっきりだ。店の名物の古典的なエプロンをつけた民族衣装の女給たちが、4人掛けのテーブルに所狭しと料理を並べていった。

「さあ、食えよ。奢りだからって遠慮するな。中尉や少尉の薄給じゃなかなかうまいもんもたくさん食べれないだろ。俺はロイエンタールがいたから助かったなあ」

バルトハウザーとバイエルラインは顔を見合わせて苦笑した。ミッターマイヤー艦長は彼らより年少だから、腹も若いのだ。きっといつも腹をすかせているのに違いない。薄給だというのは本当だが。

「薄給と言っても飲むときくらい少しの贅沢は出来るだろう。みな独身であるし」

ロイエンタールが言うのに親友は反論する。

「そうは言っても飲みに行くにも金がかかるし、将来のことを考えて貯金してるやつも多いし。いろいろ出ていくことを考えるとなあ。結婚を考えているならなおさら、気軽には使えないよ」

「結婚? 結婚するのに金がかかるのか。おまえは結婚のために金をためているのか」

ミッターマイヤーは少し顔を赤らめた。

「そうさ、そうだよ。将来の相手にいい家を準備してやれるだろ…」

「おまえの場合、その相手はもう決まっているんだろう。その女が好きそうな家をもう考えているわけか」

ミッターマイヤーは彼の副長が面白がって笑いをこらえるのに苦労するぐらい、真っ赤になった。きっと、ひそかに家の設計図などを考えているに違いない。ミッターマイヤーは親友を睨んでおいてから、副長に声を掛ける。

「卿だって考えてるよなぁ。そういうもんだろう?」

「小官はいちおう相手がいるようなものですが、さすがに具体的には…。しかし、少尉の薄給にめげず結婚資金をためている者もいますね。よく貯金が続くものだと思いますが」

バルトハウザーはため息をついた。

「小官は故郷に婚約者がおりますが、あと2、3年のうちに何とかしないと愛想をつかれそうです。中尉の俸給では家庭を持つのは大変でしょうが、大尉になれれば少しは違いましょう」

「大尉と言っても大した違いはないさ、残念ながら。しかし、佐官であればだいぶ違う。少佐になれたら多分…」

ミッターマイヤーは夢見るように呟いた。

「そうか、貯金をするのか…」

何となくショックを受けたようなロイエンタールの言葉に、ミッターマイヤーは指を突き付けて振った。

「おまえはその月の収入全部使っちまうだろ。少しは将来のことを考えるといいぞ」

何も知らないバイエルラインが心配そうに言う。

「そうですよ、退役軍人の年金も年々先細りだそうですね。再就職先を探すのに苦労する話を聞きます。将官であれば天下りもありますが、そういう退役軍人が方々で迷惑を掛けているとか」

「心配いらない。おれはたぶん世間に迷惑を掛けるほど長生きしないから」

ロイエンタールの声が暗かったのは、なんとなくオーディンで病身を憩うている男のことを思い出したからだが、バルトハウザーは眉をひそめてたしなめた。

「艦長、どうかそういうことはおっしゃらないでください。小官は貴方が元帥に出世された暁には艦隊司令官にさせていただくつもりなのですから」

副長がまじめな顔をしたままなので、酔っぱらいの冗談とも本気とも取れぬ言葉に、ロイエンタールは笑いだした。

「元帥になるまでにあと何十年かかるかな。50、60まで生きて元帥になった時には卿の願いについて思い出すとしよう」

やがてさほど飲んだとも思えないバルトハウザーが、「小官は医者との予約がありまして…」と艦長に断りを入れた。ロイエンタールは分かっているという風に頷く。

「医者に行くのに飲んで大丈夫だったのか」

ミッターマイヤーが不思議に思って聞く。

「それほど飲んでおりませんのでご心配には及びません。それに普段通りの生活を送ってよい、という医者の指示ですから…」

バルトハウザーは自分の艦長に向き直ると、「ではいつものお時間にお迎えにあがります」と言って去って行った。

ミッターマイヤーが目を剥いて親友の顔を覗き込む。彼は少し酔っているようだ。

「お迎えに? おまえ、副長に送迎させているのか? 一体いつから?」

「2週間くらい前からかな…。したいというからさせているのであって、無理強いしているわけではない」

「2週間も前から? その間ずっとか? その…、女の子とデートしたりしてるだろ。その時も?」

ロイエンタールは頷いた。つまりデートの後、彼女の部屋に泊まるのではなく、副長の迎えを受けて官舎に戻っているということだ。隣の部屋に住むはずのミッターマイヤーはまるで気付いていなかったが、てっきり朝帰りを繰り返しているもだと思い込んでいたのだ。ミッターマイヤーはおのれの副長と顔を見合わせた。

「まさかおまえ、迎えに来た副長をそのまま泊めたりしてるのか」

「…ミッターマイヤー、なにか勘違いしてないか。あいつはおれを送り迎えしているだけ。これにはまっとうな理由があるが、知りたければ官舎に帰ってから教えてやる。ここではプライベートな話はできない」

