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二人の新任艦長 第2部

3、

ミッターマイヤーは夕刻、司令部に戻ると、後衛部隊を統括する副連隊長のバウマン中佐に面会を求めた。現在の副長を他の者に変えてほしい旨、中佐に伝えるとバイエルラインの予測通り、相手はいい顔をしなかった。

「卿はオイレの艦長になったばかりではないか。着任早々副長を更迭するだと…? こんなことは前代未聞だ。いったい何の咎があって更迭するというのだ」

「命令不服従です、中佐」

「それが本当なら軍法会議に値する。将来ある士官に対してめったなことを言うものではないぞ、大尉。その者の命令不服従は卿の統率力不足ではあるまいか」

ミッターマイヤーは傲然と胸を張って答えた。副長、エルプ中尉の将来についてはミッターマイヤーとて憂慮しないわけではなかったが、事ここに至ってはどうしようもない。

「エルプ中尉にはまだ会ってもいません、中佐。今日、私が辞令を読み上げる場に立ち会うことを拒否したのです。このような人物を私の副長にするわけには参りません。中佐にはこのエルプ中尉が今までどのように勤めてきたかご存じだったのではありませんか」

バウマン中佐は渋い顔をしてぐっと詰まった。執務机の向こうで腕組みをして黙りこむ。おそらく、本当に知らなかったか、知っていて新任の艦長が統御出来るか丸投げするつもりだったのだろう。

「彼が態度を改めるべき機会は前艦長の時代にいくどもあったかと思われます。ともかく、大事な皇帝陛下の御艦を任せるに足る人物とは思えません。代わりの副長の候補を選定することをご検討ください」

「代わりなどすぐには見つからんぞ。卿も気付いておろうが、当地で遊んでいる者などおらん。まあ、卿の言う通りだとすると、このエルプなる者はそのようだがな。自分の艦の中で遣り繰りすることだな」

「では、艦の先任士官にバイエルライン少尉がおります。この人物は十分任に務まると思います。彼に中尉の地位への推薦と、副長の辞令をお願いします」

「代理副長にするのであれば、辞令は不要だ。任命は卿の裁量のうちにある。代理副長として一定の任務を全うすれば自動的に中尉への昇進が推薦される」

「分かりました。では彼を代理副長として艦内の人事をまとめます。」

敬礼をして退出しようとすると、中佐が呼びとめた。

「卿はわが連隊内では最も若い大尉で、経験もない。あまり最初から無理を通すようだと周囲から煙たがられるぞ」

それは中佐自身の意見ではないかと思われた。どうやらさっそく要注意人物として目をつけられるはめになりそうだ。だが、ミッターマイヤーは周りと迎合するために自分の意見を曲げる気はなかった。

「小官は自分の感情を先にして任務を疎かにするような者を受け入れることはできません。エルプ中尉には気の毒だとは思いますが、すべて彼自身がしたことの結果です。小官は道理が通じないところで無理をしたと思っておりません。では、これで失礼します」

彼は綺麗に敬礼をしてかかとを揃えると、堂々と自動扉を通って廊下に出た。扉が閉まる前に「生意気な正論家め…」というつぶやきが聞こえたようだが、そのまま歩いて行く。昼を抜かして酷使した腹が抗議の声を上げた。ミッターマイヤーが時計を確認するとすでに1800を回っていた。

―今日は時間があったら家に通信を取りたかったがなぁ…。仕方がない、ドックに泊まり込む前になんとか連絡をとる機会があるだろう。

彼はしばらく官舎を引き払い、他の士官や兵たち同様、第6ドック付近の訓練棟に寝泊まりすることに決めていた。ロイエンタールにはしばらく会えなくなるだろうから、今日、一緒に食事か飲みでも行ければいいがと思っていた。親友とまた会えなくなるのは残念だが、早く修復を終了し、自分の艦を戦闘向きに仕上げなくてはならない時に、ドックまで往復4時間かけるのは時間の無駄だった。

 

ヴァルブルクからオーディンまでの超高速通信は一般兵は使用を許されず、データ郵便のみが彼らが家族や友人との通信のすべてである。しかし、士官以上であれば、申し込みをすればいつでも使用することが出来た。ここでも貴族階級の者への優遇は利いていて、自分から何も言わずに順番待ちの列を短縮することが出来る。通信用のブースは満室で、待合室には数人の士官が椅子に座って順番を待っていた。出来れば自分は順番どおり待つ、と言いたいが、管理はすべて自動化されているので誰にも訴えられない。ロイエンタールは順番待ちの自分の番号が5分もたたずに掲示板に表示されるのを見て、立ちあがって、通信用の専用の個室へ向かった。この個室も優遇措置のうちの一つだ。

