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二人の新任艦長 第2部

10、

ヴァルブルク方面軍司令官であるエアハルト・ゼンネボーゲン中将は、愛妻家として知られていた。残念なことに先年、夫人は夫不在のオーディンの邸宅で病気により亡くなり、中将はしばらく喪に服した。服喪の間はヴァルブルクの街はその喧騒をひそめ、士官たちは自粛して哀悼の意を表したものだった。

中将は常日頃から、ヴァルブルク軍の士官たちはいかなる階級の女性に対しても紳士であれ、と訓戒してきたので、最近聞こえてきたオスカー・フォン・ロイエンタール大尉の噂に心を痛めた。つまりは怒っていたのである。

その親友はむしろ、フローラに対する非情さに彼の知るロイエンタールとは相いれないものを感じた。彼には分からない理由があるのではないかという思いから、前回のように親友を叱責することはなかった。

街の噂も二分していて、フローラにも非があったという者も、ロイエンタールが問答無用でむごい、という者もいた。二人の様子を目の当たりにしたものさえ、真実は分からないのだった。

 

ゼンネボーゲンが中将となり、艦隊司令官を拝命した頃、ロイエンタールは従卒として彼に仕えた。その時彼は15歳で、翌年には士官学校へ進学することになっていた。ほんの3年前に彼に会った時は、自宅で複数の家庭教師から教育を受けており、線の細い、暗い表情の子供で、挨拶の言葉すら発さなかった。

ゼンネボーゲンは十数年にわたって宇宙艦隊の士官として戦場を駆け巡り、その頃ようやくオーディンに戻ってきたのだった。彼は少将となり、最愛の女性と結婚を果たした。そしてゼンネボーゲンはその時、若き日のある思い出と対峙したのだった。

その13年前、ゼンネボーゲン少佐はさる伯爵家の令嬢の心を射止めようと苦心していた。その令嬢をめぐっては3つの決闘と、1つの自殺未遂が起こり、最終的には帝国騎士の中年男が彼女を手に入れた。ゼンネボーゲンは絶望し、オーディンにしばらく戻らないつもりで辺境での任務を志願した。

だが、彼は立ち直り、失った恋は若気の至りとして笑い飛ばせるようになった。彼は着実に出世し、貴族の係累で金はあるが取り立てて特徴のなかったゼンネボーゲン家に栄光をもたらした。複数の勲章と、皇帝陛下のありがたいみ言葉。少将となった彼の求婚に、恋人の両親はもろ手を挙げて歓迎した。幸いなことに、彼ら夫婦は確かな愛情で結ばれていたから、妻の両親が多少の虚栄心を発揮しても気にならなかった。

そのような時、彼が若いころ恋をした女性が精神を病み、ついには自殺したという噂を聞いた。表向きは病に倒れたということだったが、夫婦仲に関する噂が悪意を伴ってどこからともなく流れてきた。

彼はショックを受けた。彼女がその結婚で幸せになると思ったからこそ、彼は身を引くことが出来たのだ。彼がオーディンにいない間、彼女はずっと苦しんでいたのだろうか。彼女を苦しめた男を見てあざ笑ってやるつもりで、そして、彼女の遺児がどのような子供か少しの期待を持ってロイエンタール家を訪れた。

 

ロイエンタールは13年前と変わらず鼻もちならない男で、金持ち臭でゼンネボーゲンを辟易させた。この男は冷笑家でどんな相手にも高圧的に接し、皮肉な口調を崩さなかった。そして、13年前にはなかった、アルコールのにおいを漂わせていた。よく見れば、どことなく生気がなく、張りがない皮膚は色が悪かった。

―彼女を失って苦しんでいるなら、いい気味だ。

「なにをしている! ここは子供が来るところではない!!」

ゼンネボーゲンがその言葉にはっとして扉の方を見ると、小さな子供がその陰からこちらを覗いているのだった。その白く小さな顔はゼンネボーゲンを仰天させた。

―なんてことだ、レオノラにそっくりだ!