「そんなんでおまえ、あの女の子と最近上手くいっているのか?」

バイエルラインはそれほど物見高い方でもないが、さすがに耳をそばだててロイエンタールの答えを待った。ロイエンタールが口を開く前に、どういう偶然か、当の『ベルリーナ』のフローラが現れた。

「ミッターマイヤー艦長、こんばんは。お久しぶりですね、とてもお元気そう」

そう笑顔を振りまいて、フローラは知らない顔の軍人に気付き、そちらへもにっこりと笑う。噂通りの華やかな笑顔で、さすがに恋人がいる身であることも忘れ、バイエルラインはぼうっとその女性を見つめた。

「…オスカーも。私、さっき来たのだけど、あの副長さんと4人でずいぶん楽しそうだから、お邪魔したら悪いかなと思って」

ミッターマイヤーはそらみろ、と言いたげにグラスの縁からロイエンタールの方を見る。ロイエンタールは気付かぬ風で、フローラに問いかけた。

「もう仕事の時間じゃないのか」

「あら、今夜はお友達につきあってオペラを観に行く予定なの。この店で待ち合わせて軽く食事してから行くのよ。先週、そういう予定があるってお話ししてあったでしょう」

「そうか、それは今夜か。演習中だと思ったからあまり気にも留めていなかった」

その演習は予定より早く切り上げることになった。演習中だからフローラは恋人と会うのではない、別の予定を入れたつもりだったのだろう。理解できない理由から、ミッターマイヤーはなんとなく居心地の悪さを感じた。先ほどまで男4人で遠慮のない雰囲気だったのだが…。

フローラは「ここで少しお友達を待たせてもらっていいかしら」と断って、先ほどまでバルトハウザーが座っていた席に着いた。女給にアルコール分の軽い飲み物を頼む。

それからの1時間はミッターマイヤーとバイエルラインにとって、この上なく居心地の悪いものになった。

いったい彼女の友達はいつやってくるのだろう。フローラはロイエンタールにはお構いなしに、バイエルラインにしなだれかかり、さまざまな話を面白おかしく話す。この街は軍によって成り立っているし、彼女の店の客も軍人がほとんどだ。おのずから、彼女の話は軍と軍人に関するものが多く、なかにはミッターマイヤーが知りもしなかった噂話もあった。その話の間中、隣の席のバイエルラインの肩に自分の肩を預けるかと思えば、偶然のように笑いながらその太腿に手を乗せた。

バイエルラインはだんだんおかしな具合に真っ赤な顔になり、酔ってもいないのに受け答えがあやしくなってきた。彼女が気になって上官たちの話に集中できないに違いなかった。

彼女の恋人はその様子に気づいているのか、どう思っているのか、ミッターマイヤーにすら分からなかった。だが、ロイエンタールはかたくなに親友との会話を続けた。そもそもロイエンタールが話すときに無駄な話などはないので、バイエルラインが気になりつつも、ミッターマイヤーは親友の話に引き込まれていった。

ロイエンタールはフローラにはほとんど目を向けなかった。

誰かの携帯端末の呼び出し音が鳴り、バイエルラインがほっとしたように「ちょっと失礼します」と言って立ち上がった。

その足元がふらついているのを見て、ミッターマイヤーは「おい、大丈夫か」とその後を追った。彼らの間に漂っているおかしな緊張感から逃れたいせいでもあった。

ミッターマイヤーはバイエルラインの後を追ったつもりだったが、混雑したホールの中で副長の姿を見失った。しかたなく、立ったついでにトイレへ行く。ビアホールの喧騒から逃れ、トイレの外の廊下の冷たい空気の中で、ほっと一息つく。時計を見るとすでに2100を回っており、オペラはもう始まっているのではないかと思う。

席に戻ろうと、ホールへの扉を開けようとした時、ぐいっと後ろから腕を引かれ、見るとバイエルラインが厳しい目をして立っていた。

「卿、ど、どうした」

「艦長、今席に戻られてはだめです」

よく見るとバイエルラインの後ろに二十歳くらいのこぎれいな女の子が立っていた。ミッターマイヤーの視線に気づいて、副長が紹介する。

「小官が付き合っているひとです。ご親切な輩が、小官が『ベルリーナ』のフローラといちゃついていると彼女に注進してくれたそうで、さっき通信してきたのは彼女だったんです」

彼女は地元の商店の売り子で、地元っ子の気安さでこの店まで来てしまったらしい。直接恋人と対決してやるつもりで呼び出したが、当然、恋人にとっては濡れ衣だった。

「むしろ君がいいタイミングで通信してくれたから、助かったよ。そうでなかったら、上官の恋人に失礼なことを言う寸前だった」

すっかり仲直りした二人に鼻白む思いで、ミッターマイヤーは席に戻ろうとした。

「では、卿はもう帰ってかまわないぞ。彼女を送って行かなくてはならんしな」

バイエルラインはもう一度、艦長の腕をぐいっと引いた。

「艦長、あっちは修羅場ですよ、行ってはいけません」

 

 

戻る     前へ     次へ

bottom of page