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二人の新任艦長 第2部

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ロイエンタールが司令官閣下を脅迫したその数日後、ミッターマイヤーに新たな艦の指定がおりた。彼は駆逐艦オイレの艦長たるべく、その艦の修復を監督しなくてはならない。さらに、この艦もロイエンタールのベルザンディ同様、副長以下の乗組員を前任者からそっくり引き継ぐことになっている。この艦の場合は、前任者は病気のため退役したとのことだった。

待望の自分の艦を持つにあたって、親友が少なからぬ尽力をしたことにはミッターマイヤーは気付かなかった。ロイエンタールはもちろん何も言わなかったし、中将は自分の意向を明らかにせず、ミッターマイヤーに艦を用意させるなどお手のものだった。ただの事務上の間違いであったかのように、ミッターマイヤーには思われた。

―しかし、オイレ(ふくろう)とはしまらん名前の艦だなあ…。スクルドは確か女神の名前だとロイエンタールが言っていた。ふくろうは知恵の象徴で、幸運を呼ぶしるしとやつは言っていたが…

彼はいまだヴァルブルクへ向かう途上、輸送船団の監督を任されて『輸送船でも樽舟でもかまわん』と言ったことを思い出した。めったなことは言わないものである。しかし、樽舟すら贅沢と思える状況から、ともかくも駆逐艦を与えられたのだから、文句は言えない。

彼は地上車で指示されたドックへ向かった。オイレはロイエンタールが現在修復の監督をしているベルザンディから、かなり離れた位置にある第6ドックに係留中とのことだった。これはあまりよい兆候とはいえない。第6ドックはこのエリアの一番外縁にあり、そこまで街の中心部からゆうに2時間はかかった。

それでも前日指定した通りの時間にドックに着いた。地上車を降り、ドックへ近づくが、彼を待つ者の姿は見当たらなかった。第6ドックには現在オイレ以外の艦は入っていないため、彼の視線の先にあるずんぐりした外観の艦が自分の艦に違いなかった。

なにやら不格好な艦影にいささかがっかりした気分でいると、数人の兵士たちがにぎやかにしゃべりながらやってきた。彼らはミッターマイヤーが目に入っていないかのように大声で笑っていたが、通りすがりにちらっと彼の方を見ると、一様におざなりな敬礼をして通り過ぎた。

彼らはオイレの方へ向かって行く。まさに彼の艦の乗組員に違いなかった。

「そこのお前たち、待て!!」

ミッターマイヤーは強い声で兵士たちを制止した。彼らはびっくりして立ち止まると振り向いて、相手が大尉だとようやく気付くと、ばたばたとあわてて走って彼の前に立ち、不揃いに敬礼した。どの兵も軍服の上着をどこかにやったのか、シャツだけで腕まくりをしたり、前のボタンをだらしなく開けたりしていた。ミッターマイヤーは腕組みをして彼らをじろりと睨みつけた。

「お前たちは駆逐艦オイレの乗組員か。上官はどこにいる」

兵士たちは戸惑ったように互いに顔を見合わせている。中の一人がようやく答えた。

「俺たちはオイレの乗組員です。みんな砲兵の仲間でして。上官は…上官は…」

「はっきり言え!!」

兵士たちは訳も分からず冷や汗をかき始めた。最初に答えた兵がまた何とか勇気を振り絞って答える。

「上官と言うのが誰のことかわかりません。俺らはたぶん、バイエルライン少尉の部下です。他の人のことは知りません」

「その少尉はおそらく砲担当の士官だな。副長が来ているはずだが、どこにいるか」

最初の兵士がますます混乱したように答える。

「副長と言うのはどの人を言うのか分かりません。自分たちは偉い人たちのことは全然知りません」

ミッターマイヤーは急にドックの天井が回るような気がした。いたって健康体の自分がまさか眩暈を覚えるなどということはあり得ない。だが、彼は急速に自分の体温が上がったり、下がったりするのが分かった。彼が軍に入って最初に覚えたのが、『知らない、分からない』を言ってはいけないということだった。この兵たちは最近徴兵された者たちに違いないが、それにしても…

「お、俺、バイエルライン少尉を呼んできます。あの人ならなんでもよく知ってます」

そう兵士が言うと、その場の兵士全員が「そうそう」、「そうだった」、「俺も行くよ」と言いながら走って行った。

「こら、お前たち全員で行くやつがあるか」

だが、彼らは上官の制止が聞こえない風で行ってしまう。これも通常ならあり得ないことだった。

―いったいどうしたことだ、この兵士たちは…

やがて彼らは前言通り、少尉の軍服を着た人物を囲んで慌てて走ってきた。兵士たちが逃げ出さず言った通りに行動したことはまだしもよい兆候といえた。

少尉はきちんと軍服を着こんでおり、そこここに見える油じみた汚れは今まで仕事中だったことを示していた。非常にまじめそうな顔立ちをしており、自分より少し年上のように思われた。やっと話が通じそうな相手がいたとミッターマイヤーはひそかにほっとした。