だが、父親が手元にあった本を投げつけたので、子供は慌てて扉から離れて行ってしまった。

「犬猫じゃあるまいし、子供になにをするんです! 当たったら怪我をするでしょう。乱暴はやめてください」

「あれをどうしようと私の勝手だ! 私の行動にケチをつけるとは偉くなったものだな、ゼンネボーゲン」

彼には確かに口出しをするどんな権利もなかった。悔しさを押さえこんでその家を辞去しようとすると、玄関に子供がやってきた。

もしかして来てくれるのではないかと願っていたので、ゼンネボーゲンは喜んだ。

「勝手に客に会ったりしたら、お父さんにまた怒られるのではないかな」

「どうせお酒を飲んでいて気付いていません」

そういいつつも、子供はちらちらと気にする風に後ろを向いた。

「あなたは軍人ですか」

「そうだ。軍に興味があるかい。君も軍人になりたいか」

「さっき実際に軍人という職業があると先生に聞いたばかりです。物語の中だけだと思っていました。だから興味はありますが、軍人になりたいかどうかはわかりません」

子供は小さい声だが明晰に答えた。その賢そうな両眼を初めて正面からはっきり見て、ゼンネボーゲンははっと息を飲む。

子供はゼンネボーゲンの驚きに敏感に気付いた。

「驚かせてすみません。でも、ただの遺伝のいたずらです」

「謝るようなことかい、左右の色が違うとは素晴らしいきれいな目だ。びっくりしたりして悪かった。さぞご両親は君が自慢だろうな」

なぜそんなことを言うのか、その時子供の顔に浮かんだ表情を見て後悔した。それはこんな小さな子供には似つかわしくない表情だった。諦観、憎しみ、絶望、そして何かに飢えたような表情。先ほどのこの子の父親の様子を見ればわかるのに、ありきたりなその辺の子供に言うようなことを言うとは。

「教えてください、軍人になるための学校があると先生は言いました。本当ですか」

「あ、ああ、その通りだ。軍で上を目指すのなら士官学校がある。私もそこを卒業した」

「こどもは入れないんですか」

ゼンネボーゲンはびっくりして少年を見た。「幼年学校のことかな。君の年なら士官学校はまだ無理だが、子供のための軍の学校があって、それが幼年学校だ。軍人になりたい子供のための学校なんだよ」

「僕は外の学校に行きたいんです。でもあの人は許しません」

あの人とは父親のことだろうか。ゼンネボーゲンは言い知れぬ不安を感じながら少年の顔を見た。少年の表情からは先ほどとは違う決意のようなものを感じた。

「あなたはずっと宇宙にいて、オーディンにはめったに帰ってこないと聞きました。僕もどこか遠いところへ行きたいと思います。そのためには軍人はとても良い職業だと思いました」

彼の言葉はどこか、本を朗読するような話し方だった。もし、家に閉じこもって家庭教師のみを相手にしているのなら、自然な子供らしい言葉づかいを知らないとしても無理はない。

「確かに親の許可は必要だが、幼年学校に入ったら、生徒は軍人として国家がその身分を保障することになる。宇宙艦隊に入れるかどうかは君次第だがね。人気が高いんだ」

彼が聞きたいのはこういうことではないかと推測して、続けた。

「幼年学校は寄宿制だ。この家を出て同じ立場の子供たちと一緒に暮らし、学ぶんだ」

少年は重々しく頷いた。そして特に何も言わず、後ろを向いて立ち去ろうとした。ゼンネボーゲンははっとして少年を呼びとめた。

「君、名前を教えてくれ。私はエアハルト・ゼンネボーゲンだ」

少年は再び頷いて、「オスカー」、と答えると行ってしまった。

 

オスカー少年が再び、幼年学校の高学年生として彼の前に現れるまで、ゼンネボーゲンは彼がどのようにして父親のくびきから逃れたか、知り得なかった。彼は少年の存在を気にかけつつも、任地に向かって再び宇宙へ飛び立った。ゆえに、どのようにして幼年学校へ編入したかはオスカー自身の言葉によって知った。

信頼できる執事や家庭教師たちのさりげない説得により、(あまりあからさまでは逆効果だ)、やっかいな息子を家から正当な理由で追い出せると気付いた父親は、入学試験を受けることを許可した。相応の金を積めば、貴族身分の子弟として無試験で入学できたはずだが、有り余るほどの資産があるくせに金を払うことを拒否したのだ。家庭教師が自信に満ちて執事に請け合った通り、少年は何の苦もなく試験を通り、晴れて編入することになったのだった。

