top of page

二人の新任艦長 第2部

5、

ミッターマイヤーの予想通り、ロイエンタールはフローラと一緒で、目下ベッドの中にいた。彼は今夜飲みすぎてしまった自分の愚かさを呪った。フローラと二人だけだった時はそれほど飲むつもりはなかった。ところが、ミッターマイヤーが現れ、どうしても一緒に飲みたくなってしまった。彼と一緒に飲めば、夕刻の出来事をすっかり忘れることが出来ると、遠慮する親友に無理に同席を勧めたのだ。

飲みすぎるとどうなるか、彼はうかつにも忘れていた。いつもミッターマイヤーが一緒の時はこれは起こらない。そのせいで油断してしまったのだ。ミッターマイヤーが帰ると言い出して、気付いた時にはしたたかに酔っぱらっていた。女が一緒の時に醜態を見せるわけにはいかないから、なんとか今夜は官舎に戻るつもりだったが、上手く女の部屋に連れてこられてしまった。

彼は目をつむった。目の裏にさまざまな記憶のカードがコマ送りに現れた。何とか腕の中にいる女に集中しようとするが、父親と叔母の記憶が頭の中を占めている時に女に集中など出来るはずがなかった。

「どうしたの、オスカー」

なぜ、ミッターマイヤーと飲む時はこの症状が起こらないのか? きっとミッターマイヤーのことだけで思考がいっぱいになるからだろう。理由は彼には分らなかった。それは映像記憶の暴走がなぜ起こるか、理解できないのと同様だった。

女がくすくす笑っている。だいたい、自分がひどく酔っ払っていてものの役に立たないことは分かり切っていたものを、この女は無理やり部屋へ連れてきた。おそらく、彼の弱みを握ったつもりでいるのだろう。勝手にすればいい、と彼は投げやりに考える。

彼は記憶の暴走を止める一つ目の方法を試した。頭の中にブラックボックスを思い浮かべ、映像カードをそこに放り込んだ。さあ、消えた。また浮かんだ記憶を別のブラックボックスに投げ込む。これも消えた。そしてこれを繰り返して、どんどん記憶をブラックボックスに放り込んでいった。

彼はゆっくりと目を開けた。目の前には彼を見つめるフローラがいて、うっとりと薄暗がりの中で色違いの瞳を見ている。彼の思考は今は静かで、いつの間にか酔いもさめていた。

彼は目を開けたまま、フローラの唇に接吻した。目を閉じたらきっとまた映像が戻ってくるだろう。決して目を閉じることなく、行為を続けていく。

やがてフローラの顔が歪んで、口がぱくぱくと息苦しそうに動き声を上げた。彼女の足が腰に巻きつき、さらに彼が責めたてようとした時だった。

ベッドの脇にある椅子に放った彼の軍服の中から、携帯端末が通信を受信したことを音を発して知らせた。

彼は信じられない思いで、その音がする方を見る。誰からの通信か、見るまでもなかった。今日はもう何回も通信を受けている、彼の副長からだ。

今夜は出かけるから連絡があるなら端末にメッセージを残せ、と伝えてあったはずだった。レストランで一度通信を受け、何事かと通信に出ると、副長の心配そうな顔がうつった。何があったか問うと、「艦長がご無事か少し心配になりまして」ときた。街中で何を心配することがあると言うのか? 彼がいささか強い口調で叱責すると赤くなって、「失礼しました」と言って通信は終了した。

だが、その後30分おきに通信が入った。

ロイエンタールはもう受信を無視することに決めたが、もしかして今にも副長がこの場に現れるのではないかと思って、気が散って仕方がなかった。だがミッターマイヤーが現れたおかげで、少し気が紛れた代わりに、飲みすぎてしまったのだった。

彼はベッドからそのままの姿勢で端末に手を伸ばした。フローラがしがみついて抗議する。

「やあっ、今はやめてよ」

端末が手から落ち、その拍子にバルトハウザーのあっけにとられた顔がうつった。あちらからもこっちの乱れた様子が見えただろうが、かまうものか。

携帯端末を手に取り、真っ赤になっている通信相手を睨みつけながら端末を操作して、画面を消し、音声だけの通信に切り替える。

「何事だ、心配だからなどという理由で通信したのなら許さんぞ」

「し…失礼いたしました。あの、明日は早くから会議がございますので…」

「早めに寝ろとでも言うつもりではなかろうな」

「い、いえ、艦長がお怪我でもされないかとしんぱ…。いえ、おやすみなさいませ」

通信があちらから勝手に切れた。常であれば部下から一方的に通信を切るなど許しがたいことだが、この場合は大歓迎だ。彼は端末を放り投げた。

―あいつはノイローゼか何かか。俺が心配だと? 一体どうしたことだ?

「あの人知っているわ、亡くなった前の艦長さんと一緒にお店に来たことがある。その艦長さんをずいぶん大事にしているとは思ったけど。お酒をついであげたり、お料理を取ってあげたりね。副長ってそういうものかしら? でもこんな変な人だと思わなかった」

「確かに変だな…」

同調しかけてロイエンタールはフローラを睨みつけた。

「おい、他にもおれを部下を知っているとしても、そこらじゅうで噂して回るなよ。当然、おれの噂もするな。したところで分からないと思うなよ」

「き、気をつけるわ。軍人さんはみんな噂話が好きなのかと思ってたわ。さっきも私の話、面白がって聞いてたじゃない」

「…酔ってた時の責任は取らん。さっきはミッターマイヤーもいたしな。とにかく、おれは噂話は嫌いだ」

「分かったわ…。そういえばこの間お店に来た中尉さんは艦長さんと仲が悪くて…」

それが噂話というのだ、とロイエンタールはうんざりした気分で心の中で訴える。これでは口止めしたところで自分とのことを噂して回るのは時間の問題だろう。あまり長くは付き合えないな、と考えると、今の行為の続きをする気も失せようというものだ。だが、ひとまず始末をつけなくてはならない。