狭いが快適にしつらえた個室に入って、システムを立ち上げるとすでにオーディンの連絡先とつながっており、通信スクリーンにパッと、叔母のコルネリア・アンシュッツの姿がうつった。

「あらまあ、ごきげんよう。オスカー、本当に久しぶり。スクリーン越しにも元気で立派になった様子がわかるわ。少し肩のあたりが逞しくなったようね」

叔母はロイエンタール家の特徴を顕著に示す、大柄でふくよかな身体つきをしていた。まるまるとしたえくぼのある手を口に当ててうれしそうに笑う。

「ごきげんよう、叔母上こそお元気そうでなによりです。ゼンネボーゲン中将閣下より、毎日のように通信されていたとお聞きました。お待たせして申し訳ございません」

この叔母や骨太でがっしりした父と、自分は本当に血がつながっているのか、子供のころは不思議に思ったものだった。彼自身は母親の血筋を引いて骨格が細く、華奢な子供だった。手首が細く、手のひらや足の形までも違っていた。その理由を理解したのは十代の頃、マールバッハ伯爵家の者と会ってからのことである。彼は今でも手首が細く、密かに一体どうしたらミッターマイヤーのような太くしっかりした手首を手に入れられるだろう、と考えないではなかった。

「軍人さんの任務では仕方がありませんものね。待つのは何でもありませんよ、ちゃんと最後には連絡を入れてくれれば。私は元気そのものよ、健康には人一倍気を使っているの」

「なによりです、叔母上」

「今オーディンで話題のお料理があってね、それが最近のお気に入り。栄養があって、美容にいいお食事よ。なんといったかしら、あれこれ野菜や果物を凍らせて、それをあのなんとかいう粉々にする機械にかけて、ジュースみたいにして飲むの。冷たくてこの季節にはとてもいいわね」

「朝食には軽くてよさそうですね」

「おなかの調子を整えるにはいいわね。今朝はその後、パンケーキを食べたのだけど、そこにもたっぷり野菜と果物を乗せて、蜂蜜とクリームを掛けて一緒に食べたの。どう、健康的でしょう」

「……」

叔母の血色の良い輝く肌の艶を見ながら、それは食べすぎというものだと甥は考えた。しかし、善良な叔母が食欲旺盛で元気に楽しく暮らしているのなら、言うことはなかった。

「いいかげんにしないか、コルネリア。無駄話はやめろ」

ロイエンタールはぐっと両手のこぶしを握った。椅子に座るその足元が震えそうになるのをこらえて、画面に現れた人物を睨みつけた。

「久しぶりだな、オスカー。もう大尉か、お前はロイエンタールの名と金の使い方をよく心得ているようだな」

「あらまあ、何を言っているの、お兄様。この子はイゼルローンで立派な武勲を立てたんですよ。うちの家名なんて言うほどのものではないじゃありませんか。それにこの子が大尉になるのにお金なんて必要ないんですから」

きっと、少佐になるもの時間の問題よ、と叔母はあわてたように続ける。この男はこの間までは、おまえはまだ中尉か、無能な者は苦労するなと言っていた。

オスカーは自分の手が震えているのを感じたが、口からは何も出てこなかった。罵声の一つも浴びせられたらといつも思うのだが、言葉を発することが出来なかった。

父親は叔母の隣に車いすに座って、身体の前に杖を立てて、そこに両手を乗せていた。彼が凝視するうちにも父親は急にせき込み、前かがみになった。叔母が慌ててその背中をさする。父親の前かがみのきれいに整えられた後ろの襟首から、妙に筋張って細い首が見えて、ぎょっとした。

彼が知る父親は背中ががっしりとして筋肉が盛り上がり、首筋も太く逞しかった。そのうえ身長も190センチ近くあり、その眼光の鋭さと相まって経済界では誰ひとりとして、彼に面と向かって対抗する勇気がある者はいないと言われていた。