ゼンネボーゲンは世間話のつもりで従卒となった少年に聞いた。

「学校では友達はできたかい。近頃の子供はどんなことをして遊ぶのかな」

「友達なんていません。周りは僕を見て怖がるか、笑うしか能のない愚かなやつらしかいません。勉強は大好きだし、僕はスポーツが得意ですから、軍事教練も楽しい。そもそも軍人になるために学校に行っているのだから、友達は必要ないと思います」

「だが、戦場では一人では戦えない。仲間がいてこそ強い兵士になれるんだ。一人で大きな作戦を遂行することが出来ないのは分かるだろう」

オスカーは少し考えて、納得したように頷いた。

「僕にも苦手なことはあります。そういう時、誰か代わりに苦手なことをしてくれる人間がいると、敵に後れを取らずにすみますね」

「そうそう、その通りだ」

ゼンネボーゲンは言ったが、損得や利益で推し量れない友情というものについて、説明できないことを残念に思った。これは彼自身で体得しなくてはならないことだと思ってそれ以上は言わなかった。友達の存在について考え直したようだし、後はなんとかなるだろう。それより、先ほどの彼の言葉で気になることがあった。

「君の目を笑う奴がいるのかい。怪しからん奴だな」

「あいつらは馬鹿だから、これがたんなる遺伝のからくりだと分からないんです。呪いか何かだと思って面白がっているんだ…」

「ほら、目の色を変えるレンズがあるだろう、そういうのを着けてもいいんじゃないかな」

オスカーは鼻で笑った。他の従卒の少年が提督に向かって鼻で笑うような不遜な態度をとったら、ゼンネボーゲンはその少年を反省室送りにしただろう。

「そういうことはしません。これはあの人たちに対する罰だから、僕は隠さずにいます」

「あの人たち? 誰に対する罰だというんだね」

「もちろん、僕の父親と母親です。僕が生まれる前に、母親には愛人がいたことをご存知ですか」

子供の口から『愛人』などという言葉が出たことに冷水を浴びせられたように感じた。ゼンネボーゲンは少年の顔をまじまじと見る。

―私がこの子の父親になることだってあり得たのだ

唐突にそう思い当たり、愕然とする。華やかな雰囲気をまとった美女、その優しい気質から周囲に影響されやすかったレオノラ。彼女とは恋人同士とまでは行かなかったが、他の対抗者より(彼女の夫となった男より)、自分とは良好な関係だった。もし、自分が辺境へ向かわず、あくまで首都にとどまっていたら…?

少年はゼンネボーゲンの黒髪と黒い瞳をじっと見て言った。

「その男は黒い瞳だったそうです。母親は赤ん坊の目が、片方が愛人と同じ色の瞳なのを見て、何かの呪いかと思いおびえた。だから赤ん坊の目玉をナイフでえぐろうとした」

物語を語るようにそう言うと、少年はまるでここではない、何かを見るように遠くを見つめる目をした。この子は今、何を見ているのだろう。

あのやさしいレオノラがそんなことをするはずがない、少年の言葉には何か裏があるに違いないと、わずかな希望にすがって問う。

「お母さんはそのことを君に直接告白したのかね。どうしてそんなひどいことをしようとしたか、教えてくれたかい」

「母親と話したことはありません。まともに話が出来たとも思えません。ただ単に僕は見たんです」

「…見た?」

「ナイフがあと少しで僕の目に刺さるところを」

彼の提督が唖然として見つめるのに対して、オスカーは面白そうに笑った。その表情は子供の笑顔というより、もっと大人のもの、あるいは彼の父親がゼンネボーゲンに対して向けてきた、あざ笑うような笑顔に酷似していた。

少年は母親と生き写しの美しさにもかかわらず、その父親ともよく似ていた。

「僕はこの目を見て嫌な気分になる男が、父親の他にも少なくともあと一人いると知っています。そいつがいつか現れた時、すぐに分かるように、母親の罪の印を世間にさらしているのです」

「…私はそいつではない。違うぞ、断じて」

オスカーはまた笑った。今度は少し悲しげに見えた。

「残念です。提督だったらまだましだったのに」

―私が父親だったら? レオノラの愛人だったら?

 

 

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