「もういい加減に口を閉じろ」

「では、閉じさせてちょうだい」

フローラが伸びあがって接吻してきたのに答えてやりつつ、朝になったら副長を問い詰めなければと考えた。

 

朝の会議が終了したところで、副長を呼びとめ、一緒に艦長室に入ったのが5分前、その間じっとロイエンタールは彼の副長を黙って睨めつけ続けた。バルトハウザーは居心地悪そうに視線をさまよわせている。とうとう、ロイエンタールが口を開いた。

「卿の弁解を聞こうか」

何に対する弁明か、言うまでもなかった。バルトハウザーは観念したように話しだした。

「ベスター前艦長が戦死される前、小官は爆撃を受けた時の艦の衝撃で倒れてしまい、不覚にも意識不明になってしまいました。気付いた時には艦はさらに激しい攻撃にさらされており、艦長は悔しいことに亡くなられて…」

「その時の報告は読んでいる。意識を取り戻してすぐに卿が行動したことで、艦は救われた。それは司令官閣下もよくご存じなのだぞ。この艦自体も艦長不在の中、総員が第1級の働きをしたと褒めておられた」

だからこそこの筋金入りの艦を自分にお与えになった、とロイエンタールは考えた。

「あ…ありがとうございます。しかし、そのような光栄に浴する資格など小官はないのです。あの時、情けないことに意識を失わずにすんでいれば、ベスター艦長をお救い出来たはずなのです。それを…」

「自分が見ていない間にまた卿の艦長が死ぬと考えているのか」

青ざめてバルトハウザーは首を振った。

「そんなはずはないと頭では分かっているのです。艦長はまだお若いし、ご健康にも恵まれておられます。素晴らしいご友人がたもお持ちで、司令官閣下のお覚えもめでたい。そのような方が、急に…」

「まるで理由もなく自殺するとか…? まあ、そのあたりの保証は出来かねるな」

「艦長!!」

まるで泣かんばかりの副長の様子を見て、これはからかうべきことではなかったと反省する。副長にとってはかなり深刻な悩みだ。

「悪かった。だが、おれはなにがあろうと、どんな戦闘であれ、簡単に死神と友誼を結ぶつもりはない。そんなことをしておれの敵を喜ばせるのはしゃくだからな。しかし、心配するなと言っても卿には効き目がないだろう」

「は、はい…」

ロイエンタールはため息をつくと、端末からデータを副長のIDに送信した。

「規定通りのものだが、今、卿に精神科の医師にかかるようすすめた書面を送った。強制は出来んが、卿の上官として卿には精神の健康を取り戻してほしい。どうするのが卿にとって一番よいか分からんが、ひとまず、卿の端末からビジフォンで発信出来ないように技術班に設定させろ。そして連絡はテキストのみに限定する」

「そ、そんな…」

「いいか、心配になったら直接会いに来い。ちまちまうっとおしく通信なんぞ入れるな。直接顔を見れば少しは安心できるだろう」

副長は混乱した風にロイエンタールを見た。手を握り締めて焦燥感にかられた姿は、最初に見た落ち着き払った品行方正な様子とだいぶ様子が違って見えた。おそらく、あれが彼の本来の姿なのだろう。

「しかし、それでは艦長のご迷惑になります。日中はずっとおそばにおりますので、不安感はあまりないのですが、夜になりますと殊に…」

「だから早く治せ。いちいち外に出るのは卿にとっても面倒なことだろう。多少は抑止力になるのではないか? ビジフォンで簡単に通信できると思うから、余計によくないのではないか。まあ、おれは医者じゃないから間違ったやり方かも知れんが…」

副長は震えながら立ったまま、頭を下げる。その顔には冷や汗が流れていた。

「お許しがいただけますなら、今からすぐに医者に面会を申し込みます。毎日通院することになりましても、任務で艦長のお手をわずらわすことはないようにいたします。決してご面倒をおかけせぬよう努めますので、どうか、お見捨てなきようお願いいたします」

ロイエンタールは呆れて首を振った。このまじめすぎるところがかえって彼自身を追いつめることになったのではないだろうか。

「あまり気負いすぎるな、今日は官舎でゆっくり休んで…。いや、顔を見れないのがいかんのだな。心配ならドックに戻って仕事するなり、なんなり好きに過ごせ。卿が仕事熱心なのは疑っておらぬから、見捨てたりなどせん」

「あ、ありがとうございます。必ず健康になると誓います」

その誓いがよくないのだ、とは思うが、ともかく使命感に燃えて医者に向かう副長の後姿を見送った。

―あの人知っているわ、亡くなった前の艦長さんと一緒にお店に来たことがある。その艦長さんをずいぶん大事にしているとは思ったけど…

フローラの言葉がふと蘇る。その大事にしていた艦長を突然失い、精神の変調をきたしたのだろうか。彼の大事な艦長が自分に置き換わったということは、副長はロイエンタールを艦長として認めているということだ。そう思うとまんざら悪い気はしなかったが、それにしても何かが引っ掛かる。

さっきのバルトハウザーの言葉、『…そんなはずはないと頭では分かっているのです。艦長はまだお若いし、ご健康にも恵まれておられます。素晴らしいご友人がたもお持ちで、司令官閣下のお覚えもめでたい。そのような方が、急に…』

…急に?

ロイエンタールは手に顎をついて考え込んでいたが、端末を立ち上げて調べ始めた。

 

 

戻る     前へ     次へ

bottom of page