しかし、敬礼する少尉に対しては厳しい態度を崩さず、先ほどと同じ問いを問いかけた。

「副長が来ているはずだが、いったいどこにいる。しかも、乗組員の誰もこの場にいない。卿の同僚たちはどうした」

少尉は震える声で答えた。

「副長はここには来ておりません。恐れ入りますが、大尉はどのような御用でこちらへおいでいただいたのでしょうか」

「私はこの艦の艦長を拝命したミッターマイヤー大尉だ」

少尉はまるで馬が身震いしたように目に見えて震えだした。

「た、大変失礼いたしました。誰も…誰も本日艦長がお出でになるとは知らず…」

「私は副長に今日ここで総員を集めて辞令を読み上げると伝えた。連絡した事務の者は直接、副長と会って伝えたと言っていた。副長が卿らにその旨を伝えたはずだ」

ミッターマイヤーは少尉がうめくのを聞いた。部下が上官を前にしてうめくなどと言う事態に立ち会うのは初めてだった。

少尉は堰を切ったように話しだした。

「副長はここにはおりません。数日前から一度も艦に来ておりません。おそらく酒場か官舎で酔っぱらっています。その事務員は確かに副長と会ったかもしれませんが、我々は何も連絡を受けておりません。少なくとも副長以外の者はみな、素面です」

ミッターマイヤーはこれ以上、この少尉を責めるのは酷だと感じた。彼も顔を押さえてうめきたい気分に駆られた。

「よくわかった。では卿に頼もう。これから1時間以内に副長以外の総員を集合させられるか」

少尉はようやく満足に答えられることを聞かれてあからさまにほっとした。

「出来ます。みんな、残らずここで修復のために働いておりますし、街から遠いのでほとんどの者が訓練棟で寝泊まりしているので、非番の者も近くにいます。30分以内で集めます」

「よし、行け」

ミッターマイヤーは腕時計を見て時間を確かめると、そのまま仁王立ちで待った。

近くにいる兵士たちが噂話をしていた。

「副長ってあの人か、あの酔っぱらい」

「軍艦って酒飲んで仕事していいんだなあ」

「馬鹿、いいわけないだろ。少尉がいつも怒ってたの見てたろ」

「あの酔っぱらいはどうなるのかな、呼ばないのかな」

ミッターマイヤーは苛々して、先般の輸送船での出来事を思い出した。この兵士たちはいったいどんな教育を受けたのだろうか。

―ともかく、副長は罷免だ…!!

 

ミッターマイヤーは30分後、ようやく集まったオイレの乗組員の前で辞令を読み上げ、この艦の艦長となった。兵や士官たちはよく統率されているとは言い難かったが、陽気で活気があり、新しい艦長の存在を喜んでいるのが見て取れた。普段の行いがだらしがないからと言って、戦闘で腰抜けだとは限らない。まずまずこれで良しとしなくてはならないだろう。あとは艦長の腕次第である。

先ほどの士官が、自分はヘルムート・バイエルライン少尉であると言い、自分が先任士官であるのでよろしければ艦長にオイレの事情についてご説明したい、と申し出た。ミッターマイヤーは彼を引き連れて艦内部の修復現場に降りてゆき、各部門の修復の説明を受けた。さらに艦長室に入って、これからの修復のスケジュールについて打ち合わせをした。

ミッターマイヤーが卿から聞いたと絶対口外しない、と約束したことに意を強くしてバイエルラインは副長についての質問に答えた。

「前艦長はご病気がちで、戦闘中でさえあまり姿を見せませんでした。そういう時は副長が代理を勤められました。副長はもうずっと5年くらいはこの艦の副長を勤めておられるそうです。副長は…その…、自分がこの艦に配属されてもう3年になりますが、その間常にポケットタイプのフラスコを携帯しておられて…。一番最近の戦闘では酔いすぎて…、その…。

自己弁護ではありませんが、小官ら他の士官たちはおのおのの担当部門で出来る限りの努力をしました。しかし、やはり全体を見て判断する者がいなくては、戦闘で生き残ることは難しいようです。今回はよく戻ってこれたと思います。艦はだいぶやられましたが」

ミッターマイヤーは艦長室の執務机にすわり、オイレの戦績を自分の端末でざっと確認した。意外なことに駆逐艦としては悪くない成績を残しており、士官たちの奮闘の結果がうかがえた。

だが、この艦は運のない艦だ。せっかくの成績を残しながらも艦長が病弱であるため、連隊内での存在感が薄く、活躍が見込まれる場面で、この艦が作戦の中心に選ばれることはなかっただろうことは容易に察せられた。

このバイエルラインも、年齢的にも能力的にもとうに中尉になっていていい人物と思われた。ミッターマイヤーは首を振ってため息をついた。

「副長についてはこれから司令部に戻って、配置替えと新任の候補を寄こしてもらうよう、お願いすることになるだろう。俺の連隊長はファーレンハイト大佐と言う方だと聞いたが、謀反鎮圧に出撃されていて、まだお会いしていないし、いつ戻られるかわからん。後衛部隊を統率するバウマン中佐に仮処置をお願いすることになるが…」

「こう言っては何ですが、おそらく迅速な対応は望めないかと存じます」

バイエルラインもため息をつきつつ、答える。

「率直に申し上げることをお許しください。われわれの現在の立場は連隊内で最も低いと言って過言ではありません。まともに修復できるのが奇跡とさえ思えました。まあ、人不足、艦不足の当地ですので、せっかくの艦を無駄にはしないということでしょう。しかし、新たな艦長がお出でになるということで、われわれは大変将来に希望を持っておりました。副長は…、違ったようですが」

ミッターマイヤーは苦笑すると、席から立ち上がり、バイエルラインに手を差し出した。

「当面、卿に副長の代わりを勤めてもらおう。先任士官としてその職には十分資格があるようだしな。これからよろしく、代理副長どの」

相手はぱっと顔色を明るくしてミッターマイヤーの手をぐっと握り、手を離すとさっと敬礼した。

「ご信任ありがとうございます。ミッターマイヤー艦長殿のため、奮戦努力いたします」

「それからこのオイレと、乗組員のためにもな」

重々しくそう答えると、ミッターマイヤーは引き続き、彼の艦についてバイエルラインと協議を続けた。

 

 

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