この男は確かもう70歳ちかくなるのだ、と愕然とする。逞しい鬼のようだった男にも老いが迫り、明らかな病の兆候を見せている。

老いた鬼はようやく咳が治まると、顔を上げた。その眼光だけは以前の鋭さと皮肉の影をそのままたたえていた。

「お前はあのレイ将軍の策略を暴いて憲兵につきだしたそうだな。その余波で取締役が二人も事情聴取やら逮捕やらで大騒ぎよ。アンシュッツのやつ一人には任せきれんから、わしは隠居することも出来ん」

「まあ、楽隠居する気なんてないくせに。私と夫で何とかすると言っているでしょう。でも、オスカー。ほんと言うと、あなたのお父様が楽に暮らせるように、あなたがこちらにいてくれたらいいのにって、いつも夫と話しているのよ」

あの医師が言っていた、自分が父親の跡を継ぐという可能性について考え、オスカーは青ざめる思いでいた。まさか、そんなことがありうるはずがない。

叔母は無情にも続けた。

「私もあなたの叔父様もね、あなたのお父様がちゃんと闘病に専念できるよう、あなたがいろいろなお仕事を引き継いでくれないかしら、と思っているのよ。軍隊でもあなたはきっとうまくやるでしょうけど、あなたは頭がいいからきっと…」

「こいつが30にもならんうちに、お前たちはみな、路頭に迷うことになるだろう。軍人なんぞ楽な商売よ、こいつに経営の任が務まるとは到底思えん。こいつは勝手にやらせておけばいい、関わればみな、後悔することになるぞ」

「お兄様!!」

オスカーは椅子を蹴って立ち上がった。自分が経営者になるなどこれ以上に馬鹿げた話はないが、軍人であることを否定されて黙っているわけにはいかなかった。

父親を睨みつけながら、彼は口を開こうとして、息を継ぎ、もう一度口を開いた。まただ。喉は閉じてどのようにしても何の音も発することが出来なかった。

彼は父親から目をそらし、うろたえて二人を交互に見る叔母に目を向けた。ようやく絞り出すようにして声が出る。

「叔母上、私を頼られるのは迷惑です。私は自分が無能者だとは思っておりませんから、どんな任務でも遂行する自信があります。きっと別の世であれば叔母上のお役に立てたことでしょう。しかし、現在、私の居場所はこの軍にあります。そして私は死ぬまで軍人であるつもりです。このような馬鹿げた話で私を呼びだすようなことは今後なさらないでください」

「オスカー! そんなことは言わないで!!」

「コルネリア、お前はまだ分からんのか、こやつのせいでお前はいらぬ心配をし、苦しめられているのを! 今後こやつに一切構うな!!」

「苦しいのはこの子が家族だからです! 私は決してこの子の手を手放しません!!」

叔母は真っ赤になってその兄に食ってかかった。オスカーは両手を握りしめたまま立ち尽くして、スクリーンの向こうで叔母が父親の肩を叩くのを呆然と見る。かわいそうなコルネリア叔母。このような情の通わぬ親子に挟まれて、つらい仲立ちの役割をすすんで勤めようとするとは…。

「どうか、叔母上。私のことはもういないものとお考えください。実際、いつ戦死するともわからぬ身です。この人の面倒を見なくてはならないことは本当にお気の毒です。しかし、その立場を変わることはどうしてもできません。ですから叔母上…」

彼はなぜか喉が再び詰まるのを覚えた。自分は泣こうとしているのだろうか? この男の前で子供のように泣くわけにはいかなかった。

「あなたには大変お世話になりました。私が誰にも顧みられることがなかった時、あなたがいらしたことは私の子供時代にとって、一番の幸福でした」

「オスカー、待って…」

叔母が続けようとするのを彼は心を鬼にして通信を切った。スクリーンがブラックアウトする。彼は顔を両手で覆い、大きく息を継いだ。まるで、あえぐかのようにとぎれとぎれに息が吐き出され、目の中が熱くなる。

―あいつに何も言うことが出来なかったうえに、叔母上に別れを告げるとは…! どうしてあの男には何も言わずに、代わりに叔母を苦しめるようなことを言うのか!! あいつを苦しめてやれたら…! なにか言うことが出来たら…!!

オスカーは顔を覆ったまま、再び椅子に座った。今、誰かの前に姿を現すことはできない。このようにすべての感情が自分の表面に現れている時は。ミッターマイヤーにさえ会うことはできない。自分が生きていることに正当な価値が見いだせない、今は。

 

 

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